後編

「あの女の子、飼ってた犬が消えたから探してほしいって依頼でこの前ここに一人で来たんだ」


西伊場がそう言うと


「犬探しですか?それにしたってあんな年端もいかない子供がなぜ一人で・・・

親はどうしたんです?そもそも犬探しをなぜわざわざここに?」


若林が待ちきれないといった感じで質問を始めた。


「その後、あの子の母親と連絡を取って事情を聞いてみたんだ」


「え?連絡取れてるんですか?それならなぜ親と一緒に来ないんです?」


「それにも事情があってね。それと、この事務所の住所はネットで調べてきたんだと。あの子が通う学校の通学路から近かったのもあって一人で来れたんだろう」


「それにしたってなんでこの探偵事務所を選んだんですかねぇ。こんなむさ苦しいところ、とても子供が一人で来るような所じゃありませんよ」


「君は平然とした顔で毒を吐くよね。家主がここにいるの分かってる?」


西伊場は笑いながらコーヒーを一口飲むと


「ほら、前に金持ちの家の犬が集団で逃げ出したことがあったろう。5匹だか、6匹だったか」


「12匹ですよ」


まったくあの依頼もひどく苦労した。なんとか12匹全部捕まえたものの、そこら中駆けずり回って泥まみれになった。報酬が良かったのがせめてもの幸いだったが。


「そうだったね。いやぁあの犬探しもなかなか面白かった。特に君が犬を追いかけ回して足を滑らせて顔面から犬の糞に・・・」


「やめてくださいよ、思い出したくもないんですから」


若林が悪夢を振り払うように頭を振ると


「ハハハ、とにかくだ!その時に小さな記事が新聞に出ただろう?それをあの子、ネットで見たんだって。それで犬探しならここと考えて、住所を調べて一人で乗り込んできたわけだ」


「なるほど。でもそれにしたって、なんで親が来ないんでしょう。娘がかわいがっている犬が消えたのならむしろ親の方が捜索の依頼に来そうなものですよね」


若林は不思議に思い尋ねた。すると西伊場は


「犬がいればね」


と答えた。


「えっ、それはどういう・・・」


「あの子の飼い犬はすでに死んでいるからね」



 若林は西伊場の言葉を聞くと目を丸くした。


「えっ・・死んでいる?それならなぜ捜索の依頼なんて」


「死を受け入れられないのさ。あの子の犬、散歩中に車にはねられて死んだそうだ。ほんの一瞬目を離した隙に道路に飛び出してしまってね。しかも女の子は学校に行ってる最中だった。亡骸はひどく損傷していてとても女の子に見せられる状態じゃなかったそうだ。母親は娘がショックを受ける姿を見たくなかったんだろう。娘が帰ってくる前にペット霊園の施設で火葬し、埋葬したそうだ」


西伊場はさらに続けて


「しかし、女の子は犬の死を信じられなかった。どこかへ逃げたのだと思い、毎日探し回るようになったそうだ。母親が犬は死んだ、もう戻っては来ないといくら言い聞かせても信じない。

良かれと思って亡骸を見せなかったのが逆効果になってしまったんだね」


「そして女の子はこの探偵事務所に来て、犬探しの依頼をしたということさ。あの子が最初に来たとき、君は休みだったから今日いきなり来たあの子を見て驚いたろう」


西伊場はそこまで言うと一息つきコーヒーを飲んだ。


「そういうことだったんですか。女の子については分かりましたが、先程女の子に渡したあの日記帳は?」


若林が尋ねると


「あの子が最初に来た後、母親に連絡した際に事の顛末を聞いてね。迷惑をかけて申し訳ない、もう二度と行かないように言って聞かせますので、と言われたんだが、そこでちょいと閃いてね。母親にも協力してもらって一芝居打つことにしたんだ」


「その一芝居というのはいったい?」


若林が食い入るように聞いてるのが分かったのか、西伊場が少し意地悪そうに笑った。


「誰が何と言おうとあの子は飼い犬の死を信じない、というより信じたくないんだ。

だから犬から女の子宛てのメッセージという形であの日記を私が書いたんだ。母親に犬と女の子の関係性や具体的なエピソードなんかを聞いて参考にしてね。

日記の締めくくりは、自分は遠くへ行ってしまうが悲しまなくていい。どうか元気で、といった内容さ」


若林はそれを聞くと少し考えて、口を開いた。


「たしかに良い話かもしれません。ですが、やはり子供騙しですよ。あの子だっていつか必ず気付きます。もしかしたら日記を読んでもう気付いているかも」


若林がそう言うと西伊場は嬉しそうに


「そこなんだよ!それでいいんだ。その子供騙しに自分で気付いた時にあの子自身、自覚することになるだろうからね。最愛の犬はもういない、死んでしまったんだとね」


西伊場の言葉に若林は考えを巡らせながら


「そういうことですか。だからあの日記、家に帰るまで読ませなかったんですね。母親の前で読ませるために」


「その通り。犬は死んでしまった。でも自分が飼い犬に愛情を注いだように、自分にも無償の愛情を注いでくれる親がいるってことを実感してほしくてね。

言葉で言っても分からないことを日記から気付いてほしかったんだ」


そう言い終わると西伊場はコーヒーの最後の一口を飲んだ。


「死の悲しみと、無償の愛、ですか。大人でも難しいテーマですね」


若林は少し視線を落としながらつぶやくように言った。

それを聞いて西伊場は、目を細めながら


「どこのことわざだったかな。”子供が生まれたら犬を飼いなさい”というのは。いい言葉だよね」


言い終わると西伊場は微かに笑い、空のカップを手に取ると新しいコーヒーを淹れに席を立った。

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犬が最後に教えてくれたこと 髙橋 @takahash1

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