日記、それは日々の出来事の記録。
くるとん
日記とネタバレにご用心
春の訪れを感じさせる風、芽吹きを迎えんとする緑。
仕事に忙殺される日々ではあるが、季節を感じられる程度のゆとりは維持しているつもりだ。
―――今日も疲れたな…。
今日…いや、正確に言うならば、昨日から今のいままで仕事だった。
クライアントのサーバーにウィルスが侵入したようで、その対応に追われていたのだ。
作業を始めたのが夕方、終わった頃には鳥のさえずりが聞こえていた。
「はぁ…。」
原因は、社員のひとりが私用でも使っているメモリーを接続したことだった。
メモリーを介してウィルスが侵入したらしい…。
そんなことしないでくれよと呆れる気持ちを必死に抑えつつ、営業スマイルでため息まじりの10時間を過ごした。
ソファにヨタヨタと座り込み、ネクタイを緩める。
記憶があるのはそこまでだった。
■
―――ん…。
ソファで寝てしまっていたようだ。
妙な姿勢だったらしく、首のあたりに違和感がある。
「痛たたたた…。」
肩こりも激しい。
今日は誰もいない我が家…このまま眠りたい気持ちを我慢して、脱衣所へと向かった。
―――うーん…。
シャワーで汗を流し、そのまま部屋着に着替える。
外出の予定はないが、この時間からパジャマというのも違う気がする。
「あ…そうだ。」
ふと同棲している彼女のことが気になり、カレンダーを確認する。
―――あ…そうだった。友だちと旅行って言ってたっけ…。
最近仕事ですれ違い中…喧嘩はないが、付き合い始めたころのような高揚感もない。
もちろん一緒にいたいという気持ちは消えていないが。
「…。」
俺はまだ湿っている髪の毛をタオルで乾かし、そのままユミの部屋へと向かった。
妙な緊張感と罪悪感で鼓動がはやまるなか、俺は引き出しをゆっくりと開いた。
目の前にはピンクの日記帳がある。
もちろん俺のではない…ユミの日記帳だ。
―――うぅ…。
悪いことだとはわかっている。
わかっているのだが、どうしても気になってしまう。
ユミの日記帳、それは俺にとって、心の支えなのだ。
ナオキがいなくて寂しいな、ナオキに会いたいな…そんな言葉にあふれている日記帳。
癒しを求めた俺の心は、罪悪感を寄り切った。
パラパラとページをめくり、彼女の言葉を心に沁み込ませていく。
幸せな時間。
そんな時間はあっという間に過ぎ去り、最後のページにたどり着いてしまった。
―――
3月22日
アミとの女子旅…1日目。天気はまぁまぁだったけど、連絡船は思っていたほどは揺れなかった。酔い止めの効果もあったみたいで、好調なスタート。
最大の目的である美術館は、私たちみたいに絵を見に来てる人たちでいっぱいだった。このご時世ということで、入場制限があったけど、ゆっくり楽しむことができた。
今日は有名な旅館に泊まる。
スケジュールメモ
・連絡船
・港そばのごはん屋さんで昼食
・美術館、入場制限あり
・夜、旅館
―――
そう書かれていた今日のページには、旅行先のパンフレットが数枚はさまっていた。
美術館や水族館、旅行サイトのコピーなどなど…旅に行った気分になれるほどに充実している。
―――電話…かけてみるか。
疑っているわけではないが、ユミはどちらかというとインドア派だ。
いくら友だちの誘いとはいえ、泊まりの旅行というのは珍しい。
出張で泊まりというのは何度かあったが、会社に電話がかかってくるほどの寂しがり屋でもある。
俺はポケットからスマホを取り出し、リダイヤルで発信。
『もしもし。』
「ユミ、もう着いた?」
『うん。船はあんまり揺れなかったよ。今、美術館から出て、アミが出てくるの待ってる。』
「そっか。」
『海もキレイだし、お魚もとってもおいしいよ。』
「いいねー、俺もそっち行こうかな?」
『え?あ、えーっと…大丈夫。アミとの女子旅だし。』
「あ、うん…。」
少し慌てたようなユミの声に、わずかな不信感が芽を出した。
『連絡船、朝と夜の2便しかないし…ナオキ、明日も仕事なんでしょ?』
「そっか。そうだよね。日帰りは無理か…明日は朝から会議だし…。」
日記に張り付けられていたパンフレットにも、そのような記載があった。
限りなくブラックに近いグレーな企業に勤める俺。
会議に遅刻するなど、もってのほかだ。
『ごめんね…忙しいときに私だけ…。』
「気にしないで。せっかくの旅行なんだから、楽しんでおいでよ。家のことはやっとくし、ゆっくりしておいで。」
『ありがと。明日の夜には帰るから。』
「うん。気をつけてね。」
スマホをソファに放り投げ、そのままユミの部屋へと入る。
引き出し内の配置も原状にして、日記帳を本とアルバムの間へと戻した。
―――よかった。やっぱりちゃんと旅行、行ってるじゃん。
疑ったことに若干の後悔を抱きつつ、リビングへと戻る。
俺は安心感に包まれながら、ソファにどすっと座り、スマホの操作を再開した。
電話帳のアプリを起動し、取引先のフォルダを開く。
親指でわずかにスクロール…数回の発信音の後、聞きなれた応答があった。
『もしもし。』
「もしもし、俺。」
『ナオくん、待ってた。』
「明日まで大丈夫そう。今から?わかった。うん、待ってるよ。ハルカ。」
俺は棚の上の段に飾られている写真たてを倒し、テーブルの上から掃除を始めた。
日記、それは日々の出来事の記録。 くるとん @crouton0903
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