第20話 最悪の初対面
*
あっという間にその時は来てしまった。
扉一枚をへだてた向こう側に、王太子がいる。母を奪った国王の一人息子にして、望まぬ婚約者でもある人物が。
リュミエーヌはそわそわと落ち着かない気持ちを紛らわすために、控え室内に視線をさまよわせる。すると壁にかかった鏡が見えた。
鏡に映るのは、金の髪に白いリボンを編み込んでまとめ薄く白粉をつけて、王都風の首元の開いたドレスをまとったリュミエーヌだ。今日の装いはイストファン公爵夫人の見立てによるもので、自分でも別人かと思うくらい、大人びている。
「シオン、どうかしら。公爵夫人に見立てていただいたのだけれど」
「とても美しいです。――王太子相手に披露するのがもったいない」
「どうせ、すぐにお別れする相手よ」
リュミエーヌが王都へ来た目的はふたつ。
王太子に、婚約を断ること。
そして母マリアンヌに会うこと。
最初の目的については、今日これから果たすことになる。
首尾よく婚約破棄の運びとなれば、もう王太子に用はない。二度と会うこともないだろう。
そんなことを考えていると、目の前の扉が開き、すらりとした長身の青年がひとり現れた。彼はリュミエーヌを見てにっこりと笑いかける。
あまりに洗練された服装と物腰、そして華やかな雰囲気の顔立ちにリュミエーヌはびっくりした。一瞬、王宮仕えの侍従かと思ったけれど、すぐにありえないと否定する。
ひとめで分かる、仕える側ではなく仕えられる側の人間。
生まれながらの貴族。――アーガイルの土地ではお目にかかったことのないタイプの、非の打ち所がないほどに優雅な貴公子だ。
「お待たせいたしました、アーガイル公爵令嬢。どうぞ中へ」
彼の言葉に、緊張を悟られないよう、リュミエーヌは平然を装って軽くうなずく。
視界の隅にシオンが見えて、大丈夫、ひとりではないのだと思えて勇気が出てくる。
青年に案内され、通された部屋はすぐ目につく場所に重厚な机が置かれた、日差しの入る明るい一室だった。リュミエーヌは亡き父の執務室を思い出した。
その机のすぐ横に、銀髪の青年が立っている。
(この方が……王太子殿下?)
隙のない物腰と整った――整い過ぎたといってもいい顔立ち、そしてひどく大人びた切れ長の瑠璃色の双眸が、どことなく冷淡そうな、理知的な印象を与える。血の気の多いアーガイルの男たちとは真逆、いかにも都育ちの公子といった雰囲気だ。
とにかく。リュミエーヌは微笑んで、名乗る。
「お初にお目もじつかまつります、王太子殿下。
わたくしは先のアーガイル公爵ランヴァンが一子、リュミエーヌ。お会いできて光栄でございます」
対して、王太子の反応は。
「本当に来たのか。あのアーガイルの娘、マリアンヌの娘が」
一瞥と、あまりに冷淡な口調。それだけだった。
心底リュミエーヌのことをどうでもいいと思っているような、感情の宿らぬ、つまらなそうな声。
「私はエディリアス・グランヴィル。王太子だ。そなたのことは、父より聞いている」
聞いているとは、一体どんな話を?
その冷ややかな目つき、あたたかみの欠片もない声から、とてもリュミエーヌに良い印象を持っているとは思えなかった。
(だとしても。とにかく、話してみないと)
リュミエーヌはおのれを鼓舞する。
シオンとはるばる、王都まで来たのは母と会うため――そのためには極力、王家と良好な関係を築いていきたい。到底許せない、好きになれない相手だとしても、喧嘩をしたいわけではない。
「わたくしは、殿下と婚約するようにとの、陛下のご命令を受けました。その真意をお訊ねするために、こうしてはるばるアーガイルの地より参りました」
この婚約命令の意図を知りたい、だから国王に会わせてほしい――そう話を運ぶつもりだった。
だがそれよりも早く、王太子は言った。
「父の真意は父しか知らぬ。こたびの婚約、私は一切同意していない。――同意するつもりも、未来永劫、ない」
あまりに明確すぎる、拒絶の言葉だった。
もちろんリュミエーヌは、自分が王宮で歓迎されるだろうとは思っていなかった。
だけれど、こうも真正面から拒絶されるとも、思わなかったのだ。
(この言い方、殿下も、わたくしと婚約なんてしたくないというわけね。
それなら、大丈夫、交渉の余地はまだある)
ひるみそうになる自分を奮い立たせて、なんとかリュミエーヌは会話を続けようとする。
王太子と結婚などしたくないのはリュミエーヌも同じ。ならば条件次第では、一時的にでも協力できるはず。
そう思ったリュミエーヌが口を開こうとするのと、それは同時だった。
「残念だったな。俺は父とは違い、マリアンヌの娘を未来の王妃に据えたいとは欠片も思わない。喜んで迎え入れると思ったら大違いだ」
その声に一瞬、疑うべくもない憎悪と侮蔑が、ひらめいた。
あまりにあからさまな敵意をぶつけられ、リュミエーヌは身がすくんだ。
なにも言えない。
(どうしてそんなことが言えるの……? なにも知らないくせに……!)
母がいなくなってしまった後の、火が消えたような屋敷のなか、みるみる憔悴してゆく父、痛いほどに伝わる大人たちの気遣い、すべてから遠ざけられた子供にもわかるほどひりついた空気、何もできない虚しさと悔しさ――あの悲しく辛く苦しい日々を、なにひとつ知らないくせに。
誤解されることなら覚悟していた。リュミエーヌだって顔も知らぬ王と王太子を憎んでいた。
でも、でも。
何も悪いことをしていないリュミエーヌがどうして、王太子から蔑むまれなければならない?
(期待などして……もしかしたらわかりあえるかもって、思ったわたくしが愚かだったということ?)
リュミエーヌはくちびるを引き結び、ちいさく息を吸う。
一瞬だけ視線を落とし、言葉を探した。
※
(おいおいエディリアス、初対面の女性相手にさすがにやりすぎだろう?)
傍らで聞いていたアイシスは思った。アーガイル公爵令嬢の見るからに強張った表情、うつむくさま――これは明らかに言い過ぎだ。
いくら因縁のあるマリアンヌの娘とはいえ、相手は父親を亡くしたばかり、しかも顔も知らない
(あーあ、うつむいちゃって。泣かせたらさすがにまずいかな)
令嬢のそばに立つ護衛騎士が、射殺さんばかりの目でエディリアスを睨んでいる。
会話に割って入るべきだろうか。
そう思ったアイシスは、だが、続けられたリュミエーヌの言葉に耳を疑った。
「……お気楽な、お幸せな王太子殿下」
うたうような高雅な発音だった。宮廷人でさえこれほどの教養を持つ者はない。わずかに震える語尾ですら、計算されたかのようにうつくしくて。
可憐な微笑みを消し去って、アーガイル公爵令嬢はまっすぐエディリアスを見つめている。濃青の瞳は力強く輝いていて、おずおずとこちらの様子を伺っていた先ほどまでの様子とは別人のよう。
「わたくしは望んであなたの婚約者となったわけではないわ。誤解しないで、あなた方王家が強引に、わたくしへの婚約を命じたの。――わたくしの母を無理やり連れて行った、あなたのお父上のように」
可憐な声でうたうように告げられたそれは、皮肉を通り越し、痛烈な罵倒だった。あなたのしたことは父王にそっくりだと。
エディリアスの顔を見なくても、彼が気色ばんだのがわかる。
父王の愚行を恥じて厭っているエディリアスにとって、これほど効果的なひと言はない。
まさか宮廷に来たばかりの、はじめて顔合わせをした少女が、一撃でその逆鱗に触れるだなんて。
(いやあ、ある意味、相性が良いのかも……?)
アイシスはアーガイル公爵令嬢リュミエーヌを見る。ただの可憐な美少女だと思っていたら、とんでもない。
あのアーガイル公爵の娘だけあって、とんだ肝の据わりようだ。
王太子エディリアスはもやは敵意と不快感を隠そうともしない声で言った。
「ならばなぜ、自ら王都へ来た。目論むところがあるからだろう」
対し、アーガイル公爵令嬢は臆することなく堂々と返す。
「勝手に決めつけないで。君主の権威と武力を見せつけて脅してきたあなたたちに、婚約などお断りだと、申し上げに参りました。ただそれだけです」
その一瞬、常に落ち着き払ったエディリアスの表情がはっきりと怒りにゆがんだ。
「…………礼儀も知らぬ、田舎者め」
吐き捨てるように言ったエディリアスに、アイシスは驚いた。
この幼馴染にして従兄弟の王太子がここまで感情をあらわにするなど何年ぶりだろう。
そして、それに対しアーガイル公爵令嬢は一歩も引かなかった。
「田舎者にも最低限の礼節は心得ていますわ、殿下。礼節も道義も忘れた動物のような王族よりマシです」
一瞬殺気のように剣呑な気配が放たれた。
公爵令嬢リュミエーヌのそばに控える護衛が反射で腰に手を伸ばし、武器は持ち込んでいないことを思い出してハッとする。
王太子エディリアスとアーガイル公爵令嬢リュミエーヌ、ふたりはほとんど睨み合うような鋭い目つきで、しばし互いを見つめ合う。
先に視線をそらしたのはエディリアスの方だった。
「――アイシス。これくらいで引き上げよう。一応面会はしたと、イストファンの伯母上への言い訳もたつ」
エディリアスは心底うんざりしたように眉をしかめる。
盛大なため息をひとつ、落として、言う。
「アーガイル侯爵令嬢にはお帰り頂け。想像以上の蛮族だ、まともに会話にならぬ」
※
婚約者から憎まれている公爵令嬢は、何としてでも婚約破棄してもらうつもりです 二枚貝 @ShijimiH
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