花火が観たかった

moat

花火が観たかった

「花火…?」

 六畳一間の収納扉にもたれてぼぅとしていると、突然カーテンの向こうから遠く破裂音が1、、2、3として…花火大会などあっただろうか。最後に観たのはいつだったか。

 目の前にはマンションが並んでいるので、カーテンを開けても仕方なかった。

 立ちくらみつつ気の抜けた足音を玄関へ向けた、特別な興味はなかったが綺麗なものを観たい気分だった。何故?……知らないが。珍しく漫然としていない行動だと思ったのに、問えばすぐこれだ。

「おっ…と」

 靴を履こうとしてつまづいてしまった、自分の家だというのに何をしているのだろうか。外に出るのが、久しいからか。


 1階に住んでいたし、音が聞こえるのは玄関とは反対側の方向だったので、ちょっと外に出たくらいではだめだった。

 だが、道の向かいにビルの非常階段がある。何のビルか知らないしそこまで大きくはなかったが、一番上まで昇ればうちのアパートの屋上なんかよりはずっと高い。

「あそこなら観えるかな…」

 相も変わらず気の抜けた足取りで道を渡った。隣のマンションではベランダが音のする方角にあるので、いくつかの明かりから人が出てきて小さく歓声をあげている。

 二つの音を背に聴きながらカンカンと昇って…片方の音は聴かないように、考えないように、泣かないように。

 少々汗をかきながら、高くまで昇ってきた。


 少し、色のついた光が見える気がしなくもないが、やはり灰色で凹凸のある境目が空にかかって邪魔だった。隣のマンションからは観えているのだから、ここでも観られると思ったのだが…。

 鼻でため息をひとつ、先程と似たような体勢で柵にもたれる。

「疲れた…」

 ガラガラっ…また、音がした。昇ってきていた時と同じようにマンションのベランダから人が出てきたようだ。

 背が高くて優しそうな男性がひとり、綺麗な長髪で几帳面そうな女性がひとり、あとは…笑顔が素敵な女の子がひとり。

 幸せそうだ、花火もよく観えるらしい、それはよかった。

 女の子はかなり薄着じゃないか、風邪をひくなよ。や、夏だし少々良いのかな。

 両親…だろうな、その幸せを手放さないで、必ず守って。

 誰よりも幸せにしてあげて。

 本当に素敵な笑顔だ、いつまでもそうして笑っていて、ほら俺みたいに泣くんじゃないよ………?ああ。

「我慢していたのになぁ」


 バキンッ

「…⁉︎」

 柵の…何が壊れたのか分からなかった。ただ、自身の身体が後ろに傾いていく感覚だけが鮮明だった。

 あの家族がこちらを見ていた。それもそうだ、花火に負けないくらい大きな音だったから。

 ああだめだ、こっちを見てはだめ、幸せな家族が人が死ぬところなんて見てはだめだ…。何か…何か掴まないと。


 でも

 不思議と手を伸ばそうとは思わなかった。


「花火が観たかった」

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