口災

つくお

口災

 急死したはずの職場の同僚、朔馬を偶然街中で見かけた。目が合うと彼は少し気まずそうに笑った。足は二本ともついていた。説明を請うと、二人きりで話せる場所へ連れていかれた。

 海の見える公園だった。風が強く、視界を遮るものは一切なかった。はやる気持ちを抑えられずに朔馬を質問責めにした。彼はくも膜下出血で帰らぬ人となったはずだった。家族葬のため仕事仲間で参列したものはいないが、葬式もあったはずだ。

 朔馬はどう切り出すかためらったのち、結論から話しはじめた。

「俺はもう朔馬じゃない。違う人間になったんだ」

 彼が言うには、ある組織に新しい身分を用意してもらい、そのために死を偽装する必要があったという。現在の名前は本田という変哲もないもので、生育歴、学歴、居住歴、職歴、さらには異性遍歴まで含めて、何もかも別人になったのだ。

 そう説明されてもなお、どういうことかわからなかった。一体なぜ、死を偽ってまでそんなことをする必要があるのだろう。

「分からないのか?」朔馬もとい本田が言った。

 原因は先月に彼が取引先との打ち合わせで発した一言にあった。向こうの担当者である女性主任の髪型に対するコメントが、侮蔑的あるいは差別的に受け取られたのだ(「ボリス・ジョンソンっぽいね」)。彼としてはコミュニケーションの一環のつもりだったが、相手は嫌悪感を剥き出しにしてSNSで差別被害を訴え、それが共感や賛同とともに少なからず拡散した。

 その話は聞いていたが、確かに失言だとは思うものの、彼を知る者としては悪気はないことは分かったし(かくいう私も「ゲバラのTシャツが死ぬほど似合わない男」などとよく言われていた)、ことさら咎めることもないと考えていた。

 だが、甘かったようだ。要は相手の受け止め方である。彼が差別発言をしたということは、そういうことを言われたという相手の存在によって事実となり、消し去ることが不可能となった。それどころか、キャリアにとって致命的な傷になったのだ。その一件以降、彼は営業職から外され、昇進の可能性もなくなったと上司にほのめかされたという。

 朔馬もとい本田は、新しい身分を手に入れて傷のついていない経歴で一からやり直しを図ったわけだった。いずれにしろ、彼はタイル業界で満足できる男ではなかった(「タイルには一つも面白いところがない」が彼の口癖だ)。

 以前の自分とあまりに乖離した身分や経歴は手に入れられないが、それでも現在の暮らしと仕事に満足しているという。通販業界は彼の肌に合うようだ。少しは発言にも気を付けるようになったらしい(だが、それでは彼の魅力は半減ではないだろうか)。

 彼に新しい身分を提供したという組織は正体不明だったが、驚いたことに転職サイトに広告が出ていた。新しいサービスだが日増しに需要は増えており、手数料は依頼時点での年収の半分と高いが口コミによればそれだけの価値はあるという。創業から三年足らずで、利用実績は五千人にものぼるということだった。

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口災 つくお @tsukuo

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