最終話
今日は朝から鍋野菜の仕込みが忙しい。それに、ここ最近流行している流行風邪のせいで、お持ち帰りの予約も多い。
この時期になると、あの事件を思い出さずにはいられない。二年前に起きた、あの事件。うちの飼い猫のキナコが変な手紙をつけて帰ってきた、あの事件は、四人の少女が殺害されて、二人の兄妹が救出された。犯人の一人は未成年。もう一人の女性は年齢不詳で、戸籍もなかったらしい。
未成年だった少年は、ネットで知り合ったその怪しげな女性とともに猟奇的な殺人を犯してしまったけれど、少年法に守られて本名や顔写真が報道されることはなかった。一般的には、だけれども。ネットの世界では実名も、顔写真も出回っていて、きっとこの先もネットの世界で残り続けることだろう。皮肉なことに少年は、インターネット業界で成功して大金を手にした家の息子だったそうだ。
当時のテレビでは連日、「心の貧困」という言葉を使い、子供たちにとって「心の豊かさ」とは何かを専門家が討論していた。お金のある豊かさよりも、心の豊かさを持って生きていきたい。私はずっとそう思っている。
ネット世界に刻まれた「デジタルタトゥー」は消えることはなく、被害者であった少女や、救出された二人の兄妹のことも、そしてその家庭事情も、探し出そうとすれば容易に情報は手に入る。それでも、前を向き懸命に生きている兄妹を私は知っている。
「幸子さん、これ、一階の個室でいいですか?」
「うん、ありがとう智美ちゃん。あと二階の三番テーブルもお願いね」
今日は土曜日。これから弘樹君と、その妹の五稀ちゃんが、家族四人で「海鮮ゆきちゃん」にやってくる。弘樹君の目は片方だけ見えなくなってしまったけれど、ようやく普通に大学へ復帰できるそうだ。年明けからはこの「海鮮ゆきちゃん」で一緒に働くことになっている。
雪さんは相変わらず雪さんで、智美ちゃんも後藤さんも相変わらずそのままで。私もおんなじようなものだけれど、ここは安心できる私のもうひとつの「居場所」だと思っている。
誰でも安心できる居場所を求めている気がする。それは家庭だったり、恋人だったり、友人だったりするのかもしれないけれど、形はそれぞれ違っていいはずだ。自分に興味を持ってくれる人がいて、自分を愛してくれる人がいて、自分が大切に思える人がいれば、そこはもうその人の帰る場所。
うちの猫たちは今日も外へ出かけていくけれど、それでも安心できる我が家にまた戻ってくる。子供も同じで、成長とともに行動範囲は広くなるけれど、それでもまた我が家に戻ってくる。そこが居場所、自分の家族の家だからだ。
でも、帰りたい場所がない人たちは一体どこへいくのだろう。範囲の境目がないネットの世界で彷徨いながら、誰かのところへいくのだろうか。心の声を呟いて、それをネットの世界に流し、あてのない手紙を出し続けるのだろうか。
そうであるならば、猫に手紙をつけるくらいの距離感で、私は生きていきたいと思っている。
―― 了 ――
伝書猫 和響 @kazuchiai
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