森の彼方より
飯田太朗
迷い牛探偵
ぴー。
真夜中に聞こえるらしい。
森の奥。モリガミ様の聖域。
人々の侵入を許さない森。
その森の彼方から、妙に甲高い謎の音が、聞こえるそうである。
俺の元に村長の娘、玲子さんがやってきたのは夏の暑い日だった。故障したクーラーをうらめしく眺めていたら白いワンピース姿の彼女が来た。噂によれば東京の大学に進学したらしいが帰ってきたのだろうか。
「いえ、夏休みでして」
玲子さんが笑う。笑顔が綺麗だった。
「で、村長の娘さんが俺に何の用で」
「ぴー」
いきなり意味が分からないことを言われて俺は辟易した。
「いえ、最近夜になるとこの音が聞こえるのはご存知ですか?」
知らない。
「ここからじゃ確かに聞こえにくいかもですね」
「どこから聞こえるんでさぁ」
「モリガミ様の森です」
それを聞いて俺は嫌な予感がする。
「まさか俺にモリガミ様の調査をしろって……」
「父に聞きました。借金があるそうですね。村中の人から。そのせいで村八分にされてこんな外れのところに事務所を構えているのだとか」
痛い。
「でも私としては、幼い頃一緒に遊んでくれたあなたにはまた村の人たちと仲良くしてほしいと思っているんです。いいチャンスだと思いませんか?」
「いやいや、俺の専門は放牧して帰ってこない牛を見つけて村に返すっていう……」
「報酬はこれだけ用意します。私が幼い頃から貯めていたお金です」
差し出された手形を見て、俺は度肝を抜かれた。
「こんな額……あんた自身のために使え」
「私自身のためでもあります」
玲子さんは頑なだった。俺は折れた。
「報酬を受け取るかは別として」
汗を吸ったソファに身を沈める。
「調べに行くくらいはいいさ」
さぁ、そういうわけで。
キャンプなんて久しぶりだった。この滅茶苦茶に暑い中、蚊を叩きながら過ごすのはなかなかストレスフルだったが無事夜になった。いつ聞こえてくるのやら、今夜は徹夜かと思っていたら意外と早く、九時頃それは聞こえてきた。
ぴー。
何となく、聞き覚えのある音。
でも何かは分からない。そもそも森の中から聞こえていい音かも分からない。
懐中電灯の明かりを頼りに進む。漆黒の中を明かりが切り裂いていくがとにもかくにも心細い。こりゃ下手したら遭難するなと思った。引き返すなら今だと思ったが頭に浮かぶ玲子の顔が邪魔をする。帰るか。いや……。帰るか。いや……。を繰り返している内にそれは見えた。まず、赤ん坊の頭。
変な声が出たがよくよく見ると人形だった。幼児向けのおもちゃの頭。ひっくり返りそうな心臓を押さえると、問題の音が大きくなったのを感じた。ここか……と辺りを見渡す。ゴミ山。なるほど、不法投棄か。
モリガミ様の森でもこの近くを通る連中からしたらちょうどいいゴミ捨て場なのかもしれない。実際近くを道路が二本、内片方は都心から伸びてきている道である。罰当たりだなぁ……なんて思いながら歩いて見つけた。車。黒塗りの、霊柩車みたいなやつ。
どうやらこれの防犯ブザーが鳴っているらしかった。しかしこんな森の奥で何で防犯ブザーが……? とは思った。大きな衝撃が加えられることも、こんな森の奥じゃあるまい。
車の窓は割れていた……というより、ドアごと剥がれそうなくらい壊れていて、何に使ったのか知らないが、とにかくあまり関わり合いになりたくない連中が捨てたことは間違いない車だった。ライトで中を照らす。動物の糞。なるほどな。
ボンネットを開けると甲高い声が聞こえた。はいはい。やっぱりこんなオチね。俺はため息をついた。
森の近くの喫茶店にて。この店は村長の経営。俺が入ると店長は心底嫌そうな顔をしたので、その顔面に向かってアイスコーヒーと叫んでおいた。
俺の座ったボックス席の後ろの席に玲子さんが座った。そうするよう俺が言っておいた。
「今から鳴る」
俺が告げると背後で彼女が驚く気配を感じた。
「鳴る?」
「ああ。君が気にしていた『ぴー』っていう音がな」
「それは、どういう……」
と、聞こえてきた。
ぴー、という微かな音。
まず店主が反応した。
「モリガミ様……?」
他の客も反応する。
「モリガミ様」
「モリガミ……」
「……モリガミ様?」
土着の信仰もここまで行くとなかなかホラーだな。そんなことを思いながら、俺は店主に提案する。
「俺が何とかする。人手が欲しい。二、三人ついて来てくれ」
かくして店主と客の数名が俺にくっついて森へと進んでいった。不法投棄の山を見て、まず店主が唸った。
「罰当たりな……」
「まぁ、それはさておき。あの車かな」
俺が黒塗りの車を示すと、村人の一人が言った。
「な、何でこんな森の中で車の防犯ブザーが……」
「まぁ、考えられる仮説はいくつかありますが……」
と、俺はつかつかと車に歩み寄り(その様さえ村人からは奇異に見えたらしく、妙な目で見られたが……)ボンネットを開けると中を示した。
「ああ、やっぱり齧られてる」
「齧られてる?」
「配線系統が動物に齧られてます。まぁ、ネズミかリスか、大きくてハクビシンやタヌキ……」
「はー、これが鳴ってたのか」
「こういうのは、まぁ……」
俺はポケットにあった万能ナイフで配線を切る。途端に音が止まる。
「こうしちゃえば解決ですかね」
「モリガミ様の声はこんな正体だったのか」
「それよりこのゴミ山どうにかしなきゃ」
「村長に相談だ。あんたもよくやった」
バシバシと肩を叩かれる。俺は、ナイフで配線を切った時に回収した小道具をポケットにしまった。そのまま全員で森を出る。
「そういうわけだ」
俺が事務所のソファで足を組んで説明すると玲子さんは笑った。
「昼間のブザーは、あなたが仕込んだ道具の音?」
「その通り」
「どうしてそんなことを?」
「あんたに頼まれて俺がモリガミ様の森に、それも禁忌である夜中に行ったとなりゃ、結果の如何に関わらずあんたの村の中での立場も怪しくなる。嫌われ者の俺に関わったこと、禁忌である夜のモリガミ様の森に人を派遣した非人道的行動、この二点でな。だが依頼を受けた以上は事件を解決させないといけねぇ。俺はあんたを介さずに結果だけ村人に伝える方法を考えた。村人たちの前で、俺が事件に『偶然介入した』ように見せかけて、『動物に配線が齧られたから車のブザーが鳴り、その音が夜中の不気味な音の正体だった』と示す。俺が細工をしてまで昼間鳴らしたのはそういう理由だ。昼間なら『村民の前で平然と種明かしができる』」
「いい詐欺師になれそうですね」
笑う玲子に俺は告げた。
「褒めても何も出ねぇ」
「結局、音の原因は?」
「そこにいるよ」
俺は事務所入り口の脇にある檻を示した。
「あら、ハクビシン」
「そいつの巣になってた」
俺はソファから立ち上がると檻を蹴飛ばした。中にいるハクビシンが悲鳴を上げる。
「事務所、随分綺麗になりましたね」
「引っ越すんだ」
「村の人たちからは嫌われなくなったのに?」
「田舎ってのは人と人との距離が近すぎてね。俺には合わない」
こいつを連れて……と、また檻を蹴飛ばす。
「東京にでも行くさ」
「寂しくなります」
「俺もだよ」
さぁ、そういうわけで、俺は車を走らせ東京に向かっている。
助手席には間抜けなハクビシン。でもこいつ、車が好きなんだろう。さっきから妙にご機嫌である。
「おらさ東京さ行ってべこ飼うだ」
そういやこの「べこ」って、何なんだろうな。
了
森の彼方より 飯田太朗 @taroIda
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