2 金庫は【いつ?】開く(後編)

「「「は?」」」


 電話の向こうから疑問符のコーラスが届く。

 続いて、電話越しでも届くほどはっきりとしたため息。


 疑問符からため息と続くことに、一方で、信一郎の方も首をかしげる。


 が、これは信一郎の悪い癖だ。


 基本的に、信一郎は、自分と他人は同じだと考えている。

 同じなのだから、自分が出来ることは誰にでも出来るし、自分が理解したのなら誰しも理解しているはず、と判断してしまう。


 なかなか消せない癖だが、散々指摘を――特に翠蘭スイランからは前世紀的な教育的指導もどきをとっても親身に――受け、自分がら気付く程度には矯正されていた。

 よって、ワンテンポ遅れるが、今回もやらかしていることに信一郎が気付く。


『信一郎の旦那よ、だから解決しねえのに帰られちゃあ困ると――』


「ああ、ごめんごめん、犯人は谷山くんだよ?」


 鬼怒川の声にかぶせるように続く信一郎の声、にかぶせるように、どんがらがっしゃんと派手な音が続いた。


『鎖ではありませんが、ケブラー製のコードです。切れにくいですよ?』


 やや久方ぶりの翠蘭スイランの声。


 本日の驚き3回目である。

 内容からして翠蘭スイランが捕縛したのだろうが、とっさに暗器を使うほどとなると、どうやら谷山とやらの逃げ足は一級品らしい。


「えっと、翠蘭スイランが捕まえたのかな?」


『ああ、相変わらずおっそろしい手際だな。しっかし、何で谷山なんだ?』


「何でって?」


『いや、こいつは暗証番号はもちろん知らんし、昨日の夕方も、金庫の開け閉めの時はそもそも部屋の中に居なかったぞ? ドアの外んところでムカデに腰を抜かしてたぐらいだからな』


 鬼怒川から問われて、また自分の悪癖が発動していることに気付く信一郎。

 申し訳なさげに頭をいてから答える。


だよ」


『は?』


「成立条件を満たすのは、鬼怒川さんが金庫を閉める瞬間にドアの外にいる人間なんだよ」


『え……っと? 分かるように言ってくれねえか旦那?』


 この説明の下手さ加減が、実は信一郎のコンプレックスだったりする。

 さて、どう話を組み立てれば最適なのか、わずかに考え込む。


「そうだねぇ……まず、種明かしとしては、要するに金庫の盗難防止機能を逆手にとったんだよ」


『盗難防止機能をか?』


「そ。金庫本体、壁か床の子機、それらを2.4GHz帯の電波でつないでおいて、そのリンクが切れたらロックする。ちょっと便利な機能だけれど、2.4GHzって、かーなーりーよく使われてるんだよねぇ。そして電波って混線するんだよね。スマホの横で電子レンジ使ったときにネットが切れる、アレだよ」


『お、おぅ? よう分からんが、で?』


 スマホと電子レンジの例はピンとこなかったらしい。

 気を取り直して続ける信一郎。


「同じ2.4GHz帯を使う機器を上手く置けば、電波の混線でリンク切れを誘発できちゃうんだよ。つまり、狙って盗難防止機能を作動させる、強制ロック出来るんだよね。で、解除したら元の状態へ戻るわけで」


『ほぉ?』


 明らかに分かってない鬼怒川の返しに気持ち凹みつつも、信一郎は続ける。


「鬼怒川さんが金庫の扉を閉めた瞬間、テンキーで鍵をかけるその直前を狙って強制ロックできれば、んだよ」


『ほお――出来んのか旦那?』


 声が明らかに落ち着く、というか通り過ぎてわった。

 理屈はともかく、開いた状態を作れるという点はピンときたらしい。

 信一郎は内心でほっとしつつ、説明を継続する。


「仕様上は可能だね。ちょっと検索してみたんだけれど、使えそうな小道具もあったし。おもちゃの小型トランシーバーなんかイイ線いってるなぁ。例えば――


①まずトランシーバーの片方を電源を入れて待機状態のまま金庫の裏側にでも隠す。

②もう一つは電源を入れて持っておく。

③そしてドアの外でスタンバイ。で、鬼怒川さんが扉を閉める音が聞こえたら、

④大声で注意を引きつつ、

⑤持ってるトランシーバーをスイッチオン、発信。とすれば、

⑥金庫とドアは一直線上だから、トランシーバーに挟まれた金庫は同じ2.4GHz帯の電波で混線してリンク切れを起こしてしまう。

⑦すると強制ロックが働いて、金庫は鍵のかかった状態になる。


 ――って寸法さ」


『しかしな、信一郎の旦那よ。自分が鍵をかけたわけじゃないなら気付くもんじゃないか?』


「そこも兼ねて大声で騒いだんだよ、谷山くんは。慣れちゃった作業って意識に残りにくくなる。インパクトの強い記憶があると余計に曖昧になるもんだよ。そうなれば、一言付け加えるだけで、人は結構記憶違いをするもんさ」


『一言?』


「鬼怒川さん、多分、ムカデ騒動から金庫へ戻るときに、『金庫の鍵閉めたんですね?』とか言われたでしょ?」


『あ。そういやあ……』


 鬼怒川のレスポンスが安定してきた。

 上手く伝えられているのを実感できて、信一郎もすっかりリラックスし始めた。

 そういえば香織と桜塚青年に茶も出してなかったな、と気づく程度には。


「で、そうかもとか思いながら試しに金庫を開けようとすると、開かない。目の前で、自分の手で、鍵がかかっているのをはっきりと確認する。なら――」


『鍵をかけた、と思い込むわけだ』


「そーゆーこと。後は誰もいない時にトランシーバーを切って、ゆっくりと欲しい物を取り出せばいい。この方法だと鍵を正しく閉めるのは出来ないから、まあ夜中に金庫破りにでもヤられたことにするのが無難かな?」


 果たして、いつもの茶ではなく翠蘭スイランの秘蔵を開封すべきか、おそらく彼女もそうするだろうが勝手にやるとマズいか、などと考えながら続ける信一郎。

 その呑気のんきさと対をなすような声音が、スマホの向こうから聞こえてきた。


『谷山ぁ、ちょおっとお話しようや。なあ?』







 夕刻。


 もう陽も落ち切って、取って代わった宵闇を所々の街灯や信号灯、ネオンなどが照らす、倉庫が建ち並ぶ海岸沿い。

 繁華街ほどではなく、むしろ黒地にポツポツと描かれている模様のごとき光達は、夜という主人公の引き立て役に進んで甘んじているかのように、奇妙な調和を見せている。


 その街角の、古くからある小さなBARの前に、信一郎は居た。

 店内喫煙可を掲げる数少ない店。いずれこういった店は姿を消していくのだろう。

 そのドアノブを、信一郎の手が回す。

 狭い室内も、支配者たるかげを、色温度の高い慎ましやかな照明が演出しているかのようだ。


 そのかげ、いや細身のかげが軽く手招きする。


 定位置で信一郎を呼ぶ龍田。

 隣の席に腰掛けたところで、龍田が信一郎に煙草を勧め、信一郎が微笑みながら首を振る。


「僕はもう吸わないってば」


「まあ、お約束ってヤツだ」


 こちらも微笑みながら、龍田は差し出した赤い煙草の箱を引っ込める。そして、箱から一本取って咥え、オイルライターの炎を近づけた。

 緩く立ち上る紫煙しえんに、吹き流れる白霞しろかすみ

 彼の手元のグラスで、氷が軽い金属音のように響いた。


「相変わらずだねぇ」


 煙草は赤箱にオイルライター、ウィスキーは黒ラベルのロック。

 にこやかに微笑みつつ、意味のない視線は向けてこない。

 目を引く容貌を目立つところのないスーツ姿で煙に巻いているところまで含めての、信一郎の評である。

 

「今日は世話になったらしいな」


「でもないさ。そもそも、僕が遅かったのも一因だし」


 そう言いながら、信一郎はUSBメモリをテーブルの上に置く。午前中の騒動のせいで、何だかんだと結局渡せず仕舞いになってしまっていたのだ。


「君のところのの内の3社だった――んだけれど、今日の谷山くん?の雇い主は垣野森さんだね」


 元々、龍田からは、最近彼の事務所を嗅ぎ回っているのが誰の指図なのかを調査することを依頼されていた。

 その結果を翠蘭スイランに今朝届けてもらおうとしたら、ちょうど相手の一つの垣野森商事が先手を打ったところだったわけだ。


「調べてくれたのか?」


「お詫び代わりに、ね。その追加分も入れてある」


 テーブルの上のUSBメモリを指さし、「まあ、もう知ってるだろうけど」と信一郎は苦笑する。


 龍田も苦笑で返す。


 無言の肯定。今まで同様と考えると、谷山氏は吐かされているはずだ。

 したがって、追加調査分は龍田も既知の内容だろう。ただ――


「――谷山って名乗る子については、最後まで追えなかったなぁ」


 戸籍データ、原付免許データ、卒アル等々の拾うことが出来た過去画像データ、龍田の事務所周辺の監視カメラの録画データ、その他諸々を空き時間で出来る限り覗いてみた。

 その結果分かったことは、ということだった。


 龍田がグラスを傾ける。

 また氷がグラスを打った。


「本人曰く、谷山雄一から戸籍をそうだ。それ以前の戸籍もものらしいし、顔もその度にいじってるんだとよ」


「なるほど。プロだ」


「ああ。で、今回みたいな仕事で食ってるらしい」


 今回は龍田の――業務上横領やら利益相反取引、医療事故や不法投棄等々をもみ消す代わりに何かしらの便を約束した企業重役たち。金品を要求するのではなく、自分の関連会社や子会社が利益を上げられるように手を回させるのが龍田のやり口だ――の一つ、垣野森商事がいたようだ。


「ちょいとしてもらわんといかんな」


 立ち上る紫煙しえんと、龍田が吹く真っ直ぐな白い煙が交差する。

 龍田が言っているのは垣野森商事のことだろう。が、話の流れでは自称谷山氏の処遇にも聞こえる。

 特に興味はないが、垣野森商事にどう落とし前をつけさせるかはかない方が良い。余計な情報を知って泥沼にハマりたくはないからだ。

 よって、信一郎はそちらへと話を向けてみる。


「谷山くんに?」


「ヤツには、沈んでもらうか、依頼主を売ってフィリピンに高飛びして顔を変えてウチのために働くか、どっちがお好みか選んでもらったさ」


「働くって?」


「ああ。向こうには毒島がいるから下手を打つこともねえだろう。使えなくなったら沈めりゃいい」


「怖っ」


「お前が言うか」


 軽く笑われ、信一郎は不本意だと言わんばかりに顔をしかめる。

 指定暴力団の麒麟児に言われる筋合いはない、と。


「ともかく、今日逃げられなかったのは翠蘭スイランちゃんのおかげだな。礼は?」


 龍田の問いに首を振る信一郎。


「報酬はもうもらってるよ……そうだなぁ、その分は今後にツケで」


「またか?」


「また、だ」


 今後、何かあった際には翠蘭スイランに便宜を図る。

 それがツケの内容だ。


「もうウチで一生面倒を見れるぐらいには貯まってるが?」


「それでもだよ。君だって無理なときは無理だろうし、保険はかけておいて損はないさ」


 翠蘭スイランを孤独にさせて、その上で引き取った者としての責任がある。

 信一郎はそう思っていた。


 グラスで遊びながら、「あんまり危ないはすんじゃねえぞ?」と笑い、それから、龍田は信一郎へと目を向けた——


 ——初めて。


 首筋に一直線に圧迫感が走る。

 細く、細く、冷たく、一直線に。

 そう、刃物を押し当てられているように。


「信一郎、俺と事を構えてくれるなよ?」


「僕だって命は惜しいさ」


 にっと笑って、煙草をもみ消し、龍田は席を立つ。

 その後ろ姿がドアの向こうへと消えたところで、信一郎は椅子の上で崩れ落ちた。

 動機は普段の倍に、呼吸は荒く、汗が一気に噴き出す。


 その様子に、終始無言を通していたバーテンダーが声をかけた。


「神坂さんも大変ですね」


「そう思うなら助け船を入れて下さいよ、仙道さん」


「私はもう引退していますから」


 テーブルに突っ伏する信一郎へ、にこやかに応じつつ、炭酸水をサービスする仙道。

 それを一気飲みして、ようやく信一郎は一息ついた。


 ……のだが。


「ごめん、仙道さん。腰が抜けちゃったんで、もうちょっと居ていい?」


 微笑みながら、炭酸水をもう一杯サーブされる。

 苦笑しながら、それを信一郎が受け取った。




(『金庫は【いつ?】開く』 了)

※電話口の向こう側の視点から描いたお話を「5分で読書」短編小説コンテストに応募しています。よろしければそちらもお目通しください。

https://kakuyomu.jp/works/16817139554878293263/episodes/16817139554878449475

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推理小説未満 —翠の徒然なる日々— 橘 永佳 @yohjp88

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