応援コメント

生活世界の植民地化に抗して ハーバーマス『コミュニケーション的行為の理論』」への応援コメント

  • 歪みのないコミュニケーションって難しいですよね。
    日本は民主主義だけれど、やっぱり議論は尽きないし問題も多いですし。
    文化が違っても話し合おう理解し合おうという気持ちでのぞめば、少しずつ理想の形へ進めるのかもしれないですよね。

    作者からの返信

    民主主義は油断していると多数決や同調圧力の世界に陥ってしまうので、それを正しく実現しようというときに大事なのが、他人をコントロールしようとする考え方ではなくて、他人とコミュニケーションを取って合意を目指そうという理性なのでした。さかなさんのおっしゃる通り、理想の形に向けて一歩一歩進んでいきたいですね。

  • 議論をするのに一番有効的なのが対話になるでしょうし、発した言葉が意図通り相手に伝わったという確証はどうしても得られないため、完璧なコミュニケーションというものは難しいですよね。ある程度共通の文化や前提意識、あるいはそれに対する理解があって始めて、スタートラインに立てるのかな、という気もします。
    それでも、完璧でなくとも言葉で意見を戦わせることで(聞く耳さえ持てば)理解は深まりますし、ハーバーマス氏はそういう面白さに魅了されていたのでしょうかね。

    政治家を見ていると日本人て議論が不得手だなぁと思うことが多いので、民主主義が完成するのはまだまだ遠いように思えます^ ^

    作者からの返信

    以前、熟議民主主義が法定化された日本でなおも民主主義が実現せず、全体主義化してしまうという戯曲を書いたことがあります。仕組みがあっても中身が伴わなければ意味がないという。他人事ではありませんが、問題の根は深いですよね。

    異文化の間でも対話に臨む姿勢さえあれば、相互の文脈が地平の彼方で融合するはずだという議論があります。結局、対話に向けた努力を人間がどこまで貫徹できるのか、という問題かもしれません。ハーバーマスは、まだまだその対話の姿勢が充分ではないよということを強調したくて、「近代はまだ完成していない」と言っているようです。完成させたい(けものの欲望)


  • 編集済

    哲学全般どスルー(ものの本で引かれていたソンタグの『反解釈』を入手するも秒で投げ捨てました)の私はみずからの知的欠缺に顔真っ赤ですが、それでも非常にエキサイティングでした! 西洋中心主義と批判されているところでは、なんとなく山口昌男の「中心と周縁」を想起させられたりもしましたね。まあ、山口昌男(『文化と両義性』とか)もレヴィ=ストロースも積読のまま未読なわけですが……
    ともかくも、キツネさんの解説を拝読すると、固着して不動と化している知的好奇心の歯車に潤滑油を注いでもらっているような気分になります。Amazonで調べた『コミュニケイション的行為の理論』は結構お高く(しかも上、中、下!)、欲しいものリストに入れるにとどまりましたがw


    ▼「作者からの返信」に返信はできない仕様のようでコチラに

    オクタビオ・パス『弓と竪琴』は最初の方しか読めていないのに三冊も持っていて、なぜか会社の自分の机にも置いてありますwww

    《人間とは言語のお蔭で、すなわち、人間を他者に変え、自然界から切り離した始原的隠喩のお蔭で人間なのである。人間とは、言語を創造することによって自己を創造した存在である。ことばを介して、人間は自らの隠喩となる。》

    ここにはシビレました(ホントに最初の方しか読んでないのがバレちゃう……w)

    作者からの返信

    わぁ、こちらもお読みいただいて誠にありがとうございます! 哲学は真面目に読むより斜めから遊ぶのがちょうどよいかもしれませんね。前もって哲学史上の文脈を知らないと意味をなさない文章が多いので、ハードル高いんですよね…。キツネの解説も難解な雰囲気を醸し出さないように四苦八苦しましたが、どこまで上手くいったかというところ…。

    山口昌男ご存知ですか!最近言及される機会がめっきり減ったように見受けられますが!『文化と両義性』は最ッ高ですね! ジャンルは違うものの、山口昌男と仲の良かったオクタビオ・パスの『弓と竪琴』も未読でしたら是非。こちらは詩論・創作論です。岩波文庫版には山口昌男の補論が載っていました。

    『コミュニケイション的行為の理論』はよほどの興味がなければ通読困難なので、図書館で借りるのをお薦めします。平易ではあるんですが、長いんですよね。笑