第43話 牙をむく北嶺の姫
「ウェルスの先代聖所、アーシェ・ユスティニアさまですね。無事でよかった」
ガラハドは騎士の礼を取って恭しくアーシェに頭を下げた。
「ありがとう……ございます。なにか感謝の品をお渡ししたいところですが、いま手持ちがありません」
「いえ、礼物欲しさでお救いしたわけではありません。それより、どちらへお向かいで? お送りいたします」
誠実なガラハドの申し出に、しかしアーシェはかぶりを振る。アーシェは息子・新羅辰馬から距離をとるために逃亡中であり、わずかでも辰馬につながってしまう可能性があるかもしれないガラハドにわずかながらの警戒を見せる。
「どこへ向かうかは聞かないでください。いま人に知られたくありません」
「……そうですか。あなたがそういうからには深い理由があるのでしょう。承知しました」
「ありがとうございます」
「いえ。それでは彼らの後始末は私が任されましょう。聖女様はお先へ」
「ええ……殺さないでくださいね?」
「わかっています。私は殺戮を専らにするものではありません」
そう言葉を交わして、アーシェとガラハドは分かれた。
その約二日後、白雲蓮嶺を迂回してラース・イラとの国境付近、滅びたアールヴたちの聖森「アルフハイム」で、アーシェはようやく足を止める。23年前に穢れの魔神が巣食い、死の森となったはずの聖森は、いま清浄な光の森に戻っていた。アーシェが森の入り口に立つと、ピンクの長髪と尖った耳の少女がふわりと降り立った。
「ほへー、アーシェちゃんここ来たんだー」
ぽやーんという少女はフィーリア・牢城。牢城雫の母親であり、23年前、穢れの魔神に敗れて肺病を得た雪辱をつい先日に晴らしたアールヴの姫女王である。実年齢は42歳だが純血の妖精種だけあって見た目には若いというより幼い。娘である雫も実年齢より若いが、その雫よりも幼く見える。
「牢城さん……あなたの星辰魔法を頼らせてください……」
「星詠みならー、ルーチェちゃんのほーが得意じゃないかなー?」
「ルーチェには頼めません。辰馬を……殺すべきかどうかの相談など、あの子には絶対にできない」
「たぁくんを殺すってー?」
「いえ……予言で、辰馬が世界を壊すものであるのなら、わたしの手で殺すしか……」
「そんなばかなことがあるものかー、べしっ」
フィーリアの軽いパンチがアーシェの頬を叩く。痛みはゼロだが……、
「ママがー、自分の子供を殺すなんてー、絶対にゆるされませーん。アーシェちゃんは聖女でしょー、愛し合わないでどーするのー?」
「で、ですが……」
「たぁくんの魔王の血―? あれが世の中に悪いことすると思ってるー?」
「わかり……ません。辰馬を信じたいですが、予言は辰馬が世界を……」
「たぁくんが道を間違えそーになったら―、アーシェちゃんがひっぱたいて正しい道にもどしてあげればいいのー。ほかになにか問題ある―?」
「わたしが……正しい道に……?」
「そーいうことー。星辰魔法なんか使うまでもなく―、アーシェちゃんはたぁくんを殺したくなんかないんだもんねー」
「そ、そうです……殺したいはずがない……! わたしが、辰馬を導けるでしょうか?」
「できるできるー。アーシェちゃん有能だもんー♪」
「……はい、蒙が晴れました。牢城さん、ありがとうございます」
「いーってことよー♡ それじゃ、あたしも太宰に帰ろ―かなー」
アーシェが迷いを晴らしたころ、辰馬はギルドでクエストを受注していた。
「終北山に居ついたはぐれ魔物の退治、か。まあ今えり好みできるほど仕事ないしな」
「そっスね。ま、大して難しー仕事でもねー感じっスか」
「終北山ということは白雲連峰南岸でもかなり寒冷なところです。準備していきましょう」
「拙者寒いの苦手なんでゴザルよぉ~……」
「わ、わたしも、寒いの苦手です……」
出水に同調して言ったのは瑞穂。正式な蒼月館編入は2月期からだが、すでに学籍は蒼月館生。ならばいっしょにクエストを受けて問題なし、というわけだが、このヒノミヤの齋姫は暑さにも寒さにも弱い。宗教組織の象徴存在だった割に、心頭滅却とかそういう精神論には縁がないらしい。121センチ、圧巻の乳肉が、元気なくだるんと揺れた。
「まあ防寒具買っていこーや。おばさーん、防寒具!」
「だから、おばさんゆーな!」
少し強めに窘めながら、コートやカイロを持ってくるルーチェ。辰馬たちはコートに手を通し、着心地を確かめる。
「んじゃ、これとこれとこれかな……」
「はい。そんじゃ2000幣」
「けっこーするよな……ま、背に腹は代えられんか……」
「文さん? なにか御用ですかー?」
「ラケシス。今日はわたしたちを手伝ってもらえるかしら?」
学生会長・北嶺院文はとくに気負いなくラケシスに声をかける。しかし気負いがあるのはほかの学生会役員、林崎夕姫と塚原繭のふたりである。硬い表情は気の進まない仕事を如実に表していた。
「クエストですか? どこ?」
「終北山。違反男子の取り締まりよ」
「違反男子って、あんまり上から押さえつけるのどーかと思いますよ?」
「はわわわわわわわわーっ!? さ、寒いですー!」
瑞穂が頓狂な声を上げるのも無理はなく、7月だというのに終北山の気温は0度を切る。もともと寒冷地だが、いまの寒波はよそから流れてきたという怪物によるものだろう。その怪物がただ蛮勇を誇る魔獣とは違う証拠に、辰馬たちは堂々巡りの自然の迷宮をぐるぐる回らさせていた。
「ここ前も通ったよな。これ、天桜でつけた傷が残ってるし」
「どーどー巡りツラいつスね……」
「どうします? 道を閉ざされてる感じですが……」
「わ、わたしが炎であたり一帯を焼いて……」
「やめとけよー、瑞穂。水が一気に溶けたら洪水になりかねんからな」
辰馬は周囲を触ったり足踏みしたりぐるりと回ったりして、
「開かれよ」
短く、力の言葉。するとそれまで閉ざされていた空間が、ごごごと音を立てて開く。
「あとちょっと。進むぞ」
山頂付近には巨漢がいた。人間の身体に、竜の首の大男。北東の桃華帝国から流れてきたらしい、神仙系の妖怪である。妖怪というより下級の神というに近いか、風の翼をまとい、周囲に雹を帯びる姿は神威を感じさせる。
「計蒙か。自然神だな。サティアみたいに悪さしたわけでもねーし、話し合いで解決したいところだが……」
「悪さしてないって、この寒さを連れてきただけで悪神ですよー?」
「瑞穂、お前ね。じぶんが苦手ってだけで巫女さんが悪神とか断じちゃいんわ」
「ぁう、それはそうですが……」
「人間! また我の居場所を逐うか!」
「うーん……なんか人間を憎んでるっぽい……?」
「我がいったい人間になにをしたか! 人は勝手な都合で我を頼り、必要なくなれば我を石もて逐う!」
「辰馬サン、同情しすぎちゃダメっスよ? そら、あっちの理屈も理解できなくねースけど」
「人間にも人間の事情があるのでゴザるよ!」
「んー……けどなぁ……」
「迷うことはないわ。久那戸」
突然、背後から声。強大な斥力が走り抜け、計蒙を打ち倒す。
「ぁがぉっ!?」
「会長!?」
「ごきげんよう、新羅くん。そして、ここでさようなら。久那戸!」
再び、斥力場。辰馬は氷の結界を形成して自分と仲間たちをガードするが、不意打ちに間に合わなかった分右手に痛々しい傷を負う。
「がああぁ! 人間、理解あるふりで我を油断させて、仲間に攻撃させるか!?」
「仲間じゃねえ! 会長、いきなりなにすんだ!」
「……終わらせるときが来た、そういうことよ。夕姫! 塚原さん!」
「はい、おねーさま!」
「新羅センパイ、すみませんが……」
「お前ら……フィーまで……」
「ご、ごめん、たつまくん……」
みたび、文の斥力場。それをおいかけるように滑り込み、ダガーを振るう夕姫となぎなたを旋回させる繭。そしてラケシスは瑞穂を制圧し、辰馬たちから遠ざける。
「許さんぞ、人間んんんっ!」
「うるさいわよ。わたしの本命はあなたじゃない」
計蒙の攻撃をはじき、すかさずこんどは計蒙を弾き飛ばす文。疲労と寒さで弱体化している辰馬たちの動きは鈍く、夕姫のウルスラグナの「必殺」にシンタと出水が打ち倒され、繭のなぎなたが大輔を倒す。辰馬は文に詰め寄るも斥力場ではじかれ倒され、圧倒される。初撃で喰らった右手のダメージが大きい。
「く……」
「は、放してください! ご主人様あぁ!」
「姫さま、あなたがおとなしく同道くださるなら彼らにとどめは刺さない。ですが……」
「……わ、わたしがついていけば、ご主神様たちは助かるんですね……?」
文は言葉では応えず、首肯をもってした。
「……わかり、ました……」
「ぐ……、みず、ほ……」
「では、行きましょう。新羅くんを倒した威勢をかって、魔女を打ち倒す」
「たつまくんたち、このまま放っていくんですか? 魔物に襲われるかも……」
「そこまではわたしの知ったことではないわ。……運が良ければまた会いましょう、新羅くん」
黒き翼の大天使~くろてんリライト 遠蛮長恨歌 @enban
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