思春期少女の日記って、結局のところそういうもんだよね。

深海くじら🐋『駅ヰタ』カクコン参戦中💕

少し先の未来で。

 ご覧ください!

 今まさに、われわれ人類によるBHC探査モジュールが、地球近傍を通り過ぎんとする彗星に最接近しております。

 地球から147万km。月軌道の約4倍の距離で行われているこの天体ショー。そのタイムラグはほんの5秒。ですからいま皆様がご覧になっているのは、5秒前の「今」の映像なのです。



 渋谷駅前の巨大ARスクリーンが真っ黒い画面を映し出している。『[LIVE]ブラックホール彗星の地球最接近‼』というおどろおどろしいテロップが付いているものの、正直言って真っ黒以外はなにも映っていない。チャンネルを繋いでいるイヤホンから、シュバルツシルト限界まであと5千キロまで近づいたというナビゲータの声が聞こえるが、距離感も何も真っ黒なので、逸郎にはまったくもって実感が湧かない。


「あ、見て。前の方に何か流れてる」


 隣に立って同じようにスクリーンを見上げているパートナーが声をあげた。

 どっちが前なのかもわからないよ、と応じた逸郎だったが、たしかに画面左側に淡い雲のようなものが表れていることに気がついた。

 スタジオの方も真っ黒な画面に辟易していたのだろう。映像のフレームを雲の方に合わせてきた。


「なんだろう。すごく懐かしい気がしてきた」


 春の季語を名前に持つパートナーが、そう呟いた。





「要するにその日記を探し出して、取り戻すか壊すかすればいいんだな」


 アルカナ探偵事務所のサフォが、がさつにまとめた。

 目の前に座って神妙な面持ちを向けているのは、いまをときめくグローバルアイドル、ルオ・キャルリン。別の言い方をすると、サフォの幼馴染みの泣き虫ルオ。いや、今回は正しく『依頼主』と呼ぶべきか。


「そう。それでいい。アレは絶対に、私以外の人に感応されるわけにはいかないの」


 サフォが『日記』と言ったのは、生体感情断面記録媒体、通称SDスライスダイアリーのこと。10秒程度のスキャニングで対象の感情を記録し、視覚信号に変換して再生できるパーソナルツールだ。技術的にはかなり以前に確立されていたが、それを小型化して個人使用パーソナルユースに特化して販売し始めたのが10年前。当時の女子高生を中心に、爆発的に売れた。が、そのブームもほんの3年程度。今も売られてはいるようだが、そのユーザーは性産業の方にシフトしている。

 SDが出力する視覚信号は、具体的な映像ではない。映画のように記憶を見せてくれるものではないのだ。そうではなくて、心が読み取れる信号、いわば精神語とも言うべき映像情報に変換するのである。画的には具象的なものはなにもない。だがそれを見た人の心には、オリジナルの想いの断片が再現される。


 ルオがSDを手に入れたのは8年前。ブームの終盤だ。当時彼女は12歳。毎日のように友だちや姉に泣かされて、その度に姉の同級生だった隣家のサフォに助けを求めに来ていた頃。


 ルオがサフォに話した説明によると、彼女はつい最近までSDを愛用していたらしい。近年はさすがに月に数回だったが、それ以前はほぼ毎日記録していたという。

 標準のSDでは半年分程度しか収納できないメモリーを、増設を繰り返してすべて保存できるようにしたのだそうな。言ってみれば、ルオの8年分の本音が詰まったお宝だということだ。いや、単なるお宝ではない。デビュー以来4年、今や世界第一の清純派と言っても過言ではない超人気アイドルの本音の記録アーカイブである。

 あろうことかな、最高機密と言っても差し支えないそのSDが盗難に遭ってしまったのだ。パスワード、遺伝子認証、生体認証のトリプルガードのおかげでまだ漏れてはいないようだが、おそらくは時間の問題。もし開錠され、世に出されてしまったら、そこで起こるスキャンダルの規模は半端なものではないだろう。下手すれば、擁護派と排斥派の間で戦争が起こるかもしれない。


「今までもいっぱいいっぱいお願いしたけれど、そのすべてをちゃんと叶えてくれてきたサフォにしか頼めないの。お願い。私の8年の想いを取り戻して。そうでなかったら、いま生きてるこの世界の誰にも見られないよう破壊して」


 スーパーアイドルのルオは、幼馴染の顔でサフォの手を握り、懇願した。横で見ていたアルカナ所長は、別室で既にマネージャとも話がついているようだ。サムアップでウィンクしている。

 ふん。言われなくてもやってやるよ。他ならぬ泣き虫ルオの頼みなんだから。





「サフォ、こいつらの捕縛は俺とSP宇宙警察に任せて、お前はあのカーゴを確保しろ。絶対にやつらに奪われるな!」


 所長の大声がインカムに響く。

 そんなこと、わかってる。

 ひとりブリッジに残ったサフォはこの巨大戦艦の出力を最大にする。だが、射出されたカーゴとの相対速度は遅々として埋まらない。別軌道から進入してくる正体不明の、いや、あきらかに敵の船との接触の方が、早い。


 サフォは、ルオの想いの回収を諦めた。そう。ルオはもはや俺の手の届かないところに行ってしまっているのだ。

 間違いない。あそこに詰まっているのは、泣き虫だったルオが成長していく間に綴った俺への想いの積層ストレイタ。あいつの名残、そのものだ。それは、俺の手で破壊する。


 サフォは主砲の照準をカーゴに合わせた。等速直線運動の対象を捉えることなど、自動照準ではお手の物。スクリーンのロックオン表示が緑になった瞬間に、サフォは主砲発射を船に命じた。小惑星すら爆縮させるマイクロブラックホール砲。小さなカーゴひとつに打ち込む兵器ではない。だが、あそこに入っているものは、破片ひとつ残すわけにはいかないのだ。


 敵回収船の目前でカーゴは爆縮し、光速の一万分の1の速度で消え去った。

 連中にはもう用はない。サフォは全質量の99%を失った巨大戦艦の軌道を帰還モードに変更した。コマンドを入れてしまえば、あとは何もすることはない。

 スクリーンに映る虚空を見つめながら、サフォは呟くのだった。


「さようなら。ルオ」





 ARスクリーンに映る箒雲ほうきぐもは、回転するマイクロブラックホールの極が放出するガスらしい。くわしくは説明されなかったが、事象の地平線で磨り潰され無限の時間をかけて中心に落ちていく微粒子のなかで、それに反発して、超大重力を振り切って飛び出す分子があるそうで、それらのはぐれ分子たちが太陽の引力で雲のように伸びているんだとか。今回の彗星は重力が強いので、箒が長くは伸びず、核であるブラックホールの近くに雲となって溜まっていると言う。


「ねぇイツロー。私いま思い出したよ。あなたとこうなる前の、あなたを想ってただけのときの私の気持ちを」


 俺もだ。逸郎もそう思った。

 見ればスクリーンを見上げる全ての人たちが、同じような気持ちで立ち止まっている。みんな見えたのだ。彗星の雲に浮かぶ、どこかの誰かの思春期に綴られた、幼く深い想いが。


 パートナーが逸郎の手を握ってきた。

 逸郎もその手を握り、指と指を絡ませた。

 俺たちはずっと一緒に歩こう。そう強く願いながら。


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