バレンタインデー

「いちおうあげますけど、義理チョコですからね」


 と言われて渡されたそれはコンビニで売ってるような準チョコレート菓子だった。平たく言えばブルボンである。おいしいとは思うし、くれないよりはくれるほうがいいのであってまったく嬉しくないわけではないが、やっぱりそんなことを面と向かって言われると多少は悲しい。


 しかしそれが悲しいということより問題なのは、彼女はただこのバレンタインデーに義理チョコを友人知人男子一同に配って回っているだけではなく、ジーン=パウラ・レヴィンで買った本命用チョコレートもちゃんと用意していて、なおかつそれを隣のクラスの竜崎君に渡すつもりでいる、ということを知っている、なぜ知っているかって本人にわざわざそれを教えられたから、である。


 朝から最終時限の授業まで、彼女は一日中ずっとそわそわしていた。まあこういうイベントの日だからそわそわしているのは何も彼女だけではないわけだが、それにしたってこっちは彼女のことが好きなわけでして、気が気ではないのである。


 で、放課後になって、彼女はたーっと隣のクラスに飛んで行った。彼女は地味であるかもしれないが、別に陰キャとかコミュ障とかそういうやつではないのである。言うほど内気でも奥手でもない。


 でも数分後に戻ってきたとき、彼女の手にはまだジーン=パウラ・レヴィンのチョコレートがあり、そしてその瞳は闇を湛えていた。


「……玄野君。ちょっと付き合って」

「え!?」


 手を引っ張られる。ぼくは慌てて荷物をまとめ、同意もそこそこに、学校から引っ張り立てられる。


「……」


 彼女はずっと無言である。学校から出て、しばらく行ったところにあるファミレスに二人で入った。彼女が黙っているので、仕方がない、注文用電子パネルを操作してドリンクバーを二人分だけ注文した。だがお茶を淹れに行くという空気ですらない。どうしたものだろう。


「あ、あの。竜崎君は——」


 沈黙に耐えかねたぼくがそう切り出すと、彼女は張りつめていたものが切れたのか、わっと泣き出した。


「うけとって、もらえなかった……!」


 竜崎君は、女どもが群がって奪い合いになるほどのイケメンとかそういうやつではない。また、“彼女がいた”というパターンでもない。そのくらいはこのぼくが立場的にリサーチ済みである。実は同性愛者であるとか、アロマンティック・アセクシャリティであるとか、そういう可能性についてまではぼくの検証の力が及ぶところではないが。


「えーと、ぼくでよければ話を聞くけど」


 言わんでも分かってるとは思うが——だから連れて来たんだろうし——、そう切り出すと、とつとつとした説明が始まる。


「いらない、って……!」


 別に説明するほどの話ではなかった。特に理由もなく、迷惑そうな顔で、いらない、と言われたのだそうだ。まあ、脈無しであるということだな。それもだいたいぼくの予測していた通りではあるが。


「このチョコレート……2500円した……」


 と言って、彼女はテーブルの上に高級感あふるるラッピングの施された箱を置いた。くれるのかと思ったら、違った。彼女は自分の手ですごい勢いでバリバリとラッピングを破り、そして中に入っていた小粒なチョコレート(六粒入り)をボリボリと食べ始めた。


「うっうっ……」


 いくら学生の客が珍しくもない騒がしい繁華街のファミレスとはいえ、女の子がわんわん泣きながらこんな真似をすればそりゃあ目立つ。ヒラの店員ではない、店長らしきおじさんが僕らのテーブルの前に立ち、堅い声で言った。


「お客さま。申し訳ございませんが、店内でのご注文品以外の御飲食は——」


 店を追い出された。


「どうする? このあと」


 彼女はまたぼくの手を引いて歩き始めた。


「カラオケ」


 と言う。が、この商店街の、一軒しかないカラオケ屋の方向はこっちじゃないぞ。この先にあるのは——


■御休憩

■御宿泊


 と言って値段が大書されている、その種のプレイスであった。


「カラオケ」


 とまた彼女は言った。ぼくのネット知識に基づけば確かにここにもカラオケ装置はあるらしいが、そういう問題じゃないだろ。おい、いいのですか。


「カラオケだって言ってんでしょ!」


 キレられた。いや、別に文句はないんですけどね。というわけで、二人でそこに入った。

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