本当に欲しかったのは

「そうやって黙って~私を抱きしめる~♪」


 ぼくは緊張でカッチカチになって口の中もカラカラで何を歌うかなんてことを考えられる状況ではなくなっているのだが、彼女は本当にどでかいベッドの置かれた広い室内でカラオケを熱唱していた。


「キュンとしちゃうわ~!!」


 ジュースでも飲もうかと思って自販機を見るのだが、ジュースは確かに売っているのではあるものの半分くらいは何に使うのかもぼくには分からない大人のオモチャの類で、気まずいので結局目を逸らす。


「……ふぅ、ありがと♪ペコリ」


 ちなみに最後の「ありがと♪ペコリ」は彼女がぼくに言っているわけではなく、歌詞の一部、台詞部分である。画面にちゃんと表示されてるからな。そんなこたどうでもいいか。


「五曲目!『既成事実』!!」

「……」


 ここに入ってからえんえん一人で歌い続ける彼女、微妙に猥雑なタイトルや歌詞の曲ばかり選んでいるのははたしてぼくを挑発しているのだろうか。


「……ふぅ。玄野君も歌う?」

「あー、うん、じゃあ、まあ」


 七曲目でやっとこっちにマイクが回ってきた。無難な曲を選ぶべきか、それとも……と思ったが、そもそもそんなに持ち曲がない。結局テキトーな流行曲を歌って場の空気を誤魔化す。


「ぱちぱち」


 実際のところ聴いてたかどうかも怪しいが、彼女はぼくにまばらな拍手を寄越した。そして言う。


「あのね。いちおう先に伝えておくことにしますけど。わたし、初めてじゃないですから」

「こういう場所が?」

「いや、ここは初めてなんだけど。つまり処女ではないのです。……意外?」


 意外だ、と言い放つのも失礼な気はする。しかしそれより、胸の内にうずまくこのどす黒い感情をどうしたものだろう。


「あともう一つ言っておくと」

「うん」

「悪いけど玄野君のことが好きでこういうことをするわけじゃないですので」


 と言って、彼女はぼくの唇を奪った。こっちはここから既に初めてである。


「……じゃあ、どうして?」

「人の肌が恋しいの。通販で買った道具じゃ満足できないの。それだけ。そういうこと」


 分かるような分からないような。だが、とにかく。ぼくの方で彼女をリードする必要はなかった。彼女はするすると着衣を脱ぎ捨てていく。


「ぼけっと見てないで、君も脱ぐの。女を先に一人で裸にさせない」

「は、はい」


 生まれたままの姿の彼女は、美の女神のようではなかったが、ぼくにとっては天使のようであった。


「さ、触っていい?」

「そういうこと、いちいち聞かないで」


 と言うので、とりあえず抱きしめた。人間の身体というのは、こんなに温かいんだな。知らなかった。いや、知っていたかもしれないが、少なくとも初めてそう感じた。


 それから。


 彼女は手慣れていた。自分から積極的に動き、いろんなことをさせてくれた。胸は思っていたより大きくて、そして想像していたよりも遥かに柔らかかった。


「ごめんね」


 ゴムを外そうと悪戦苦闘しているぼくの前で、彼女は謝った。


「なにが?」

「ごめんね。別に、こんなことしたけど、玄野君と付き合うつもりがあるとかではないんです。悪いけど、嫌いではないですけど、恋愛感情が無いので。……身体だけの関係でいいなら、またこういう場所に付き合ってもいいけど……」


 ぼくは言った。


「ぼくの方は、そういうのを望んでるわけじゃ、なかったな」

「……そうだよね。だから、ごめんね」


 その後。


 年度が明けてクラス替えがあって、別々のクラスになり。


 彼女には、彼氏ができたと聞いた。ちなみに竜崎君ではない。ぼくのよく知らない別の男だ。


 廊下で鉢合わせても、もうお互い目も合わせない。すれ違ったあと、ぼくがふっと振り返って彼女の方を見ても。


 雨ヶ崎涼音は振り向かない。

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雨ヶ崎涼音は振り向かない。 きょうじゅ @Fake_Proffesor

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