焼きそばがこげた日
茶摘 裕綽
焼きそばがこげた日
「今夜泊めてもらえませんか?」
美少女に声をかけられた。
夕方、スーパーの前。唐突にである。
それが、
※
「いきなりそう言われても……」
俺が困惑して答えると、彼女は申し訳なさそうに手を合わせた。
「ですよね! すいません。でも、そこを何とかお願いしたくて……!」
どうしてこうなったのか。俺はただ買い出しに来ただけなのに。
声をかけてきた少女はおそらく高校生。
ジーンズにスタジャン、野球帽というボーイッシュな格好だが、長い髪と
だからこそ、俺は困っているのだ。
「未成年の、しかも女の子を家に泊めるとかありえないから。捕まるから」
未成年者誘拐ですから。バレたら一巻の終わり。
そんな危ない橋を渡りたくはない。
「絶対ご迷惑はかけないので! もしもの時は、わたしが強引に押し入ったことにしてもらって大丈夫ですから!」
「それだと……君が不法侵入で捕まっちゃうんだけど」
「え?」
きょとんとして少し思案した後、真顔でこう言った。
「……それも困りますね」
おバカさんだ。
「ともかく、うちは無理だから。家出ならあきらめて、早く帰りなさい」
「……お時間取らせてすいませんでした」
きっぱり言い切ると、彼女もあきらめたようで引き下がった。
あまりに悲しそうなので気の毒ではあったが、どうしてやることも出来ない。
俺は店へ入っていった。
※
買い物を終え店を出ると、すでに暗くなっていた。
「あ……」
「……先ほどはどうも」
そして、例の少女と目が合った。
驚きで固まる俺を見て、バツが悪そうに
まだいたのか……。
「全員に断わられただろ?」
「……怖くて誰にも声かけてません」
「は!?」
「というか、お兄さん一人だけにしか、声かけれてません……」
驚きというより、呆れている自分がいた。
「え? じゃあ30分近く突っ立ってただけ?」
「……はい」
「帰れよぉ、何があったか知らんけどぉ」
「帰りたくない理由があって」
そうして悲しそうにうつむかれてしまうと、あまりきつくも言えない。
どうしたものだろうか。
「どうして俺には声かけれたの?」
「何となく……人畜無害そうだったから?」
「言い方! ほかに言い方あるだろ、やさしそうとか」
少女は深々と頭を下げ、今一度頼み込んでくる。
「お願いします! 一晩だけでいいので泊めてください!」
「だからダメだって。俺このあと夜勤だし」
「夜勤! だったらいいじゃないですか、留守中にわたしが忍び込んだことにしましょう!」
「さっきから君は捕まりたいのか!」
目をらんらんと輝かせて、ぐんぐんと近づいてくる。
「お願いしますよ~! じゃあせめてご飯だけ、晩ご飯だけ恵んでください!」
「何でそうなるんだよ……」
圧がすごい……。腕をつかまれている。顔が近い!
「わたしを猫だと思ってください、餌付けです餌付け! 玄関から一歩も入りませんから法律的にもOKです!」
「あー! もう勘弁してくれ!!」
俺はついに、すがりつく少女をふり払って走り出した。
全力疾走である。大の大人が数年ぶりの全力疾走である。
ところが、少女はこれまた猛ダッシュで追いかけてくる。
「待てぇぇぇぇ!!」
「待てと言われる筋合いはない!!」
俺は走った。懸命に走った。
イヌに吠えられようと、人々に変な目で見られようと、関係ない。
走り続けていると、目に飛び込んできたのは横断歩道。信号を確認する。
――赤だった。世界は残酷だ。
瞬間、すべてがスローモーションに見え始める。
ゆっくり振り返ると、もう背中に少女の顔が迫っている。
敗北を悟った俺は無意識に立ち止まり――両手を挙げていた。
「わかった! メシだけだぞ!!」
「うぅ!」
少女が止まりきれず、俺の背中に顔をぶつけた。
鼻を抑えつつ、一歩後ずさって頭を下げる。
「——ありがどうございまふ!!」
……厄介なことになった。
※
お互い呼吸を整えてから、ゆっくりと歩き始めた。
何を話すでもなく沈黙が続く中、ふいに少女がおかしなことを言いだした。
「ところで、わたしの顔見たことありませんか?」
「ん? どっかで会ったことあるっけ?」
「いえ、初対面です」
「……どーゆーこと?」
やはりおバカさんか。
そうこうしている間に家に着いた。
「お邪魔しまーす」
「あ、おい! 一歩も入らない約束だろ?」
「もう入っちゃいました」
悪びれない態度、うなだれる俺。
少女は首をかしげ芝居じみた笑みを作る。
「てへっ」という効果音が聞こえた気がした。
「おー、意外と片付いてる」
「失礼な……、俺はきれい好きだ」
「冗談ですよ」
言いつつ部屋の奥まで進み、ソファの感触を確かめている。
「しょうがない……。何か作るから、座って待ってろ」
「はーい。テレビ見ていいですよね? ……あれ、点かない」
「あー、電源抜いてると思うわ」
「ほんとだー。お兄さん、あんまりテレビ見ない人ですか?」
「最近忙しくてほとんど見れてなかったからなぁ。好きな方なんだけど」
「そうなんですね。……よかった」
何がよかったんだ?
よくわからないが、夕飯の準備に取りかかる。
野菜を切り終えたとき、少女の視線に気づいた。
「何作るんですか?」
「焼きそば」
「おー! 焼きそば!」
「……何だその反応。別に珍しくないだろ」
「わたし、焼きそば食べたことない」
「えー!! それマジで言ってる!?」
まさに青天の
今年一番の驚きに、思わず声を上げてしまった。
「あー、わかった。実家がお金持ち、的な?」
「まぁ、そんなとこ。作るとこ見てていい?」
「お好きになさいませ、お嬢様っ」
「何それ、感じ悪」
フライパンを熱し、油をひいて肉を炒めていく。塩コショウで下味をつけ、野菜を投入。さらに上から袋めん2つと少量の水を入れ、ふたをして蒸し焼きに。
「この時間が好きなんだ。待ってる間に色んなことを考える」
「例えば?」
「今日あったこととか、地球はどうやって出来たのかとか」
「いきなり壮大……。でも何かいいね」
俺のまねをして腕を組み、2人でフライパンを見つめた。
「もう泊っていいですよね?」
「ダメだって」
「じゃあ、こんな暗い中に女の子を放り出すんですね? ひどーい」
「ぐ……しまった、ハメられた」
「どうせ、家に入れちゃってる時点で未成年者誘拐じゃないですか。泊ったって一緒ですよ」
「……もう勝手にしろっ」
前言撤回、なかなかお利口さんだった。
※
「ちょっと焼きすぎちゃったね……」
向かい合って座り、俺たちは卓上に視線を落とす。
出来あがった焼きそばは、少しこげている。
「ああ、いつもならもっとうまく……」
「いただきます!」
俺の言い訳をさえぎって勢いよく箸を突っ込むと、口いっぱいにほうばった。
とたん、目が大きく見開かれる。
「香ばしくておいしい!!」
満面の笑みでピースサインを突き出してきた。
その明るさに救われる。人生初をこがしてしまったけれど、これもいい思い出になってくれたらと願っている。
「キャベツって甘いんだね、ソースの中毒性ヤバい……!」
「よーし、俺も!」
負けじとバカみたいな量をほうばった。それを見てけらけらと笑う。
確かに香ばしくて、いつもよりおいしかった。
※
「この後、仕事だっけ?」
「ああ、夜勤な。20時には出るから」
「そっか。……あのさ」
「ん? どうした?」
食後にコーヒーを飲みつつ、たわいもない会話をしているときだった。
彼女はためらうようなしぐさを少し見せた後で、何やらまじめな質問をしてきた。
「あのさ……、仕事って大変じゃない?」
「どうした急に。……まぁ、大変なこともあるな。夜勤は眠いし、リズム崩れるし」
「そうなんだ」
「どんな仕事でも辛い部分はあると思う。けど……」
「けど?」
少し考える。言葉にするのに時間がかかった。
「けど俺は、仕事があるだけ幸せだと思ってやってるかな」
「仕事があるだけ、幸せ……」
「自分の仕事が誰かのためになってると思ったら、俺はやりがい感じちゃうタイプだからさ。よくバカにされるよ、自分を優先しろって」
「違うと思う」
「え?」
「か、かっこいいと思う……。人のために働ける人は、かっこいいと思う。
バカなんかじゃ……ないと思う!」
予想外の反応に面食らってしまう。あまりにも真剣なので茶化すことも出来ない。
「……そっか。あ、ありがとう」
「うん。じゃ――わたし帰るね」
「はい!?」
彼女は立ち上がり、玄関へと歩いていく。
俺は突然の出来事に動揺を隠せない。
「いや、別に気を使ってくれなくていいんだぞ? ここまで来たら泊っても泊まらなくても一緒だし」
「ううん、そうじゃないの。今なら戻れそうな気がするから」
「そ、そうか」
彼女の勢いは止まらない。
くつをはき終え、ドアを開けた。
「今日はありがとう。焼きそば美味しかった。食べれてよかった」
「ああ……こちらこそ」
「出会えてよかった。あなたでよかった」
彼女が小さく手をふると、ふり返す間もなくドアは閉められる。
呆然と立ち尽くす俺を部屋に残して。
最期に一言、言い残して。
「また来ます」
※
あれからもうすぐ一年が経つ。
町で探しても会えなかった彼女を、俺はある日、テレビの中で見つけた。
どうやら駆け出しの女優だったらしい。
あの頃は初主演作がヒットして、人気に火が点き始めた時期だった。
ろくにテレビを見ていなかった俺は、知るよしもなかった。
それからも順調に女優としての評価を伸ばし、今やテレビで見ない日はない。
その活躍っぷりを誇らしく思う反面、少し心配でもある。
また逃げ出したりしないだろうか。
いや、期待してるわけじゃなくて。
当然だが、あれから彼女は一度も来ていない。
もう会うこともないだろう。彼女とは住む世界が違う。
別れ際の言葉だって社交辞令みたいなものだろう。
それでもスーパーへ行くたびに、あの日のことを思い出す。
焼きそばがこげた、あの日を。
次は絶対、こがさない――。
※
「本日はありがとうございました! それでは最後になるんですが、プロフィールとして
「はい。
大好物は――『こげた焼きそば』です!」
焼きそばがこげた日 茶摘 裕綽 @ta23yu-5uk3
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