素敵な王子様と別れたい

上田一兆

素敵な王子様と別れたい

 パァンッ。


 乾いた音が鳴り響く。

 赤く腫れた頬に触れる。

 どうしてこうなったのだろう。



 一週間前、私は父に呼ばれた。


「アデール、君はアルゲン王子と結婚することになった」


 書斎にやってきた私に父が言った。

 その言葉を聞いて私は嬉しかった。

 まだ難しいことは分からないし、王子がどんな人かも知らないけど、でも王子様と結婚するなんてまるで絵本の世界のようだもの。

 私は王子様と会える日が楽しみになった。


 それから一週間後に私は父に連れられて王宮に向かった。


「オルス・エンハドロただいま参りました」


 父が挨拶をする。

 目の前には髭を蓄えた王様と王子様がいる。

 アルゲン王子は私と同じ5歳くらいの男の子で、絹のように柔らかそうな金髪にサファイアのような青い目をしたとてもかっこいい子だった。

 思わず一目惚れしてしまう。


「アデールも挨拶をするんだ」


 父の言葉で我に返った私は挨拶をする。


「アデール・エンハドロです。よろしくお願いします」


 気に入ってもらえるように精一杯の笑顔をアルゲン王子に向ける。

 それを見たアルゲン王子はわずかに目を見開いたかと思うと、フイッと顔を逸らしてしまった。


「……嫌だね」


 王子が呟く。


「なっ、何で!?」


「嫌いだから!」


「何でそんなこと言うの!? 何かした!?」


「うるさい!ブス!」


「――ッ! あんただってブスじゃん! アホ! 性格ブ――パァンッ!


 乾いた音が鳴り響き、室内は静寂に包まれる。

 あっ……、と呟やくアルゲン。

 私はジンジンと痛む頬に手を添える。


 初対面なのに、どうしてこんなことされないといけないの!?

 何もしてないのに!


 悲しいやら悔しいやら、いろんな感情が溢れて、私は大泣きしてしまう。


「アルゲン! 謝りなさい!」


 王様が叱る。


「ご、ごめ……」


「きちんと言いなさい」


「……」


 アルゲン王子はフンッと顔を逸らした。


「アルゲン!」


「まあまあ、子供同士のことですから。アルゲン殿下も急に婚約することになって混乱しているのでしょう。また後日改めて」


「すまんなエンハドロ卿、アデール嬢」


「いえいえ、それでは失礼します」


 そう言って父は私を慰めながら王宮を辞した。


 翌日、アルゲン王子は王都のエンハドロ公爵邸に謝りに来てくれた。


「……昨日はごめん」


「私も、言い過ぎた。ごめん」


 お互いに謝って仲直りする。

 けれども気まずくて、その後は会わなくなった。

 たまに舞踏会とかで会った時も、不審がられないように笑顔で挨拶するが、会話はほとんどしなかった。


 そうして十年が経ったある日、父に書斎に呼ばれた。


「来月の舞踏会で君とアルゲン殿下の婚約が正式に発表されることになった」


「えっ!?」


 思わず声が漏れる。

 あんなことがあったし、あれから二人でお茶をしたりすることもなかったので、てっきり婚約はなくなったものだとばかり思っていた。


「そんなに驚くことかい? いつかは公表することだろう?」


「え、ええ、そうね」


 父が当然のことのように言ってくるから誤魔化すことしかできない。


 殿下はどう思っているのだろう。

 やっぱり私と結婚することは嫌なのだろうか。

 ああ、顔を会わすのが億劫になってきた。


 それから一週間後にアルゲン殿下と改めて顔合わせが行われた。


 部屋に入ると前回と同じように国王陛下とアルゲン殿下がいた。

 違うのはアルゲン殿下が成長したこと。

 陛下と同じくらいの長身になって、顔つきもすっかり大人の男になって、色気を纏っている。

 思わず見惚れてしまうほど美しい。


 でも期待しては駄目。

 だって――――


「あの時はひどいことをした。本当にすまなかった」


「えっ」


 アルゲン殿下が深々と頭を下げるから、思わず声が出る。


「償えるならどんなことでもするつもりだ。遠慮せずに言ってくれ」


「いえ、こちらこそ言い過ぎましたから。すみませんでした」


「仲直りしてくれるのか?」


 パッと顔を上げるアルゲン殿下。


「もちろんです」


「ありがとう」


 アルゲン殿下が笑う。

 その微笑みが美しすぎて、目が離せなくなる。


「一緒にお茶してくれるかい?」


「! はい」


 嬉しいから、私も負けじと笑顔で応える。

 そして殿下にエスコートされて席に着く。


「君とこうしてお茶できることを嬉しく思う。夢みたいだ」


「私もです」


「君のような美しい人に、そう言ってもらえると、とても嬉しいよ」


「で、殿下もかっこいいです」


「ありがとう。以前の私はひどい奴だったが、これからは君に愛されるような立派な人間になると誓うよ」


 私の手を両手で握って、間近で呟いてくる。


「わ、私も殿下に相応しい女性になりたいと思います」


 アルゲン殿下が間近で甘い言葉を囁いてくるから照れてしまう。

 こんな関係になると思ってなかったから余計に。


 でも正直嬉しい。

 だって私はアルゲン殿下のことが好きだから。


 殿下は元々容姿が整っていたけれど、成長するにつれて性格もどんどんかっこよくなっていった。

 誰に対しても親切で優しくて笑顔を絶やさない。

 気遣いができて、賢くて、剣の腕も優れている。

 文句の付けようのない、まさしく物語の王子様みたいな人になった。

 彼から微笑まれるだけで令嬢は皆夢中になってしまう。

 もちろん私には社交辞令の笑顔しか向けてくれないけど、それでも惹かれてしまうのが女心だと思う。

 あんなことがあって一度は嫌いになったけど、いつの間にかまた惚れていた。


 でも嫌われていると思っていたから、今回の婚約は不安だった。

 またひどいことを言われるんじゃないかと。


 でも違った。

 あの時のことを改めて謝ってくれて、とても優しくしてくれる。

 私との結婚を前向きに考えてくれているのが嬉しかった。

 まだ愛ではないだろうけど、いつか愛になるように、好きになってくれるように頑張ろうと思った。


 それからは毎日のようにアルゲン殿下と二人で過ごした。

 殿下はいつも私のことを褒めてくれて、優しくしてくれた。

 とても幸せな時間だった。


 でも、それは儚い夢だった。



 舞踏会を迎えた。

 多くの貴族が集まった広間に国王夫妻とアルゲン殿下が入場して、一段高い床に設えた玉座の前に立つ。

 そして国王が挨拶した。


「――――。それから今日は皆さんに嬉しいお知らせがある」


 国王の言葉を受けて、私も壇上に上がる。

 アルゲン殿下が差し伸べてくれた手を取り、殿下の横に立つ。

 皆が私を見ている。


「我が子アルゲンとエンハドロ公爵の愛娘アデールの婚約が正式に決まった。若き二人に祝福あれ」


 国王の言葉が終わると、拍手が沸き起こる。


「各々、今宵の宴を楽しんでくれ」


 国王の言葉を合図に楽団が演奏を始め、人々は思い思いに、会話をしたり、踊ったりする。


「私たちも踊ろう」


「はい」


 アルゲン殿下に手を取られ、広間の真ん中に行き、曲に合わせて踊り始める。

 さっきまで会話していた人たちや踊っている人たちも皆が私たちのことを見ている。

 失敗できない。

 緊張する。


 ふぅ。

 何とか踊り終えた。

 一曲だけなのに随分と疲れる。

 休憩しようかと椅子に座ると、多くの貴族が挨拶に押し寄せてきた。


「ティラン・イルポートでございます。アルゲン殿下、アデール嬢のご婚約を祝福します」


「ありがとう」


「ありがとうございます」


 同じようなやり取りを何度も繰り返す。

 ふと違和感に気付く。


「ご婚約おめでとうございます。グロスバリーでございます。こちらは娘のマーベでございます」


「アルゲン殿下、アデール様、ご婚約おめでとうございます」


「ありがとう」


「ありがとうございます」


 やはり違う。


「アデール様のように美しい方と結ばれるなんて、殿下は幸せ者ですね」


「ありがとう。クロウィングも君のような女性と一緒になれて幸せだろう」


「ありがとうございます」


 やっぱり他の方に接する態度と私に対する態度が違う。


「大丈夫かい?」


 挨拶が途切れたタイミングで殿下が聞いてくる。

 さっきまで他の方に笑顔で接していたのに、眉間に皺が寄っている。

 大丈夫ですわと笑顔で答える。


「そうか、でも無理はしないでくれよ。私は君のことを誰よりも大切に思っているんだから」


 だったら、どうして視線を逸らすの?


「好きだよ」


 笑いかけてくださるけれど、その笑顔は他の人に向ける笑顔とは違う。

 柔らかさがない。

 固い笑顔だ。


 どうして気付かなかったのだろう。

 彼の笑顔はこの十年ずっと向けられてきた社交辞令の笑顔だ。

 彼は別に私のことを好きじゃなかったんだ。

 いや、むしろ嫌いなんだわ。

 だって嫌いじゃなければ、他のご令嬢に対するのと同じような笑みを向けてくれなければおかしいもの。

 どうしてかは知らないけれど、殿下は初めて会った時からずっと私のことが嫌いなんだわ。


 深々と謝ってくれたから、たくさん褒めてくれたから、私が仲直りすると言った時に見せてくれた笑顔が、今までと違う心底嬉しそうな笑顔だったから、舞い上がって勘違いしてしまったんだ。


 一度気付けば、もう戻れない。


「本当に大丈夫かい? 顔色が悪いよ?」

(体調管理もできないのか。だらしない女だな)


「緊張したのかもしれない。ちょっと休もう」

(面倒くさいが婚約者だからな。機嫌を取っとかないとな)


「君に倒れられたら困る」

(せっかくの舞踏会が台無しだ)


 裏の気持ちを察してしまう。

 こんなことになるなら優しくしないでほしかった。

 そうすれば勘違いせずに済んだ。

 嫌われているままだと分かっていれば、こっちも壁を作ったまま接して、それ以上好きになんてならなかったのに。


 胸が締め付けられる。

 手足が冷たくなって感覚がなくなってくる。


「すみません。帰ります」


 私は広間を出る。


「待って!」


 殿下が追ってきて手首を捕まれる。


「離してください」


「すまない」


 手を離す。


「でも心配なんだ。家まで送らせてくれ」


 私を気遣ってくれる。

 でも、もう嬉しくない。

 表面だけの言葉なんて悲しいだけだ。


「体調が悪いんだろう? 途中で倒れたりしたらどうするんだ?」


「余計なお世話です」


 つい冷たい言葉を吐いてしまう。


 分かっている。

 間違っているのは私だ。

 殿下は国のために政略結婚の相手である私の機嫌を取っているだけだ。

 貴族に生まれたなら、そうすべきだ。


 でも私にはできない。

 もう大好きになってしまったから。

 そんな相手に嫌われているなんて耐えられない。


 私は早足で歩き出す。


「待ってくれ!」


 手首を捕まれ、振り向かされる。


「私は君が心配なんだ。もし何かあったら……」


「結構です!」


「どうして、そんなに拒絶するんだ。私が何かしただろうか? 不快なことをしたなら教えてくれないか?」


「いえ、何も。体調が悪いだけです。だから手を離してください。」


「本当にそうなのか?」


 間近に迫ってくる。

 どうしてこんなに引き止めるのだろう。

 私は一刻も早く離れたいのに。


「私は君を愛してる。君が望むなら何でもするつもりだ。だから言ってほしい」


 嘘ばっかり。


「アデール」


「しつこいんですよ! 何もないって言っているじゃないですか!」


「じゃあ、どうして嫌がるんだ!」


「ッ……く、口が臭いんですよ!」


「……え?」


 あっ……やらかした。

 何か適当な言い訳をしなきゃと思ってたら、ひどいことを言ってしまった。

 殿下は口に手をやりながら、数歩下がる。

 心底ショックを受けた表情をしている。


「ち、違うんです。こ、言葉の、綾と言うか、その……ご、ごめんなさい!」


 私は逃げるように家に帰った。

 そして服も着替えずにベッドに飛び込んだ。


 あんなひどいこと言うなんて最低だ。

 余計嫌われた。

 絶対に嫌われた。


 …………これでいいのでは?


 アルゲン殿下は元々私のことを好きじゃない。

 私も私のことが嫌いな殿下とは付き合えない。

 だったらこのまま、とことん嫌われて婚約破棄になった方がいいのでは。

 そうだわ、そうしましょう。

 そうすれば、こんなに胸が張り裂けそうになることもなくなるわ……。


「……でも、あれは言い過ぎたわね……」


 今別れたとしたら、殿下は口が臭いから振られたと思うのではないかしら。

 そんなことになったら殿下は傷を負って、新しい女性とも上手くやっていけなくなってしまうのでは。

 それは駄目ね。

 ……会うのは辛いけど、そこはきちんと訂正しておかないと。

 そう思いながら、私は眠りに落ちていった。


 翌日午前の間にアルゲン殿下が訪ねてきてくださったので、客間に案内するよう侍女に言う。


 待っていると殿下がいらっしゃった。

 そして部屋に入ると同時に深く頭を下げた。


「昨日は私の口臭で不快にさせてしまい申し訳ない!」


「い、いえ、殿下のお口は臭くありませんわ」


「気を遣わなくてもいいよ」


「いえ、昨日のは言葉の綾と言うか、売り言葉に買い言葉と言いますか、とにかく本心ではありません」


「ほ、本当に……?」


「はい」


「……そうか、よかった」


 アルゲン殿下は笑った。

 それは本心からの微笑みのように見えた。


 でも勘違いしては駄目。

 これは私に向けた笑みじゃない。

 仲直りした時と同じ安堵と喜びの笑みだ。

 仲直りした時は"私"ではなく、"政略結婚の相手"と上手くやっていけそうだと思って安堵と喜びの混じった微笑みを浮かべたのだ。

 今回も"私"は関係ない。

 ただ自分の口が臭くないことに安堵して喜んだのだ。


「でも、じゃあどうして機嫌が悪くなったんだ? 何か不快なことをしたかい?」


 椅子に座ったアルゲン殿下が問いかけてくる。


「いえ、殿下は何もしていません」


「じゃあどうして」


「私が殿下のことを嫌いだからです」


「ッ! やっぱりあんなことがあったから……」


「それは関係ありません」


「じゃあ、どこが嫌なんだい? 教えてくれないか、直すから……!」


「殿下が悪いわけではありません。ただ私が生理的に嫌なんです」


 嘘は言っていない。

 殿下が悪いわけではないし、私は殿下が好きなのだから、お世辞でも好きだと言ってくれるなら、それを受け入れて喜べばいいのよ。

 理屈ではそうなるはず。

 でも私は殿下には私のことを好きでいてほしい。

 そうじゃないなら耐えられない。


「どこが駄目なんだ!? 見た目か!? 望むなら鼻くらい削ぐよ!?」


 殿下は懐から出した短剣を鼻に当てる。


「やめてください! 見た目じゃないです。魂から嫌なんです」


「魂から……?」


「ええ、ですから私との結婚はなかったことにしてください」


「そんなこと言わないでくれ。君が望むことは何でもするから。だから、もう一度だけチャンスをくれないか」


「嫌です」


 きっぱり断る。


「……そうか、分かったよ。陛下には私から伝えておく……」


 ようやく諦めたのか、アルゲン殿下は俯きながら部屋を後にした。


 その後しばらく私はボーっとしていたけど、途中で侍女に促されて自室に戻った。

 部屋に入ってからは、すぐにベッドになだれこむ。

 ふかふかのベッドに沈む体がやけに重い。

 まるで今の心境を表しているようだ。


 ……ひどい振り方をしちゃったな。

 傷付いているだろうか。

 でも、これでよかったはず。

 嫌いな相手と結婚するより、好きな人と結婚する方が絶対良いもの。

 傷も新しい女性が癒してくれるはず。

 私の自業自得の悲しみも、時間が癒してくれるはず。


 私は枕を濡らしながら、眠りに就いた。


「アデール! アデール!」


 ノックもなしに入ってきた父の大声で目覚めた。


「!? ど、どうしたの!? 今何時!?」


「まだ寝ていたのか。もう昼だぞ」


「まだ昼!?」


「ああ、いや、そんなことよりだ! アルゲン殿下が出家したぞ!!」


「え! どうして!!?」


「どうしてって、君が振ったからだろう! 君と一緒でないなら頑張れません。修道院に入ります、と陛下に言って、飛び出していったぞ」


「どうして!?」


「だから君が振ったからだろう!?」


「なぜ私が振ったら修道院に入るの!?」


「君のことが好きだからに決まっているだろう!」


「そんなはずない! だって殿下は――」


「まだ十年前のことを気にしているのか!?」


「いえ、それはもう気にしてません」


「だったらなんで」


「それは、だって、他の人と私で態度が違うもの。……殿下は私と話している時は眉間に皺を寄せるんです」


「好きな子を前にして緊張しているのでは?」


「目も逸らすわ」


「好きな子を前にして照れているのでは?」


「笑顔も固いもの!」


「好きな子を前にして緊張しているのでは?」


「ッ!!」


 私は膝から崩れ落ちた。


 なんてひどいことをしてしまったのだろう。

 殿下を傷つけてしまった。

 取り返しがつかない。


 でも今は座りこんでいる場合じゃない。

 動く時だ。


 私はバッと立ち上がると部屋を飛び出し、家の外まで走った。

 玄関の前には父が王宮から帰ってくる時に使った馬車がまだ停まっていた。

 その馬車から馬を一頭離すと、その背にバッと飛び乗った。

 御者が何やら叫んでいるが関係ない。

 無視して馬を走らせる。


 まず謝ろう。

 そして私の本心を話そう。

 好きだと言おう。


 もしかしたら、もう殿下は私のことを好きでないかもしれない。

 今さら何だと怒られるかもしれない。

 嫌われるかもしれない。

 それでも私の本心を話して謝らなければならない。

 私が殿下を傷付けてしまったのだから。

 誤解が解けて、それで殿下の傷が少しでも軽くなるなら、それでいいんだ。


 私は街道を全速力で駆ける。


 しばらく行くと馬に乗った殿下の後ろ姿が見えた。

 その背中に私は叫ぶ。


「殿下!」


 私の声に振り返るアルゲン殿下。


「……アデール」


「ごめんなさい! 私酷いことを言って殿下を傷付けてしまいました!」


 近付いて、馬から降りて謝る。


「いいよ別に」


「よくありません! 私は本当はアルゲン殿下のことが好きだったんです! でも殿下は私のことが好きじゃないと勘違いしてしまって、それで悲しくなって殿下に冷たい態度を取ってしまったんです。でもあれは本心ではありません! 本当は殿下のことが好きだったんです! 今さら言っても遅いかもしれませんけど、でも言わないと、と思って。殿下は悪くありません! だから落ち込まないでください……!」


 泣きそうになるのを我慢しながら言う。


「……無理しなくていいよ」


 殿下は悲しそうに笑う。


 私が殿下を好きだということを信じてもらえない。

 いや、仕方ないことかもしれない。

 私だって殿下の言葉を信じられなかったのだから。


 だったら行動で示すしかない。


 私は大股で殿下に近付くと、腕を引っ張って上体を屈めさせた。

 そして後頭部を掴んで引き寄せると、殿下の口に口づけした。


「なっ……!!?」


 殿下はバッと顔を上げる。


「く……く……臭いんじゃ……!?」


「臭くありません」


 私はもう一度殿下を引き寄せて、今度は深く口づけした。


「……信じてくれましたか?」


 恥ずかしさで顔が真っ赤になりながらも、しっかりと殿下を見ながら言う。


「あ……ああ……」


 殿下はまるで放心しているかのように返事をした後、馬を降りた。


「じゃあ、本当に……アデールは私のことが好きなんだね」


「……はい」


 恥ずかしがりながらも、しっかりと答える。


「本当に……本当に……?」


「はい、私はアルゲン殿下のことが好きです」


「じゃ、じゃあ、私とまた婚約してくれるか?」


「殿下が望んでくださるなら」


「ありがとう」


 この時見せた笑顔は、今までで一番、柔らかくて、嬉しそうな笑顔だった。


「アデール、愛してる」


「私も愛してます」


 私たちはどちらからともなく、抱き合い、口づけをした。


 今なら自信を持って言える。

 アルゲン殿下は私のことが好きだと。


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