序章―第6話 不穏な予感
「それで、君はお母さんを探しているのかい?」
俺は改めて少女に向き直ると、もう一度優しく問いかける。
すると少女は若干戸惑う様子を見せつつも、勇気を出して俺の質問に答えてくれた。
「ぱ、パパが……どっかに行っちゃって」
「そうか、ママじゃなくてパパとはぐれちゃったんだね。パパがどこでいなくなったか、思い出せる?」
「……きれいな、ふんすいがあるところ」
綺麗な噴水がある場所か。
確かアークトゥスには3箇所ほど噴水が設置されていたはずだけど、彼女が言っているのは恐らくこの近くの中央広場にある『願いの噴水』のことだろう。
なにせ親とはぐれた少女が、独りで歩いて行ける距離にある噴水はそこだけだからな。
「噴水のあるところだね。分かった、お兄ちゃんが必ず君をパパのところへ連れて行ってあげるからな。だからもう、泣かないでな」
「……うん」
俺が少女の頭を優しく撫でてやると、少女の表情が徐々に和らいでいった。
ここまで来ればもう大丈夫だろう。後は街中をしらみつぶしにまわって少女のお父さんを探し出すだけだ。
「凄い……! ねぇ、カズヤ。どんな魔法を使ったの?」
「そんな言い方されると、俺が魔法で無理やり落ち着かせたみたいに聞こえるんだけど……」
「違うの?」
「違うわ! ただこの子の気持ちに寄り添って、安心させただけさ。この子からしてみれば、俺たちなんて怖いおじさんとおばさんでしかないからな」
「おばさんって――私まだそんな歳じゃないんですけど!」
「例えだ、例え。そこだけ真に受けなくていいからっ」
腰に手を当てて口を尖らせるクリッサをなだめつつ、俺は立ち上がって商店街を行き交う人々をじっくりと観察する。
いかにも迷子を探してます、という雰囲気を醸し出している男性は見当たらないな。
頭の回る親であれば、はぐれた場所である噴水の近くで探し回っているかもしれない。
「なあ、クリッサ。この近くにある噴水って『願いの噴水』だよな?」
「ええ、そうよ。他の噴水はここから遠そうだし、この子がはぐれた場所は多分そこね」
「よし、そうと決まれば噴水に行こうぜ。きっとこの子のお父さんも心配しているだろうしな」
そう意気込んで露店が立ち並ぶ通りの奥を一瞥した瞬間――あの鈍い衝撃が頭部を走り抜けた。
現実世界で気を失う直前に経験したあの頭痛、それが再び俺に襲いかかってきたのだ。
「アグゥッ!?」
苦悶の声を漏らした俺はその場にしゃがみ込むと歯を食いしばった。
目の前にいる少女やクリッサを心配させまいと咄嗟に判断したのか、俺は悲鳴を上げずその痛みを堪え続ける。
「ど、どうしたの、カズヤ!?」
隣でクリッサが俺の肩を揺さぶってきたが、彼女の問いに答えられるほどの余裕は俺にはなかった。
だが二回目だったこともあり、すぐさま意識を失わずには済みそうだった。
そんなこんなで激痛に抗っていると――どこかの怪電波を受信したかのごとく、凄まじい量の映像が脳内に流れ込んできたのだ。
本当の意味で頭がパンクするかと思った。その膨大な情報量を処理できるわけもなく、俺の頭の中は誰かが見た風景や記憶で支配されてしまう。
なんとか心を落ち着けようと深呼吸をし、俺は静かに目を閉じた。
その直後、まぶたの裏に今しがた流れ込んできた映像が、走馬灯のごとく映し出される。
誰の記憶かは分からないが、その鮮明な映像に映された風景には見覚えがある。
それも当然のはず、そこは先程クリッサと一緒に通り、これから少女を連れていこうとしている場所――『願いの噴水』だったのだ。
先程、俺とクリッサが立ち寄ったその噴水は、様々な種族の人々の心に等しく安らぎを与えてくれるような憩いの場所だった。
だが目の前に映し出されている噴水は異様な雰囲気を漂わせている。
そして、なぜか人気のないその場所には、二つの影が相対するように佇んでいたのだ。
一方の影が何者であるかはすぐにわかった。
白くて長い髪に特徴的な三角形の耳と、ふわふわとした白い尻尾――間違いなくクリッサだ。
だが普段の温厚な姿とは打って変わって、傷だらけになりながら殺意をむき出しにして剣を構えていた。
紅の双眸は対峙する者を静かに睨みつけており、狼の象徴とも言える鋭い犬歯をギラリと光らせている。
見るからに何者かに追い詰められている様子だ。しかし、それでもなお彼女は残された力を奮い立たせ、やっとの思いでその場に立っていた。
彼女の鋭い眼光の先、そこには言葉では形容しがたい漆黒の怪物が、瘴気を放ちながらジッとクリッサを見下ろしている。
見上げてるほど巨大な体躯は黒光りする皮膚に覆われており、背中からおびただしい数の触手を生やしていた。
そんな人間離れた胴体の上には犬のような顔が乗っかっており、瞳は赤く煌々と燃えているかのような輝きを放っている。
――俺はその怪物を見たことがなかった。
そいつは現実世界ではもちろん、AMOの中ですら遭遇したことのない怪物だったのだ。
約10年、AMOをやり込んだだけあってゲームに登場する魔物の名前や弱点属性、特徴など俺は全て暗記している。
しかし俺の頭にインプットされた魔物図鑑にあの怪物の姿はなかった。それだけじゃない、奴と類似した造形をしている魔物を俺は一体も知らないのだ。
じゃあ奴は一体何者なんだ……?
噴水の上に鎮座し、不気味なオーラを放っているその怪物に圧倒されていると……突如、クリッサが走り出す。
ブラックウルフたちを葬ったときと同じように、彼女は疾風のごとく怪物に詰め寄ったのだった。
彼女の握りしめる片手剣は蒼い輝きを放つと共に大気を凍てつかせる。
そしてクリッサの渾身の一撃が蒼白い閃光となり、怪物を貫こうとした刹那――
――赤い血しぶきが舞った。
その血は明らかに怪物のものではなかった。
みると怪物の背中から生えた触手の一本がまるで槍のように尖り、クリッサの腹を貫いていたのだった。
怪物は煩わしそうにその触手で彼女を玩具のように振り回すと、地面に叩きつける。
グシャッという音が鳴り、地面にドロリとしたものがゆっくりと広がっていく。
いつしか広場の石畳はドス黒い赤色に染め上げられていたのだった。
クリッサを軽く始末したその怪物はニヤリと歪んだ笑いを漏らすと、今度はこちらに目を合わせてきたのだった。
新たなる獲物に狙いを定めた奴は、ノソリと紅に汚れた噴水から降りると血の池を横切って、こちらへと迫ってくる。
なんだよ、これ……。
なにが起きているんだよ一体……!?
流石に現実じゃないよな? 夢だって言ってくれよ、なぁ!?
「……ズヤ! ねぇ、カズヤってば!」
クリッサの甲高い声によって俺は現実へと引き戻される。
どうやら今まで俺が見ていたものは本当に幻覚だったようだ。
安堵のため息をつくと同時に全身から冷や汗が吹き出すのを感じた。
「あ……ああ、ちょっと頭痛がしてな。すまない、心配かけた」
「き、気がついたのね! はぁ……急にうずくまって苦しみ始めるものだから、精神に異常をきたしたのかと思ったわ」
「はは……わるいわるい」
俺はクリッサに謝ると、目の前で心配そうに俺を見つめている少女の頭を撫でて「もう大丈夫だよ」と優しく呟いた。
今のは……一体何だったのだろうか?
頭が割れそうになるほど酷い頭痛が起きて、その直後に頭の中に摩訶不思議な記憶が流れ込んできて、幻覚を見させられた。
そしてその記憶はクリッサが謎の怪物と戦って無惨に殺されるというなんとも胸糞悪い記憶だった。
誰かが俺へ精神攻撃を仕掛けてきたと考えるべきだろうか?
しかし幻覚にしては随分と現実味を帯びていたし、誰かが人工的に創り出した幻とは考えにくい。
そもそもAMOの世界に精神攻撃を仕掛ける魔法なんて全くと言っても良いほどなかったはずだ。
そう考えると、あの幻覚は誰かの記憶の断片だったということに成りかねない。
けれどあの幻覚で殺されていたはずのクリッサはまだ生きている、そこから考えられるのは……まさか。
「未来予知、じゃねぇよな?」
誰に向けられたものでもない俺の小さな独り言は、瞬く間に人々の喧騒にかき消されてしまった。
DELETE THE WORLD ~全ステータスをカンストさせた俺、ゲームの世界に転移したので最高の仲間たちと無双する~ 井浦 光斗 @iura_kouto
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