第2話「俺、失業」

 その朝、俺は寝坊した。

スマホの着信ランプが点滅しているのをチラッと見ただけで、そのままバッグに入れる。

 隣の部屋で寝ている母を起こさないようそっとベランダに出て、干してある作業服に触ると濡れている。

小さく舌打ちした俺の様子に気づいたのか、

「ごめーん、さっき洗濯したばかりだから」と寝たまま呟く母・あおい。


「もういいよ」と言い放ち、後手でドアをバタン!と乱暴に閉めて家を出た。


 母のあおいは、10代の頃は「日向葵(ヒマワリ)」の芸名でアイドル活動をしていたそうだ。

そこそこ人気があったが、20歳過ぎてからは演歌歌手に転身、その後はバンドのボーカルとして赤坂のクラブで歌手をしていた。


 俺が知っているバンドのメンバーはトミー(ベース)、辰ジィ(ドラムス)、ヒマ(母・ボーカル)の3人だけで、あとは知らない。

バンドのテーマソングは『コモエスタ赤坂』、小さい頃から子守歌代わりによく聞かされた楽曲だ。


 父親不明のまま、母の妊娠をきっかけにバンドは解散。

今は新橋で実家の酒屋を継いだトミーと修行して稼業のすし屋を継いだ辰ジィの助けを借りて、スナック『ひまわり』をオープンした訳だ。


 店内はカウンターとテーブル席が3卓の小さな店だが、壁にはオープン時の写真が大きく飾られている。

中央で大泣きする生後3ヶ月の俺(修)をおどけた様子であやすトミーと辰ジィ。

カウンター越しに母とホステスたちが笑い、背を向けてカウンターに座る客が一人とテーブルに数人の客がピースをし、手前には『祝!開店』の花が仰々しく並べられている。


そんな母の知り合いから紹介されたオートバイの修理工場に、かれこれ1年近く通っている。


「おはようございます」と元気に入っていくと、社長は怪訝そうな顔で

「あれ、聞いてないの?」と言う。


社長の話では高齢化と不況のあおりを受け、廃業を決め、今請け負っている仕事を最後に店をたたむことになった。

朝方の携帯受信は紹介元の社長からだった。


「そうですか。お世話になりました。」

頭を下げてショップから出ようとすると、熊田という年配の修理工が左足を引きずりながらやって来た。

彼は改造車を専門に修理する職人で面倒見がよく、何かと可愛がってもらっていた。


やんちゃな時代、「愚離図離(グリズリー)」という暴走族の頭を張っていた。

(自称)群馬最速と謳われた伝説のバイク乗りの熊田からは、よく武勇伝を聞かされたものだ。

中でも峠で熊と鉢合わせした彼は、

「背中の傷は男の恥!」

とばかりに正面からクマに勝負を挑み、そのまま崖からダイブ!

その夜は「ゴットファーザーのテーマ(かつて流行った音楽を奏でるホーン)」が山中にコダマしたというエピソードは何度も聞かされた。

その時に痛めた左足を「男の勲章」だと自慢げに話す熊田もまた、昭和生まれだ。


「ここ(バイクショップ)閉めたら、近くの大学のボート部の顧問をするらしい。オレはメンテナンスを頼まれてる。おまえもどうだ?」

と言うと熊田は缶コーヒーを投げてよこした。


フリーターというと聞こえはいいが、定職につかずバイトを繰り返しながら生きてきた俺にとって、仕事をクビになることなどは何とも思わない。

これまでもそうだったし、これからもそうなるだろう。


に経験したのは大型家電の配達や工事現場の補助、”バイト君”と呼ばれるステージ設営など短期間の仕事が多かった。


バイクショップでの仕事は楽しかった。

何よりわずらわしい人間関係が少なく、かっこつけなくて済む!

もう少しここで働きたい!と思ったのは初めてで、なんとなく名残惜しい。


やることが無くなった俺は公園のベンチに腰を降ろし、ついさっき熊田にもらった缶コーヒーを飲みながら、ブランコで遊ぶ親子連れをぼんやり眺めていた。


気がつくとなにやら辺りが騒がしく、パトカーの行き交うサイレンの音で我に返る。


すると向こうからこっちに向かって歩いてくる一人の男が。

派手なサングラスをかけ、シャツの第2ボタンまで開け、素足に革靴というスタイルで、生乾きの作業服の自分とは別世界の人間だ。

腕に煌めくロレックスが、ひと際存在感を示す。


目を合わせないように下を向いていると、男は俺の前で立ち止まった!


「君、自給いくら?」


見上げると褐色の顔から白い歯を見せ、ニヤつきながら、男は言った。






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