多様なうどん屋
結騎 了
#365日ショートショート 091
「大将、おれは肉うどんが好きなんだが、それはここでは食えんのかね」
老舗のうどん屋にて、常連客のひとりがそう尋ねた。とん、とん、とん。店内には麺切り包丁の軽快なリズムが響いている。うどんを打ってこの道三十年の大将は、手を止めずに笑って答えた。
「はははっ、すまないね。うちは素うどん一筋でやってるんでさあ」
しかし、常連客はやんわりと食い下がる。
「でもなあ。肉うどんを食おうと思ったら、隣町のうどん屋まで行かにゃならんだろ。この歳になってそれは億劫なんだよ」
「えっと、それなら……」間髪入れず口を挟んだのは、カンターの反対側、近所に住む女子大生だった。週に三日の頻度でこの店に通っている、彼女も常連客もひとりである。
「私はかき揚げうどんが食べたいな。こんなに安くて美味しいうどん屋さん、他にないんだもの。かき揚げうどんはこの辺りじゃ駅前のお店しかやってないから、ここで食べられたら便利なのよ」
「うむむ……」
思わぬ追撃に、大将は手を止めて首をかしげる。さて、どうしたものか。
「頼むよ大将、素うどんが食べたい客は、そのまま素うどんを食べればいい話じゃないか。こういうのはな、選べることが嬉しいんだよ」
「常連の皆様のリクエストなら、応えてあげていいんじゃないのかい」
その晩、悩む大将の背中に、長年連れ添った女房の声が届いた。そうだ、俺はこの街と一緒に生きてきたんだ。その人々のたっての願いなら、叶えてあげるのが男ってものだ。
翌日、大将は知り合いの業者を呼びつけ、ガスコンロの増設とフライヤーの設置を依頼した。肉うどんの肉を煮込むには、コンロが足りない。かき揚げを揚げるには、フライヤーが必要。思ったより高い見積もりに目が点になったが、これも全ては客のため。素うどんの価格を少し上げれば、この金額も一年ほどで回収できるだろう。なあに、それで彼らが満足してくれるなら、安いものよ。
「うわあ、大将、こりゃ旨い肉うどんだ。本当にありがとう」
「う~ん、美味しいわ。絶品のかき揚げうどんね」
常連客の評判は上々だった。大将は仕込みの量が増え、調理場に立つ時間が日に二時間増えたが、そんな苦労もなんのその。客の笑顔が何より嬉しいのだ。
半年後。素うどんの値上げの影響か、客足が低下。おまけに大将は無理がたたって過労で入院した。それから、暖簾が再び掲げられることはなかった。
多様なうどん屋 結騎 了 @slinky_dog_s11
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