序章―第5話 お人好し騎士
それから、俺とクリッサは街の人々に俺のことを知っているかどうか聞きつつも、アークトゥスの色々な場所を巡った。
聞き込みの結果は――初めから分かっていたが俺について知る者は誰一人としていなかった。むしろいた方が怖いってもんだ。
しかし、その代わりと言ってはなんだが妙な噂を何度か耳にしたのだった。
特に印象に残っていたのは、大通りを歩いてたガタイの良い冒険者のおっさんとの話だ。
「……悪いがあんちゃんのことは知らねぇな。服装からして見たことねぇ」
「そうですか……ご協力ありがとうございます」
「力になれなくてすまないな、姉ちゃん。ただまぁ、最近になって本当に増えたよなぁ」
「増えたというのは、俺みたいな記憶喪失の人のことですか?」
「ああそうだ。あんちゃんみたいに独りだけの被害ならまだしも、集団記憶喪失なんていう甚大な被害も出てるって話だ」
そのおっさん曰く、世間を騒がせる感染症のように記憶を失う者があちらこちらで出てきているらしい。
道理でクリッサも俺が記憶喪失であるという嘘をすんなりと受け入れたわけだ。
「そんなことが、あったんですね」
「おうよ。誰かが記憶を消してるんじゃないかなんていう噂までされているくらいだ」
「……仮にそうだとしたら、騎士として放っておけませんね」
その時のクリッサの表情は、まるで般若の面をつけているかのごとく険しいものだった。
それが平和を脅かす悪を滅しようとする正義感ゆえのものか、あるいは別の事情からなのかは……俺にはわからなかった。
まあ、聞き込みによって得られた情報はそれくらいだ。
気味が悪い噂ではあるが……俺の異世界転移と関連付けるには流石に無理があるな。
ただクリッサが街の隅から隅まで案内してくれたおかげでとある仮説を立てられたのだ。
それはこのAMOと酷似した世界における時間軸についての仮説だ。
デートではしゃぐ彼女のごとく、クリッサに無理やり連れ回されたおかげでアークトゥスの施設はほぼ全て巡った。
そこで分かったが……本来ならアークトゥスにあるべき重要な施設が、幾つかなくなっているという事実だ。それらの施設をクリッサが紹介し忘れるとも思えないし、アークトゥスの地図らしき紙切れにも載っていなかったのだ。
ちなみにその施設というのは武器に紋章を刻んで強化する紋章屋や、魔物の技を回数制限ありで使えるようにする魔物屋などだ。
そしてこれらは全て、『星界の塔』が攻略された直後、星界転移と共に追加される要素である。
さらに、街の人の話を聞いている限りだと星界転移はまだ都市伝説の一種として扱われいる。
これらの情報から分かるのは……この世界ではまだ『星界の塔』が攻略されていないってことだ。
ぶっちゃけAMOのストーリーは星界転移が開放されてからが本番。
過激な奴らからは、星界転移が開放されるまでがチュートリアルと言われていたほどだ。
要するにこの世界におけるストーリーの進行度は……まだ序盤なのだ。
なお、星界転移がアップデートで追加されたのはAMO1周年記念のイベントが開かれた直後。
ここから俺は、この世界はサービス開始から約1年が経過した頃のAMOの世界なのではないかと仮説を立てたのだ。
これだけだと、根拠に乏しいかもしれないが……この仮説を裏付ける状況証拠がもうひとつある。
それが、クリッサの戦闘スタイルだ。
仮にクリッサの能力がサービス終了時のAMOのデータを引き継いでいたとしたら、クリッサも俺と同じく全ての職業をカンストさせたとんでもなく強いキャラクターに仕上がっているはず。
だが……あのブラックウルフとの戦闘を思い返してみると、正直違和感しかなかった。
違和感を覚えた理由は2つある。
ひとつは、俺の最終的な戦闘スタイルは魔法剣士型ではないこと。
そしてもうひとつは、使用していたアーツスキルも基本職で得られるもののみだったこと。
ブラックウルフごとくに本気を出すまでもない、とクリッサが思っていたのなら話は別だが……あの場面で手を抜くとは思えない。
それに8年以上も前のことだから、記憶が曖昧だけど……俺が初めて就いた上級職は魔法剣士だったはずだ。
それで、その魔法剣士を極め終わったのと同じタイミングに星界転移が開放された。
もし仮説が正しいのなら、あのクリッサの戦闘スタイルについても説明がつくんだが……一応本人にも聞いてみるか。
「なあ、クリッサ」
「ん、なあに?」
「気になったんだけど、クリッサは魔法の使い手なのか? それとも、剣の使い手なのか?」
「うーん、どっちもっていうのが正しいわね。私は剣術と魔法、両方をそれなりに扱える職業についているから」
「魔法剣士、っていう奴か?」
「そうそう! 魔法を操って戦う騎士――なんかちょっとカッコいいと思わない?」
「あ……ああ。そうだな」
やはり、クリッサの現在の職業は魔法剣士だったか。
そうなると俺の仮説が大分信憑性を帯びてくるな、現にこの仮説通りであれば矛盾はしないわけだし。
「……やっぱり気にしてる? その、あなたの記憶の手がかりが得られなかったこと」
俺が額にシワを寄せて考え込んでいたのが気になったのか、クリッサは若干心配そうに声をかけてくる。
「いや、気にしてないよ。そもそもどうやら俺はこの辺りに住んでいる人じゃないらしいしな」
「ごめんね、あなたの役に立てなくて」
「い、いやいやいや。十分役に立ってるって! 君がこの街を案内してくれたおかげで、暫くはここで暮らせそうだし」
「もしかして……冒険者になるの?」
「ああ、冒険者ギルドで依頼をこなして、お金を稼ぎながら情報を集めるとするよ」
……というか無一文の俺が食いつなぐ方法なんてこれくらいしかなさそうだしな。
生産職の力を使おうにも元手や素材は必要だし、身元不明の男を引き取ってくれる商団や兵団もそうそうないだろう。
「そうだ! もしあなたさえ良ければ、なんだけど……」
「俺さえ良ければ?」
そう俺が聞き返したその時だった。
俺たちの話を遮るように幼い少女の泣き声がどこからか聞こえてきたのだ。
そしてその直後、クリッサはピクリと身体を震わせると真剣な表情で辺りを見回し始める。
彼女がなにをしようとしているのか、直感で理解できた。
そりゃそうだ。
森で倒れている見ず知らずの記憶喪失の男を助け、街まで送り届けた上で、街の隅々まで案内してくれるような、それはそれはどうしようもなくお人好しな騎士さんが……見て見ぬふりをするわけがないよな。
「ごめんね、カズヤ。ちょっとここで待っててくれる?」
そう言うと、クリッサは通りの端にうずくまって泣きじゃくっている少女の元へと向かった。
それも俺に協力を強要するわけでもなく、独りで解決しようと向かっていったのだ。
――その優しさ、ちょいとばかし行き過ぎてないか?
誰かの役に立とうとする彼女の行いは美徳だし称賛に値するけど、その分なにかを犠牲にしているようにも思える。
「……んなことされたら、俺も放っておけなくなるだろうが」
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
中腰でクリッサが「大丈夫?」「どうしたの?」と柔らかな声で尋ねるも少女の泣き声は、収まるどころか余計大きくなっている気がする。
幼子にとってみれば大人の赤の他人など恐怖の対象でしかない。それでも彼女は少女を助けようと賢明にコミュニケーションを取ろうとしている。
――そんなお人好しな姿見せられたら、俺だって助けたくなってしまうだろうがよ。
「君、どうした? お母さんとはぐれちゃったのか?」
俺は少女と目線の高さを合わせるくらいまで腰を折って屈むと、少女でも分かるくらいゆっくりと優しく声をかける。
すると今まで怯え泣きわめいていた少女の声はピタリと止まり、涙で濡れた小さく愛嬌のある顔を上げてくれた。
「……カズヤ?」
「迷子になった少女を助けたいんだろ? 俺も協力するよ」
「ほ、本当にいいの? その迷惑にならない?」
「迷惑なわけないだろ。それに俺にできるお礼なんて限られているしさ」
驚いて目を丸くしている彼女の姿を見上げながら、俺は歯を見せて笑った。
そして俺の気持ちが伝わってくれたのか、彼女も少しはにかんだ笑顔を浮かべると――
「ふふ……ありがとう、助かるわ」
そう言ったのだった。
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