第2話「修道女テレーズ」

「修道院長様、申し訳ありません。またお父様がご迷惑をおかけいたしまして……」


「気にする事はありませんよフレーリア、貴女は我が修道院の修道女なのです。どのような圧力も神と教会の前では無力である事を、何人なんびとも思い出す必要があるのですから」


 わたくしは公爵家を捨て、『神愛の聖者修道院』の修道女になる事を選んだ。教会に連なる修道院は神の神域として、たとえ王家の者でも干渉は出来ないからだ。

 それに修道女は神にその身を捧げているゆえ結婚は許されない。カイゼル様から我が身を守るには、この決断が最適解といえた。


「ありがとうございます。お父様には何度も還俗げんぞくする意思は無いと申しているのですが、恐らくカイゼル様からの要求が厳しいのでしょう」


 院長様は長い溜め息を吐かれて、「第二王子殿下にも困ったものです」と、露骨に不満を述べられたのには私も驚いた。

 だけれど教会がずっと戦争に反対の立場であった事を考えると、それも納得出来きる。とうとう始まってしまった今度の戦争は、カイゼル様が望んで始めた戦争なのだから。


「戦争での死者が日増しに多くなっているそうです。神は人間同士の殺し合いなど望んでおられないと言うのに……反戦を掲げて罪を着せられた王太子殿下も、さぞ無念な思いでいる事でしょう」


 同じ反戦の立場であったエラルド様に、教会はとても同情的だった。それゆえ元婚約者である私にまで過分な同情を寄せて下さっている。


「せめて獄中におられるエラルド様を、お慰め出来ればと思うのですが……」と、ついご厚情に甘えて本音を口にさせて頂いたりもした。


 すると院長様が思案顔をなされてから、突然に私へと笑顔を向けられたのです。


「フレーリア、もしかしたら今なら出来るかもしれません」


「今なら?……それは、エラルド様をお慰め出来るかもと言う意味でしょうか?」


 思いもよらないお言葉に理解の追い付かない私は、院長様が「そう、今ならね」と、少し自慢気に輝かせたその瞳を、食い入る様に覗き込んだのだった。


 

  ◇*◇*◇



 王宮の敷地内北側にある兵舎の外れに、エラルド様のいる獄舎はあった。そこは水捌けの悪いジメジメした陰気な場所で、いつ見ても息が詰まりそうだ。

 私は獄舎の中へ入れてもらおうと、衛士に名前と用件を告げた。


「神愛の聖者修道院のテレーズです。本日はエラルド様の教誨きょうかいに参りました」


 衛士はまだ歳若く、とはいえ私よりは歳上の様ですが、教誨というのが何なのかご存知ない様子。

 なので罪人つみびとに神の教えをさとす教育活動だとお伝えすると、納得した様に頷いてくれた。


 実を言えばその衛士には、以前にもここで会っている。その時の私はまだランドック公爵令嬢のフレーリアとして、エラルド様に面会に来たのだ。

 だからテレーズと名前を変えてはいたが、正体がバレないかと内心ドキドキしていた。もしバレたなら私は拘束され、カイゼル様に何をされるか分かったものではない。


「確かに修道院からの通知は承っていますね。テレーズ様、どうぞお通り下さい」


 どうやら衛士にはバレてはいない様で、私はホッとする。これも院長様が仰った通りに、私の髪と瞳と声の色を魔法で変えておいたおかげだろう。

 私がエラルド様をお慰めしたいと願った事を、実際に実現させてしまわれた院長様の行動力には本当に感服させられた。


『不謹慎な事を申しますが、戦争で第二王子殿下とその取り巻きが王宮に居ない今が絶好の機会なのです』


 そう仰った院長様は教誨を理由に、エラルド様と会う手筈を整えて下さったのだ。

 もちろん私の正体は誰にも知られてはならない。その危険を回避する為にわざわざ魔法で変装までしているのだ。


 しかしその効果がエラルド様にも発揮される事を思うと、私は微かな胸の痛みを感じた。

 それが他人のふりをしてエラルド様に会う事への良心の呵責なのか、それとも他人として扱われる事への寂しさなのかは分からない。けど、恐らくは両方なのだろう。



「そうですか、お歳は十七歳なのですね。お声が落ち着いて威厳がおありだったものだから、そんなにお若いシスターだとは思いませんでしたよ」


 そう言ってお笑いになられたエラルド様に、私の心は張り裂けそうになっている。

 一目お会いしたいと何度願った事か分からない。そしてその願いが叶い、本来なら喜びに充たされているはずなのに……私はそのエラルド様の変わり果てたお姿を見て、涙を堪えるだけで精一杯だったのだ。


 エラルド様の身体の傷は拷問にも似た取調べで出来たものだろう。お痩せしているのは看守がエラルド様の盲目をからかって、食事に悪戯をするものだから食べずにいる事が多いと聞いた。

 そういう辛い話をあらかじめ院長様がしておいてくれたのは、私が当日エラルド様をの当たりにしても取り乱さない様にとのご配慮だ。果たしてそれは功を奏し首の皮一枚で堪えきれた。


「お怪我をなされ大分お痩せの様ですが、お体は大丈夫なのですか?」


「なに、元気なものですよ」


 そういう強がりを仰っるのもエラルド様らしい。誰がどう見ても元気には見えないというのに。

 テレーズという初対面のシスターに、格好をつけておいでなのだ。それが私だと全くお気付きになられていない事を切なく思うのが、私の我が儘なのは承知している。


 だから私は心のどこかでテレーズに嫉妬しているフレーリアの事を、そっと無視した。

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