「胡」匈奴(4)
前回はモンゴル平原を失った
この記述と
ド・ギュニーは研究の結果、
フン族とは四世紀から五世紀にかけて東ヨーロッパにあらわれた騎馬遊牧民です。
彼らフン族が支配したパンノニア平原は「フン族の国」という意味の「ハンガリー」と現在までよばれています。
特に五世紀半ばのフン族の王アッティラの勢いはすさまじいものでした。
アッティラは四五一年に帝政末期のローマとゴート族の連合軍に敗れるも、翌年イタリア半島へ侵攻しバチカンへ迫ります。しかし教皇の説得によって軍を引き返し、その途中で急死しました。
このアッティラの侵攻は「神の鞭」とよばれヨーロッパ・キリスト教世界を震撼させました。そして伝説となり、ヨーロッパの芸術でたびたび取り上げられるようになりました。
この四世紀にヨーロッパの歴史に登場するアッティラをはじめとしたフン族は、二世紀半ばに中国の歴史から消えた
つまり
実は
最初に考えたのは、一五~一六世紀の大航海時代、中国に到達したキリスト教宣教師たちです。
キリスト教宣教師たちは、
一八世紀のド・ギュニーはこの考えに初めて歴史学的なアプローチを試み、学説に進化させた歴史学者でした。
ところで、
その一方で、
またさらにその一方で、
例えば現在のトルコ共和国政府は、前二世紀の
というふうに、ここまで当然のように書いてきた
遊牧民は遊牧という生活をなりたたせるために、常に強い武力をもつリーダーを必要とします。
そのため強いリーダーをもつ強い部族、民族、国へ合流し、合流するとその部族、民族、国を名乗ります。
つまり生まれついた民族(たとえば
現在の「民族」「人種」「国家」を強烈に結びつけて考える「民族国家」(ネイション・ステイト)の考えは、一九世紀以降の近代に発明されました。
「民族国家」の概念とその組み合わせを一例だけ取り上げると、たとえば「大和民族」「アジア人種」「大日本帝国」です。
「大日本帝国」の国民は「アジア人種」であり「大和民族」であるという考え方が、「民族国家」という概念です。
この「民族国家」概念は近代以降、つまり明治維新によって成立した明治政府によってはじめて日本にもたらされました。
話をもとに戻します。
「民族国家」の概念が一九世紀の発明品である以上、一九世紀以前の歴史に「民族国家」の考えをあてはめようとすると、この
その一方で一九世紀以前に民族(としか言いようのない概念)がなかったわけではないのが、説明の難しいところです。
次回は四世紀当時の民族意識の話と、後漢のなかに移り住んだ
歴史小説のためのノートブック 久志木梓 @katei-no-tsuru
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