首を作る

尾八原ジュージ

首を作る

 わたしの一番の仲良しだったマリエちゃん一家が流行り病で全滅したとき、母はマリエちゃんのご親戚にお願いして、みんなの遺体を引き受けてきました。ひとつひとつ綺麗に首を落としまして、防腐処理を施してから表情を整えてお化粧をし、それからそれぞれの首にぴったりあう大きさの箱を作りはじめました。

 母は首を作るのがとても上手でした。手先が器用で、縫物も料理も人並み以上にこなしましたが、首を作るとなるとまた格別でした。指の長い、うつくしい手が動くのを見るのは、幼い頃からのわたしの楽しみでした。

 我が母ながら指だけでなく、姿の大変うつくしい人でした。艶のある黒髪を丸く結ってまとめ、すんなりとした首は白鳥のように長くて優雅でした。肌は若い娘のようにきめが細かく、普段着の紬の藍色が染みるように白いのです。わたしは母のことが大好きでした。

 マリエちゃん一家は、母の手によってきれいな首になりました。病気のために窶れて顔色も悪かったのが、お化粧を施されて安らかな表情になり、歪んでいた口元にはかすかに笑みを浮かべています。賑やかでお話が上手だったお父さんと、しっかり者で笑顔の可愛らしいお母さん、それからわたしの大の仲良しのマリエちゃんに、愛くるしく活発だったその弟――大きい方から順に四つ木箱が並びますと、今度は母は色とりどりの和紙を出してきて、花を作り始めました。ここでようやくわたしにも出番がやってくるのでした。

 母のやることを見ていたので、わたしも造花をつくるのは得意なほうでした。それぞれの顔色や生前好きだった色などを元にして、マリエちゃんの木箱に入れる花はこう、お父さんの箱に入れるのはこう、と作り分けるのです。花びら一枚一枚を微妙に作り変えながら、一番きれいに咲くよう苦心するのは、この上ない楽しみでもありました。

 こうして枯れない花に彩られた首は、そのまま十年でも二十年でも、ものによっては百年以上も変わらないまま、いつまでも木箱の中で眠り続けるのです。専用の部屋に並べられたマリエちゃんたちの首にいつでも会えるので、わたしは友だちを失ったかなしみに、さほど苛まれずに済みました。

 わたしの家にはこうした箱が、さて、三十から四十はあったでしょうか。たくさんの箱を持っているということは、この辺りでは旧家・名家の証であり、誇らしいものでもありました。

「わたしもお母さんのように、上手に首を作れるようになるかしら」

 そう尋ねるたびに、母は笑って「なりますよ。母さんの作るのをよく見ていらっしゃい」と答えるのでした。

 わたしは言いつけの通り、頭の中に焼きつけるように母の手仕事を見つめました。母がひと仕事終えて割烹着を脱ぎ、その下から紬の藍色と半幅帯の藤色とが現れますと、わたしはまるで自分もひと仕事を終えたかのように、ほーっと息を吐いたものです。

 わたしはいずれ母が亡くなったら、その首をきれいに木箱に納めて飾ろうと決めていました。ほっそりとした首が殊にきれいなひとですから、ほかの人にするよりも胴体に近いところで首を切って、長めに作った木箱に入れようと思いました。頬紅はほんのりと差し、髪は日本人形のように結って、青色と紫色の花でみっしりと周りを飾るのがいいでしょう。そんな話をすると、母は「それは楽しみね」とさも嬉しそうに言うのでした。

 母が毒を飲んで死んだのは、わたしが十七歳のときでした。わたしは以前からよく話しておいた通りに遺体をもらいうけまして、母のやっていた通りに首を作り始めました。人間の首を作るのは初めてだったので緊張しましたが、絶対に失敗するわけにはいきません。生前の母の手つきを思い浮かべ、焦らず、しかしもたもたせずに、確実に片付けていきました。

 そうしてできあがった首は、我ながら処女作とは思えないような出来栄えでした。母が元々うつくしいひとであったせいもありますけれど、あれほど手の冴えたことはほかにありません。父も兄も親戚もみな、お母さまの再来だと言ってわたしをほめそやしました。

 それから他所に頼まれたものも含めて、いくつも首を作りましたけれども、やはり母のものほどに冴えわたった、よい出来のものはまだひとつもありませんでした。もっともこれは母の親心のなせるわざでもあったでしょう。わたしにとびきりよい首を作らせたい一心で、母は自ら毒をあおったのでした。


 遠方の夫に嫁いだときは驚いたものです。話には聞いていましたけれども、それでも首を作る習慣がないということは、わたしをひどく戸惑わせました。

 もちろん好きで嫁いだのですから、このひとの家のしきたりには従おうと決めていました。しかし、どうやら母から引き継いだ首を作る技術を、自分の子どもに継がせる機会はなさそうなこと、またわたしが死んだときにも、その遺体は丸ごと火葬にされるだろうということを、今のうちから覚悟しておかなければなりませんでした。わかっていたとはいえ、そのことは少なからずわたしを落胆させました。未練がましく実家から運んできた首を作るための道具も、新居の物置の奥に仕舞われてしまいました。

 とはいえ新婚生活の楽しかったこと! 夫はやさしいうえに裕福で、わたしを宝物のように大事にしてくれるのでした。

 夫もまた色白で、首がすっきりと長いひとでした。わたしは彼の中に敬愛する母の面影を見ていたのかもしれません。夫の姿を眺めていると、わたしは時々、実家にある母の首のことを思い出しました。母のことを愛していたのはわたしだけではありませんから、わたしだけの都合で持ち出すわけにはいかなかったのです。

 夢のように楽しい時間が経ち、そのうちわたしたちの間には、息子がひとり産まれました。その愛らしいことはこのうえもありません。ことに膨らんだほっぺたの、一点の染みも曇りもない白桃のような肌といったら、まるで陶器のようにうつくしいのです。わたしと夫は大喜びで、周りのひとたちの手も借りながら、十か月までは大切に大切に育てました。

 ところが十か月め、息子は突然死んでしまったのです。ある朝なんの前触れもなく、ゆりかごの上で冷たくなっていたのです。

 一歳に満たない子には、まれにこういう原因のわからない突然死が訪れるものだと聞いてはいました。しかし、まさか自分の子がそれにあたるとは思ってもみませんでした。わたしはひどく錯乱したらしく、気がつくと病院の真っ白なベッドに寝かされて、白い天井を眺めていたのです。

 目覚めてすぐ頭に浮かんだのは、息子の遺体はどうなっただろうということでした。わたしは病室にやってきた夫に、息子のことを尋ねました。なんと、わたしの眠っている間に、丸ごと火葬にしてしまったというではありませんか。わたしには別れを告げる暇もないまま、すべてを真っ白な骨と灰とにしてしまったというのです。この家に嫁ぐときに重々覚悟したはずだったのに、こうなってみるとどうでしょう。息子の首を作りそこねた、そしてそれはもうどこにも残っていないという事実は、わたしをひどく打ちのめしました。

 わたしはそれから鬱々として過ごすようになりました。この家のしきたりなど気にせず、何よりも先に息子の頭部をとっておくのだった。うつくしい首に作り変えて、木箱に入れて、色とりどりの造花で可愛らしく飾ってやるのだった――いくら振り払おうとしても、後悔は重くわたしの背にのしかかって、影のように離れないのでした。夫もわたしを大変励ましてはくれましたけども、そのうち鬱々とした家の中に嫌気がさしてきたのでしょうか、家に帰る時間が少し、また少しと遅くなり始めました。気づいたときには、ほとんどわたしのところに帰ってこなくなっていたのです。

 わたしはひとりで、通りに面した窓から日がな一日外を眺めては、息子に似た子どもが通るたびに溜息をつきました。


 桜の盛りの頃でした。

 ある夜、ひさしぶりに帰ってきた夫は、少し痩せたように見えました。彼はやや改まった様子で、わたしとの離婚を切り出しました。もう双方の実家には話がついている、おまけにわたしの後釜にくるひとも心当たりがあるような口ぶりで、聞いているうちになんだか頭の奥がきいんと冷えるような心地になりました。

 話を聞くのが苦しくなったわたしは、お茶を淹れて来ますと言って席を立ちました。台所で薬缶を火にかけながら、息子に続いて、夫までわたしから去っていくことについて考えました。

 仕方ないと思う自分がいました。酷い仕打ちだと思う自分もいました。心の中が滅茶苦茶に荒れ狂うのを、もうひとりの自分がまるで他人事のように眺めていました。

 目に見えない嵐の中で、わたしは夫の顔を思い浮かべました。それはやはりどこか母に似ているのでした。母のことを思い出していると、自分の心がだんだん凪いでいく気配を感じました。そして突然光が差すように、わたしはわたしのなすべきことが何かを悟ったのです。

 わたしは寝室に向かいました。そして自分の宝石箱の中から、ガラスの小瓶を取り出しました。これは母が自殺するのに使ったもので、底の方にはまだ少し中身が残っていました。これをとっておいたのは母の導きだったのだと思いました。薬缶がぴいぃと笛を鳴らしました。わたしは急いで台所に戻って紅茶を淹れ、夫のカップに小瓶の薬をあるだけ垂らして入れました。

 それでもやはり小瓶の残りだけでは、人ひとり死なせるには間に合わなかったのです。毒を飲んでもすぐ死ぬことができず、夫は苦しみながら床の上でのたうち回りました。よほど必死だったのでしょう、わたしの足に手を伸ばして、脛に引っかき傷を作りさえしたのです。痛みのせいで頭に血がのぼったわたしは、飾り棚にあったガラスの重い置物をとって、夫の頭を何度も打ちました。ようやく夫は動かなくなりました。

 ここにきて、わたしは息子が亡くなってから初めての平穏を感じました。今ここにいとしいひとの遺体があるということが、わたしをようやく安堵させたのでした。

 わたしは鉈で夫の首を落とすと、顔についた血を丁寧に拭きました。頭の左側は凹んでしまったし、顔はおそろしく歪んでいましたけれど、大丈夫、きっと整えることができるという確信がありました。

 物置から道具を持ってくると、ひさしぶりに首作りに取り掛かりました。防腐処理を施して表情を整えるまでには夜が明けてしまい、わたしは眠い目をしばしばさせながら、木材や和紙の調達に向かいました。必要なものを買い込んでから家に戻り、また作業を続けました。

 無我夢中でした。わたしの手はかつての仕事をきちんと覚えていました。また、母が傍らで見守ってくれているようでもありました。夫の顔にお化粧をし、首の大きさにあわせて箱を作り、青と紫の造花をたくさん拵えました。凹んでしまった頭部には小ぶりな花をたくさんあしらって、瑕疵がわからないように工夫しました。

 そうして出来上がった夫の首の、なんとうつくしかったことでしょう。おそらく実家にある母のものとも引けを取らない、素晴らしい出来栄えのものでした。気がつくと朝日がカーテンの隙間から差し込み、わたしたちの上にやさしく注いでいました。

 わたしは首を存分に眺めたあと、傍らの床に寝転がって目を閉じました。ひさしぶりに安らかな眠りが訪れました。

 それから、腐敗した夫の胴体の臭いに悩んだ近所のひとが警察を呼び、見知らぬ手が我が家のドアを叩くまで、しあわせなときを過ごしたのでした。

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