第19話 邂逅前夜

「あっという間ね、もう、明日には城に上がるなんて」

 窓の外をぼんやり見つめているうちに、ぽろりと独り言がこぼれ落ちていた。

「強行軍で申し訳ありません。本当なら、しばらくこの屋敷で疲れが取れるまで休みたいところですが」

 独り言を聞かれていた気恥ずかしさをごまかしたくて、リュミエーヌは後ろを振り向いて、シオンに笑いかけてみせる。

「大丈夫よシオン、そこまで疲れてもいないし……それにね、ちょっとだけ、楽しみでもあるの。初めて王宮に行くんだもの」

「楽しみ? 王宮が?」

「だって、仮にもこの国の王城でしょう。どんなひとたちがいて、どんなものがあって、どうなっているのか――絶対、わたくしの見たこともないものが、たくさんあるはずだもの」


 リュミエーヌはわずかな間、目を閉じて、アーガイルの家を出てから今までの道中の記憶をよびおこした。

 行きの旅路は順調そのもので、とりたてて問題も起こらなかった。だからリュミエーヌは、旅の目的も緊張も忘れて、はじめて目にする領外の景色に見入ることがしばしばあった。

 土地が変われば山のかたちも、畑の色も、路端の花も、川の流れも、ひとびとの言葉も、なにもかもが変わる。

 提供される料理、パンの種類、建物の構造、女性たちの髪の結い方、ドレスのデザイン、使用人たちの言葉遣い……何もかもが珍しく新鮮で、すべてのものが気になって。おかげでリュミエーヌは、目前に迫った王太子との面会のことをあまり気に病まずにいられた。とにかく初めて目にするものに夢中だった。


「わたくし、ちょっと思ったの。王都に来るまでに、初めて見るものとたくさん出会って、自分があまりに世間知らずだって気付かされて……だからもしかしたら、王宮のひとたちだって、想像していたほど怖くはないかもしれないって」

 シオンもそう思われない? とリュミエーヌはたずねたが、シオンの表情から賛同は得られないことを見て取った。案の定、シオンは低い声で、どうでしょう、とこたえた。

「姫のお考えの柔軟さには目を見張りますが、……あまり期待をし過ぎても、後で悲しむことになるのは姫の方です。楽しみにされるのは良いですが、どうかほどほどに」

「……そうね、ごめんなさい。すこし浮かれていたのかも」

 リュミエーヌは窓の外の月を見上げ、息をつく。

 明日会うのは望まぬ婚約者にして、母の仇の息子、この国の世継ぎエディリアス・グランヴィル。

 正直、母を奪った国王の息子など好きになれるとも思えない。でも、エディリアス・グランヴィル本人が母マリアンヌをさらったわけではない。

 彼がどんなひとなのかは、会ってみるまでわからないのだ。

 不安なのか高揚なのか、正体不明の感情にわずかに心臓の鼓動を早めながら、リュミエーヌは誰に言うでもなくつぶやいた。

「明日は、どんな一日になるかしら」



 明日、ついにリュミエーヌは王宮へ上がる。

 王太子と対面する。



 ※※※


 王太子エディリアス・グランヴィルが王命による婚約を告げられてから、ひと月近く経つ。

 この一ヶ月、エディリアスは険しい顔をして、長い間なにかを考え込んでいた。

 使用人たちは事情など知らないから、ひそかに不安がっていたが、事情を知るアイシスは笑いをこらえるのに必死だった。

 マリアンヌの娘との婚約を命じられて、腹の底に煮え滾る怒りを抱えながらも、ともかくその可能性を検討してみるあたりが生来の生真面目さだ。理性と感情がこんなにもちぐはぐで、傍から見ていると苦しそうに思えることもあるのだが、その不器用さがエディリアスの愛嬌でもある。


「そろそろ答えは出たのか? エディリアス」

 アイシスが訊ねると、何のことだ、と世継ぎの王子は返す。

 あれだけの渋面をしていて自覚がないとは。普段はまったく感情を読ませない鉄面皮のくせに。

 だが、アーガイル公爵令嬢リュミエーヌとの面会は明日に迫っている。いつまでも悩んでいるわけにもいかないだろう。

「リュミエーヌ嬢との婚約のことだよ。受け入れるのか、断るのか」

「断る。そう言わなかったか。私はマリアンヌの娘を娶るつもりなど毛頭ない」

「お前らしくもない短慮だな。文句のつけようがない姫君じゃないか。家柄、財産、教養、美貌、歴史ある血筋……他に何を求める?」

「父の愛人の娘ではないこと」

「はは、それだけは無理だ」


 アイシスが大きな声で笑うと、エディリアスは不機嫌そうに椅子を引き寄せて、座った。

「王家の力を盤石にするために、婚姻が有効な手段であることは理解している。相手がアーガイル公爵令嬢でさえなければ、私も文句は言わない」

「なら、なぜアーガイルではいけない?」

「あの家は大きすぎる。強すぎる。豊かすぎる。古すぎる。マリアンヌの件でせっかく孤立させたというのに、ここへきてむざむざ未来の王妃の実家という肩書きまで与えてやるつもりか? そうなれば、かつて以上に増長することは目に見えているだろう。水の泡だ」

 もっともらしいことを言ってるな、とアイシスは思う。だがその理屈がただの言い訳であることは、幼馴染みであるアイシスにはお見通しだ。

「たかが世間知らずの姫君ひとり、おまえが御せばいい。それともその程度の自信もないか、未来の国王陛下は」

 エディリアスに本心を口にさせようとして、わざと挑発的な言葉を投げてみる。だが、返ってきたのは冷ややかな一瞥だった。

「私を煽ろうとしても無駄だ。――それに、父上もおまえも、楽観視しすぎだ。アーガイル公爵家が王家と縁続きになることで、今まで以上に勢力を拡大させる可能性だってある」

「どうせ潰すこともできないんだ。強い敵よりは、強い身内の方がまだ使いようがあるだろう?」

「サンヴェルドルのようにか」


 わずかに苦い顔で言うエディリアスに、アイシスは片目だけ細めて笑いかけた。

 王妃の実家サンヴェルドル公爵家――アーガイルほどではないが、それに次ぐほど古く、力のある有力貴族だ。王家はこのサンヴェルドル公爵家と、敵対ではなく、婚姻による懐柔の道を選んだ。だがその代償としてサンヴェルドル家の力は年々増してゆく一方でもある。

 代々の王は陰に陽に、サンヴェルドルの影響力を削ごうと苦労してきた。

 一説には、国王がマリアンヌを王宮へ連れてきた目的の裏には、アーガイルの縁者であるマリアンヌを利用してサンヴェルドルの力を削ぐためーーと噂されたこともあった。

 あながちまとはずれでもない、とアイシスは思う。サンヴェルドルは王妃を何度も輩出している家柄だ。そして、一族内での婚姻を繰り返し仲間内で結束してきたアーガイルとは違い、ほうぼうの貴族と縁戚関係になることて影響力を伸ばしてきた。人脈があり、容易には排除できない――考えようによっては、王家にとってアーガイル以上に目障りな一族だろう。


「私にも考えくらいはある。お前に心配される必要はない」

 エディリアスが会話を打ち切ろうとする素振りを見せた。待てよ、と言おうとして、やめる。アーガイル公爵令嬢との面会を明日に控えて、ここで喧嘩するのもばからしい。

「わかった、お手並み拝見といこう。どうせ明日同席させてもらうことだし」

「勝手にしろ」

 エディリアスはちょっと不機嫌そうな表情のまま、部屋を出ていった。あの顔じゃまた使用人が不安がるなと思いながら、アイシスは薄く笑みを浮かべてその背中を見送った。

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