distant thunder

@HURuM

第1話

人生何があるかわからない、とはまさにこの事だろう、と思った。


希望していた大学に見事合格したからと親元を離れた先で、共通の趣味を待つ彼に会ったのが丁度4月。同じ講義の合間や学食の時間に、和やかに談笑の花を咲かせる様になったのが5月。

こんなに息の合う男性は初めてだった――高校時代はそれこそあまり目立たなかったけれど、何故か大して話したこともない人に声を掛けられることは多々あった。

だけれどそもそもその手の会話が苦手だった自分は逃げるようにして県外の大学を目指して勉強に没頭していた――趣味の合う優しい彼なら、と考えたこともあった。

だからかもしれない。

彼の「女手一つで育ててくれたお母さんが倒れて入院してしまったけれどお金がないから貸してくれ」という言葉に二つ返事で借金の保証人になってしまったのは。

________私は、恋に疎い盲目的な女だったのだ。


兎角、そういう訳で保証人になったが故にいかめしい屈強な男達に捕まり、気が付けばそこは異国の地だった。

しかし脳裏に浮かぶのは、交通手段はどうしたのだとか大学を無断欠席してしまっただとか、そういう何処か他人事みたいなものばかりが脳内に反芻して只々呆然としていた。

屈強な男達――此処では男Aとしよう――男Aは英語にしてはスラングばかりで聞き取りにくい言葉でもって煤けた金髪の、鼻筋だけは整った外国人と話している。と思ったら此方を向き、「目が覚めたのか」と言葉を投げかけてくる。警戒する様にだんまりを決め込むもそれは想定内だったのか「お袋さんには『暫く大学が忙しくて帰れない』と言ってある。騙されてこれは可哀想だがな、お前はお前の家族や友人と、二度と会えない。」などと、淡々と事務的に述べる。

あれ、もしかしてこの人優しいのかな、なんて考えるも次の瞬間にそれは打ち壊される事となる。男Aの口から辛うじて聞き取れた自分の名前とその値段。

どうやら私はこの外国人に売られるらしい。そしてきっとこの男Aは借金取りと繋がっている、所謂人身売買を生業とする人なのだ。

私は、騙されたのだ。

恋の愚かさをそこで漸く理解したのだ。

この男の言った“可哀想”には、二度と故郷には帰れない可哀想と男に騙されて可哀想という意味だと。初めて好きになった相手に騙された女ほど哀れなものはないのだろう。

ふつふつと煮えたぎる腹とは別にどこか思考は冷静だった。どうして、だとか帰りたいだとか思わないわけではないけれど、どうやって生き延びられるかどうかを考えている自分は案外、図太い人間なのかもしれない、なんて。

少しして男Aから外国人に身柄を引き渡され、抵抗されると思って再び目隠しをされたものの、「抵抗はしない」と言葉を紡ぐ私にはっはと笑う外国人。

「意外と肝が据わってるね、ねぇちゃん。普通、ギャアギャアピーピーと泣き喚くもんだ。…ああそれと、オレは日本語を喋れるから日本語で構わないぞ。これから長い旅だ、気楽にしてくれていいぜ。」

そう話し掛ける彼はやけにフレンドリーで、これまで何人もの人間をこうやって運んできたのだろうことが窺える。きっと本当は優しい人なのかもしれない。騙されるなり何なりして泣き喚く人達をせめてとおおらかに話し掛け、少しでも気を紛らわせるような、優しい人なのかもしれない。

短い間だけれど少しだけ、楽しもうと投げやりに、窓から見えるゴツゴツとした大岩の多い見開けた乾いた大地を見遣りながら、なんとなくそう思った。


それから暫く、果てしなく長くて短いドライブをこの男と楽しんだ。彼はマイケルと名乗り、豪快に、気遣うように笑った。私達は簡単にだが自己紹介と日本でのこと、売られてきた理由、懐かしい思い出などを穏やかに話して聞かせた。

特に騙された話には同情し、ぼろぼろと涙を流した。どうすればいいのか分からず狼狽えると、気にしなくていいと目頭を押さえつつこちらに微笑みかけると、こう言った。

「よく頑張ったな、カオル。」

途端、車内に響くエンジン音やらが一切聞こえなくなった。

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