第45話 夕間暮れ

 アイリスが静かに決意した、その日の夕方のことだった。

 適当なインターネットカフェで仮眠を取ったアイリスは、昼食を摂り終えた海月と連絡を取って、首都某所にて合流した。

 戦いがないことを理解した二人の服装はカジュアルなもので、共にそうしていればシティーガールらしき見た目だった。

「へぇ。お洒落だな、海月」

「せやろ。そういうアイリスもええやん、似合っとるで」

 ブラックのトップスと薄い青のデニムパンツ、黒のキャップを身に纏った海月は誰が見ても街に溶け込んでいて、雄叫びを上げながらメイスを振り回す第九隊副隊長の姿とは重ならないものがあった。

 対するアイリスは水色のブラウスと白のフレアパンツを身につけており、特徴的な目の色と金髪も相まって、どこにいても一定以上の視線を集めそうな雰囲気がある。

 どちらからともなく歩き始めた二人は盛り上がりを取り戻しつつある繁華街へと向かった。

 襲撃の激務に追われてか、人の中に皇帝隊第一隊の隊員らしき顔ぶれは見当たらない。それでも平和が保たれるのは、かつて首都に溢れかえった人形型のロボットが人々の心に恐怖を植え付けたからかもしれない、とアイリスは思った。

 もっとも、二人の目的は往来を巡ることでも、街のパトロールを行うことでもない。二人は暫くして往来を外れ、誰も通らない真っ暗な路地裏へと向かい出した。飯屋でも話題には取り上げられず、かといって海月の家でも面倒事が起こりうるためである。

 誰の声も届かない場として二人が選んだのは、首都の中心地から少し外れた場に位置するアウトローの溜まり場だった。

 犠牲者が少なかったとはいえ、自信過剰な彼らからそれらを奪ったのは人形型ロボットに違いない。足元もまともに見えぬ路地裏を通らなければならない溜まり場は、今や誰一人としてそこにいない。

 小さく静かな暮れ方の街はずれであった。

 海月は適当なドラム缶を見つけて腰掛け、語りやすいように話を切り出した。

「……元々対立派閥にいたウチまで頼るってことは、状況が芳しくないっちゅうことやろ。ま、世界を滅ぼすでもない限り手伝ぉてやるわ。言うてみろ」

 これよりアイリスが切り出そうとしているのは、彼女が敬愛する桑水流にさえ伝えていない事。相手の選択を間違えれば、計画の破滅が招かれる……それでも、この話を切り出す相手にアイリスが選んだのは、数少ない気を許す友だった。

  

「神帝裁判のあと、和倉五鈴はほぼ確実に処刑される。私はそれを止めたいと思う」

 

 海月はキャップのツバを指で挟む。深く被られたそれは、彼女の顔に深く濃い影を落とした。

「おっきく出たな。理由は別に聞かへん、大体わかる……ほんで、どこまで決まってるんや」

「私とルディア以外、このことは知らない。お前にも話すか迷った。だが私は、お前に少なからず信念の一致を感じている。協力しろとは言わないが、受け入れぬのなら忘れてほしい」

「待て待て、話を聞かんかい。協力せえへんなんて一言も言うてへん。ウチは進捗を聞ぃとんねん」

 海月は口の端を緩やかに上げて、視線を指先から夕空へと向ける。アイリスは呆気に取られつつも、彼女に倣って視線を紅へ飛ばした。

 時間がゆるりと過ぎていく。やがてアイリスは語った。

「救出作戦に出られるのが確実なのは私とロベリア。オダマキはアテにならない。怪我次第でルディアとラーヴァだが、たぶんラーヴァは厳しい。戦力差は正直言って厳しいが、『一人をみんなの為に』なんざ認めてやるものか。を終わらせて、私はあいつを救ってみせる」

 その顔には何一つ迷いなどなかった。どんな言葉でも、この死神を揺さぶることなどできぬのだろう。

 確固たる意志を察してか、海月は正直な答えを返した。

「全部。要はXの復興を進めた後やな。それやったらジャックの考えも尊重できる。……正直な話な。ウチやって、民のために一人の命をほかすのは納得がいかへん。間違った正義を正すのも皇帝隊や」

 死神によく似通った、独善的で理想主義的な信念——それを持つ海月を話の相手に選べたことを、アイリスはとても嬉しく思った。

 表情には決して出さず、心のなかで感謝を述べるのみ。照れ隠しの素振りも見せないで、アイリスは次の話題を口にした。 

「助かるよ。桐崎も戦力に数えていいのか」

「ウチがやるならあいつもやる。ジャックはキレなきゃ百人力や」

 海月が不敵な笑みを浮かべるのを見て、アイリスは脳内で戦力を並べ直す。

 侵入の瞬間に和倉五鈴の牢を警護する者が誰かにもよるが、この面々に知略を合わせれば、決して達成できぬことではない——。

 頭の中で計算を済ませた後、アイリスは今後の行動指標を口にした。

「まずは神帝裁判だ。守時に連絡すれば明後日には開けるか……それが終わり次第、ピスケス家への全面報復。これは桑水流先輩が主体となって動いているので実行に移すだけ。全てを終えてから、私に協力する誰の目をも欺き、隙をついて和倉五鈴を救出する。これが最理想、最短経路だ」

「そこまで決まっとるなら言うことはあれへん。必要なのは敵の情報か? ええで、裁判が終わったら偵察に行ったる」

「わかった、頼む。……ところで、一つ聞きたい。海月は和倉と関係を持っているようだが、どんな関係なんだ」

 海月は懐よりガムを取り出した。彼女の髪と同じ色のフーセンが口元で出来上がって、ため息の充満と共に弾けてなくなる。

同組織のよしみってやつや。もしかしたら、アイリスの記憶に役立つかもしれん……話すと長くなる。いつか喋るってこと、約束させてくれ」

 アイリスの記憶に役立つこと。即ち、かつての皇帝隊、或いはその根本に関わる話。安易に聞けはしないが、訊いたことへの後悔はアイリスになかった。

「わかった、ありがとうな。話してくれるその時まで、私はゆっくり待ち続けるよ」

 それを最後に二人は溜まり場を離れ、軽食を摂れるファストフード店へと向かった。

 多くの魔の手が迫るこの現状、最短決戦が求められるのはX側の人間から見ても確実なこと。時間があるのなら進められる準備は全て進めたいという二人の意思から、彼女らが往来を周ることは予定通りなく、夕食後すぐ帰路につくこととなった。

 まだ空は赤色で、陽は必死に自らの立ち位置にしがみついている。

 冷めやらぬ街の熱気を尻目に、アイリスは物静かな郊外までやってきていた。本来ならばすぐにでも帰るべきだったのだろうが、今の彼女に帰るアテはない。夜を過ごす場を考えるうちに相当な距離を歩いていたようだった。

 携帯電話を取り出し、最良の拠り所に電話をかける。目的の本人はワンコールで応答した。

「もしもし、ロベリア。今日はお前の家に泊まる。クッションで構わないから用意しておいてくれるか」

「隊長!? やった……いえ、何でもありません。すぐに準備します」

 ふと、空を見上げる。

 燃えるような緋色の空は冷却されて、じきに月明かりが登り始める。

 Xの天を覆って、無数の黒い斑点が付着していた。斑点は何か言いたげに間の抜けた声を漏らし、そしてどこかへ飛んで消えた。

 一日の終わりを示す黒が空の向こうにいなくなるのを、アイリスはその姿が見えなくなるまで眺めていた。

 この先に迷いを持たぬよう、空の向こうに弱さを預けるようだった。



 

 一方、皇帝隊第一隊隊舎——すなわち、皇帝隊本部にて。

 法条司が裁判の準備を本部にて進めているとの情報を聞きつけて、守時と辻風の二人は本部に出向いていた。

「守時。これでも大分もたせた方だと聞きましたが、まだ何か手立てがあるのです? いっそのこと、奇襲でも仕掛けて当分動けなくするのが最短では」

「最後の手段に取っておこう。あいつ相手に手の内を見せるのは気分が悪い。それに、話しておきたいこともあるしね」

 各隊ごとに独特の雰囲気がある以上、別の隊の者が立ち寄るのは稀有なこと。両者ともに数え切れぬほどの人間を屠ってきた猛者——故に、並んで歩いていれば近寄りがたい空気がそこに生み出される。

 本部の廊下を少し進めば、目的の人物は彼らの向こう側から現れた。

「おやおや、珍しい組み合わせじゃないの。気分はいかがかな」

 ひょうきんな態度を取りながら、法条は目の奥にどこまでも冷たい本心を持ち合わせる。

 この男の顔を見た途端、辻風の顔に狂気が現れた。

「和倉はどこです。答えなさい」

「やれやれ、怖いナァ。……本部の地下牢に勾留されてるよ」

 その圧を受けても一切動じることはなく、法条は目的の場所を指し示して笑っていた。

 あまりに奇妙な笑いだった。

「神帝裁判の件だが、いつ始めるつもりだ。証人も揃っていないのに執り行うのは平等に反するんじゃないかな」

 一触即発の雰囲気を見かねた守時が二人の間に割って入ると、何か生理的に受け付けないものでも見たように、法条は半歩退いてから言葉を返した。

「大体揃ってるだろ? オジサンも仕事が残った状態を放置するのは嫌ナンダ。……オジサンさ、明後日には済ませたいな」

 辻風が守時の横に並ぶ。どうするのです、と茶色の瞳が彼に訴えかけてきた。

 無罪を証明すべきアイリスは復帰したものの、和倉五鈴の善性と酌量の余地を証明できるラーヴァはとても動ける状態ではない。

 よって、このまま裁判に臨めば両者を救うことはまず不可能。ジャックや桑水流の動きも彼は把握していない。したがって、守時の判断の根拠となるのは彼の持つ知識と独断になる。

 しかして決断は早急だった。

「いいだろう。明後日に開催できるよう準備を進めてくれ」

 横にいた辻風の表情に動揺が現れる。

 正気か、という疑いとその奥にある何かを見抜いた表情。一度刃を交えた経験もあって、——守時は無策で返答を選ぶような男ではないという確信が、辻風の中に間違いないものとして定着した。辻風は静かに、いつの間にか鞘に添えられていた自らの手を離した。

 その予測に従うように、或いは少し反してか、守時はゆっくりと口を開く。 

「……お前の目論見に乗ってやるよ。但し、努々忘れるな。アイリスや実験体ルディアに対する余計な手出しの代償は、いつか必ず払ってもらう」

「喧嘩は嫌いなんだけどナ。まぁいいや、君らもさっさと準備しな。知らないよ」

 意味深長な台詞を残して、法条はその場を去っていく。

 それ以上、本部の隊舎で起こった出来事はない。彼らの会話とて五分に満たぬ。ただ、研ぎ澄まされた感覚を持つこの二人の中には、語るべきでない新たな確信が生まれていた。

 既に役者は揃っていた。

 何かの始まりを悟ってか、二人が隊舎を出たちょうどその時、夕焼けの空に無数の烏が、不気味な鳴き声を上げて飛んでいた。

 鳴き声はずっと、やがて彼らが空より消えるまで、二人の耳に残留した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る