アンフィスバエナの竜葬

偽教授

本文

 その竜は常に餓えていた。


 伝承を信じるならば、野生の竜がこの世界から滅び去ったのは七百年も昔のことであるという。人の支配下にある竜族もその後の七百年のうちに次々と姿を消し、そしておそらくは最後の一頭と言われる個体が、帝の住まう御所の地下深くに封ぜられていた。その者の名を、龍姫りゅうきアンフィスバエナと云う。


 七百と余年の昔、アンフィスバエナは人界に君臨し、贄として捧げられる人間を喰らい、日々を狂乱のうちに過ごす暴君であったと伝わる。ただ、今の彼女は、厳重な拘束のもとに人化の術を自ら解くことを封ぜられ、その上で厳重に鎖で拘束され、完全に抵抗の手段を奪われた無力な存在であった。


 ある日、帝の妃のひとりが若くして死んだ。彼女は自身の身の上としては皇統に連なる身ではなかったが、太子の母であったので、竜葬の誉れを受けることを認められた。アンフィスバエナにとっては、先の帝の崩御以来、十五年ぶりの食事であった。


 竜葬はある種の宗教儀式であるが、また今日こんにちにおいては秘事であるから、人々が歓呼のもとでそれを観覧するなどということは行われない。儀式に関与する上下の宦官たちを除外すれば、葬儀に参列を許されたのは帝のほか妃の唯一の係累となる太子のみであった。


「なぜ、あの子は裸なの?」


 と、幼い太子は宦官に問うた。その者は童女の姿をしていた。


「あの子、ではありません。あれが龍姫です。あの者にとってあの姿は仮初かりそめのものであります故、当人も特にあの状態を異とはしませぬ」

「でも、なんかかわいそうじゃない?」


 このとき初めてアンフィスバエナは自らの口を開いた。


「余を憐れむでないぞ、わっぱの風情が。じゃが少しでも同情するつもりがあるのならば服なんぞは要らぬから、ひとを寄越せ。もう七百年、生きた人間を喰ろうておらぬからのう。くっく」

「うーん。ぼくはそのうち皇帝になるから、そうしたら、死刑囚なんかでよければ、ここに寄越してあげようか」

「ならぬ」


 帝が口を開き、息子を諫めた。


「なぜならぬの?」


 宦官が説明した。


「生きたまま竜に喰われた人間は、死後、天界においてもっとも高い位の地位を得るとされているからです。死後に竜にその身を与えた人間は、その次の位階に位置づけられます。従って死刑囚などにそのような栄誉を与えることは、決して許されることではありません」

「そうなの? 龍姫さん」

「余に訊くではない。死後に人や竜がどこに行くかなんてことは、千年生きている余にだって本当のところ分かりはせぬ。……まあそんなことはよい。やっと、久方ぶりの竜葬だな。待ち焦がれたぞ」

「そうだ。帝の名をもって、命ずる。わが妃の御魂を天界へと送るがよい」

「言われずとも」


 そう言うや否や、その裸の童女の姿が大きく崩れ、そこに一頭の、しかし鎖で拘束された状態であることには変わりがない巨大な竜の姿が現れた。


「グアアアアアァァァァッ!」

「うわあ。すごいや。これが竜か。この姿では喋れないの?」

「そうです。殿下、それ以上手すりから身を乗り出しになられませぬように。拘束されているとはいえ、なお危険な存在であることに変わりはありませんので」


 太子の母の亡骸が収められた棺が、上から竜の口めがけて投げ込まれた。真の姿を見せたアンフィスバエナは、わずかに口を動かし、それを咀嚼する。


「すごいや。これが竜葬かぁ」

「そうです。人の魂はみな竜から生まれたものですが、最高位の貴人のみが、こうして竜のもとに魂を還すことを許されているのです」

「ぼくも、死んだらこうなるの?」

「それはどうじゃろうな……」


 いつの間にか童女の姿に戻っていたアンフィスバエナが呟いた。なお、どういう細工になっているものか、巨大な竜から小さな人の姿に戻っても、その拘束の鎖はそのままになっていた。


「余にも寿命というものがある。余の父も、母も、祖父や祖母たちも、千年は生きなかったと聞く。童、そなたが年老いて死ぬ頃に、果たして余がまだこうして生きているかどうかは、保証の限りではないな」

「そうかぁ」


 しかし、それから一年ののちのことであった。都を流行病が襲い、そして太子がそれを得た。成人であればまだしも、この年でこの病を得て、助かったという例を知る医師は居なかった。典医たちもみな首を横に振った。


「父上……お願いがあるのですが」

「なんだ、我が子よ」


 太子は帝に望みを告げた。


「ぼくの息が絶える前に、ぼくを竜葬にしてください」

「……よかろう。左右のもの、聞いたな。そのようにはからえ」


 太子は既に自力で立ち上がることもできない有様であったので、帝が自らの手でかれを抱き上げ、アンフィスバエナのもとへと運んだ。


「また……竜葬か……」

「……どうした? 元気がないな」


 世話係の宦官が述べた。


「この数ヶ月で、急にめっきりと弱ってしまいました。おそらく、もう長くはないのではないかと思われます」

「ふむ……」


 皇太子もまた弱々しい声で、こう言った。


「龍姫さん。ぼくを食べて、少しでも元気になって」

「そうだな……」


 しかし、太子が口の中にその身を横たえても、アンフィスバエナはいっこうに咀嚼をしようとしなかった。


「おい、これはまさか」


 帝の疑った通りであった。アンフィスバエナは死んでいた。そして太子も、アンフィスバエナの口の中で息絶えていた。


 その後。アンフィスバエナと太子の亡骸は、海に流された。アンフィスバエナの巨体を海辺まで運ぶのは大変な事業であったが、それについて詳細は述べない。が、いずれにせよ、この地でいまも水葬のことをまた竜葬とも呼ぶのは、この故事に由来するものであると謂われている。

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