番外編 終演
もうずいぶんと歳をとった。体はうまく動かないし、節々が痛む。余命も宣告された。それでもまだ私は筆を置いていない。ベッドの上での入院生活になってもそれは変わらなかった
「あらー上手な絵ですね」
今声をかけて来た看護師さんは私が描く絵が気に入ったのかよく声をかけてくれる。そして毎度どんな過程にあろうとも必ず褒めてくれるのだ。
「ふー、集中力が切れてしまった。今日はここまでにしよう」
そして絵に没頭しすぎる私のストッパーにもなってくれているのだ。
一歩ずつでもいいからこの絵を完成させる。この絵さえ、この絵さえ完成させることができれば。生涯をかけた私の絵描きとしての人生も終わるのだ。
作品を完成させなければという責任感、自分の始めた作品は責任持って自分で完成させたいという執着心。これらが今の私を動かしている。
そんなことを思っているうちに抗えない眠気が襲って来た。これはもう寝るしかない。
♢♢♢
次の日の目覚めはとても良いものだった。これなら今日中に作品を完成させることができるかもしれない。私は早速作業に取り掛かった。
色を重ね塗り広げていく。今日は朝食が来ても看護師さんに声をかけられるまでずっと絵を描いていた。
「あなたにとって一番大事なのはそれが完成するまで生きること。ご飯をしっかり食べることはそこに繋がりますよ」
恥ずかしながらどうやら集中しすぎたみたいで、危うく朝ごはんを食べ損ねる直前だったらしい。
ちゃんと朝ごはんを食べてから作品制作を再開した。もちろんお昼ご飯も晩御飯も食べたがそれ以外の時間はずっと絵を描いていた。そして努力が実り、ついに作品は完成したのだ。
「わぁ、素晴らしい絵ですね」
次の日、診察に来た担当医が歓声をあげる。
「終わりの寂しさが伝わって来ます。1ヶ月前、私はあなたに余命宣告をしました。そして今日がその1ヶ月です」
「ええ、ええ、この絵の制作は生きるためのモチベーションでした」
「この絵はなんという題名なのかい?」
「終演です。これはもうずっと前から決めていました」
この作品と対になる作品「開演」それを制作した時に思ったのだ。自分で始めた舞台なのだ。それを終わらせる責任があるのだと。ついに責任は果たした。後は誰にこれを託すかだ。
本当はお姉さんに見せたかったけど、お姉さんは寿命で先に逝ってしまった。両親もすでに亡く、結婚しなかったから家族というものはもういない。
♢♢♢
作品完成から2日後、私の容体が急に悪化した。もうこれで死ぬのだなと頭の中で冷静に考える自分もいる。そして絵を託さなければ、と。
「まだ諦めちゃダメです! その絵を世に出せば、あなたの作品は完成するのでしょう!」
「なら、あなたが、届けて、ください。」
私は動かない体からゆっくりと声を出した。
「私には、もう……お願い、します」
私は最後の力を振り絞って絵を渡した。それは開演と似たような構図の絵である。違いは、幕が下がってきていることであろうか。
「はいっ、必ず世に届けます」
看護師さんは目からハラハラと雫をこぼしながら、それが作品に当たってしまわぬように何度も腕で拭って作品を受け取った。
「お願い、しますね」
やるべきことはやった。もう思い残しはない。私は幸福を噛み締めながら、そのまま静かに息を引き取った。
桜並木に春色の妖精 大和詩依 @kituneneko
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