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  • どれも初耳のことばかりで勉強になりました!
    いつもありがとうございます。
    そして『スリー・ビルボード』はエクセレントでした!

    作者からの返信

    こちらこそありがとうございます。
    『スリー・ビルボード』は痺れますよね!
    ああいうふうに、それ固有のラストに到達する作品に憧れます。

  • 今回の解説も面白かったです^^*
    悲しいけれど、それぞれの登場人物は新たな生活へと歩み出しているのですね。
    変わらずにいる物も場所がないのは現実でもそうだよなあと思いました。

    作者からの返信

    なにごとも移ろっていきますものね。その事実をどう受けとめ、どう引き受け、どう立ち向かい、どう諦めるのか。いずれ何処かへ押し出されてしまうものだからこそ、生は常に重大事であり得るのだ、などとも感じます。


  • 編集済

    確かに、と思いました。結局のところ、物事とは、なるようにしかならならず『押し出されて』しまうものなのかもしれません。
    また、どこかで『押し出され』ることを願っている節もある。
    結果、それを知っているからこそ、気を取り直したり、諦めがつくのかも。

    今回も、とても面白く勉強させて頂きました。ありがとうございました。

    作者からの返信

    主体性や自己決定が、実際にはどの程度可能なのか。人間には限界がありますよね。しかし世界は常に動いており、人間はその大きな流れに押し出されていくという事実が、逆説的に、人間に〈動く〉余地を与えているのかもしれません。
    ご覧いただき誠にありがとうございます!

    編集済
  • 最近こう色んな創作論を読んではワクワクしておりますが、今回もとても勉強になりました!
    Wikipedia、まだ見てないのに若干の恐怖のかほりがします…笑
    乙一のGOTHとても好きなのですが、違う方面から眺めるとそうなのか…と。今度読み返してみたいです!

    作者からの返信

    GOTH 良いですよねぇ。たしか、「暗黒系」がページ配分まで三幕構成に則って書かれたんじゃなかったかな。キツネの青春時代を彩るゴシック色の作品です。

  • 「遠いものの表現」が大変勉強になりました。
    聴覚を刺激して奥行きを持たせる。
    戦争フィルムに悲し気なクラシックを流すと、なぜああもしっくり来るのだろうと不思議に思っていましたが、あれも遠いものの一種なのかと思いを馳せておりますー(・v・)

    作者からの返信

    わぁい、ありがとうございます!
    聴覚と奥行きの関係から、戦争フィルムとクラシックを想起できるのは、うちはとはつんさんの感性の鋭さを表していますね……!
    クラシック音楽は、主にルネサンス/バロックから世界大戦までの文化運動なので、戦争フィルムが映し出しているのはまさにクラシックの終わりであり、他方、クラシックが響かせているのは戦争から遠く離れたところにある何ものかですよね。


  • 編集済

    チェーホフに関しても完全に無知でありましたので、プロフィールにまず驚きました。本業があって、小銭稼ぎのために書き散らしていたとは……なんだか現代的ですね(不遜ながら共感のごときが湧いてきます)

    《真面目な話をしている真っ最中にきゅうりを食べ始める人とか出てくるよ。》

    「うわあ、いいなあ!」って思ってしまいました。ものすごくおもしろいし、センスを感じます。たしかに示唆するところがありますね。ヴォードヴィルとしての隈取りと言いますか。

    キツネ先生のご見解にもハッとさせられました。たしかに、存在という出来事は静止をゆるさないところがあって、好むと好まざるとにかかわらず(たとえ「自分は止まっている」と思い込んでいたとしても)押し出されてしまうのが現実であるように思われます。自分の人生を振り返ってみてもw

    今回もとっても楽しかったです!
    ありがとうございました!

    作者からの返信

    チェーホフってすごい面白いひとなんですよ!
    今回は紙幅(?)の関係で扱うことができませんでしたけど、体調が優れない中でいきなりサハリン旅行に出て流刑地の惨状を告発したり、コレラが流行る中で多くの村々の間を往診して回ったり。かと思えば、いつも持ち歩いている手帖にはナンセンスなジョークを大量に書き付けているんですよね。「コレラが怖くって死にました」「自分が幽霊だと思って気が狂った人。夜更けになると歩きまわる」「彼女の顔には皮膚が足りなかった。眼を開くには口を閉じなければならぬ。およびその逆」……。今際の際の言葉は何故かドイツ語で「私は死ぬ」。ユーモラスな短編、ニヒリスティックな短編をたくさん書き、モチーフがあまりにもバラバラだから、評論家からは「彼の頭の中には何もない」と評されることもあったそうです。彼の人間観察の深さと温かさには、ナボコフも一目置置いていました。
    彼の作品の脈絡を少しでも掴まえられたなら僥倖です。

  • 人間の営みってそうだよなぁ、と、納得するような物語ですね。桜の園。
    物質的なもので不変を保証されているものはなく、家だろうと園だろうと、持ち主は変わり形も変わり、別の姿に開発されるか、風化して自然に還ってゆく。住んでいる場所が田舎で山に呑まれる廃屋を目にすることが多かったり、実家が被災地ですっかり様変わりした様子を見たりするので、余計にそう感じるのかもしれません。
    失ったもの、手放したものに、あきらめをつけ、新しい生活に心を向けることで、人は悲しみに面したとしても前に進めるのかもしれませんね……。

    作者からの返信

    すべてが流れ去ってしまう無常観というのは、日本人には文化的にお馴染みの感覚かもしれませんね。はとりさんのお話を聞いて、方丈記を思い出しました。
    否応なく変わってしまい、変わってしまうことによって先に進める、ということは、哀しいことでもあり、優しいことでもあり。生きている以上は、変化を前向きに捉えたいなと個人的には思います。一方で、例えば文学のような芸術においてこそ、〈変わらないもの〉という想像上の理念を追究してみたいと思う次第です。


  • 編集済

    今回もわかりやすく、とても興味深い内容で楽しく読ませていただきました。

    失われる『桜の園』。
    これを見て、昨年我が家の近所にだた一本だけ、40年以上その場所で時を重ねてきた桜の老木が切られてしまった事に思いを馳せたのです。

    >人類全体の前進のあり方だ。
    >やむにやまれぬ事情によって前進してしまう。言い換えると、世界や社会、環境や自然の状況によって前に押し出されてしまう。
    >人間の、ひいては生物の存在の条件は、(中略)決して立ち止まり続けることはできない。

    もう、激しく共感いたしました。
    毎年、満開の美しい花を咲かせてくれていた巨木が切り倒されてしまった事を、ずっと「悲劇」だと思い続けていたのです。
    ですが、その木があった場所に今は新しい家が建ち、新たな家族の笑いが溢れています。
    それは否応なしの前進であり、チェーホフとキツネさま仰るところの「喜劇」なのかも知れません。

    新たな気づきを、今日も有難うございます꒰˘̩̩̩⌣˘̩̩̩๑꒱♡

    作者からの返信

    長い年月を経て、桜の老木の跡地に建てられた家には、そうと気づかれずとも在りし日の桜の美しさが宿っているのかもしれませんね。そして、そのご家庭の笑顔こそ、失われた桜の象徴かもしれません。新しい幸せのかたちを見つけるお手伝いをできたのだとしたら、チェーホフも嬉しく感じているかもしれませんし、キツネも誇らしいです。
    素敵なご感想をありがとうございます!

  • 『闇の奥』……、深いタイトルですよね。
    コンゴが舞台ということで、いつの時代もアフリカ圏は波乱に満ちているなあと思いました。
    またクルツという文学的形象が現代の文学にまで受け継がれていっているのが面白いですよね。ほんと、キツネさんのおっしゃる通り、人類が文学を捨てない限り残るのだろうなあって思いました^^*

    作者からの返信

    アフリカは古代の最先端の地域でしたが、いつしか蹂躙の対象となってしまいました。グローバル化が進んで相対的には平準化されましたが、それでも、というところ。いずれかの地域を中心に考えるのではなく、世界には無限の中心が存在するのだということを意識したいですよね。
    クルツという文学的形象。それは人類が想像する悪の形象でしょうから、クルツの姿を追い求めていけば、その時代の悪が見て取れるのかもしれません。

  • 例えばモデルが実在の人物であっても、ただの記録映像や実績の羅列と違い、物語は強烈な感情をともなって描かれてゆくので、忘れられない人物として心の焼き付くのでしょうね……。
    ヨーロッパから見たアフリカ圏って当時は、未知で奇妙で不思議な地域だったのでしょうかね。コンゴは今も昔も波乱の多い地域だったのだなぁと、しみじみ。
    神曲、闇の奥、そして現代の作家へと受け継がれていっているというのも興味深かったです。いろんな文学のルーツが辿れるのは面白いですね。

    作者からの返信

    作品の影響関係はおそらく無限に遡行できますよね。〈すべての文学作品は一人の人物によって書かれた〉とか〈哲学はプラトンへの注釈に過ぎない〉とか言われるぐらいだし。読者が自由に想像/創造してよい部分なのかなと感じます。

    西欧中心主義は考え出すと気が滅入るるる。『闇の奥』が書かれた時代になると、アフリカも未知の世界というよりは搾取の対象となる〈資源の世界〉だったんじゃないかしら。奴隷貿易で利益を出しまくった後の時代ですものね……。コンラッドがコンゴに狙いを定めたのは、西欧の資本主義、帝国主義との密接な絡みつきを感じていたからだと思います。
    非西欧を〈未知の世界〉として描いた文学としては、ウンベルト・エーコの『パウドリーノ』が面白かったです!

  • 読者に対する宣言、そして洗脳だ。
    この言葉にガツンと頭を殴られ、目が覚める思いです。
    クルツの生き様を見て、生まれる罪悪感を誰が抱くのか?
    優しければ優しい人ほど、悪いなという気持ちが生まれる気がします。
    一方でこれ象牙業者は、あまり気にしないだろうなーとも思っちゃいます。
    コンゴの闇の奥に、ロンドンの尻尾がががg(・v・)

    作者からの返信

    そうですよね、悪い人ほど色んな告発を無視して生きるのだろうなぁ、と。
    クルツのような悪の形象は時代によって刷新されていくのでしょうから、その営みにきちんと目を向けたいなと、あくまでも自分の問題として捉えたいと思います。なすっ。

  • 内容が同じでも文章によって印象は別物に変わりますよね。なんでもないような話を文章表現で面白くしている作品を読むと尊敬の一言です。
    はとがの使い分けや読点の位置にも常に悩みます。

  • 実はこっそり動画版を先に観てました!
    私はむかし映画『地獄の黙示録』を観た後、『闇の奥』も読んでいるはずなんですが、なぜか記憶がおぼろげで情けない限りでございます。『神曲』になぞらえられていることを前提に読んでいればまた違った感懐を抱けたのかなと思うと……やはり再読不可避!w 実家の本棚を捜索せねばでございます!

    作者からの返信

    動画まで確認していただいてありがとうございます!
    一度読んだことのある本でも記憶しておくのはなかなか難しいですよね。キツネも大半の本がうろ覚えです。
    『闇の奥』は語り口が格好良いので何度読んでも楽しめます。笑

  •  とても面白いです。

     僕は、思いついたものを思いついたまま書いています。

     今後は、こんな風に考えて…とは、簡単にいかないでしょうが、知る事は、重要です。
     とても大切な知識をありがとうございました。

    作者からの返信

    自由にものを考えるためには、自分が無意識的に何に縛られてしまっているのかを知る必要がある、というようなことをレイモン・クノーなども述べています。わたしたちが作品を作る際に〈常識〉として下敷きにしてしまっているものを、いったん見直してみるのもいいですよね。

  • 日本語ってほんと表現が豊かな言語ですよね。
    言葉選びのセンスが光ってる人とか、また物語をつくる上で文章の雰囲気を使い分けてる人を見るとすごいな〜といつも感心します。
    私は助詞に弱くて、いつも使用方法を間違えてるのを指摘されちゃうのですけど、助詞ひとつ取っても言葉や文章の意味合いって違ってきますよねぇ。

    作者からの返信

    助詞って単なる意味の指定を超えて無意識的な印象に関わってくるので神経を使いますよね。長い文章を書いていると、どうしても誤字が生じるし……。笑

    ひとつの場面を表現するにあたっても、正確に説明するのか、イメージ豊かに描写するのか、詩的に綴るのか、色んな選択肢があります。その選択に作家性が宿り、それぞれの読者と響き合っているのでしょうね。

  • 福祉関係は以前に興味があって色々と手を出していた私です。
    仕事にはしていないのですけど、勉強したのは有意義な時間だったなぁと思い出しました^^*

    私も作品でふれあいとかを書きますが、触れられるのはやっぱり苦手ですね……。
    でも関西地方はなぜか同性による「ふれる」とかハグが多かったです(笑)
    なんでだったんだろうと今でも不思議です。

    作者からの返信

    福祉は人間、社会、文明を多角的に考えさせてくれますよね。人間の繋がりの最前線の形を模索する過程なのかなと思います。

    地方によってパーソナルスペースの範囲もスキンシップの程度も違うようですね。一口に日本といっても、多様な文化が雑居しているので、さかなさんが感じた不思議の感覚こそが他者の手触りなのかも?

  •  春は、曙…。
     学生時代。
     遥か昔の学生時代。

     国語の教師に、共感する部分を言えと言われました。
     僕は、春夏秋冬、全て、夕暮れが、良いのでは…。
     そう答えて、失笑されました。
     正直に答えただけなのですが。

     懐かしいです。
     しかし…。
     笑いが取れて良かったかな?

     清少納言の毒。
     機会があれば、触れてみたいですね。
     面白そう。
     

    作者からの返信

    「全季節一様に夕暮れがよい」というのも枕草子に対する応答としてあり得るものだと思います。反論を引き出してこその文学。清少納言の毒は批判的に対峙してこそ価値があると思うので、機会があればぜひ対決してあげてください!

  • 日本語って独特の面白さと深みがあると思うのですが、私はいつも感覚的に理解し扱う言葉を選ぶほうなので、こういうふうに分析し解説する思考は面白いなぁとしみじみ思います^ ^
    プロアマ問わず、文章そのものが魅力的な人っていますよねぇ。
    言葉遊びはセンスの発露でもあると思うので、そういう文章を書ける人は多くないと思いますし、言葉センスと物語造りのセンスも別物だと思うので、両方兼ね備えた作品との出会いは貴重だなぁと思います。

    作者からの返信

    井上ひさしは錬磨に錬磨を重ねたような文章を書いてくれます。作風自体よく勉強してあるなと感心…というか尊敬してしまうほど。

    日本語はリズムも余韻も独特ですよね! 日本語の芸術の世界を母国語として楽しめるのはキツネにとっても幸せです。好き嫌いを超えて圧倒してくる作品は心に残ります。

  •  毎回解説された作品が自然と読みたくなります…!
     今回は井上ひさしの他の品も全部読んでみたいと思ってしまうほどでした!

    作者からの返信

    やったあ、最高の褒め言葉をありがとうございます!
    井上ひさしはどれを読んでも楽しいですよ〜。『吉里吉里人』なんかは結構大変なことをやっているのですが、難しくならないのが凄いな、と思います。

  • 読みたい本がまた増えました!
    キツネ先生の解説は毎回最高にエキサイティングであります。私は日本語文法に関してコンプレックスめいたものを抱えているので『私家版日本語文法』必読かも!

    兄が『吉里吉里人』を楽しく読んでいたのが思い出されました。私は井上ひさしの作品を一作も読んでないんですよねえ……

    作者からの返信

    コメント、レビュー、誠にありがとうございます!!

    井上ひさしはとにかく文章が流暢ですね〜。『吉里吉里人』も傑作だし、戯曲はどれを取っても面白いし。そういえば『新釈・遠野物語』も読みやすくて楽しかったですよ! 民間伝承を物語るということの現代的な回答のひとつだと思います。

  • 「さわる」と「ふれる」の違いを、今まで深く考えた事が無かったので大変に勉強になりました。ありがとうございます。
    どんな業種にも不埒な手があって、それは0にならなくて。
    それがニュースとして取り上げられると、あたかもその業種全体がそのように見られてしまう。
    それによって現場の苦悩とか努力が一遍に霞み、社会がその業種全体に更なる強い倫理観を求める気がします。
    最後の章「不埒な手」が世間的にやや評判が悪いというのは、同業者の方が殊更それを大きく扱ってくれるなということでしょうか?

    作者からの返信

    「不埒な手」があるという事実について、被支援者の目線からみて気持ちが悪いというご意見がネット上で散見されました。著者も「不埒な手があるから倫理的なんだ」という主張をやや曖昧に行っているので、論旨を汲み取るのが難しいのかもしれません。福祉従事者の目線でいうと、実際には支援者と被支援者の間できちんと線引きをすることが専門職の責任であると学びますので(テレビドラマだと対等な立場で喧嘩したり説得したりしますが、よくない)、不埒な手の存在を肯定的に捉えることはありません。「不埒な手は存在し得るけれども、それを現実化しないような意識改革を行わなければならないんだ」というところを意識しています。
    一方で、はつんさんがご指摘のように不埒な手がゼロになることもないので、意識改革といっても、不断に問われ続けなければならない問題ではないかと感じています。どこかで不祥事が起きると社会的な非難が集中し、対策が講じられることもありますが、やはり最初の被害が発生する前に対策されているべきと思います。そうした意味でも、啓発努力は必要です。『手の倫理』は見落としがちな視点をたくさん提供してくれる良書でした。
    キツネの評論を通して社会問題に思いを馳せていただき誠にありがとうございます。

    編集済
  •  ちょっとばかし暗い昔話になりますけれども、小学校低学年の頃、人の手が自分の頭より上にくるとびくついてしまうのをよく揶揄われた時があったのですが、今回の話を読み、なぜびくついてたのか腑に落ちました。「手を見る」ということも接触なのですね!どこでもだれともふれあえる時代だからこそ、大切なことだと思います。
     

    作者からの返信

    貴重なお話をありがとうございます。見ることも触れること! まさにそうだと思います。聞くことが心を侵蝕することもありますし。よくパーソナルスペースという言い方をしますが、自分自身の身体の範囲って、必ずしも物理的な肉体の内部にとどまりませんよね。わたし自身は匂いに過剰に敏感だったりします。
    適切な距離のあり方、関係の築き方というものを大切にしたいと思います。


  • 編集済

    何となく忠臣蔵を思い浮かべて、拝読させていただきました。
    確実に悲劇となる主人公を、何度も見る。
    貫かれた意志の強さに、心打たれる。
    子供の頃は主人公が死ぬとか嫌いだったのですが、今ではどういった形でも「何かをやり遂げた人」への憧れのようなものを感じてしまいます。
    それと同じものを感じてしまいました(・v・)

    作者からの返信

    忠臣蔵! あの話は、事件が起きた当時でも稀な事例だったようで、全国的な話題になったとか。死に着目すると悲劇ですが、やり遂げたことを重視すると勝利劇ですね。はつんさん鋭い!
    年を重ねるにつれて物事の捉え方は変わっていきますよね。特に〈死〉に対する考え方は、子どもの頃に想像していたよりもずっと達観してしまいました。そのぶん、何かを為すということへの拘りは強くなっているかもしれません。うちはとはつんさんと近いナスッ。

  • うちでは時紡ぎと青き月夜に来たるという2つの作品で「他人と容易に触れあえない人物」を出しているのでとても興味深く読みました!こういう本を読んでおけば、もう少し深く描けたりもしたのかなぁと思いつつ、結論的にはだいたい同じところに着地しそうだなとも。
    信頼には心の触れ合い度も大切で、世の中にはどんなに近くにいても心が触れ合えない人もいるのですよね。現実の距離が近づける人は、心の距離を適切に保てる人のような気がします。
    そして恋愛においては、その距離感がバグったりするのですよね。身体的距離を心の距離と勘違いしたり。なので、福祉や医療などの仕事として接する時は、やはり心の距離も重要なのでしょうね。寄り添うのと土足で上がり込むのは違いますものね。

    作者からの返信

    時紡ぎはまさに「ふれる/ふれない」がモチーフとなっていますね! ながるさんの深い思索と関心に基づいて書かれているので、敢えて本を参考にせずとも突き詰めた表現に至っていると思います。青き月夜も楽しみだな〜。
    恋愛関係の相手に傷つけられて避難してくる人もたくさんいるので、まさにおっしゃる通りだと思います。わたし自身は、他人の内面に立ち入ることは少し烏滸がましいと感じています。〈共にある〉ということは〈共に立つ〉ということでもあるので、入ったり寄りかかったり(寄りかからせたり)するよりは、自ら立つことの手助けをしたいし、そのための寄り添い方を大切に考えていきたいと思います。

  • 作品の中では、触覚にまつわる心情を一番かいてるかもしれないなぁ、と読んでいて思いました。温度を共有するという体感にこだわってしまうのは、私が寒い地域で育ったからなのかもしれません。
    とはいえ、現実では、私は他人に身体接触を許さない人なのですけどね! ハグはもちろん、手をつなぐ、握手する、すらも苦手で。
    さわるとふれるの違いは興味深いですが、これも、日本語ならではの曖昧なニュアンスですね。

    作者からの返信

    フィクションでの「ふれる」とリアルでの「ふれる」ではやはり受け取り方が異なりますよね。フィクションでの恋人同士のふれ合い場面は好ましいのですが、リアルだと何なら恋人同士でも苦手かも……とか。仕事で向き合わざるを得ない問題なので、だからこそ身体接触ではない「ふれる」を模索したいなというお話でした。
    さわる/ふれるの違いは、日本語のディテールであるがゆえに、日本人が突き詰めて考えるとよいのかもしれませんね。

  • 大変勉強になりました。ありがとうございますっ
    向き合い方に悩む。ここに一番共感してしまいました。
    Wikipedia迷路がロゼッタストーンのようで、途方に暮れております。
    目が文字の上を滑りまくっていますー(・v・)

    作者からの返信

    Wikipedia迷路はちょっとウロウロして昼寝するぐらいがちょうど良いです。笑
    知ることは取り憑かれることでもあるので、三幕構成お化けに悩まされないようお気をつけください。慣れると懐いて役に立ってくれるかもしれません♪
    いつもありがとうございますっ。

  • 大変に考えさせられるテーマでした。
    悪に共感した場合、ちょっとぐらいの悪たちとは心を開いて仲良くできるかもしれないけれど、ほとんどの悪はこっちを懐柔し易いと考えてニヤニヤする気がします。
    親鸞さんの、人間には究極的にこの問題を解決できない。
    というのが一番しっくりきました。
    キリスト教圏の人たちは、人間以外の自然界にも善悪が存在すると考えているのでしょうか?(・v・)

    作者からの返信

    歴史的には、物理的害(災害とか害獣とか)を悪だと考える風潮はあったそうです。流星ひとつ流れるだけで凶兆だと騒いだ時代もあったとか。でも、最近の正統的理解は自然科学的世界観を受け入れているので、自然と善悪を分けて考える人が多いんじゃないかしら。
    悪い人が悪いままだと仲良くしにくいですよね。良い人が悪い人になるように、悪い人も良い人になるはずですが、良い悪いが曖昧なままだとそうもいかぬなり。
    親鸞さんは偉大。悪人正機!(・∀・)

  • 言葉の定義は文化により微妙にニュアンスが違うのと、やはり宗教観によって基準や定義が大きく違ってしまうので、国家は善悪を区別するため法を整備するのですよね。
    しかしながら、項目を増やすほどに網の目をくぐる様な解釈も多くなるので、法律的に無罪でも無実ではない、その逆も然り、ということになってしまう。価値観が多様化した現代はなおさら、善悪の線引きは難しくなってるなぁ、と思います。
    現実に関しては自分の信条に根ざした基準を既に持っているので語りにくいのですが、ちょうど、悪とは何か、どう向き合うか、みたいなテーマは竜クロでがっつり書きましたので、着地を楽しんでいただけたら嬉しいです^ ^

    作者からの返信

    国家が社会全体の価値基準を決めてしまうようになると全体主義に陥るので、市民社会は国家より豊穣な意味資源を抱えている必要がありますが、まさにその議論の土壌が問題となりますよね。自分の生き方ひとつに論点を絞ればジレンマも少ないのですが、実際には他の人と価値観をすり合わせる(戦わせる)ことになるので、よくよく考えなければならないという……。その点、物語は一つの世界観、価値観の表明に特化した上で、その視界や体験を共有できるので、倫理学とは異なるアプローチで問題を検討することができます。どう生きるべきか、ではなく、どう生きたかを語れるのが物語。竜クロは、政治学の領域でよく説かれる〈友敵理論〉では捕捉できないような社会関係を扱ってくれるので、とても興味深く読んでいます。皆さんご指摘されていますが、敵方への眼差しの深さがはとりん文学。

    編集済
  • 《……知ってた。》でにんまりしてしまいましたw

    《悪をなさずに済むのであれば、あとは自由に生きたいよね。》はまさしく。
    「善」についてあれこれと縁取りが与えられても、それ自体に圧が生じますし、ヒーローのくだりのような危うさと窮屈さがありますものね。

    いやはや、それにしても毎回勉強になりますです……!

    作者からの返信

    彼方さんと意見が合致…!
    ありがとうございます。ちなみに「善」と「正義」の違いという論点もあって、キツネは正義の観念は重要視しています。善が概ね道徳や倫理の徳目だとしたら、正義はむしろ道徳や法に対して異議申し立てをするための原理です。行政による法の運用に対して、裁判所が違憲無効とすることがありますが、これは究極的には正義の要請に反しているからです。正義は権力が規定する善からの解放を促す、ということですね。自由を守るのも一苦労ですよね。

  • もんのすごく面白く、とても勉強になりました…!
    学生時代、「春はあけぼの~冬はつとめて」まで、全文暗記させられた思い出がよみがえり、そして、暗記に苦しむ学生時代の私に「暗記なんかより、こっちの解説をお読み!」と言いに行きたくなりました…!まさか清少納言がこんなにもユーモア(ブラックユーモア…?)のある女性だったなんて!
    「春はあげぽよ」くらい分かりやすい(笑)、現代語訳がでないかなぁなんて…思っちゃいました…(*´Д`)

    作者からの返信

    ありがとうございます…!
    枕草子の現代語訳。清少納言のキレッキレのセンスを反映したものは見当たりませんね。言葉数多く、たおやかになりがち? 今後また注目を集めそうなので、誰か才能のある方が訳してくれるといいですね♪
    キツネも清少納言のブラックなユーモアを受け継いでいきたいケモノです。(炎上は怖い)

  • 疫病と戦争、まさに今の世情だなぁと思いつつ。時代が変わろうと、人類が立ち向かわねばならない苦しみや悲嘆って共通していますよね。
    古代だからやはり予言や神託というものは重く、それに沿う形で自らの最期を決したのも、当時ならではの英雄の在り方だったのでしょうね。
    舞台が現代ならば、きっと違うアプローチにアレンジされるのだろうなぁ、と思うと、創作の深さを感じる気がします。最前線に立つ人はいつの時代も、より多くの責任を担い苦難に立ち向かっていますよね。

    作者からの返信

    まさに今ですよね。驚くほど狂信的している。パンデミックは周期的に人類を襲っているので、何度でもオイディプスの問題は再来するのだろうなぁ……。
    古代ギリシャにおいて神託の権威は凄まじく、そのぶん汚い政治的駆け引きがあったそうな。ただ、そのルールに則って社会を守ろうとしたオイディプスのような英雄もいれば、そのルールに則って社会を批判し続けたソクラテスのような哲学者もおり(ソクラテスも神託を受けた)、意外と生き方には幅がありますね。
    現代のオイディプスを意識的して書かれたのがアーサー・ミラー『セールスマンの死』ですが、こちらは本当に悲劇的(敗北劇)だと感じます。
    人それぞれの最前線があるので、その場で踏みとどまって頑張りたいものですよね。

  • オイディプス王のお話、悲しい!
    これはもう悲嘆に暮れるのも仕方ないというやつですね。
    過酷な決断だったけど、それが彼の中で考えうるやるべき事だったのでしょうね。
    今だって戦争や疫病が蔓延しているんですもの、楽な時代じゃないですもんね。
    自分ができることを模索していきたいですね。

    作者からの返信

    ある意味では今の時代が一番マシなのかもしれませんが、それでも課題は山積みですものね。いつでも向き合わざるを得ない問題だからこそ、この作品が今も残っているのかもしれません。自分なりの出来ることを模索して、いざというときにはきちんと成し遂げたいものです。

  • オイディプス王の話!悲しいですよね!!小さな頃に読んで衝撃だったのを覚えてます!!
    盲目になる……たとえどんな罪を犯したとしても、とても自分には真似できないな……。

    作者からの返信

    これは悲嘆に暮れるのも仕方がない!と思いますよね。オイディプス自身は悲嘆に暮れながらもやるべきことをやったんだなと思うと、えもいわれぬ感覚を抱いてしまいます。過酷な決断をなしたからこその英雄なのか。
    ただ、人間誰しも英雄でなければならないというわけではないと思います。それでも、オイディプスのような過酷な境遇にあるひとに対して、この作品のコロスのようにきちんと共感を抱ける存在ではありたいですね。

  • 孤独なんて嫌だから逃げてーっ。と心が叫んでおります。
    でもずっと後ろから、追っかけて来るんですね。ため息が出てしまいました。
    なので取りあえず、猫動画を見て癒されようと思います。
    猫ちゃんを見てて思うのは、今ってお手軽に孤独から逃げ出せるコンテンツが一杯あるんだなあと驚くばかりです。
    人って何千年も、孤独から逃げ出そうとしてきたのかなあと思いました(・v・)

    作者からの返信

    孤独の所在はひとによって異なる気がしますが、うちはとはつんさんは背後から追っかけてくるものなんですね。楽しくない追いかけっこ…。笑
    気晴らし、気散じの多い世の中ですが、孤独を紛らわせるために色々とやる、ということは時代を通じて変わっていないのかもしれませんね。人間のことを〈ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)〉と定義した学者もいましたし。遊びの蓄積が文明を築き上げているのかもしれません。孤独の追いかけっこが一直線に進むものなのか、それとも同じところをぐるぐるとまわっているものなのかは、これからの人類にかかっている…のかも…?

  • すっごい、可愛い人だったんだなあと思いました。
    ただ近くには寄らず、遠くで見ていたい可愛さかもですっ(疲れそー)
    今の人と思っている事、あんまり変わらないんだなあと嬉しくなりました。
    これ室町や江戸の娘さんとか、読んでどう思ったんだろうと妄想してしまいます。
    多分、今の人とあんまり変わらない感想を持ったんじゃないかと思うと、何だか不思議な気がしました(・v・)

    作者からの返信

    可愛らしいですよね〜。絡まれたら面倒くさそう。笑
    枕草子は不思議なほど通時代的ですね。時代によって物事に対する感覚は変わっていくものだと思いますが、ここに描かれているのはまさに日本文化の感性そのもので、日本がある限りは残り続けるのかもしれません。良い部分も悪い部分も。
    1000年後の娘さんも同じような感想を抱くだろうと想像すると、余計に不思議ですね♪

  • 戦争を身近に感じている人の、破れかぶれな気持ちみたいなものを感じてしまいました。
    何度も希望と絶望が行ったり来たりして、もう知るかこんにゃろーっみたいな。
    ゴドーって一体何なんだと、大喜利大会が始まっていく所にちょっとホッコリしまいました(・v・)

    作者からの返信

    真剣に大喜利大会を始めるところが現代の喜劇ですよね。笑
    『ゴドーを待ちながら』は70年前に書かれた作品ですが、ここ数年の世界情勢はまたこの作品の終末感に近づいている気がします。ゴドーとは、感染症からの解放であるとか、侵略戦争の終わりであるとか。これに対する人間の反応の一つが「知るかこんにゃろーっ」なのかもしれません。それが生き延びる逞しさに繋がるなら、大切な反応ですよね。
    いつも読んでくれてありがとナスっ!(この挨拶好きです)

  • カクヨムの公式連載にフィルムアート社が参入してから、カクヨム初心者の皆さんにも三幕構成理論が認知されるようになった気もします。結構いろんな方が読んでるようですね、あの公式連載。
    以前はWikipediaやラノベ研究所で創作論をよく読んでましたけど、結局プロット(筋書き)が作れない書き手なので、ざっくり意識しているのは「序論(導入)→本論→結論」の流れだけかもしれません^ ^(これ小説の書き方じゃないですね)
    それでも、三幕構成論は起承転結より倣いやすようには思っています。これも人それぞれでしょうか。(4コマ漫画は起承転結ですもんね)

    いろんな技法や論説を自分なりに咀嚼し、合うもの取り入れて書いていくのが、創作論の使い方なのかな、と思っております。料理のレシピみたいですよね。

    作者からの返信

    論文の書き方!!笑
    料理のレシピとは言い得て妙ですね。アレンジ、思いのままですものね。それぐらいの気持ちの軽さが必要。
    フィルムアート社のバナーを見かけるたびに「たぶん全部読んだことある」と思ってノータッチでいます。とかいって全然違うことが書いてある気がしてきた、覗いてみようかな。

    キャラクター中心で想像力を働かせる方は、プロットの決め打ちは逆効果だと思います。単なる手枷になってしまうので。はとりさんは確固とした世界観と物語の動機を持っているので、どれだけ登場人物が奔放に活躍しても、本論から大きく外れることがありませんね。

  • 三幕構成、恥ずかしながら初めて聞きました。
    Wikipediaも読んでこようと思います^^*
    創作のためになるお話でした!

    作者からの返信

    三幕構成、演劇や映画の業界でなければさほど有名ではないのかもしれませんね。以前某所で講義したときに、受講者だった早川書房の編集者の方が「三幕構成論は小説のお作法としては役に立たない」というエッセイ(?)を手渡してくれました。一理あるなとは思いますが、参考にしてる人も少なくないというのが三幕構成論です。Wikipediaのページは話半分で眺めてやってください!

  • いつもいつもいつも、本当にためになりますっ!
    思わずWikipediaブックマークでございます!w
    Wikipedia恐るべしっ……!

    作者からの返信

    あのWikipediaのページ、良い意味で異常ですよね。どんな熱意があればあれほどガッツリと纏めようと思うのか。クノッソスの迷宮みたいに入り組んだ内容なので、ゆめゆめ道に迷わぬよう……。笑

  • 歪みのないコミュニケーションって難しいですよね。
    日本は民主主義だけれど、やっぱり議論は尽きないし問題も多いですし。
    文化が違っても話し合おう理解し合おうという気持ちでのぞめば、少しずつ理想の形へ進めるのかもしれないですよね。

    作者からの返信

    民主主義は油断していると多数決や同調圧力の世界に陥ってしまうので、それを正しく実現しようというときに大事なのが、他人をコントロールしようとする考え方ではなくて、他人とコミュニケーションを取って合意を目指そうという理性なのでした。さかなさんのおっしゃる通り、理想の形に向けて一歩一歩進んでいきたいですね。

  • 議論をするのに一番有効的なのが対話になるでしょうし、発した言葉が意図通り相手に伝わったという確証はどうしても得られないため、完璧なコミュニケーションというものは難しいですよね。ある程度共通の文化や前提意識、あるいはそれに対する理解があって始めて、スタートラインに立てるのかな、という気もします。
    それでも、完璧でなくとも言葉で意見を戦わせることで(聞く耳さえ持てば)理解は深まりますし、ハーバーマス氏はそういう面白さに魅了されていたのでしょうかね。

    政治家を見ていると日本人て議論が不得手だなぁと思うことが多いので、民主主義が完成するのはまだまだ遠いように思えます^ ^

    作者からの返信

    以前、熟議民主主義が法定化された日本でなおも民主主義が実現せず、全体主義化してしまうという戯曲を書いたことがあります。仕組みがあっても中身が伴わなければ意味がないという。他人事ではありませんが、問題の根は深いですよね。

    異文化の間でも対話に臨む姿勢さえあれば、相互の文脈が地平の彼方で融合するはずだという議論があります。結局、対話に向けた努力を人間がどこまで貫徹できるのか、という問題かもしれません。ハーバーマスは、まだまだその対話の姿勢が充分ではないよということを強調したくて、「近代はまだ完成していない」と言っているようです。完成させたい(けものの欲望)


  • 編集済

    哲学全般どスルー(ものの本で引かれていたソンタグの『反解釈』を入手するも秒で投げ捨てました)の私はみずからの知的欠缺に顔真っ赤ですが、それでも非常にエキサイティングでした! 西洋中心主義と批判されているところでは、なんとなく山口昌男の「中心と周縁」を想起させられたりもしましたね。まあ、山口昌男(『文化と両義性』とか)もレヴィ=ストロースも積読のまま未読なわけですが……
    ともかくも、キツネさんの解説を拝読すると、固着して不動と化している知的好奇心の歯車に潤滑油を注いでもらっているような気分になります。Amazonで調べた『コミュニケイション的行為の理論』は結構お高く(しかも上、中、下!)、欲しいものリストに入れるにとどまりましたがw


    ▼「作者からの返信」に返信はできない仕様のようでコチラに

    オクタビオ・パス『弓と竪琴』は最初の方しか読めていないのに三冊も持っていて、なぜか会社の自分の机にも置いてありますwww

    《人間とは言語のお蔭で、すなわち、人間を他者に変え、自然界から切り離した始原的隠喩のお蔭で人間なのである。人間とは、言語を創造することによって自己を創造した存在である。ことばを介して、人間は自らの隠喩となる。》

    ここにはシビレました(ホントに最初の方しか読んでないのがバレちゃう……w)

    作者からの返信

    わぁ、こちらもお読みいただいて誠にありがとうございます! 哲学は真面目に読むより斜めから遊ぶのがちょうどよいかもしれませんね。前もって哲学史上の文脈を知らないと意味をなさない文章が多いので、ハードル高いんですよね…。キツネの解説も難解な雰囲気を醸し出さないように四苦八苦しましたが、どこまで上手くいったかというところ…。

    山口昌男ご存知ですか!最近言及される機会がめっきり減ったように見受けられますが!『文化と両義性』は最ッ高ですね! ジャンルは違うものの、山口昌男と仲の良かったオクタビオ・パスの『弓と竪琴』も未読でしたら是非。こちらは詩論・創作論です。岩波文庫版には山口昌男の補論が載っていました。

    『コミュニケイション的行為の理論』はよほどの興味がなければ通読困難なので、図書館で借りるのをお薦めします。平易ではあるんですが、長いんですよね。笑


  • 編集済

    こんにちは。

    だいぶ昔に「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」を舞台で観た時(生瀬勝久と古田新太の関西弁というシナリオ/笑)に、この話は『ゴドーを待ちながら』とよく似ている、というのを解説で聞いて、いつか読んでみたいなあと思いつつ手が出ていなかったのですが、こういうお話だったのですね。

    不条理で無意味に思えるのに、ノーベル文学賞を受賞してしまうなら、きっとそれだけの魅力があったのだろうなあと感じつつも、やっぱり難しそう……。

    ラストの解釈は人それぞれ、というのがきっとまさに至言なのだろうなあという印象を受けました。

    とっても面白かったです。続くエピソードもゆっくり楽しみに読ませていただきます。
    お邪魔しました。

    作者からの返信

    『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』…トム・ストッパードの戯曲でしょうか。あれはパロディ文学の最高峰ですね。結末が宿命づけられているという点で『ゴドーを待ちながら』とは本質的に異なるのですが、登場人物が状況を動かさず、時間が無為に流れてしまう辺りはベケットに通じているのかもしれません。実はベケット以前にチェーホフが同様のスタイルを確立しているので、いずれ解説しますねっ。それにしても関西弁で演じたのか〜。笑

    お手隙の際にごゆるりとご覧いただける評論を心掛けております。またのお越しをお待ちしております!

  • 百年の孤独、タイトルしか知らなかったので今回こちらを見て読んで、すごく気になりました!

    挿話だけでもすごく好みそうな予感がして。
    そして孤独を扱っていながら、架空の都市の歴史や一族の繁栄と衰退、その最後に結局訪れるのが孤独なのかなと、更にワクワクしてしまいます。
    今度これも探してみよう♪

    いつも素敵な解説をありがとうございます!

    作者からの返信

    スキマ参魚さんには全力でお薦めしたい!(ラテンアメリカ文学布教委員会多分会長だいなしキツネ)
    『百年の孤独』は膨大な情報量を捌かないといけないので多少読むのが大変ですが、興味を惹かれるエピソードと独特の人間臭さが充満している逸品です。
    完璧なプロットがお好みであればボルヘス『伝奇集』、コルタサル『すべての火は火』などもお薦めです♪
    興味を持っていただきありがとうございますッ!!(ラテンアメリカ文…略)

  • マジック・リアリズム、カクヨムでもたまに耳にするジャンルなのですが、なるほど由来はラテンアメリカのほうなんですね。ヨーロッパは古くからキリスト教という文化の基底があったのに対し、南米とかは現地の信仰や伝統が根強かったからなのでしょうか。
    具体的な数字が示されると、途端に現実味を帯びるのもわかります。
    自分でも小説書く時には、ここでは数字を確定して出したほうがいいか、ぼやかしたほうがいいか……と悩みます。
    荒唐無稽な事件に具体性を付与することで、あり得ないことなのに現実味を持たせる、というのは面白いですね。ちょっと不思議、とはまた違う感覚が得られそう。
    孤独の定義も面白く考えさせられました。動画も後ほど見にいきますね^ ^

    作者からの返信

    わぁい、ありがとうございます♪
    マジックリアリズムはもともと1920年代の西欧絵画の流行を表現する言葉でしたが、1960年代以降は概ねラテンアメリカ文学のことですね。ここから派生して、トマス・ピンチョンを北米マジックリアリズムといったり、大江健三郎や中上健次を日本的マジックリアリズムといったりします。最近では森見登美彦が有名。
    南米は20世紀中葉においても日常生活を神話的に理解する傾向が残っていたため、こうした文学が花開いたようですね。その点、日本も独特な生活理解をしがちなので、マジックリアリズムとは相性が良いのでした。
    フィクションにおけるディテールって大切ですよね。物語世界を構成するディテールへの眼差しが、作家の才能を示唆する気がします。

    編集済
  • フアン・ルルフォの短編集『燃える平原』が大好きでして、ガルシア・マルケスの作品も『百年の孤独』はもちろん、『予告された殺人の記録』他何冊かが、実家の自室で未読のまま埃をかぶっています(積読地獄w)。素晴らしい機会をいただいた心持ちです。今度回収して読んでみようと思います! あとついでに『ペドロ・パラモ』もw

    作者からの返信

    『燃える平原』最高ですよね!! そして『ペドロ・パラモ』こそ荒野において孤独な魂が燃え盛るような傑作です。南米マジックリアリズムで一番印象に残った作品を挙げろと言われたら『ペドロ・パラモ』かも…。
    ガルシア=マルケスは色々と書いてますが、何だかんだいって『百年の孤独』と『族長の秋』が別格な気がします。

    編集済
  • 枕草子は学校の授業で習うのでお馴染みですけど、全編通して読んだことなかったのでとても興味深い内容でした!
    清少納言さん、ほんと人間らしいというか。その時代の生きている人が書いたものなんだなあと感じました^^*
    現代語訳とか読んだら、また面白いでしょうね!

    作者からの返信

    人間らしさも文学的に卓越するとこうなるんだぁ…という驚きや呆れも感じてしまいます。笑
    ぜひぜひ現代語訳でお読みいただければ、キツネが紹介できなかったエピソードの中にもクスリと笑わされるものがたくさんあると思います!


  • 編集済

    とても面白かったです!☺️✨知らないことも多くて勉強になりました✨
    私は日記的章段を高校の授業で学んだ時に、初めて清少納言が生きてた人間だったんだなって感動したことを思い出しました😌それくらい人間らしさが出ている内容でしたよね。彼女の人柄がよく現れているというか、女特有のプライドの高さがよくわかる。現代にいたらインスタやってそう(笑)
    あと、紫式部が自分の日記に清少納言をこき下ろしてる所、いかにも女同士のバチバチという感じですごく好きです(笑)結構ひどいですよね、漢字書いてドヤってるけど間違ってる部分も多いわって(笑)
    出る杭は打たれるというか、枕草子が批判的に流用されているというところは「へー😳」となりました。枕草子は通読はしたことがないので、今度訳つきのものを読んでみたいですね!今回も面白かったです☺️💕

    作者からの返信

    わぁい、ありがとうございます!
    日記的章段はバチバチに男と渡り合う回があったり、定子との百合百合しい回があったり。「これを書き留めたい!」という清少納言ちゃんの欲求を微笑ましく感じてしまいます。どこか可愛らしんですよね。
    インスタやってそう。笑
    何ならTik Tokまでやってそう。

    紫式部は清少納言の痛いところを突いてますよね! 紫式部と清少納言は宮廷に勤務した時期がズレているそうなので(清少納言が退職した後に紫式部が入職した)、わざわざあれを書くからにはよほどの事情があったのでしょうが…。宮廷にとって清少納言の印象はそれほど鮮烈だったのかもしれませんね。

    枕草子、ぜひぜひ読んであげてください!

    編集済
  • 清少納言の枕草子は教科書で読んだくらいで、全編読み通す機会があまりないですよね。私は古文が苦手だったのもあり、教科書以上には触れずにきちゃいました。
    内容は中々面白いとは聞いてるので、現代語版みたいなものなら読めるのかなぁ……。
    随筆って面白いですよね。
    昔の人も現代人も、感性的なところはそう大きく変わらないような気がします^ ^

    作者からの返信

    意外に通読する機会はないですよね! それでもやはり一昔前は精通している人も多かったようで、今より毀誉褒貶が激しかったようです。
    枕草子の現代語訳は難解なものか少しクセのあるものが多い印象です。今回は主に角川ソフィア文庫版を参照しました。

    感性的なところ、変わりませんね! 枝がしなってパッと露が飛び散る様子に風情を感じたり、花より枯れ葉に趣を感じたり。必ずしも役に立つものばかりを重視しているわけではないところに、ひとの感受性は豊かだなぁと思います。

  • すごく面白かったです!ゴドーを待ちながら、は私も読んだことがなかったのですが、解説してもらうと読みたくなりますね!☺️
    確かに引用文も一読しただけだと「これは何をやっているんだ??」と思いましたが、自由だとかロシアからの独立だとか、シニカルな意味を込められているのだと思うと途端に面白くなりますね!

    私もついつい作者が記す一文一文に意味があるのだと思いこんでしまいますが、自由に解釈して落とし込む読み方もとても面白そうだなと思いました☺️✨読書の幅が広がります!

    作者からの返信

    結月花さま! そう言っていただけて嬉しいです。
    言語芸術の中には、書き手の「自由に読んで欲しい」という願望が込められていることが少なくないですよね。それを真っ向から受けとめて、自分なりの読みを見つけていきたいというのがキツネの目標でもあります♪

  • 不条理劇って初めて聞きました。なるほど、ひとつ知識が増えました。
    私は読んだことないんですけど、「ゴドーを待ちながら」は何度読んでも違った体験ができて楽しそうです^^*
    読み手が答えを自由に決めていいっていうのがまたいいですよね^^*

    作者からの返信

    さかなさん! ありがとうございます。ちょっとでもお役に立てたのであれば光栄です。
    不条理劇については演劇関係者の間でも苦手意識の強い方が少なくないので、この機会に気楽に紹介してみようと思った次第です。
    ベケットくんはノーベル文学賞を受賞している逸材なので、気が向いたときに読んであげてください。代表作以外も変な作品ばっかりです。

  • 凄い!!面白くてスルスルと読んでしまいました。
    YouTubeがあるとの事で、後ほどそちらも拝見したいなと思います。

    ≫ その方向性の違いから、ベケットがルイス・キャロルにもエドワード・リアにも興味を抱いていなかったのは当然かもしれないね。

    私はルイスキャロルが大好きなのですが、こちらを読んで凄くあーなるほど!と納得した気がします。
    不条理も好きだしノンセンスも好きだけど、この分け方にもあーなるほどと。

    そして拙作に素晴らしすぎるレビューをいただきまして、どうもありがとうございました!
    直接お礼を申し上げたく、この場を借りて感謝申し上げます。
    まさかシャフツベリとリバティ・ベルを名付けた意味合いを、あそこまで的確に読み解いてくださる方がいるなんて…とビックリしてしまいました。
    本当にありがとうございました。

    近況ノートに挙げられていた作品、とても興味があったのでまた引き続き楽しみにしております。

    作者からの返信

    ご丁寧にありがとうございます!
    ルイス・キャロルは文学者の間でも研究が進んでいて、詳注版が出たり多種多様な翻訳が出たりと楽しい状況ですよね。わたしも大好きです。
    不条理劇を好きだと言ってくださる方、身近には少ないのでとても嬉しいです。

    こちらはゆっくりと更新していきますので、たまに覗いてやっていただけるとキツネは飛び跳ねて喜びます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  • 私はどうも、作品を物語として真面目にとらえすぎるところがあるみたいで、シュールだったり不合理だったりというものをどう楽しめばいいか、よくわかってなかったのですが、こちらの解説で何となく腑に落ちた気がします。
    作者が答えを提示しないからこそ、無限の答えがそこから見出せるというものがあるんですね。今度そういう視点をもってみようと思いました^ ^

    作者からの返信

    わぁい、羽鳥さんありがとうございます♪
    変な作品というのは、向こうから読者や観客をおちょくってきますので、こちらも積極的におちょくり返すのが楽しい、みたいな気持ちで文学に親しむキツネです。「軽さ」って大事ですよね。