第7話「愛しているから」

 王都を一望できる見晴らしの良いこの丘に、高らかではあるが物悲しいラッパの音色が鳴り響く。

 その丘には真新しい大きな石碑が建っており、石碑の左右には式典用に正装した近衛兵たちが立ち並んでいた。


 近衛兵の後ろには、さらに多くの衛士や兵士たちが直立不動の姿勢でいる。

 そして今まさに石碑へと献花しているその人は、エラルド王太子殿下とその婚約者であるわたくし、ランドック公爵令嬢のフレーリアであった。


「抜剣ッ! 捧げーっ剣ッ!」


 近衛兵団長の敬礼の声で、そこにいる帯剣した者全てが石碑に向かって剣を捧げた。

 今日は今回の戦争で亡くなった人たちへの慰霊式典の日である。エラルド様も慰霊の石碑へ剣を捧げ、私はカーテシーをし更に頭を膝にまで下げて最敬礼を表した。


 本来なら私もあの日に殉教じゅんきょうしていたはずなのだ。しかしこうして私とエラルド様が今も生きていられているのは、紛れもなく神のおぼし召しに他ならないのだろう──



 エラルド様の処刑が執行されようとしたあの日、『テレーズ聖母の会』の皆さまの活躍によりエラルド様が助けられた。

 それは私やエラルド様、そしてカイゼル様はもちろんの事、テレーズ聖母の会の皆さまたちでさえも、誰一人として予想していない結末だったのだ。


 後から知った事だが、テレーズ聖母の会というのは私が野外礼拝をさせて頂いた衛士や兵士の皆さんが、私を慕って下さって作った会なのだそうだ。


 とにかく結局のところ王宮内のみならず、王家に臣従する殆どの貴族たちはエラルド王太子殿下の復権を喜び、カイゼル第二王子殿下の失脚を歓迎するところとなる。

 そして直ぐさまエラルド様は執政を務め、隣国との終戦交渉を始めたのだった。


「ふざけるなっエラルド! この牢から俺を出せッ!」


「残念だがそうはいかないんだカイゼル。君を戦争責任者として隣国へ引き渡す事に決まったんでね」


 すると顔面を蒼白にさせたカイゼル様は、「俺の首を差し出すつもりか」と、その声を震わせる。


「いや、俺とこちらのシスターテレーズとで隣国の国王陛下と交渉し、その一命だけは取り止めて頂いた。しかし永牢の刑は覚悟しておいてくれ」


 カイゼル様は私とエラルド様がその場に居るのも構わずに、項垂うなだれたまま泣き出してしまったのだが。それが私が見たカイゼル様の最後のお姿となった。


 正直なところエラルド様によるカイゼル様の助命嘆願は、困難を極めたのだ。しかしお優しいエラルド様は隣国の国王に誠意を尽くして何度も頼み込み、どうにか同意して頂いた経緯がある。

 その際に何故かテレーズ聖母の会の話に興味を持たれた隣国の王は、私に会いたいと申された。救国の修道女にお目に掛かりたいなどと、意味不明な事を仰って。


「私、そんな大袈裟な事は何もしておりませんわ。何だか居心地が悪かったです」


「そうなのかい? 殉教覚悟で国を悪魔から救った修道女として、フレーリアはかなりの有名人になっているらしいよ」


「あっ! そのフレーリアですわッ!」


 今の私は確かにフレーリアだ。還俗げんぞくしてエラルド様の婚約者へと戻る事ができ、私は幸せを噛みしめている真っ最中でもある。

 だけど処刑執行の日、カイゼル様に斬られそうになった私を助けようとした時のエラルド様は、私をフレーリアとお呼びになったのだ。髪と瞳と声の色を変えてテレーズに変装していたというのに。


「エラルド様はテレーズが私だと知っていたのですか!?」


「そりゃ知ってたさ」


「ええっ! いつからです?」


「もちろん初めからだよ。何だフレーリアこそ気付いてなかったのかい?」


 それを聞いて私は少し呆然としてしまった。お目のご不自由なエラルド様にとって髪と瞳の色を変えた事に意味はないだろう。

 しかしだからこそ情報の全てとも言える声色こわいろを別人に変えた以上、私だと分かる道理は無いはずなのだ。


 なのにエラルド様はお笑いなさって。


「じゃあフレーリアが風邪をひいてガラガラ声になっていたら、俺がフレーリアを分からないとでも思うかい?」


「それは……」


「俺は目は見えないけれど、人各々それぞれが持つ気配の様なもので誰だかは判別できるんだ」と、そう仰ったエラルド様は私が変装をしていた真意を覚り、知らないふりをしていたと説明なさる。

 そしてこうお言葉を続けなさったのだ。


「俺が愛するフレーリアの気配に気が付かない訳ないじゃないか」


 私はエラルド様から愛するフレーリアと仰って頂いた事に舞い上がり、頬を紅く染め瞳を潤ませた。


「おや? フレーリアは照れているね?」


「だ、だって。愛するだなんて仰るんだもの……あ、でも私が照れている事まで何で分かったのですか?」


 するとエラルド様は私を抱き寄せて──


「だから言っただろ? 君を愛しているからだって」


 そう仰って、私に優しい口づけをなさったのだった。




 私が不謹慎にもエラルド様との甘い思い出に浸っている間にも、慰霊の式典は滞りなく進んでいた。

 今日は亡くなられた方々へ思いを馳せその鎮魂を願う日だというのに、私は唇に残った感触に頬を染めている有り様である。きっと神はそんな私をお叱りになられるに違いない。


 罪悪感を覚えた私は、心の中で何度も亡くなられた方々へ謝罪した。

 フレーリアには後で山ほどお説教をしておきますので、どうかお許しを……


 すると天幕の外からエラルド様の声が聞こえてくる。


「フレーリア、いや、シスターテレーズ。準備はよろしいか?」


 そう、私はいま式典会場の裏にある天幕の中で、神愛の聖者修道院のシスターテレーズへとその姿を変えていた。


「お待たせ致しました、エラルド殿下」


「待っているのは俺だけじゃないよ? テレーズ聖母の会の者たち全員が君の鎮魂の祈りを待ち望んでいるからね」


 笑顔でエラルド様に頷いた私は、神に仕える修道女の顔をする。

 今の私はエラルド様の婚約者の公爵令嬢フレーリアではない。修道女テレーズなのだ。この二つの顔を持つ人生がいつまで続くかは分からないけれど、今のところ私はとても気に入っている。


 やがてテレーズ聖母の会が王国随一の教会団体へと発展するお話は、また別の機会に致しましょう。


〈了〉

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私が愛した牢獄の中の王太子 灰色テッポ @kasajiro

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