金烏玉兎の書
示紫元陽
金烏玉兎の書
本当に勝手なんだから。なぁんでいつも自分の都合で動いてしまうんだろうか、マユは。結局、最後の最後まで私の意見なんて露ほども聞かずに行ってしまった。本当に勝手。
あの日、急に夜中に呼び出されたと思えば、月やら星やら魔法がどうとか、訳の分からない説明を聴かされて頭が飽和した。なんでも、マユのご先祖のせいで私は極度の不幸体質になっていたらしい。私自身としてはそんな自覚は全くなかったのだけれど、マユが言うにはかなり重大な事態に巻き込まれていたようで、真剣な顔つきで対峙されたから信じざるを得なかった。
彼女の話によると、夜宵とかいう名前の誰かが昔災厄にあったらしく、それを小鳥遊家で“力”を持っていた人が救ったらしい。だけど、その方法はそう易々と使っていいものではなかったようで、副作用として何かしらの不幸が東雲家に代々降りかかることになったという。そうは言っても、物心ついたときから今に至るまで、特筆すべき災難があったようには記憶していない。その疑問を口にすると、マユはちょっとした偶然が重なった結果だと言った。
『ミナミのはね、隠されちゃったのよ』
そもそも不幸が現れる時期というのはまちまちで、私の場合は少し遅めだったようだ。で、そこまではいいんだけど、ちょうど私が中学最後の春あたり、そろそろ表に現れ始めるかという頃、夜宵家の子孫の一人がどうも不思議な道具を使ったという。何の道具で何をするためだかをマユは教えてくれなかったけど、いずれにせよその道具のせいで、私のお
それはいいとして、問題はその幸運の裾が今の東雲家全体を覆ったことだった。さすがに私の不運を逆転させるほどの力はなかったとはいえ、現れるはずのそれを抑制してしまう程度には働いたという。
『でも、あくまでそれは一時的なものなのよね』
マユが言うには、私を覆った幸運のベールは、一種の波紋に近いものらしい。つまり、そう遠くないうちに消失する。その上、再度現れるときにはより負の要素が膨らんでいる可能性があるという。今も私の不幸の根がじわじわと芽を出す準備をしていることを知ると、途端に怖くなった。
『私はそれを消しに来たの。たまたま隠れたから様子を見たけど、そろそろ限界みたい。思っていたよりも早かったわね』
マユは掌に光の粒を浮かせながら言った。私はその時、言いようのない不安を覚えた。これですべて終わってしまうんじゃないかと、そんな気がした。
『大丈夫、貴方はこれからもいつも通り過ごせるから』
そうじゃない。私が思ったのはそうじゃない。私が感じたのは、マユとの繋がりのことだ。マユだってそれくらい分かっていたはずなのに、なんで澄ました顔をしてるんだ。思い出しただけでも腹が立つ。満月なんか背にして、羨ましいくらい綺麗な姿をして、まるでかぐや姫じゃないか。私は愚かな帝か。
『仕方ないわよ。これが私の役目だから。あなたが楽しい人で本当良かったわ』
どうして人はこういう時に必要以上に察しがついてしまうのだろうか。いや、こんな状況に落とし込まれて、明日からも同じ日常が始まるだろうと考える方がどうかしているか。マユの口から直接聞かなくても、私は彼女が消えてしまうことをはっきりと理解してしまった。でもどうしてか、やめろとは言えなかった。もし言えば、彼女のすべてを否定してしまうんじゃないかと思った。
『あぁそうそう、貴方の家族は問題ないわよ。お兄さんはその局所的な魔法で偶然相殺しちゃったし、ご両親は貴方を生んだ時点で貴方に預けた形になってるから。一応、
抜かりがなさすぎて、これにはさすがの私もちょっと引いた。まぁそういうことをさらっとやってのけてしまうあたりがマユらしいといえばマユらしいのだが。
マユは
『あぁ朝海くんね、彼もちょっと不思議なものを使ったみたいなんだけれど、何かは知らないわ。ただ、そのモノを与えたのがちょうど、夜宵の人に道具を与えた人と同じだったの。だから接触ついでに関わった、って感じかな』
そこでマユは思い出したように袋から小瓶を取り出した。
『で、その人にちょっと頼んで作ってもらったの。あんまり柄じゃないんだけれど、その、貴方との時間は本当に楽しかったわ』
暗くて見えなかったけれど、マユの頬は少し赤くなっていたようだった。あまり見たことのない場面に突然出くわしてしまったから、私は思わず小さく吹く出してしまった。
『ちょっと、笑わないでよ、失礼ね。もうはいっ、特殊なまじないが掛かってるらしいから。不安になった時とかに使ってみて』
無遠慮に差し出された薄紫色の小瓶を受け取ると、私はそこに至るまでの道中である女性から一冊の本を渡されたことを思い出した。渡されるときに、『きっと小瓶が手に入るから、その中の香水を中心の穴に注いでみて』と言っていた。この小瓶はそれに違いないと思い、マユにそのことを話すと、彼女は目を丸くした。
『え、そんなこと聞いてないけど……。あの人、何を作ったのかしら』
木蓮の木の下で会った女性は魔女だという。確かにそれらしき帽子を目深にかぶっていたが、今時そんな分かりやすい魔女もいるもんだと思った。
『まぁ彼女が言うならやってみようか』
マユが信用しているみたいなので、私も疑うことなく取り出した分厚い本に香水を垂らした。
するとどうだろうか。一瞬全体が輝いたかと思ったのも束の間、本がひとりでに開き、一頁一頁が次々とめくられていく。各紙面に何かが綴られているのも見てとれたが、あまりにも速いので内容は読み取れない。しばらくすると背表紙まで辿り着き、はたと光は消え去った。
マユと私は顔を見合わせて、この十字星の模様が施された本に目を落とした。恐る恐る開くと、そこにはびっしりと文字が書き連ねられていた。
『これって……』
読むと、それは私とマユの過ごした日々が綴られていた。幼い頃から、今現在に至るまでが詳細に、色鮮やかに紡がれている。所々、挿絵らしきものもあった。遊園地に遊びに行った時に一緒に買ったグッズやら、いろんなところを観光したときに一緒に見聞きしたり食べたりしたものなど。
『なかなか粋なことしてくれるじゃない……』
そう何ともないように言うマユだったが、瞳は少し潤んでいるようだった。彼女が泣いているのは初めて見たかもしれない。気づけば私の頬も濡れていた。
『私のこと、忘れないでね』
もちろんと言って私はマユに抱き着いた。忘れるわけがないじゃないか。
『ありがとう……』
そのあとのことは、詳しくは理解していない。ただ、マユが私の背に手を当てた刹那に私たちの周りを光の欠片が渦巻いていた。顔を上げると星に愛された友人の顔があったが、その輝きが星屑のせいなのか涙のせいなのかは分からなかった。
でも、なぜかその時の彼女の顔は、今までで一番綺麗だと思った。もしかするとそれは、彼女が心の底から笑ってくれていたからかもしれない。
了
金烏玉兎の書 示紫元陽 @Shallea
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