焼きそばがこげた日

茶摘 裕綽

焼きそばがこげた日

「今夜泊めてもらえませんか?」


 美少女に声をかけられた。

 夕方、スーパーの前。唐突にである。


 それが、墨鳥すみとりあやかとの出会いだった。



「いきなりそう言われても……」


 俺が困惑して答えると、彼女は申し訳なさそうに手を合わせた。


「ですよね! すいません。でも、そこを何とかお願いしたくて……!」


 どうしてこうなったのか。俺はただ買い出しに来ただけなのに。


 声をかけてきた少女はおそらく高校生。

 ジーンズにスタジャン、野球帽というボーイッシュな格好だが、長い髪と華奢きゃしゃな体つきによって逆に女の子らしさが強調されていた。

 だからこそ、俺は困っているのだ。


「未成年の、しかも女の子を家に泊めるとかありえないから。捕まるから」


 未成年者誘拐ですから。バレたら一巻の終わり。

 そんな危ない橋を渡りたくはない。


「絶対ご迷惑はかけないので! もしもの時は、わたしが強引に押し入ったことにしてもらって大丈夫ですから!」

「それだと……君が不法侵入で捕まっちゃうんだけど」

「え?」


 きょとんとして少し思案した後、真顔でこう言った。


「……それも困りますね」


 おバカさんだ。


「ともかく、うちは無理だから。家出ならあきらめて、早く帰りなさい」

「……お時間取らせてすいませんでした」


 きっぱり言い切ると、彼女もあきらめたようで引き下がった。

 あまりに悲しそうなので気の毒ではあったが、どうしてやることも出来ない。

 俺は店へ入っていった。



 買い物を終え店を出ると、すでに暗くなっていた。


「あ……」

「……先ほどはどうも」


 そして、例の少女と目が合った。

 驚きで固まる俺を見て、バツが悪そうに会釈えしゃくしてくる。

 まだいたのか……。


「全員に断わられただろ?」

「……怖くて誰にも声かけてません」

「は!?」

「というか、お兄さん一人だけにしか、声かけれてません……」


 驚きというより、呆れている自分がいた。


「え? じゃあ30分近く突っ立ってただけ?」

「……はい」

「帰れよぉ、何があったか知らんけどぉ」

「帰りたくない理由があって」


 そうして悲しそうにうつむかれてしまうと、あまりきつくも言えない。

 どうしたものだろうか。


「どうして俺には声かけれたの?」

「何となく……人畜無害そうだったから?」

「言い方! ほかに言い方あるだろ、やさしそうとか」


 少女は深々と頭を下げ、今一度頼み込んでくる。


「お願いします! 一晩だけでいいので泊めてください!」

「だからダメだって。俺このあと夜勤だし」

「夜勤! だったらいいじゃないですか、留守中にわたしが忍び込んだことにしましょう!」

「さっきから君は捕まりたいのか!」


 目をらんらんと輝かせて、ぐんぐんと近づいてくる。


「お願いしますよ~! じゃあせめてご飯だけ、晩ご飯だけ恵んでください!」

「何でそうなるんだよ……」


 圧がすごい……。腕をつかまれている。顔が近い!


「わたしを猫だと思ってください、餌付けです餌付け! 玄関から一歩も入りませんから法律的にもOKです!」

「あー! もう勘弁してくれ!!」


 俺はついに、すがりつく少女をふり払って走り出した。

 全力疾走である。大の大人が数年ぶりの全力疾走である。


 ところが、少女はこれまた猛ダッシュで追いかけてくる。

「待てぇぇぇぇ!!」

「待てと言われる筋合いはない!!」


 俺は走った。懸命に走った。

 イヌに吠えられようと、人々に変な目で見られようと、関係ない。

 走り続けていると、目に飛び込んできたのは横断歩道。信号を確認する。


 ――赤だった。世界は残酷だ。


 瞬間、すべてがスローモーションに見え始める。

 ゆっくり振り返ると、もう背中に少女の顔が迫っている。

 敗北を悟った俺は無意識に立ち止まり――両手を挙げていた。


「わかった! メシだけだぞ!!」

「うぅ!」


 少女が止まりきれず、俺の背中に顔をぶつけた。

 鼻を抑えつつ、一歩後ずさって頭を下げる。


「——ありがどうございまふ!!」

 


 ……厄介なことになった。



 お互い呼吸を整えてから、ゆっくりと歩き始めた。

 何を話すでもなく沈黙が続く中、ふいに少女がおかしなことを言いだした。


「ところで、わたしの顔見たことありませんか?」

「ん? どっかで会ったことあるっけ?」

「いえ、初対面です」

「……どーゆーこと?」


 やはりおバカさんか。


 そうこうしている間に家に着いた。


「お邪魔しまーす」

「あ、おい! 一歩も入らない約束だろ?」

「もう入っちゃいました」


 悪びれない態度、うなだれる俺。

 少女は首をかしげ芝居じみた笑みを作る。

 「てへっ」という効果音が聞こえた気がした。


「おー、意外と片付いてる」

「失礼な……、俺はきれい好きだ」

「冗談ですよ」


 言いつつ部屋の奥まで進み、ソファの感触を確かめている。


「しょうがない……。何か作るから、座って待ってろ」

「はーい。テレビ見ていいですよね? ……あれ、点かない」

「あー、電源抜いてると思うわ」

「ほんとだー。お兄さん、あんまりテレビ見ない人ですか?」

「最近忙しくてほとんど見れてなかったからなぁ。好きな方なんだけど」

「そうなんですね。……よかった」


 何がよかったんだ? 

 よくわからないが、夕飯の準備に取りかかる。

 野菜を切り終えたとき、少女の視線に気づいた。


「何作るんですか?」

「焼きそば」

「おー! 焼きそば!」

「……何だその反応。別に珍しくないだろ」

「わたし、焼きそば食べたことない」

「えー!! それマジで言ってる!?」


 まさに青天の霹靂へきれき。まさか焼きそばを食べたことのない日本人がいるなんて。

 今年一番の驚きに、思わず声を上げてしまった。


「あー、わかった。実家がお金持ち、的な?」

「まぁ、そんなとこ。作るとこ見てていい?」

「お好きになさいませ、お嬢様っ」

「何それ、感じ悪」


 フライパンを熱し、油をひいて肉を炒めていく。塩コショウで下味をつけ、野菜を投入。さらに上から袋めん2つと少量の水を入れ、ふたをして蒸し焼きに。


「この時間が好きなんだ。待ってる間に色んなことを考える」

「例えば?」

「今日あったこととか、地球はどうやって出来たのかとか」

「いきなり壮大……。でも何かいいね」


 俺のまねをして腕を組み、2人でフライパンを見つめた。


「もう泊っていいですよね?」

「ダメだって」

「じゃあ、こんな暗い中に女の子を放り出すんですね? ひどーい」

「ぐ……しまった、ハメられた」

「どうせ、家に入れちゃってる時点で未成年者誘拐じゃないですか。泊ったって一緒ですよ」

「……もう勝手にしろっ」


 前言撤回、なかなかお利口さんだった。



「ちょっと焼きすぎちゃったね……」


 向かい合って座り、俺たちは卓上に視線を落とす。

 出来あがった焼きそばは、少しこげている。


「ああ、いつもならもっとうまく……」

「いただきます!」


 俺の言い訳をさえぎって勢いよく箸を突っ込むと、口いっぱいにほうばった。

 とたん、目が大きく見開かれる。


「香ばしくておいしい!!」


 満面の笑みでピースサインを突き出してきた。

 その明るさに救われる。人生初をこがしてしまったけれど、これもいい思い出になってくれたらと願っている。


「キャベツって甘いんだね、ソースの中毒性ヤバい……!」

「よーし、俺も!」

 

 負けじとバカみたいな量をほうばった。それを見てけらけらと笑う。

 確かに香ばしくて、いつもよりおいしかった。



「この後、仕事だっけ?」

「ああ、夜勤な。20時には出るから」

「そっか。……あのさ」

「ん? どうした?」


 食後にコーヒーを飲みつつ、たわいもない会話をしているときだった。

 彼女はためらうようなしぐさを少し見せた後で、何やらまじめな質問をしてきた。


「あのさ……、仕事って大変じゃない?」

「どうした急に。……まぁ、大変なこともあるな。夜勤は眠いし、リズム崩れるし」

「そうなんだ」

「どんな仕事でも辛い部分はあると思う。けど……」

「けど?」


 少し考える。言葉にするのに時間がかかった。


「けど俺は、仕事があるだけ幸せだと思ってやってるかな」

「仕事があるだけ、幸せ……」

「自分の仕事が誰かのためになってると思ったら、俺はやりがい感じちゃうタイプだからさ。よくバカにされるよ、自分を優先しろって」


 自嘲じちょうして笑うと、彼女は真剣な表情でこちらを見つめていた。


「違うと思う」

「え?」

「か、かっこいいと思う……。人のために働ける人は、かっこいいと思う。

 バカなんかじゃ……ないと思う!」


 予想外の反応に面食らってしまう。あまりにも真剣なので茶化すことも出来ない。


「……そっか。あ、ありがとう」

「うん。じゃ――わたし帰るね」

「はい!?」


 彼女は立ち上がり、玄関へと歩いていく。

 俺は突然の出来事に動揺を隠せない。


「いや、別に気を使ってくれなくていいんだぞ? ここまで来たら泊っても泊まらなくても一緒だし」

「ううん、そうじゃないの。今なら戻れそうな気がするから」

「そ、そうか」


 彼女の勢いは止まらない。

 くつをはき終え、ドアを開けた。


「今日はありがとう。焼きそば美味しかった。食べれてよかった」

「ああ……こちらこそ」

「出会えてよかった。あなたでよかった」


彼女が小さく手をふると、ふり返す間もなくドアは閉められる。

呆然と立ち尽くす俺を部屋に残して。

最期に一言、言い残して。


「また来ます」



 あれからもうすぐ一年が経つ。


 町で探しても会えなかった彼女を、俺はある日、テレビの中で見つけた。

 どうやら駆け出しの女優だったらしい。

 あの頃は初主演作がヒットして、人気に火が点き始めた時期だった。

 ろくにテレビを見ていなかった俺は、知るよしもなかった。


 それからも順調に女優としての評価を伸ばし、今やテレビで見ない日はない。

 その活躍っぷりを誇らしく思う反面、少し心配でもある。

 また逃げ出したりしないだろうか。

 いや、期待してるわけじゃなくて。


 当然だが、あれから彼女は一度も来ていない。

 もう会うこともないだろう。彼女とは住む世界が違う。

 別れ際の言葉だって社交辞令みたいなものだろう。


 それでもスーパーへ行くたびに、あの日のことを思い出す。

 焼きそばがこげた、あの日を。


 次は絶対、こがさない――。



  

「本日はありがとうございました! それでは最後になるんですが、プロフィールとしてせる情報の方をお聞きします。生年月日と年齢・出身地。それから、何か好きなものを1つ教えてください」


「はい。墨鳥すみとりあやか、19歳。2002年6月10日生まれ、愛知県出身。

 

 大好物は――『こげた焼きそば』です!」






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焼きそばがこげた日 茶摘 裕綽 @ta23yu-5uk3

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