僕と私と俺と、それから君の

 やあ、君!…君だよ君!そう!この文章を読んでいるそこの君だよ!ここまで読んでくれて、どうもありがとう!


 …?「飛ばし飛ばしで読んだ」?「この話を最初に見てて、まだ他は見てない」?…そんな声もちらほら聞こえるね。


 いいのいいの!順番は関係ないさ。僕らがここで出会えたことこそが、何よりの幸せなんだ!


 え?「『僕ら』とは誰か」って?ごめんごめん、自己紹介が遅れたね。僕らは『文字』。文字という概念そのものさ。


 さて、君はきっとここに来るまでに、沢山の僕らを見てきたと思う。それは小説と括りだけじゃなくて、人生の全てにおいての話として。


 街の看板、SNS、そして仕事の資料や本──。不定形な僕らは、度々君の前に現れるよね。


 気軽な挨拶だったり、攻撃的な批判、形式的な文。書き手の意思によってどんな形にもなる僕らだけど、「僕」「私」「俺」…なんて、たったの一人称が変化するだけでも、僕らの姿は極端に変化する。


 試しに、今から一人称を変えてみよう。「私ら」になったら?何だか女性的な雰囲気出てくるよね。これで語尾をちょこっと変えれば…ほら!もう私らは、立派な女性に見えるんじゃないかしら?


 「俺ら」に変えれば、若々しくも荒々しいイメージを与える事だってできるね。俺ら、かっこいいかい?…なんてね。


 僕らを産み落とす書き手はこんな感じで、君に想像して欲しい形を作る。けど、僕らは自分から動くことはない。重要なのは──そう、君だ。読者の君が必要なんだ!


 読者がいなければ、どんな物語も始まらない。表現というレコード盤の上にいる僕らを動かすには、レコードの針を落とせる君に頼るしかないんだ。君がいて、僕らは初めて意味を持つ。それが喜劇だろうと悲劇だろうと、君が読んでくれれば、僕らは精一杯躍動できる!




 ──だから、この短編集のタイトルは『僕と私と俺と、それから君の短編集』なんだ。




 と言っても、何もそれはこの作品だけってわけじゃないけどね。どの作品の僕らも、君との出会いを今か今かと待ちわびているはずさ。


 あぁ、そうだ。もし君の部屋の本棚に、しばらく開いてない本があったとしたら、たまには読んであげて。きっと僕らの仲間が大喜びして踊り出すはずだからさ!


 …それじゃ、最後にもう一度言うよ。ここまで読んでくれてありがとう。僕らに出会ってくれて、見つけてくれて、本当にありがとう!


 さようならは言わないよ。また君が読めば、僕らは何度でも動き出すから。


 だから、君に送る別れの挨拶はこれさ。




 「じゃあ、またね!」

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僕と私と俺と、それから君の短編集 遠藤世作 @yuttari-nottari-mattari

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