音楽という美しい旋律、それは日常にあふれるNOISEで出来ている!!

私は音痴です。音楽の成績は5段階で1を取ったこともあります。カラオケの点数では50点台をマークしたこともある、機械からもお墨付きをもらった生粋の音痴です。もはや、半分くらいは才能なのでは?なんて考える毎日です。

そんな私にはこんな本格的な音楽小説の魅力をレビューすることは出来ないと考えて、更新があるたびに読んでいたのにも関わらずレビューしてきませんでした。まあ、私の開催するイベントにも参加くださっている作品でもあるのでチェックもしていたのですよ。

なのに、なんでみんな★をつけないのでしょうか?あまりにも評価されていないと感じたのでレビューします。しかし、私は冒頭にも語った通りの音痴+音楽知識のない人物なので私のレビュー以上のものがこの小説にあることはご承知ください。

この小説はあまりにもリアルです。私なんかが読んだことのある音楽小説は「蜂蜜と遠雷」のみです。この小説は素晴らしい作品です。しかし、音楽を小説で再現しようとするあまりに音楽の文中表現が膨大すぎる。まあ、それが良いところでもあるのですが一長一短でしょう。

この小説はその中で音楽小説ならまずは表現したい音の表現が繊細だと感じました。まあ、いまだに本格的な演奏シーンはプロローグのみなので主人公たちが音楽を表現するときはどんな表現が飛び出るのか楽しみです

それに日常を丁寧に描いているなと感じました。その日常があるからこそ音楽に造詣が深くない私でも読むことが出来るのでしょう。マイペースな光としっかり者の明里の掛け合いやお互いの印象は面白いです。それに個人的に音楽の先生目線も音楽的才能というものがわかるようで良かったですね。

しかし、同時に私はこの小説のタイトルを見るたびに想うのです。私が読んでいる掛け合いもキャラクターの動きも、音楽という枠の中ではNOISEでしかないのだと。

まあ、当然の話です。普通に音楽を聴くという時に耳に入れる音は5分程度のメロディーに歌詞をのせた物です。そこにシンガーや作曲者の日常なんてものは載っていません。

だから、どれほど丁寧な日常も音楽という枠の中ではNOISEでしかないのです。ただ、同時にそのNOISEこそが音楽を形作っています。

だってそうでしょ♪日常の中で聞いたこと、感じたこと、培ったもの、そんないろんなものを結集しなければ音楽を奏でることは出来ません。だから、光の感じた物を、光が培ったもので表現するのが光の音楽なのでしょう。それは明里も瀧野さんも光の憧れである山内さんも同じのはずです。

皆さんもありませんか?小学校で発表するために練習している曲をついついお風呂で歌ってしまった事はありませんか?ふと、口ずさんだ歌が昔練習した曲だったことは?それとも、鼻歌にのせたついつい歌詞をのせてしまう人もいるかもしれません。

皆さんの日常が皆さんの何気ない音楽を作っている。だから、光と明里の日常が彼女たちの音楽を作っていくのでしょう。そして、今の段階で描かれている二人の日常は若く、青く、悩んでいる。それでも、二人は確かな一歩を進み続けています。彼女たちは日常の中で音楽を奏で続けています。

だから、二人の奏でる音楽を読んでみたいと思います。よく言われることですが、音楽は言葉を超えるのかもしれません。でも、音楽の枠の中ではNOISEである物を伝えられるのは言葉なのです。

音楽では伝えきれないものを本格的な音楽知識で伝えてくれる言葉の連なり。そんな物語をぜひ、ご一読ください!!