流星と翼

ゲッター線の使者

第1話

 刀を帯びた男が二人向き合っている。見ての通り決斗だ。二人は対象的だった。一人は若く、一人は老いている。一人は禄を持ち、一人は浪人である。二人は先ほど初めて顔を合わせた同士だ。しかし刀を抜いて対峙し、殺意を向け合った刹那の時間は生涯の伴侶よりも固い絆を生むのである。老人の名は藤野流斎。藤野流の開祖である。比翼の太刀という必殺剣を持ち、仕官を勝ち取るに至る。剣名で斬り登った時代の勝者だ。けれど彼の晩年は嫉妬と焦燥に塗れ、満ち足りぬ日々であった。そして今、ようやくその人生の成果を試さんと、生涯に意味があると証明せんと、戦いに臨んでいた。一方若者はただ死合の中で死ぬために立っている。名は岩本信次。関が原では西軍に付き、いくら斬ろうとどうにもならない敗北を味わった。時代とは剣一本で動かすことができないものだとわからされた。だからせめて個人の力の範囲で死のう。そう望んだのだ。勝って手に入れて満たされない者。負けて失うことで満たされようとする者。正反対の二人が今ここで死合う。

 

 藤野流斎の人生はある日まで満ち足りていた。比翼の太刀。そう呼ばれる必殺剣で幾度の決斗に勝利し無敗の記録を打ち立てた。剣名によって仕官を勝ち取り、戦場では兵を率い城を落とした。斬り登る人生。武芸者の理想とも呼べる人生だった。

 比翼の太刀は究極の返し技である。その極意は、相手の剣を真似て上回ることだ。同じ斬撃を同じ構えから少し遅れて放ち、そして追いつく。自分の刃で相手の峰を叩きあらぬ方向へ剣を逸らす。その時残るのは死に体になった相手と次の一撃を構える藤野だ。二羽が重なり飛ぶ比翼連理の伝説からこの名は付けられた。

 戦いにおいては無敵である。この技を編み出して以来藤野はその自負を持って生きてきた。それが自分の存在価値であり全てであった。そのためには一切の妥協を許さず強さを証明し続けることを自分に課した。一人相手では足りない。戦場では四方八方に敵がいる。刀だけでは足りない。弓も槍も使うのが武士だ。武芸百般の全てをねじ伏せる技こそが比翼の太刀でなければならない。それを藤野は証明した。

 ある戦で、藤野の率いる部隊は敵の弓矢部隊によって足止めを喰らっていた。川を挟み、近くに身を隠せるような段差や森はない。無理に川を渡れば狙い撃ちにされる。しかし迂回しようにも川は長すぎる。それに時間がない。藤野の部隊は籠城する味方を助けるための援軍である。突っ切る以外の道はないのだ。

「俺が行く。狼煙を上げたら全軍で突撃しろ」

 藤野はそう言って単騎で駆けて行った。藤野は刀を抜いて川を渡った。藤野の刀は切っ先より二寸下の峰が少し欠けている。相手の刀を引っ掛けるためだ。突きを逸らすにはこの窪みを引っ掛けてあらぬ方向に突きを誘導する。更に引くという動作はそのまま自分の突きの予備動作となり相手を殺すのだ。ならばそれは相手が矢とて同じこと。藤野は矢の雨を全て逸らし切って川を渡り敵陣に辿り着いた。そして手当たりに次第に斬りまくった。敢えて殺さず怪我だけをさせた。士気を奪うためだ。わかりやすく腕だの落としてやれば人は恐れる。混乱が広がり陣が崩れたところで藤野は狼煙を上げた。応戦を試みたが、藤野が矢を射った者だけに狙いを変えたため怯えて射る者はいなくなり、そのまま陣は突破された。

 比翼の太刀こそ最強無敵の技だと藤野は信じていた。皆もそう信じていた。だから出世もした。直接戦わなくてもいい立場にもなったがそれでも自分が最強であり続けるために剣を鍛え続けた。何か武芸者や武器の噂を聞けば呼び寄せたり取り寄せたりして自分が勝てることを確かめた。そして出会った、種子島。逸らせぬ、弾けぬ。引っ掛けようにも弾が小さすぎる。その上撃つ側は達人でなくてもいい。足軽だろうと将だろうと威力は変わらない。これさえあれば個人の強さなど無意味となる。ただ鉄砲を揃えた側が勝つだけではないか。藤野はそう思った。それは実際正しく銃のある国が銃を揃える国力のある国が順当に勝つ、つまらない戦の時代が来た。自分がいればどんな弱国でも勝てる。そう自負してきた藤野には耐えがたい時代だった。それでも最強であるために藤野は銃を握り銃を持った部隊の指揮を学んだ。銃を使う者の強さ弱さも知った。けれど納得いかぬのだ。この世に比翼の太刀が通じぬ武器が存在するという事を。刀も槍も弓も鎖鎌も投擲も全てねじ伏せてきたはずなのに、人生をかけて編み出した技が無意味なものに堕ちていくことを認めることなどできなかった。恐怖を克服するために敢えて前線に立ち突っ込んでいった。馬の脚力があれば射線を切って避けることができたがそれでも囲まれたら、まぐれ当たりで馬が撃たれたら、そう考えると結局鉄砲に勝ったという実感は得られなかった。百戦やって百戦自分が勝てると、証明できなければ、どんな状況でも自分が勝てると思えなければ意味がなかった。そうこう考えている間に別の問題が浮上する。それは老いだ。日に日に自分の身体が弱くなっていくのを感じる。刀が重く感じる。力任せに叩き斬ることができなくなった。鉄砲どころか刀を使う武芸者にすら勝てなくなるのではないか。考えるだけで脂汗を掻く。夜中に跳び起きて自分が生きていることを確認安堵した後、自らの惰弱な発想に吐き気を覚えることすらあった。どうすればこの恐怖を乗り越えることができるのか。答えは出ぬままここに立っている。


 藤野の前に立っている岩本はただ藤野の構えを見ている。そして岩本の構えは常軌を逸していた。鞘を右腕に添えて荒縄でぐるぐる巻きにしている。そして柄を左手の人差し指と中指で挟みながら握りしめている。

「貴殿の実力国一つと見る。故にこの技を使う。岩本流対城剣技」

 居合とは突発的な戦闘に適応するための技であり、不利を少しでも埋めるための技である。刀を抜いた者と納めた者には天地の差があり万が一の一生を拾うための技である。だが岩本の居合は違う! その鞘は枷である。そして力とは枷から解き放たれた瞬間最高潮となる。鞘を破壊するほどの勢いで放たれた斬撃で城郭の壁を破壊するのだ。攻めるための納刀。超攻撃型居合。その名は!

「流星」 

 刃が解き放たれた! 鞘を砕き、縄を切り裂き、その障害が、摩擦が、威力を倍増する。デコピンの原理である。その神速の刃に藤野は遅れて反応する。それは衰えではない。比翼の太刀だ。刃と刃、死を纏う翼が刹那に交わる。岩本の刀が宙に舞い、落ちるまでの間、神聖なる静寂が場を支配した。

 藤野の頸から血が流れた。咄嗟に手で抑えたが、感触で理解した。死んだのだと。

「美事」

 藤野は膝をついた。そして空を見上げる。そこには、月虹がかかっていた。

「確かに追いついた、追いついたはずだ。だがなぜ逸らせなかった。何故届いた?」

「俺は、貴方を恐れた。だから握りが緩んだのだろう。あの瞬間に俺の刀は滑って、間合いが伸びた。だから勝ってしまった」

「死にたかったのか」

「はい、その恐れが俺を生かしました。恥です」

「ふふふ、ふふふふふ、死を恐れるか、恐れた方が命を拾ったのだな。なら儂の恐れも持っていけ。生きて、生きて、衰え弱くなっていることを十分に恐れ給えよ。強者の義務だ」

 そう言って藤野はこと切れた。岩本は刀を拾い、その場を走り去った。

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流星と翼 ゲッター線の使者 @Saty9610

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