イエスキリスト物語第5話

浅野浩二

第1話イエスキリスト物語第5話

イエスキリスト物語第5話


イエス・キリストは、ナザレで生まれました。

父親は、ヨセフという、大工で、母親は、マリアという女性です。

キリストは、子供の頃から、ヨセフ、と、マリア、に、

「あなたは、アブラハムの子、で、この世の救世主なのですよ。くれぐれも、素行に気をつけて、行動しなさい」

と、言い続けられて、育ちました。

そして、30歳の時に、洗礼者ヨハネに洗礼を受け、布教を始め、33歳で十字架にかれられて死にました。

ここらへんは、多くの人が知っていることです。

・・・・・・・・・・・・

イエスは12歳の時、両親に連れられてエルサレムの神殿に赴いて教師たちの教えを受けた、と、ルカ伝に記されています。

しかし、その後、12歳くらいの幼少の時から、30歳まで、イエス・キリスト、は、何をしていたかは、知られていません。

マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝、の、四福音書にも、全く書かれていません。

この、12歳から30歳までの、18年間は、イエス・キリストの、「空白の18年間」、と呼ばれています。

そこで、12歳から30歳までの、空白の18年間、イエスが何をしていたか、について多くの人が、想像して、いくつかの説が、あります。

「1」・・ブリテン島訪問説。

「2」・・インドで仏教を学んだ説。

「3」・・日本来訪説。

「4」・・アメリカ大陸放浪説。

などです。

他にも、諸説ありますが、どれも確たる証拠は無く、「空白の18年間」、イエスが、どこで何をしていたのかは、現在でも、わかっていません。

・・・・・・・・・・・

しかし事実は、こうなのです。

12歳の時、イエスは、コレット、という、同い年の少女を好きになってしまいました。

コレットも、イエスが好きになって、二人は、相思相愛の間柄でした。

「空白の18年間」、キリストは、コレットの家で、過ごしました。

コレットの両親も、キリストを気に入ってくれて、同居することを、許可するどころか、歓迎していました。

イエスも人の子です。

若い時、青春真っ盛りの時には、イエスも、大いに青春を謳歌しました。

コレットの母親が作ってくれる、美味しい食事や、お菓子を、腹一杯、食べました。

冬には、スキーをし、夏には、コレットと一緒に、海で、泳いだり、夏には、お祭りを見たり、カラオケを歌ったり、遊園地に行って、ジェットコースターに乗ったりしていました。

キリストも人の子です。

第二次性徴が起こると、キリストにも、青春の激しい性欲が起こってきました。

なので、キリストは、15歳で、コレットと、キスをしました。

イエスのファーストキスです。

そして、16歳で、キリストは、コレットと、ペッティングをし、17歳で、童貞を捨てました。

コレットにしてみれば、17歳で、処女を失った、ということです。

しかし、コレットは、キリストを愛してしたので、イエスに処女をあげることは、コレットにとって、この上なく、嬉しいことでした。

・・・・・・・・・

キリストは、子供の頃から、父ヨセフと母マリアに、「あなたは、30歳から、ガリラヤで布教を始め、エルサレムへ行くのです。あなたは、全人類の罪を背負って、十字架にかけられて死ぬ運命にあるのです。しかし、決して取り乱してはいけません。あなたは、この世の救世主となるからです」、と言われ続けてきました。

イエスは、親の説教を聞く度に、「ふあーい」、と、気のない返事していました。

もちろん、イエスは、33歳で十字架にかけられて、死にたくはありませんでした。

そこで、12歳の時、家出して、ガリラヤの地を離れたのです。

イエスは、エジプトに逃れました。

そこで、コレット、という、少女に出会い、コレットの家にかくまってもらって、コレット一家で、過ごしていたのです。

・・・・・・・・・・・・

イエスは、コレット一家での、生活が楽しくて、仕方がありませんでした。

コレットは、可愛いし、コレットの、父親も母親も、イエスに親切にしてくれました。

なので、イエスは、出来ることなら、コレットと結婚して、この家に住み、父ヨセフ、に教わって身につけた大工の技術を活かして、大工として、穏やかで、つつましく、平凡な一生を送りたい、と切に願いました。

しかし、イエスには、気がかりなことがありまた。

それが、いつも、イエスを悩ましていました。

それは、父ヨセフ、と、母マリアに、子供の頃から、言われ続けてきた、

「あなたは、ガリラヤで布教を始め、エルサレムへ行くのです。あなたは、全人類の罪を背負って、十字架にかけられて死ぬ運命にあるのです。しかし、決して取り乱してはいけません。あなたは、この世の救世主となるために、生まれてきたのですから」

という説教です。

これは、楽しく平凡に生きたい、と思っている、イエスにとって、悪魔の呪文のように、イエスを苦しめました。

(ああ。僕は、ここで、楽しく穏やかな一生を過ごしたい。しかし、いつか、父ヨセフ、と母マリアに見つかって、ガリラヤに連れ戻され、宗教の教祖にさせられてしまうのだろう)

と、悩み続けました。

まだ、物心が身についていない、幼少の頃から、何十回と、言われ続けてきたことです。

イエスは、まず、そうなるだろうと、確信していました。

いつも、悩んでいる、イエスに、ある時、コレットが、話しかけました。

「イエス君。いつも、何を悩んでいるの?」

コレットが聞きました。

イエスは、コレットに、話そうか、話すまいか、迷いましたが、勇気を出して話すことにしました。

「コレット。今まで、黙っていたけど話すよ。実は、僕は全人類を救う宗教の教祖になる運命なんだ」

イエスが言いました。

「ええー。そうなのー?」

コレットは、目をパチクリさせて驚きました。

「ああ。そうなんだ」

イエスは、憔悴した顔で言いました。

「それは、すごいじゃない。あなたが、そんな超大物だなんて、知らなかったわ。素晴らしいわね」

「全然、素晴らしくなんかないよ」

「どうして?」

「だって、僕は、全人類の罪を背負って、十字架にかけられて、33歳で死ぬ運命にあるんだもの」

「本当なの?」

「ああ。本当さ」

「でも、どうして、将来のことが、わかるの?将来のことなんて、わからないじゃない」

「いや。わかるんだよ。過去の預言者たちが、みな、そう預言しているんだ。預言者の預言は、当たるんだ。きっと僕は、いつか、ガリラヤに連れ戻されて、布教活動をしなくてはならないと思うんだ。でも、僕は、そんな偉い人には、なりたいとは思わないんだ。平凡でいいから、君とささやかに生きたいんだ。33歳で十字架にかけられて、殺されるなんて、僕には耐えられないんだ」

イエスは、はあ、と、ため息をついた。

「何とか、宗教の教祖にならない方法はないかなあ?」

キリストがひとりごとのように、つぶやきました。

「じゃあ、こうしては、どう」

コレットが言いました。

「どうするの?」

「あなたが、説く教え、を、支離滅裂な変なのにしちゃえば、いいのよ。そうすれば、あなたは誰にも相手にされないでしょ。そうすれば、あなたは、宗教の教祖にならずに、自由に生きられるんじゃない?」

「なるほど。それは、グッドアイデアだね」

イエスの目に希望の光が宿りました。

実は、イエスは、父ヨセフ、から、自分が布教すべき教え、が、書かれた、分厚いノートを持っていました。

それらには、細かく、父ヨセフ、が考えて書いた教えが書かれていました。

イエスは、それを、コレットに見せました。

・・・・・・・・・・・

「汝の敵を憎むな」

「右の頬を、打たれても、敵を憎まず我慢せよ」

「上着を盗る者を責めてはいけない」

「女を情欲の目で見てはいけない」

「不倫してはいけない」

などの教えが書かれてありました。

その他にも、たくさん、教えがありました。

・・・・・・・・・・・

コレットは、それを、一通り、読みました。

コレットは、読み終えて、

「うーん。いい教えね。これだと、多くの人が、いい教えだと、言って、納得しちゃうわね」

コレットが言いました。

「そうだろ。僕もそうだと思うんだ」

イエスが言いました。

「じゃあ、こう、変えちゃえばいいんじゃない」

そう言って、コレットは、

「『汝の敵を憎むな』ではなく『汝の敵を愛せ』と、変えちゃえば、いいんじゃない。そうすれば、訳のわからない、変な教え、として、誰も相手にしないわよ」

コレットが言いました。

あっははは、と、イエスは笑いました。

「コレット。それは、いいね。そんな訳の分からない、変な教えなら、誰も相手にしないだろうね」

イエスは、笑って言いました。

「コレット。君は、アイデアの天才だね。もっと、他にも、言って。君のアイデアを書き写すから」

イエスが頼みました。

そして、イエスは、ノートを取り出して、コレットの言葉を待ちました。

「『右の頬を、打たれても、敵を憎まず我慢せよ』じゃなくて、『右の頬を打たれたら左の頬をも差し出せ』としたら、いいんじゃない」

あっははは、と、イエスは、腹をかかえて笑いました。

そして、その言葉を、ノートに書き写しました。

コレット、もっと言って、とイエスに頼まれて、コレットは、言いました。

「男って、みんな、スケベでしょ。私も、ジロジロ見られると、気持ち悪いわ。だから、『女を情欲の目で見てはいけない』ではなく、『女を情欲の目で見るのは、犯したことと同じである』としちゃえばいいんじゃない」

あっははは、それ最高と、イエスは、腹をかかえて笑いました。

そして、その言葉を、ノートに書き写しました。

「コレット。もっと言って」

イエスが言いました。

「『上着を盗る者を責めてはいけない』ではなく『上着を盗る者には下着をも与えよ』とすればいいんじゃない」

あっははは。最高。そんな教え、変態だね。

イエスは笑いが止まりませんでした。

そして、その言葉を、ノートに書き写しました。

イエスは、さらに、コレットに意見を求めました。

「人間は、金持ち、と、貧乏人の差が大きいでしょ。それは、よくないことでしょ。だから、人間に貧富の差があるのは、いいことだ、としちゃえば、いいんじゃない」

コレットが、言いました。

「どういうふうに言うの?」

イエスが聞きました。

「『持てる者はますます持って豊かになり、持たぬ者は、その持てる物をも盗らるべし』とすればいいんじゃない」

コレットが言いました。

イエスは、わっははは、と、腹をかかえて笑いました。

そして、その言葉を、ノートに書き写しました。

「コレット。ありがとう。ここまで、ひどい教えにすれば、誰にも相手にされないよ」

イエスは、これでもう、自分は、宗教の教祖なんかにならなくて済む、と確信して、嬉しくなりました。

イエスは、もっと、コレットに、意見を求めました。

コレットは、父ヨセフ、の書いた教えを、全部、コレットの言う通り、変な教えに変えてしまいました。

「よし。この変な教えで、布教してやれ。そうすれば、誰も僕を相手になんかしない。そうすれば、僕は、宗教の教祖なんかにならずに、若くして、十字架にかけられて、殺されることもない」

と、イエスは、安心しました。

「コレット。ありがとう」

イエスは、言いました。

その晩、イエスは、何年も、悩んでいた、悩みが、解消されたので、コレットの家で、ぐっすり眠ることが、出来ました。

翌日も、イエスは、父ヨセフ、から、説くよう言われた、ノートをコレットに見せました。

そして、父ヨセフ、の教えを、コレットと相談して、全部、変なふうに、作り変えてしまいました。

何日もかかって、とうとう、イエス、と、コレット、は、変な教え、を全部、完成させました。

「やった。これなら、誰も、こんな変な教え、なんか、バカにするだけだ。誰にも相手にされないで済む。これで僕は、宗教の教祖なんかに、ならなくて済むし、33歳で、殺されることもない。これも全て君のおかげだ。ありがとう。コレット」

イエスは、コレットの手を握って言いました。

「ふふふ。よかったわね。イエス君。これで、私たち、結婚して、幸せな人生を送れるのね」

コレットも、喜びました。

もう、準備万全です。

・・・・・・・・・

イエスが、30歳になった時、おそれていた事が、とうとう、起こってしまいました。

イエスが、エジプトの、コレット一家に居る、ということが、見つかってしまったのです。

そのため、イエスが、エジプトにいる、という、噂が、ガリラヤに、伝わってしまいました。

イエス、は、群衆につかまえられて、父ヨセフ、母マリアの、元に、連れ戻されました。

イエスは、ガリラヤの家に連れ戻されると、母マリア、と、父ヨセフ、に、こっぴどく叱られました。

「今まで、どこ、を、ほっつき歩いていたんです。どこに隠れていたんです。連絡もしないで」、と叱られました。

そして、「さあ。あなたは、これから、布教活動をするのですよ。とっとと、早く布教活動をしなさい」、と叱られました。

イエスは、「はあーい」と気のない返事をしました。

仕方なく、イエスは家を出ました。

・・・・・・・・・・

その頃、バプテスマ(洗礼)のヨハネ、という男が、ヨルダン川で、人々に洗礼をしていました。

ヨハネは、人々に、「悔い改めなさい。裁きの日は近いのです」と言って、人々を、川の中で、頭に水をかけて、洗礼を行っていました。

イエスは、その噂を聞きました。

イエスは、「しめた」と思い、さっそく、ヨルダン川に行ってみました。

幸い、ヨハネが、多くの群衆に、洗礼を行っていました。

イエスは、「しめた」と思い、川の中に入って行って、ヨハネに、

「私にも洗礼を行って下さい」

と言いました。

イエスとしては、救世主なんかにはなりたくありません。

なぜなら、救世主は、人々に崇拝されるため、堅苦しい、律儀な生活をしなくてはなりません。しかし、イエスは、そんな生活は嫌で、自由に、遊んで、面白おかしく生きたかったからです。しかも、救世主となっては、33歳で、全人類の罪を背負って、十字架にかかって、死ななくてはなりません。イエスは、そんなことは、まっぴらごめん、でした。

そこで、イエスは、考えました。

「こうして、ヨハネに洗礼を受けておけば、自分は、救世主なんかではなく、ヨハネこそが救世主だと人々は思うだろう。救世主が洗礼を受けるなんてことは、あり得ないのだから」

そう思って、イエスは、川の中へ入って行って、ヨハネに、

「私にも洗礼を行って下さい」

と言いました。ヨハネは、

「よろしい。悔い改めなさい。裁きの日は近いのですよ」

と言って、イエスを川の中に沈め、頭に水をかけて、洗礼しました。

その時です。

岸辺にいた、一人の少年が、

「あっ。あの人はイエス様だ。イエス様が洗礼を受けている」

と、大声で言いました。

ヨハネは、それを聞くと、

「ああっ。失礼しました。イエス様。私はあなた様の靴の紐を解く値打ちもない人間です。無礼をお許しください」

と言いました。

「いえ。どうか私に洗礼を行って下さい」

と、イエスは、言いました。

そのため、ヨハネは、仕方なく、

「イエス様。失礼いたします」

と言って、イエスを川の中に沈め、洗礼を行いました。

それを見た群衆は、

「おお。イエス様は、何て謙虚な方なのだろう。神の子であられるのに、ヨハネの洗礼を受けるとは。このお方こそが、本当の救い主だ」

と、感動して言いました。

イエスは、「違うんだ。そうじゃなんだ」、と心の中で必死に叫びました。

しかし群衆は、イエスを尊敬の眼差しで見ています。

イエスは、自分の予想が外れて裏目に出てしまったことを後悔しました。

(あーあ。こんなことなら、洗礼なんか受けなきゃよかった)

と後悔しました、しかし、もう、あとにはひきかえませんでした。

イエスは、多くの人の知るところとなり、「イエス様。どうか正しい教えを聞かせて下さい」、と、人々に慕われました。

そのため、仕方なく、人々の前で、神の教えを説きました。

それは、もちろん、コレットと、相談して、決めた、人間には、実行不可能な、支離滅裂な教えです。

イエスは、ガリラヤの街々をまわって、教えを説きました。

・・・・・・・・・

イエスは、その支離滅裂な教えを、ガリラヤの人々に説きました。

「汝の敵を愛せ」

「右の頬を打たれたら左の頬をも差し出せ」

「女を情欲の目で見るのは、犯したことと同じである」

「上着を盗る者には下着をも与えよ」

「持てる者はますます持って豊かになり、持たぬ者は、その持てる物をも盗らるべし」

などです。

・・・・・・・・・・

イエスは、得意満面で、自信をもって、人々に教えを説きました。

イエスは心の中で、こんな、デタラメな教えを言えば、人々は、バカバカしい、と言って去って行くだろう、と期待していました。

しかし、恋は盲目、と言いますが、宗教も、盲目で、阿片なのです。

人々は、今までに聞いたことのない、教えに驚きました。

「おおっ。何と、理想の高い、素晴らしい教えなのだろう。『汝の敵を憎むな』ではなく『汝の敵を愛せ』とまで言うとは。こんなことをすれば、人間の争いは無くなることは間違いないな」

人々は感動して言い合いました。

「そうだ。そうだ」

と、人々は相槌を打ちました。

「『右の頬を打たれたら左の頬をも差し出せ』や『上着を盗る者には下着をも与えよ』もそうだ。打たれたら我慢せよ、ではなく、打たれたら、もっと打て、とは。そして、上着を盗られても我慢せよ、ではなく、下着をも与えよ、とは。人間が、このように、行動したら、この世から、人間の争いは無くなることは間違いないな」

と、人々は感動して、言い合いました。

イエスは、焦りました。

(違うんだ。そんなこと、出来るはずがないだろ)

と、心の中で、叫びました。

しかし、一旦、感動してしまった人々の気持ちは、止まりませんでした。

「女を情欲の目で見るのは、犯したことと同じである」

の教えも同様です。

群衆は、「おお。邪悪なことを、心の中で思うだけで、それが罪になるとは。何と理想の高い教えなんだ」、と感動しました。

イエスは、心の中で、(違うんだ。そんな、変なふうに理解しないでくれ)、と、叫びました。

「『持てる者はますます持って豊かになり、持たぬ者は、その持てる物をも盗らるべし』とは、どういう意味だろう?」

その意味を理解できない群衆の一人が、言いました。

それに対して、すぐに、一人の賢い男が、

「それは、こういう意味だ。つまりだな。それは心の問題だ。持てる者とはイエス様の教えに従う者だ。イエス様の教えを持っている者だ。そういうイエス様の教えに従う者は、どんどん聡明になっていくが、イエス様の教えを聞かない者や、イエス様の教えを否定する者は、どんどん、愚かな人間になっていく、ということだ」

と言いました。

「おお。そうか。なるほど」

と、人々は納得して感心しました。

イエスは、心の中で、(違うんだ。そんな、変なふうに理解しないでくれ)、と、叫びました。

しかし、群衆は、イエスを信じきっていましたから疑うことをしません。

イエスの噂は、ナザレで、どんどん広まっていきました。

そして、「イエス様。どうか、弟子にして下さい」、と言われ、12人の弟子が出来てしまいました。

それは、ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、アルファイの子ヤコブ、タダイ、シモン、ユダ、の12人です。

もうここまで来ては、イエスは、ひっこみ、がつかなくなってしまいました。

今さら、私の教えは、ある少女と共謀して、考え出した、デタラメだ、と言うことも出来ませんし、仮に、そう言ってみたところで、「あはは。イエス様も御冗談を言われるんだな」、と言われるだけで信じてはくれないのは明らかだからです。

そのため、イエスは、渋々、宗教の教祖になることに決めました。

イエスは、父ヨセフ、と、母マリア、の命によって、エルサレムに向かいました。

・・・・・・・・・・

そして、エルサレムに着きました。

イエスは、エルサレムに入り、神殿の中に入りました。

すると、商人たちが、神殿の中で、商売をしていました。

イエスは、「しめた。これが、ラストチャンスだ」、と思いました。

ここで、暴れてやれば、器物損壊罪で、牢獄に入れられて、死刑は、まぬがれて、懲役1年程度の罪になるだろうと、思いました。

人間は、熱しやすく、冷めやすい動物です。

牢屋に入って、1年も経ってしまえば、人々も、自分のことを忘れていくだろう、とイエスは計算しました。

それで、イエスは、商売人たちに、「商売をやめろ。悪魔ども」、と叫んで、狂ったように、商売人たちの、店や売り物、を、どんどん、壊していきました。

それを見たイエスの信徒たちは、感動しました。

「おお。イエス様は、エルサレムの神聖な神殿が、金儲けのために利用されていることが、許せないのだな」、と感動しました。

イエスは、またしても、予想がはずれしまったことに、落胆しました。

しかし、ある日、12人の弟子と共にした夕食の後、イエスの弟子の一人である、ユダの、裏切りによって、イエスは、捕まえられてしまいました。

イエスは、大祭司カヤパの所に連れて行かれました。

カヤパは、ローマ皇帝から、派遣された、ポンテオ・ピラト総督、の元に、イエス、を送りました。

ピラト総督は、イエス、が、ガリラヤ人であることから、ガリラヤの国主ヘロデ王の元に、送りました。

ヘロデ王は、イエス、が、何も答えないので、ピラト総督の元に、送り返しました。

ピラト総督は、イエス、を、

「この男は、それほどの罪を犯したとは思えない。鞭打ち、の罰くらいで、釈放してやるのが、適当であると思う」

と言って、兵卒に、イエスを、ムチ打たせました。

そして、ムチ打ちが終わると、イエス、を、釈放しようとしました。

しかし、群衆は、キリスト、を、「十字架につけろ」、と、叫んだので、群衆の暴動を、おそれた、ピラト総督は、「お前たちの好きなようにしろ。私は責任を負わん」、と言って、イエス、の、刑罰の決定権を、放棄して、群衆に、イエス、を、引き渡してしまいました。

イエスは、棘の冠を、頭に載せられて、自分を、磔にする、十字架を、背負わされて、兵卒たちに、鞭うたれながら、ゴルゴダの丘、に、連れていかれました。

残酷な公開処刑です。

・・・・・・・・・・・

イエスは、十字架を、担いで、兵卒たちに、鞭うたれながら、ゴルゴダの丘、に、向かう途中、

「こわい。こわい」

と、泣き叫び続けました。

これを見た、イエスの弟子たち、および、イエスを信じる者たちは、

「おお。イエス様は、邪悪な人間が世界を支配して、世界が滅亡することを、おそれて、こわがっておられる」、と感動しました。

やがて、イエスを処刑する、ゴルゴタの丘に着きました。

兵卒たちは、十字架を、地面に、置きました。

そして、イエス、を、十字架、の上に乗せました。

そして、大きな、釘、と、金槌、で、キリスト、の、掌、と、足の甲、を、十字架に、打ち付けようとしました。

イエスは、「死にたくない。死にたくない」と叫びました。

それを見た、イエスを信じる者達は、

「おお。イエス様は、は何と偉大な精神の人なのだ。自分の教えが、全世界に広まり、世界に平和が訪れるのを見届けるまでは、死んでも死にきれない、のだな」、と感動して涙を流しました。

しかし、兵卒たちは、イエスの手、と足、を、十字架にうちつけました。

イエスは、「痛い。痛い」、と泣き叫びました。

それを見た、イエスを信じる者達は、

「おお。イエス様は、人間が愚かなことに、心を痛めておられる」

と感動して涙を流しました。

こうして、イエスは、十字架の上で死にました。

イエスとしては、宗教の教祖になるより、愛するコレットと結婚して、凡人として、楽しく、長生きしたかったのですが、イエスのすることは、全て、裏目に出てしまいました。

これが、イエス・キリストの本当の生涯です。

しかし、これによって、キリスト教は、博愛の宗教として全世界に広まりました。

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