それぞれの結末

 私、どうしてここにいるのかしら。

 

 いつまで経ったかも、分からない。

 

 ただ時間を無作為に食い潰していく日々に、私は泣きそうだった。

 

 私は所轄、幽霊の類になってしまったらしい。

 

 何故幽霊になってしまったのか、理由も、成り行きも、よく分からない。

 

 忘れてしまった、という表現が正しいわね。

 

 引き出しの中身が、知らぬ間に全て持ち出されてしまったみたい。

 

 ここに、思い入れがある事は確かなんだけれど……。

 

 ダメ、やっぱり何も思い出せない。

 

 思い出せないと、たまらなく胸が締め付けられてどうしようもなくなってしまうの。

 

 あの見惚れてくれた人と一緒になれば、少しはこの苦しさも和らぐかなと思ったのに、運悪く死ななかったみたいね。

 

 はねられた時、まだ息があったようだから。

 

 あんなに、元気な子だったなんて……盲点だったわ。

 

 また、一人に逆戻りね……。

 

 心の風穴は日に日に打ち開き、隙間風が入り込んで冷たくなっていく。

 

 記憶がないという感覚は、まさに不快そのもの……。

 

 私はため息を吐き、周囲を見渡す。

 

 今は朝一番の時間帯なため、通勤や通学をする人たちでごった返している。

 

 電車を待つ時以外は、基本足を動かしており、人の流れは止まる事はない。

 

 そんな情景を、私はずっと見送っている。

 

「いつまで、ここにいるのかしら……」

 

 見通しの立たない未来に、私は不安を吐露した。

 

「大して時間が経ってないくせに、よく言うよ」

 

 後ろから声をぶつけられ、私は振り向いた。

 

 身なりが清潔で、端正な顔立ち……電車で跳ねさせた子の方が好みだけど。

 

 その子は今にも氷柱を作り出しそうな凍てついた瞳で、私を真っ直ぐ見据えていた。

 

 すると、たちまち私の背中に霜が降りた心地になり、思わず目を逸らす。

 

 何、この子……私の事が見える、のよね。

 

 今にも丹念に尖らせた刃をこちらに向けていきそうなほど、刺々しい空気が私と彼の間に走る。

 

 自然と息遣いがぎこちなくなり、何とかこの場を打開しなければと頭を働かせる。

 

 全く、何なのよ。

 

 私、幽霊なのだけど。

 

 このまま、あの子みたいに電車に跳ねさせてしまおうかしら。

 

 人間の圧に負けて、無駄に怖気づいている自分自身に腹が立ち、その矛先を目の前に立っている子に容赦なく向けた。

 

 目は、逸らしたままだけど。

 

 早くこの空気を、線路に放り込んで断ち切ってしまおう。

 

 そう決意して、私は空気を作った張本人に鋭い視線を浴びせるため、目を向けた。

 

 すると、その子は私の前に何かを放った。

 

 私はせっかく準備をしていたのに、不意を突かれて気が緩んでしまった。

 

 きっと、今の私は締まらない表情をしていたわ、絶対。

 

 そんな表情を、気に入らない相手に向けるなんて……。

 

 ペースを乱されて腑が沸々と熱く……なりはしなかった。

 

 いえ。そうなる前に、紙切れの方に意識が向いたという方が正解ね。

 

 ヒラヒラと目前で舞う紙切れをよく凝らすと、少し鮮やかな色が載っている事に気づく。

 

 この色は、何なの?

 

 正体を探る為に一層目を凝らそうとしたけれど、その前に私の足元に落ちた。

 

「あいつとこの写真の中にいる人、本当に似てると思うか、もう一度じっくり見てみなよ」

 

 皮肉めいた雑言は、私の耳にもう届いていなかった。

 

 私は幾重の人が踏みつけた駅のホームの上に落ちた、写真に釘付けになった。

 

 ただの、紙切れでは、ない。

 

 写真いっぱいに、溢れ出る快活な雰囲気は、落ち込んでいる人をたちまち元気にしてしまうような、吸い込まれる魅力がある。

 

 けれど、愛しげに写真の外にいる存在を抱き込むような、潤んだ瞳が隠れていて、大人の情熱的な要素が垣間見えて、胸が疼く。

 

 そして、柔らかな日向で、包み込まれるような笑顔。

 

 私は……誰よりも好きだった。彼の、笑顔が。

 

 急速に引き出しの中身が内から湧き出てきて、空虚で冷たかった心が、至福で埋め尽くされる。

 

 ああ、全て……全て思い出した。

 

 私は、この笑顔をどうしても形に残しておきたくて、カメラに撮って、納めたの。

 

 私のかけがえのない、大切な人。

 

 全世界を敵に回しても、貴方だけは守り抜くと決めた人。

 

 だけど、私は守りきれなかった……。

 

 あの人がいない世界なら、私はいる意味がない。

 

 だから、私は後を追いかけるように同じ死に方をした。

 

 ごめんなさいね、そっちにすぐ行けなくて……。

 

 写真を探している内に貴方の存在ごと、記憶が段々薄れていって全くの別人に靡くなんて、本当に馬鹿だったわ。

 

 感触も温度もない透明な涙が地面に落ち、歪な円形を作って消えていく。

 

 嗚咽を漏らしながら膝を着き、写真を大事に握り込む。

 

 人目を気にせず思う存分泣けるのは、幽霊になってとても良い事だと、今更ながら思う。

 

 淡く、白い光がポツポツと私の身体から、空へ登っていく。

 

 蛍が道案内をしているような、幻想的な光景を視線で辿っていくと、いつの間にか空に行き着いた。

 

 ホームの屋根に隠れているから、全体は見えない。

 

 それでも端から伺う空は、写真と同じように青く澄んでいた。

 

 もうそろそろ、お迎えの時間ね。

 

 今、行くわ……貴方と共に、いきましょう。

 

 私は空に腕を伸ばし、太陽光が手のひら越しから透けている様を見た時、幽霊になって初めて心から笑えた事を知った。

 

 

 

 

「あれっ?! なんでお前がここに……」

 

 松葉杖を着き、病室の真ん中で突っ立っている間抜け面の友人に、僕は思わず吹き出しそうになった。

 

「綺麗な間抜け面だね、アニメの登場人物になれるんじゃない?」

 

「……その口調で嫌味言われてるのは分かるけれど、意味が追いつかない」

 

「一生追いつかなくていいんじゃない?」

 

 僕は手を口に当てて笑うと、友人は不服そうに口を尖らす。

 

 やっと、日常が戻ってきた。

 

 長かった、ここまで。

 

 といっても、数ヶ月しか期間が空いてないのだけど。

 

 でも、年単位ぐらいで友人に会ってなかったぐらいの感覚を覚えた。

 

 友人は身体の半分が包帯で覆われる程の怪我であったし、リハビリも最初は痛みの方が勝ってなかなか上手くいかなかったようだ。

 

 その時の友人の姿は、かなり傷心しきっていて、僕が声を掛けても空返事する事が多かった。

 

 まあそれでも、リハビリや治療を重ねるにつれて、乱暴な言葉や体に巻かれた包帯は数が減っていき、松葉杖一本で立てるぐらい回復したけれど。

 

「……で、なんでお前が退院日に来てるんだよ」

 

 今までの日々を振り返っている最中、友人が唇を尖らせたまま、疎ましげに見つめてきた。

 

「ああ、君のお母さんに頼まれて。今日は退院日らしいから、豪勢な料理作って、プチパーティーするらしいよ。それで、僕は招待されたんだ。んで、僕は君を迎えに来る担当」

 

「母さん、勝手にそんな事計画してたのか?! しかも、お前まで巻き込んで」

 

「別に僕は良いけどね。君の母親の料理美味しいし」

 

「……まあ、それならいいけどよ……お前を初めて家にあげてから、母さんめちゃくちゃお前のこと気に入ってるよな」

 

「好青年だから、安心してるんじゃない?」

 

「外面だけな」

 

 友人は、わかりやすく肩を落としてため息を吐いた。

 

 僕は、それを見てまた笑う。

 

 友人とのやり取りは僕の営んでいる日常の一部に過ぎないと思っていた節があるけれど、今回の事で僕にとっては少し違う事に気がついて良かった。

 

 ……あの女が絡んでいる事が、癪だけどね。

 

 ここに来る前、僕が人身事故を目の前で目撃し、友人が事故に遭ったあの駅のホームに行った。

 

 目的は、ただ一つ。

 

 あの女性を、成仏させることだ。

 

 女性は割とすぐに見つかった。

 

 幽霊だから見えないかもしれない、と心配していたが、それは杞憂だった。

 

 身体自体薄くはあったけど、視界に捉える事ができる程度で佇んでいた。

 

 物悲しい雰囲気は、僕から見たら鼻で笑ったらその息で吹き飛ぶほど薄っぺらかった。

 

 雰囲気に合わせて行動するのも馬鹿らしかったので、いちかばちかで写真を返したけれど、どうやら成功したようだ。

 

 歓喜の表情を浮かべ、光に包まれて消えていく様は、やっと成仏できる自分自身に酔いしれているようで、気持ち悪かった。

 

「そういやさー、あの女の人、大丈夫かなぁ……?」

 

「は?」

 

 ピンポイントでその人物について考えていたため、僕は思わず不機嫌丸出しな声で返事をした。

 

 普段鈍感な友人でも、僕の機微に気付いたようで心配そうに眉を顰めた。

 

「なんだよ、どうしたんだよ」

 

「……いや、別に? 馬鹿みたいにお人好しだなぁって思って」

 

「馬鹿は余計だろ」

 

 事実そうだろ。

 

 そんな言葉は呑み込んで、素朴な疑問を友人にぶつける。

 

「なんで、幽霊の心配なんてするんだ? 君を殺そうとしたのに」

 

「まぁ、そうなんだけど……幽霊って、この世に悔いがあって残る、みたいなものじゃん? だから、その悔いってやつに縛られてたら、なんか、嫌だなぁって」

 

 そう言って、腕を組んで唸りながら、湧いて出てきた感情にどんな言の葉を着せようか迷っている。

 

 ……あーあ、君はそういう奴だよ。

 

 自分に被害が及んでも、加害してきた相手を心配するぐらいな、どうしようもない、愚かで、可哀想な奴。

 

 でも、これで僕も助けられたんだ。

 

 どれだけ僕が胸を容易に貫かせる罵詈雑言を並べ立てようが、友人は何度も何度も手を差し伸べてきた。

 

 結局僕が根負けして手を取ったけれど、今となっては楽しい日々を送れているから、結果オーライだ。

 

 絶対言ってやらないけど。

 

 僕は嘲笑うように、鼻を鳴らした。

 

 だから、とてつもなく嫌だった。

 

 その当たり前を奪った奴が、のらりくらりとこの世にいられるのが。

 

 何だったら、この世を去っていくだけでは物足りない。

 

 地獄の責苦を味あわせる程度じゃなければ。

 

 だけど、僕はそんな力持ち合わせていない。

 

 ただただ、地獄に堕ちろと願う事しかできない。

 

 ……取り憑かれたのは、僕なのかもしれないな……。

 

「……い、おい、聞いてんのかよ?」

 

 僕は我に返り、友人の方を見る。

 

 不思議そうに首を傾げ、こちらの気を伺うように友人は見つめてきた。

 

「何?」

 

「さっき母さんからメールが来たんだ。早く来いってさ」

 

 友人はいつの間にか片手にスマホを持って、メッセージを打ち込んでいた。

 

 ……全く、忙しない奴だな。

 

 お前の傍にいて、その忙しないペースに巻き込まれて、呪いを掻き消してくれると助かるねぇ。

 

 そんな事は、俺は生涯言う事はないだろう。

 

 僕は愛想笑いで瞬時に蓋をし、口を開いた。

 

「お気楽な奴だね」

 

 

 

 

 人々が各々の用事を抱えて行き交う雑踏の中、俺は駅のホームを横切っていた。

 

 向かう先は、あの女性が立っていた場所。

 

 憂げな雰囲気を纏わせて、秀麗な黒百合の如く佇んでいた姿はとにかく美しく……美しかったんだ。

 

 ダメだ、俺は皮肉屋のあいつじゃないから、上手く言語化出来ねぇ。

 

 まあ、俺はここにいた女性に恋をしたんだ。

 

 女性といっても、人間ではなく、幽霊……なんだけど。

 

 しかも俺、その女性に殺されかけたんだよな。

 

 脳内で字面にするだけでも、生々しくてヤバいなぁ。

 

 跳ねられた当初は、本当に怖かった。

 

 幽霊っていう事実だけでも、身の毛がよだつほどの恐怖が走った。

 

 幽霊の事については、友人とよくやる怪談話や肝試しの延長線上で耳にする事がよくある。

 

 幽霊には未練があって現世に留まる、足がない等の誰でもよく耳にする類の話から、未練が強いと物がさわれたり、浮かせたりできる、なんていうあまり聞いた事がない話まで。

 

 俺はそれを面白半分で聞いて、それを皮肉屋の友人に話していたこともあった。

 

 そんなモノはくだらないって、即一蹴されるのがオチなんだけどね。

 

 非科学的なモノは基本信じない奴なんだ。

 

 そんなの信じてるんだったら、勉強したら? なんて、母さんと同じ事言うしさ。

 

 ひねくれてるよなぁ……って、一旦置いとこう、あいつの事は。

 

 今日は、お供えしに来たんだ。

 

 胸に抱えた花束を潰れないように、抱え直す。

 

 俺は供え物の花なんて分からないから、花屋さんにお任せで頼んだ。

 

 そうしたら、白い百合が数本束ねた花束を手渡された。

 

 何だか、あの女性みたいに美しいな……なんて。

 

 俺は駅のホームを迷いなく進み、あの時の事故現場へと早々に着く。

 

 跳ねられた場所は、そこに事故があったと考えられないくらい、事故前とはほぼなんの変哲もない日常が広がっていた。

 

 ただ一つだけ違う事を挙げるとするならば、美しい女性はいなかった。

 

 成仏できたのだろうか……それなら、それで良いんだけれど……。

 

 こうもあっさり、成仏するものなのだろうか……?

 

 俺は女性と面と向かってお供えする気満々だったので少し混乱したが、もう花は持ってきちゃったからなぁ……。

 

 ……うん、よし!

 

 折角だし、お供えするか! そうするか!

 

 もしかしたら届くかもしれないしな!!

 

 俺は瞬時に花を駅のホームの地面に置き、手を合わせる。

 

 ……で、これ、なんて念じればいいんだ。

 

 あーあー、えっと、これは供え物の百合の花です。

 

 花はここに置いたままにせず、回収するつもりではあります。

 

 多分、踏まれて散ってしまうでしょうから。

 

 一瞬だけ置いて、すぐ持って帰る事をお許し下さい。

 

 僕が代わりに大切に育てます……って、なんか、場違いですよね。すみません。

 

 えーっと……一応、俺はここに足を運ぶか迷いました。

 

 貴女が何の目的で俺を跳ねたのも分からないし、一回殺されかけて、正直怖かったですし……でも、どうしてもこれだけ言わせて下さい。

 

 恋を教えてくれて、ありがとうございます。

 

 俺が貴女に殺されかけた時、貴女に恋をするべきではなかったのだろうかと思いました。

 

 何故そんな事を考えたのかは、とても言いづらいのですが……俺が、惨めに見えたからです。

 

 幽霊である貴女に恋をした事が、愚かに見えたんです。

 

 貴女を貶しているような言い方をして、すみません。

 

 でも、あの時俺は貴女に誑かされたと思って、貴女の事情を何も知らずに被害者面をしていました。

 

 その事についてはあまりにも視野が欠けていると思いました。

 

 貴女にも、貴女なりの悔いがあって、幽霊になっていると考える事もできたのに……。

 

 俺は、愚かでした。それが事実でした。

 

 でも、あの時俺は認めたくなかったんです。

 

 いえ、認める余裕がないと言った方が正しいですね。

 

 底なし沼にハマっている感覚に、俺はどうしても呑まれそうで、恐怖していたんです。

 

 そうしたら、俺の大事な友人……いや、親友が、恋をする事自体は悪い事じゃない、と教えてくれたんです。

 

 それがきっかけで全て変わる……事は難しかったですが、長期の入院生活を営むにつれて、徐々に俺は愚かだったと受け入れる事ができました。

 

 今こうして、貴女にお礼を言う為にこちらに足を運ぶ事も決心できました……って、なんか、親友の話になってきてますね……。

 

 グダグダですみません、故人を弔う事が何せ初めての事なのでご了承下さい。

 

 あ、ちょっ、待って……あ、すみません! もうそろそろ電車が来るみたいなので、手短に言います!

 

 まず、改めて、貴女にお礼をさせて下さい!

 

 恋を教えてくれて、本当にありがとうございました!

 

 貴女の苦しみが癒えることを、心から祈っております!

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