第48話 帰るべき場所
耳元から聞こえてくる、微かな吐息。
胸を締め付けられる程よく知っている香り。
全身を包み込む、温もり。
(生きてる……)
冷たく肌にあたる地面の感触と草木の匂いから、私たちは抱き合ったまま倒れているのだと認識します。
うっすらと目を開き少しだけ見上げると、同じように顔を下げてくれた愛しい人の、大好きな空色の瞳と目が合いました。
「アル、にぃさま……大丈夫?」
「うん、大丈夫。ルゥナこそ、大丈夫? ……生きてて、良かった……ルゥナ……」
「うん……アル兄様。私たち、生きてる……」
瞳を揺らしたお兄様は、私をぎゅぅっとしてくれました。
私も瞳を揺らしながら、その身体を強く強く抱きしめます。
暫くお互いの熱を感じ合うと、ゆっくりと私を抱き上げながらお兄様が身体を起こしていきます。
「アル兄様、私立てるから大丈夫です」
「そう……? じゃあ、ごめんね、ルゥナ……正直、ちょっとやばい……」
そのまま私を抱き上げようとするお兄様の腕から降りると、ふらつく彼の身体を支えました。
顔色は完全に青から白になっていて、指先はずっと小刻みに震えています。
「アル兄様!? 大丈夫!? ど、どうしよう……嫌だよ……」
オロオロと狼狽えながら、必死でその身体を支え顔を覗き込みました。
心配で心配で堪らなくて、揺れる瞳からは涙が滲んできてしまいます。
「大丈夫だよ、ルゥナ。心配かけてごめん。ちょっと魔力切れ寸前なだけだから。……はぁ、こんなになったの初めてだよ、全く」
「よ、良かった、アル兄様……絶対に、無理しないでね」
「本当に、大丈夫だよ。そんなに心配しないでいいからね。ごめんね、ルゥナ」
ふわりと微笑むと頭を撫でてくれた彼を見上げると、安堵でホッと息を吐きました。
「あ! あの……そういえば、ルシアン様、は……?」
「……そうだ……」
一緒に辺りを見渡したのですが、ルシアン様の姿はどこにも見当たりませんでした。
……ん…ゃぁ……ほ…ぎ……ぁ……
「え?」
「ん?」
何か声のようなものが聞こえたような気がしたので、再度キョロキョロと周囲を見回していきます。
「ルゥナ、こっちだ……」
「分かりました……!」
何かを発見した様子のお兄様が指し示す方向へと、彼の身体を支えながらゆっくりと歩んで行きます。
「ぉぎゃぁ…ぉぎゃぁ…ぉぎゃぁあ」
見るとそこには、こがね色の髪を持った赤児がいました。
「……これって、まさか……」
「あぁ、ルシアンだね。間違いない」
抱き上げようと向かう私の足取りを制したお兄様が、泣いている赤児の元へと歩み寄りました。
凍てつく瞳と鋭い眼差しを、ルシアン様だという赤児へと落とします。
「あ、アル……」
思わず指を組んで、懇願するような目を向けました。
私の方を振り返ったお兄様は一瞬ふわりとした笑顔を浮かべると、残された衣服に包みながらその赤児をそっと抱き上げます。
「ルシアンだよ。ほら、見てみて」
「……だぁ…ぁっ……だっ……!」
お兄様に抱き上げられたルシアン様だという赤児は、さっきまで泣いていたのが嘘のように笑っています。
その瞳は、私の記憶に焼き付いて離れない、最後に見たルシアン様の海のように深い紺碧色をしていました。
お兄様は凍てつくような眼差しで赤児を見つめていますが、その手つきはとても優しくて、大事に大事に抱き上げています。
「何で、ルシアン様は、赤児に……」
ーーザザザァァァッ!!
風と共に、私たちの前に影が降り立ちました。
あまりにも突然の事にびっくりした私は固まったまま、その影を瞳に映しました。
「ステファン様、遅いです」
「えっ!? これでも超絶最高速度で来たんだよ? むしろ、僕だから出来たんだよ? しかも護衛無しでここまで単身来てるんだよ?」
降り立ったステファン様は、紺碧と金色のオッドアイの瞳を瞬かせながら、冷たい眼差しのままのお兄様の肩を揺らしました。
お兄様は少しだけ煩わしそうな顔をしながら、腕の中の赤児を落とさないようにとそっと抱き直しています。
「……ステファン様……ちょっと離して貰っていいですか? 揺らしてはいけません」
「ん? あれ? 君たち、いつの間に子どもができたの? ルーナリア?」
「……違いますよ。……この赤児は、ルシアンです……殿下、貴方の弟君です」
大きく息を吐いたお兄様は、凍てつく瞳のまま抱き込んでいた赤児をステファン様に渡しました。
その手つきはとても慎重で、ルシアン様に対する変わらないお兄様の優しさに胸が締め付けられてしまいました。
「これは……」
腕の中へと渡された赤児をまじまじと見つめたステファン様に、お兄様がこれまでの経緯を説明していきました。
「──なるほどね。うん、そっか……」
「……あの、ですね……そもそも、何でステファン様が、ここにいらっしゃるのですか?」
やっと頭が回ってきた私は、ずっとある疑問を解決したくてついつい口を出してしまいました。
「あぁ。殿下には砦での交戦中に僕から手紙を送ったんだ。結界の修復には王族が必要になってくるし」
「いやいや、にしてもあの呼び出しは酷いって。聞いてよルーナリア。アルフレートったら、以前教えた飛行魔法と防壁魔法の併用で今すぐに来いっていうんだよ? おかげで8時間ずっとぶっ続けで魔法行使しっぱなしだよ」
「あ……あの、以前アル兄様が東の砦から帰ってきてくれた?」
「殿下だったら楽勝でしょう。理論さえ知れば何でも出来るじゃないですか。僕で実験しているから何の問題もないですしね」
綺麗な笑顔を浮かべたお兄様を、ステファン様が恨めしげな目で見ました。
「……ま、何はともあれ、アルフレートの呼び出しでこっちに大至急飛んで来た僕は、上空に広がる火魔法の灯りを目印にここに来たってわけ」
「えっ! 火魔法なんてあったんですか?」
「あぁ、ルシアンとの攻防の最中、上空でずっと行使していたんだ。さすがに意識を失った時には止まってしまったけど……」
お兄様が壁を作りながら、そんな火魔法を行使していた事を初めて知って、衝撃で絶句してしまいました。
ついつい指折り数えて、何重で行使していたのかを確認してしまいます。
「だいぶ近い所まで来ていたから、途中で消えてもその方向からここまで辿り着いたってわけ」
ステファン様は優しい笑顔で私に笑いかけますが、月明かりしかない中、こんな所で探し人を発見するその聡明さに改めて驚きました。
「……でも、じゃあ、何でルシアン様は、赤児になったんだろう……?」
私の呟きに、ステファン様とお兄様が目を合わせました。
軽くステファン様に頷いたお兄様は、真剣な眼差しを私に向けます。
「ルシアンは、治癒魔法を最大限行使して
お兄様はステファン様の腕の中で眠っている様子の赤児に、一瞬だけ切なそうな視線を送りました。
「その通りだよアルフレート。光と闇のぶつかり合いが一定値で調和して、そこから魔力が一気に膨張していったんだろうね。君たち2人に逆流しなくて良かったよ。全く、欠損部分を補う事ですら僕でさえ出来ないのに、それがこんな再生魔法を行使するなんて……何年かかっても、僕には出来そうにないな。本当、とんでもない可能性を秘めていたね」
ステファン様は腕の中で眠っているルシアン様に向かって、優しく笑いかけました。
「……ルシアンは、生まれ変わったんだね……僕も、もう一度、ルシアンとの関係を、ちゃんとやり直すよ……」
まるで懺悔をするように小さく呟くと、今にも泣き出しそうな顔を必死に堪えたまま、しっかりとルシアン様を抱き直します。
赤児の頬に触れる手はとてもとても繊細で、オッドアイの瞳は慈しみをたくさん含んでいました。
「ステファン殿下。東の砦の件であくまで予想だと報告致しましたが、やはり結界の維持には『闇属性』は絶対に必要でした。今現在の『結界の破綻』も、その『闇』を遠ざけた代償だったのです」
「分かってるよ。──カーティスは、本来僕たち王族と対となり結界を守護していたんでしょ?」
「「……っ!」」
予想もしない返答に息を呑んだ私たちは、穏やかな笑みを浮かべたままのステファン様を見つめました。
「殿下……ご存じで?」
「アルフレートから結界の修復の報告を受けた時、全てが繋がった。前も話したけど、
ふっと表情を消したステファン様の異なる色彩を持つ瞳が、月明かりを反射してきらりと輝きました。
「そ、その……な、何でステファン様は、王族なのに、ずっと疑問に思われていたのですか? 王家はカーティスを……」
「──何故なら、僕も闇の血筋を引くものだしね。つまり、その昔は『光』と『闇』はその血を交えていたって事だ」
「「っ!!!」」
その言葉を聞いて、小刻みに震え始めました。
私の肩をそっと抱き寄せてくれたお兄様の身体に、顔色が悪いままぎゅっと寄り添います。
器用に片手でルシアン様を抱いたステファン様が紺碧の瞳を隠すと、そこには金色の瞳が残されました。
「ルゥナと……よく似た……」
「そういう事。ま、僕の闇属性の行使力はそんなにないんだけどね。結界を
ルシアン様を再び大事そうに両手で抱え直すと、柔らかな笑みを浮かべます。
「それにしても、アルフレート。ルシアンの魔法行使の理論分析といい、全属性使用しつつの5重の魔法行使……ふふふ。さすが期待通りだよ! あぁ。やっと僕の所まで辿り着いてくれた……君が来てくれて、僕の心は本当に楽になるよ」
「ステファン殿下……」
「……王者というものは、常に孤独だ……」
ふと視線を遠くにやったステファン様が、寂しそうな切なそうな顔のまま、ポツリと溢しました。
背中に背負っているズッシリとした何かが、その姿から見えたような気がします。
(非常に優秀なステファン様だけど、色々なものを抱え込むには、やっぱり1人では辛い時もあるはず……私だってアル兄様を支えたいし、アル兄様だって私に支えられていると言ってくれた……それに、学園生活でもフェリシアとオリエルがいたからこそ、生きていく事ができた……)
1人じゃないと思えるから、人は生きていける──そんな想いのまま、悲しそうな笑顔の王太子殿下を目に映しました。
私の傍からスッと離れたお兄様が、流れるような仕草でステファン様の前で跪くと臣下の礼をします。
「──ステファン様。僕は、殿下に心からお仕えする事を、今日お誓いいたします」
微かに息を呑む音が、聞こえました。
お兄様はそのまま立ち上がると、微笑みを浮かべ殿下へと手を差し伸ばします。
「それと、今日から『友達』としてもよろしく、ステファン」
どこか
「アルフレート……僕の、支えになってくれるの?」
「もちろん! 但し、優先順位はルゥナが上だからな、ステファン」
どこか人の悪そうな笑みを浮かべたお兄様を見て、ステファン様の瞳が僅かに揺らめきます。
差し出された手を握りしめぶんぶんと大きく振ったと思ったら、引き寄せた肩を強く叩き始めました。
「……あはははは!! もちろんだよ! 僕も分かってるよそこは! こちらこそよろしくね、アルフレート!」
「……痛いぞ、ステファン……ったく、似たもの兄弟だな……」
とても朗らかな笑顔をしているステファン様に迷惑そうな顔を向けながらも、空色の瞳はとてもとても喜びに満ちていました。
「──さて、ルーナリア。君が望むなら、カーティス家を再興しても構わないよ」
雰囲気を変えたステファン様が、オッドアイの瞳で私を見据えました。
チラリとお兄様を見上げると、にっこりと笑って小さく頷いてくれています。
カーティス家の家名を再興させたら、屋敷や領地を与えられそこを管理しなければならなくなくなるはず。お兄様との婚姻を解消しないとしても、きっと別々に暮らす事も増えていくかもしれない。それに、家名があるからカーティスの血筋を誇っているのではない。
幾千もの年月で築き上げてきた
様々なモノが、頭の中を駆け巡っていきます。
(イントゥネリーお母様、ごめんなさい)
一度目を瞑り今は亡き家族へと想いを馳せると、どこか楽しそうな色を宿した虹彩の異なる瞳に笑顔を向けました。
「いいえ、いいです。私はダネシュティ家の娘です。そして、アルフレート様の妻ですから」
「ルゥナ! いいの!?」
「はい! アル兄様!」
僅かに揺れる瞳のまま驚きに満ちた眼差しを湛えているお兄様に、満面の笑みを返しました。
「じゃあ、この件は君たちの子どもが産まれたら、その子に爵位を与えるって事で決定ね。そもそも、結界の維持の為には『闇』を司る者がいないと困るしね。来年僕が即位する予定だから、その時の恩赦って形でカーティス家の再興を宣言し、結界の本来の意義を全王国民に説明しよう」
「ステファンっ!」
「……ステファン様……ありがとうございます……!」
『光』と『闇』が、本来の形に戻る事──
カーティスの長年の悲願を叶えることが出来た嬉しさで、泣きそうになる自分を必死に抑えました。
「これこそが、王国のあるべき正しい姿だからね。──さぁて、結界の修復をしたら帰ろうか。王城半分抜け出して来たようなものだし、ルシアンこんな赤ちゃんだから、早く連れて帰ってあげないと。あっちに砦の騎士隊が馬を連れて迎えにきてくれているから合流しよう。ルーナリア、よろしく頼むよ」
「はい! お任せください!」
「さすがステファン。馬があるなら助かった。抜かりないな」
「ふふふ。まーね。僕は天才だからね〜。ほら、先に行くよ」
顔を見合わせて微笑み合ったお兄様と手を繋ぐと、先を歩いて行くステファン様の後についていきます。
柔らかな陽の光が、ほんの僅かにうっすらと山の端から見えています。
いつも間にか夜も明けそうになっていました。
闇の色を僅かに薄くした空を見上げると、そこには綺麗な綺麗な明け方の月が浮かんでいました。
月の光はまだ優しく、私たちを照らしてくれています。
──闇が消えても、また夜はやってくる。いつも美しい月と共に。
「ルゥナ……本当に、良かったの? ルゥナがカーティスの名を名乗ることも出来るのに……」
ひたむきな眼差しで真っ直ぐに私を見つめたお兄様が、囁くように問いかけました。
歩みを止めた私に合わせ、彼も止まってくれます。
少しだけ小さくなったステファン様の向こう側には、騎士隊の人たちの姿が確認出来ました。
「うん。本当にいいの。だって、私の居場所はアルだから。アルが、私の帰る場所なの」
晴れ渡るような笑顔を、真摯な想いをくれているお兄様へと送りました。
この旅で、お兄様からの、そして色々な人たちからの、沢山の心をもらいました。
その心は、私の中に積もっていきました。
積もる心を集めて、愛の力で、こうして強くなる事が、愛を深める事が出来た……
「ルゥナ……僕の居場所も、ルゥナだよ。ルゥナが、僕の帰る場所で、ルゥナが、僕の泣ける場所だ」
「アル………」
ずっとずっと大好きな、愛しい人の胸の中に飛び込むと、精一杯の背伸びをしてその美しい笑みを引き寄せました。
近づけてくれる顔を両手で包み込むと、深い深いキスを交わします。
唇を離すと、大好きな空色の瞳が、月の光を優しく映し出していました。
月夜に輝く光の中で──
「アルフレート、何度生まれ変わっても、絶対帰ってくるから。愛してる」
Fin.
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最後まで読んでいただいてありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
星やハートを入れていただき、とても励みになりました。お時間をいただきまして、番外編を投稿するかもしれません。よければお付き合いしていただけると嬉しいです。
月夜に輝く光の中で ゆん @yun_mayua
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