犬が最後に教えてくれたこと
髙橋
前編
奇妙な光景だった。
テーブルを挟んで探偵の前に座っているのは七、八歳の女の子。
ようやくランドセルを背負い始めたばかりといった子供だった。
そんな女の子がたった一人でこんなちっぽけな探偵事務所に来ているだけでも驚きだ。しかし、迷子ではなさそうだった。
一方探偵はというと、椅子の肘掛けにもたれながらこめかみに手を置いている。
やや右に傾きながら、少し気だるそうな表情を浮かべている。
この不釣り合いな構図は、奇妙というかシュールな眺めだった。
話の始まりは15分ほど前にさかのぼる。
いつものように朝、探偵事務所に出勤すると探偵はすでに自分のデスクに座っていた。
探偵の手にはお気に入りのマグカップが握られており、コーヒーがなみなみと入っている。
この探偵はやたら濃いブラックコーヒーが何より好きである。
あんな泥水みたいな濃いコーヒーのどこがいいんだか、理解に苦しむ。
そのコーヒーを入れるマグカップもやたら縦長で持ち手がなければ花瓶のように見える。
探偵曰く、これぐらいデカければコーヒーを取りに行く手間が省けるから便利とのことだが、そのカップでコーヒーを飲んでる様は背の高い探偵の容姿も相まってなんとも奇妙なものだ。
イソップ童話で食器に入れたスープを鶴と狐が互いに四苦八苦しながら飲む話を思い出す。
「おはようございます、西伊場さん。珍しく早いですね、何か良いことでもあったんですか?」
そう尋ねると
「良いことなんて生まれてこの方、縁が無いよ。今だって徹夜明けで最悪の気分なんだから」
西伊場は眠たげな目をこすり、コーヒーをぐいと飲み干した。
なるほど。たしかにシャツはヨレヨレだし、顔には無精髭、いかにも徹夜明けといった感じだ。
「何かあったんですか?徹夜とは珍しい」
「二、三やることがあってね。やっかいな仕事だよ」
そう言うと、探偵は立ち上がり、洗面所に向かった。ドアの向こうに消える前にこちらを振り返ると、
「そうそう若林君、じきに人が来るからそこらへん片付けといてくれ」
「依頼人ですか?今日こんな早い時間に予約ありましたっけ?」
「まぁ、依頼人といえば依頼人かな」
そう言うと探偵は洗面所に消えていき、バシャバシャと顔を洗う音に続き、歯を磨く音と電気シェーバーの音が聞こえてきた。
探偵が一通り身支度を終えたころ、ドアをノックする音が聞こえた。インターホンがあるのに、と思いながら若林がドアを開けると、なるほどインターホンを使わない理由が分かった。
ドアの前には七,八歳の女の子が立っていた。これではボタンに手が届かない。
女の子にどこから来たのか、ここに何の用が、といったことを若林が尋ねようとしたとき、
「入ってもらってくれ、依頼人だ」
と西伊場の声が後ろから聞こえた。
以上がこの15分ほどの間に起こったことだ。
若林はとりあえず、麦茶をグラスにいれると女の子の前に置きながら話しかけた。
「麦茶だけど、いいかな?」
女の子は頷いて礼を言った。
本当はジュースでもあればいいんだが、あいにくこの事務所にそんな可愛らしい代物はない。
かと言ってあのヘドロのようなコーヒーを出すわけにもいかなかった。
探偵は顔を上げ、軽く伸びをすると一冊のノートのようなものを女の子に差し出した。
「さぁ、これが依頼されたモノだ。たしかに渡したよ」
女の子はさっそく読もうとしたが、
「おっと、約束したよね?その日記は必ず君が家でお母さんと一緒に読むってことを」
女の子は少し口惜しそうに日記帳をじっと眺めた後、西伊場を見て頷いた。
そして肩から下げたバッグの中に大事に日記帳をしまった。
「さぁこれで全部終わりだ。気を付けて帰るんだよ」
女の子は頷くと立ち上がり、礼を言って帰っていった。
若林は呆気にとられながら
「え?終わりですか?」
と言い、口をあんぐりさせた。何が起きたのかさっぱり理解できない。
「どういうことなんですか。あの女の子はいったい・・・」
立て続けに質問しようとするところを西伊場が制して
「まぁまぁ落ち着きなよ。とりあえず座って、順番に全部話すからさ」
そして今度は若林が西伊場と向かい合って話すことになった。
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