途切れた日記

キロール

還らずの父

 少女はその日記を幾度となく読み返していた。少しばかり癖のある字で書かれた日記は、日記と呼ぶにはいささか日にちを飛ばし飛ばし書かれていたが、これまで知りえなかった少女の幼き日々の事が、父の手により書かれていた。


※  ※


 青竜の月、私がいた所では五月ごろであろうか。荒天により駅馬車にて足止めを食らう。その際に諍い有り。赤子を狙ったレードウルフ外遊隊と一戦を交え、これを撃破。その際に赤子の母親より子を託される。人を斬るほかに能の無い私が子を育てる事に逡巡覚えしも、これを承諾する。


 雨竜の月、こちらで出会い多大な世話になっているラギュワン師に知恵を借り赤子にスラーニャと名付けた。ラギュワン師が曰くには大国ロニャフの貴族の家柄に忌み子が生まれたと聞く、或いはこの子がそうかも知れぬとのこと。なれば、戦う術を心得た私に出会ったのはこの子にとって幸運だったのかも知れぬ。戦う術ならば幾らでも伝えることができる。


 雨竜の月、子に乳を貰うべくとある農村にて一仕事働く。無事、獣を仕留め乳を飲ませることができ安堵する。また、村の女達より幾つか子育ての方策を教えてもらう。赤子の扱いはとんと慣れぬが懸命に覚える。最近では糞尿の様子にて体調を見極められるようになってきた。我が身の成長を感じて嬉しく思う。


 昇竜の月、日差し強くなる日々が増え、赤子がむずがる事多くなる。夕刻に必ず泣き出す様になり辟易するも一定の時が過ぎれば泣き止むのでその間は腕に抱いてあやす日々が続く。久方ぶりに会いし芦屋あしや卿はその様子をみて楽しそうに『何だ、神土。存外に似合うではないか』と笑っていた。卿がそう笑うのも無理からぬことである。私自身が誰よりも意外に思っているのだから。


 赤竜の月、ある商人に赤子を譲らぬかともちかけられる。確かに我が道行は危険が伴う。道半ばで私が果てる可能性もある。そうなれば赤子は飢えて死ぬのみ。逡巡し、所詮は血塗られた道かと商人の妻にスラーニャを引き渡そうとするも、スラーニャは私の腕を離れると大いに泣いて泣き止まぬ。これには商人も辟易し『すでに赤子は貴方様を父と選んでおったようでございますな』と残念そうに告げた。私はこれもえにしかと思い、何が何でも生き抜かねばならぬと決意を新たにした。


 風竜の月……


※  ※


 このように少女との日々を綴った父の日記を読むと、少女は心に暖かな物が込み上げてくる。だが、一方でその日記が数カ月前より止まっている事実が重くのしかかった。少女が体調を崩した時の事、荒事に巻き込まれた時の事、悪党を討った時の事、麦を刈りながらも戦い方を教えてくれていた時の事などなど書かれている日記は今は止まっている。父は初めて少女を人に預けて仕事に向かったのだ。


 魔所と呼ばれる南の地へと。


 父は言った。四カ月待って私が戻らぬ際は、お前は一人で生きて行かねばならぬと。お前を狙う者は多い、だが、父の教えた戦い方を駆使し、信頼できる仲間を見つけ生き抜くのだと。


 覚悟はできている。運命に抗う覚悟はできている。


 それでも、父が戻ってくることを願わずにはいられなかった。もうすぐ四カ月目の日が来る。それまでは外で遊びもしたし訓練だって続けていたけれど、その日が近づくにつれて間借りしている神殿の一室に籠って父の日記をただただ読む日々が続いた。


「スラーニャちゃん?」


 部屋の外から声がする。女神ルードの使徒にして放浪聖女と名高きリマリアが声を掛けて来た。


「はい」

「大丈夫かい?」


 リマリアは決して部屋には入って来なかった。彼女は豪放で気安い所は有ったが人の心を踏みにじるような行いは決してしない。今の少女にとってこの部屋がある種の聖域である事を理解しているようだった。


「大丈夫」

「強い子だねぇ……親父さんによく似ているよ」

「うん」

「親父さんは必ず帰る。……アシヤもどんな姿に成っても必ず連れ帰るって言っていただろう?」

「うん」


 父が芦屋あしや卿と呼ぶ男、皆からはアシヤと呼ばれるその男の顔を思い浮かべる。父と同じ黒髪で少しだけ線の細い男は、丸眼鏡をかけているせいか、元来の性が顔に出るのか曲者と言う印象が強い。その曲者が真顔で言っていたのだ、君の父は必ず連れ帰る、どんな姿であっても、と。あの人を食った男がそうまで言った事実が今は重かった。


「おひい様、スラーニャ殿、数名の兵を従えた馬車が迫っておりますぞ」


 しんみりとした雰囲気を壊すような鋭い老人の声が響く。聖女付きの神殿騎士バルトロメの物だった。


「……あれは……まるで国賓の送迎のような」


 そして続く言葉に少女は身を固くする。どんな姿であっても連れ帰ると語った芦屋の言葉が甦る。これはそう言う事であろうか? 馬車からは戦いに果てた父の骸が……。


 そう考えその身を震わせた矢先のことだ。馬車を監視し続けていたバルトロメの声が響いた。笑い声が。


「はっ……ははっ、流石は、流石はセイシロウ殿だ! まさかあの魔所より、古の地より無事戻られるとは!」

「え?」

「そりゃ凄い! 流石はセイさんだ! ほら、スラーニャちゃん! 外に出て出迎え、出迎え!」


 バルトロメの言葉に一瞬呆けたスラ―ニャだったが、喜色をあらわにして部屋に踏み込んできたリマリアに手を引かれて外に出た。今となってはこの部屋は聖域ではなくただの部屋、そう判断したのだろうか。


 神殿の外にまで出ればその姿がはっきりと視界に飛び込む。幾人かの武装した男たちに守られながら馬車から降り立った男の姿が。短めの黒い髪、鋭い双眸はラギュワン爺さんと同じく呪術師の証である赤土色に輝き、腰にはこの辺ではまるで見ない刀を下げている男の姿が。そして、周囲に敵など居ない筈なのにこの瞬間も全く油断のない男の姿が。


 それは紛れもなく父の姿であった。


 日記は数カ月の時を経て再び書き綴られるのである。

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