ブレイク・ザ・エッグ

石花うめ

ブレイク・ザ・エッグ

「何か、面白いもの無いかな……」

 気分転換にふらふらと街のはずれを歩いていると、ついこの間まで更地だった場所に、こぢんまりとしたお店ができていた。

「卵屋」

 店の看板にはそう書かれている。

 新しい店のはずなのに、茶色い外壁は薄汚れていて、店先の電球は今にも切れそうに点滅している。

 急ごしらえで建てたのだろうか。

 飾り気がなく、見るからに不気味だ。

 しかし、僕の足は店の方へ向かっていく。自分の中に沸き上がる好奇心を抑えられず、気付いたら店の扉を開けていた。

 湿っぽく重い音でドアベルが鳴る。

 店内は暗々とした電球色の明かりのみで照らされていた。

 狭い店の奥まで伸びたカウンターテーブルに、椅子が三つ。

 たったそれだけのシンプルな店内。

 だからこそ、カウンターの中が目立つ。

 カウンターの中の棚には、赤や青、金や銀と言った色とりどりの卵が置かれているのだ。

 卵の大きさは一般的な鶏卵と同じに見えるが、茶色や白といった普通の色をした卵は無い。

「いらっしゃいませ」

 カウンター奥の暖簾をくぐって、店主らしき男の人が現れた。長身で色白、少しパーマのかかった髪をワックスで固めている。

「本日はご来店いただき、ありがとうございます」

 男の人は眼鏡をくいと上げて言った。

 眼鏡ごしのビジネススマイルが、暗い店の雰囲気も相まって余計に怪しく見える。

「あの、初めて来たのですが、ここはどういう店ですか?」

「まあまあ、席にお座りください。話はそれからゆっくりしましょう」

 僕は導かれるまま、空いている三つの椅子の、一番奥に腰かけた。

 男の人は僕にお冷を出してくれた。

「申し遅れました。私、この店の店長をしている者です」

「店長さんでしたか。……えと、この店はどういったお店なんですか? 表の看板には卵屋と書いてありましたが、飲食店かと思ったらメニューが見当たらないですし……」

「ここは、才能の卵を売っているお店なのです」

 店長は棚に並べられた卵を指し示しながら言った。

「才能の、卵を売る?」

「はい。この卵たちは全て才能の卵。この卵をお客様に育てていただき、孵化させることができれば、中から才能を持った子供が生まれてくるわけです」

「……はあ、すみません。ちょっと、言っている意味が分からないのですが」

 すると店長は、棚から一つの卵を取り出して僕に見せた。

 真ん中にピンクのラインが入った黄色の卵だ。

「例えば、これはアイドルの卵。この卵を孵化させると、中から美少女が生まれてきます。その子をお客様が育てることで、トップアイドルになるのです」

「それはすごい!」

「ただ——」

 店長は卵をそっと棚に戻しながら言う。

「——卵の育成というのはかなり難しいです。適切な温度に保ち、常に様子を見ていないといけない。ほとんどが、殻を破れずにダメになります。さらに、卵から孵ったとしても、努力させて成長させないといけない。才能というのは絶対的なものではありませんから、だいたいの人はそれに成る前に諦めてしまいます」

「じゃあ、もし僕がさっきのアイドルの卵を買って育てたとしますよ?」

「はい」

「その卵が結果的にアイドルになれなかったら、それは僕と卵の努力不足ということですか?」

「そういうことになりますね」

 店長は冷たい口調で言った。

「それだと、本当にその卵が才能を持っていたかが分からないじゃないですか」

「はい。ですが、才能というのは誰しもが持っているはずなのです。それを潰してしまうのは、周りの環境や自分自身。だから、私の責任にはなりません」

 やはり店構えに違わぬ怪しい店だった。

 さすがの僕も、今すぐに店を出た方が良さそうだ。

「いいお話を聞かせていただき、ありがとうございました」

 僕が形式的なお礼を言い、席を立とうとお尻を浮かせたとき、店長の手が僕の顔の前に置かれた。

「まあまあ待ってください。本題はここからですよ」

「え? まだ何か?」

 帰してもらえないみたいなので、僕は仕方なく、また椅子に腰を下ろす。

「才能を育てるのは難しくても、誰かの才能を盗み、または利用し、自分のものとすることは存外難しくないことです」

「また、言っている意味が分からないのですが」

 店長は僕を嘲笑うかのようにニヤリと笑う。

「この卵を食べるとね、才能が得られるのですよ。——例えば、先ほどお見せしたアイドルの卵。アイドルの卵を食べた女の子は、全員がアイドルになれました」

「全員、必ず?」

「はい。醜い見た目をしていた子でも、アイドルになれたんです」

「店長さんは、それを見届けたんですか? この卵を食べた人がアイドルになる光景を」

 僕が少し意地悪な質問をしたら、店長は自信満々に頷いた。

「ええ、もちろん。例えば、最近有名になった橋本アマナを知っていますか? 彼女は一年前、僕からアイドルの卵を買って食べたんですよ」

 アマナのことはもちろん知っている。彼女は彗星のごとく現れ、瞬く間にトップまで上り詰めたアイドルだ。

 流行に敏感な僕は、彼女が初めてラジオに出演したあたりから注目してファンになった。しかし、彼女が売れる前のことをWikipediaで調べても、詳しくは載っていなかった。

「これがその証拠写真です」

 店長は僕に一枚の写真を見せる。

 そこには店長と一人の女性が写っていて、女性の方はアイドルの卵を持っている。しかしその女性は、アマナを少し太らせたような、とてもアイドルになれそうもない見た目の人だ。

「彼女、卵を食べる前は太っていたんですよ」

「え⁉ この写真の女の人、アマナなんですか? 信じられません」

 僕が驚くと、店長は納得したような表情を浮かべた。

「普通は信じられませんよね。ですが、卵を食べてから一年。彼女は才能を開花させて、アイドルとして一気にブレイクしたんです。いやー、一年前が懐かしいなー」

 しみじみと懐かしむように、店長は写真を見る。

 そしてチラリと目線を上げ、僕の顔を見た。

「どうですか? これが、卵による才能の獲得です」

「……つまり店長さんが言いたいのは、才能を育てるより、才能を得た方が簡単ということですか?」

「そういうことです。理解が早くて助かりますねぇ……。さ、お客様はどの卵を食べますか?」

 店長は媚びるように手をすり合わせる。

「ちなみに、この卵、お値段はいくらなんですか?」

「十万円です」

「たっか!」

 思わず僕が声を張り上げると、店長は怪訝そうな顔をした。

「ご不満ですか? しかし、この卵を食べれば何にでもなれます。どんな仕事にだって就けるので、十万円程度ならすぐに元を取れますよ。ちなみに私も才能の卵を食べたのですが、十万円なんてあっという間に稼いでしまいました。今となっては、年収一億円を稼いでいるくらいです」

 一瞬高すぎると思ったが、喉から手が出るほど欲しい才能を身につけられると考えると、なんだか安い気もしてきた。

 アマナだって、崖から飛び降りるほどの覚悟でこの十万円を払ったはずが、今となってはトップアイドルになってテレビで見ない日はないくらいだ。

「もしかして、店長さんは商人の卵を食べたんですか?」

「ええ、そんなところです。——さ、お客様。食べる卵は決まりましたか? ちなみに料金は倍になりますが、スクランブルエッグも可能ですよ。さらに人生の可能性の幅が広がります」

 店長は卵の棚に手を置く。

 僕は財布に手を当て、考える。

 十万円。今の僕にとっては大金だ。

 でも、僕だっていつか売れてやる。

 そのためには、才能が必要だ。

 そう、才能さえ得られれば、僕だって——

「僕は、し——」

 バカン!

 決意を固め、店長に注文しようとした瞬間、店のドアが破り開けられた。

「警察だ!」

「しまった!」

 店長は慌てふためき、カウンターの奥の暖簾をくぐって逃げる。

「待て!」

 三人の警察のうち一人がカウンターを飛び越え、暖簾の奥に入っていく。

 一人の警察が店の出口を塞ぎ、もう一人が僕のところに来た。

「すみません、大丈夫でしたか?」

「……はい。ビックリしましたが……。でも、どうして警察が?」

「あの男が詐欺をしているからです。方々で詐欺をして逃げ回っていましたが、ようやく見つけました」

 そのとき、手錠をはめられた店長が警察と一緒に暖簾の奥から現れた。

「嘘だ! こんなはずじゃなかった! だって俺は、詐欺師の卵を食べたんだぞ!」

「黙って歩け!」

 警察が怒鳴りつける。

 どうしようもなくなった店長は、「あああああ!」と叫びながら手錠をはめられたままの手を振り回し、発狂し始めた。

「おい! 暴れるな!」

 警察が店長を抑え込もうとしたとき、店長の肘が棚に当たって卵が床に落ちた。

「あ」

 小さな破裂音と共に卵が割れる。

 何の変哲もない、見慣れた黄身と白身が床にぶちまけられ、それを踏んだ店長は足を滑らせて転んでしまった。

「ふっ——」

 さっきまですごく賢そうに話していた店長の間抜けっぷりと、そんな店長の食い物にされそうになっていた自分の愚かさに、思わず笑いそうになる。

 抑え込まれた店長は、手を引かれて店を出て行った。

「一応あなたにも、事情を聴きたいので署の方に来ていただきます」

 ずっと僕の近くにいた警察の一人が僕に言った。

 店の前にはパトカーが停まっていて、野次馬も大勢集まっている。

 なんだか僕が容疑者になったみたいだ。

 僕は署に連行されたが、事情を少し話しただけであっさりと解放された。



 警察署からの帰り道。

 僕はとても得した気分になっていた。

 こんなフィクションみたいな経験、普通はなかなかできない。

 危ない目にあうところだったが、好奇心に嘘をつかず飛び込んでみたことが結果的には良かった。

 ——あの卵が本当に才能を得られるものだったらよかったのに。

 そう思わなくもないが、ネタを一つ入手できただけでも良しとしよう。

 時間を確認するためにスマホを見たら、アマナのYouTube動画が更新されていた。動画の中でアマナは、「一年前の私は太っていて、それなのにアイドルを目指していたから詐欺に掛かることが何度もありました。だから、それを見返したくて死ぬ気でダイエットをしたんです」と告白していた。

 その動画を観たら、なんだか余計に楽しくなってきた。

 家に帰ったら、さっそく今日のことについて書こう。

 楽しくて仕方がなくて、スキップしながら家に走る。

 才能があるか無いかなんて、結果が出るまで分からない。自分が信じた道を進むしかない。その覚悟を決めた。

 近道は無い。

 僕はまだ、小説家の卵だ。


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