第6話 内側

「う、っそ──」


ラオネが意識を失う寸前の所で、どうにか右腕の形を取り戻したホノカが慌てて彼の体を揺さぶる。何かを叫びかけているのが遠目に見える。ホノカが言っている言葉の一つまで聞き取れない。


まるで昔の、映画のフィルムがパラパラと流れていくかのようだった。コマ送りの時が私たちの間をすり抜け、掠める。

その背後にはいつの間にか炎が消え、再び矢のような速さでホノカへと迫る『蒼龍せいりゅう』の姿。


「ホノカ、ホノカ」


ホノカが咄嗟に蔦を這わせようと腕を振りかざすものの、弱まり続ける力のせいかそれは形にならずに地面に落ちる。

ギュッと瞼を閉じ、眠るラオネを抱きしめるホノカ。


────間に合わない──


そう、私のは。


レーザーの如く私たちの間をすり抜け、暗闇の落ちる洞窟内が一瞬だけ昼間のような明るさを持つ光。


「──っは」


咄嗟に私の指先から放たれた糸の如く細い炎。それは寸前で『蒼龍せいりゅう』を掠めることなく洞窟の一辺を糸の如く繋ぎ、ただ一段と存在感を放った後パッと消滅した。持続力の短さから、やはり能力は徐々に失われつつあるようだ。


──それは、『蒼龍せいりゅう』の気を引くには充分だ。


しかし、即座にホノカ達から炎の発生源である私を捉えたエメラルドの瞳。

「ん?」

私はようやく自分の浅はかさに気が付いた。

「えっ、うそ」

そしてまた背中を向けて走り出したのがいけなかった。

私の作戦はあくまで"『蒼龍せいりゅう』の視線をホノカから外す"こと。

地面を鋭く蹴りあげると同時。『蒼龍せいりゅう』は電光石火の早業でターゲットを私の方へと切り替えたのだ。

「最っ悪!!!」

「おいそこの馬鹿、本当に何してるんだ!?」

ニーズヘッグの声がわずか聞こえるか聞こえまいか、今はとにかく『蒼龍せいりゅう』と距離をとろうと全ての力を注ぐのに必死だった。

壁に当たる少し前で右足を地面で斜めに捻り、出来る限り勢いを落とさぬよう、今度は『蒼龍せいりゅう』と衝突するすんでの所で腹側に回り込んでザァッと地面に手を着く。そして瞬時に左手の奥へと再び駆け距離を離す。

「はぁっ、はぁ……ホノカ! 今のうちにラオネを抱えて逃げるの! ニーズヘッグとカナエはこの『蒼龍せいりゅう』の動きをなんとかして封じて! でなきゃ持たない!」

息も絶え絶えに叫ぶ。私の声が洞窟内にカッとこだました。相手は軽い一撃で命を奪わんとする鉤爪。私の足音と『蒼龍せいりゅう』が動く度に響く重低音。地面を蹴るのはそのままに、先程と同様指先から放つか細い炎を使いながら『蒼龍せいりゅう』の気を引いては、その鋭撃を器用にかわしていく。生憎今の私に出来ることはこれしか残されていない。


右手の剣を持ち直し、ちらと瞳を動かしてニーズヘッグの方を見やると、ちょうどどうにか『蒼龍せいりゅう』の動ける範囲を狭めようと地面から幾つもの氷柱状の氷を生やしていくのが見えた。パキンパキンと硬い音を立てて空気中の水蒸気が凍てついていく。既に彼の指先は真っ青だった。

「ん、くそ…………」

能力が失われつつある今、いつも以上にかなりの力を有するためかニーズヘッグの表情はいつも以上に苦しげに歪められている。


対の視界の片隅の方では、追われている私の方が気になるのか、足がガクガクと小刻みに震えて動かないカナエの不安げな瞳と目が合った。

「ちょっとカナエ──! あんたもニーズヘッグと一緒に早くその怪物を抑えて!」

「で、でも」

「今私のことはいい!」

はぁ、はぁっ、はぁ……っ

徐々に走るペースが落ちていく。

剣を持っていた右手にも上手く力が入らない。地面を蹴りあげる足がズキズキと痛み出す。

それでもなんとかしてこの時間を一時でも耐えようと左手で汗を拭った時。

「んあ──っ」

僅かな段差に足を取られ、走った勢いのまま地面を転がり私の頬を擦り上げた。

捻挫だろうか、脚がだらりと倒れ込んだまま動いてくれない。

うそ、嫌だ、何で何で、死にたくない。

蒼龍せいりゅう』の顔がトラックのように突っ込んでくる。

エメラルド色の瞳の瞳孔がカァッと見開かれたのが見えた。

二十メートル、あと五メートル──

喰われる、と覚悟を決めた。


次の瞬間、私の体は宙に舞っていた。

(────何?)

全てがスローモーションのようだった。

間近に迫っていたはずの『蒼龍せいりゅう』との距離が一気に引き離されていく。

そして奥には弱々しく泣きそうな顔をしたのが一人。


カナエの能力だ。カナエが風の力を使って瞬時に私の体を吹き飛ばしたのだ。

(ふふ、やるじゃん──)

そう口元が緩んだのも束の間、次の瞬間私の背中はその物凄い勢いをそのままにダンっと粗い石壁に叩きつけられた。その勢いで崩れた一部の岩がばらばらと音を立てて私の周りに落ちる。

「っ!」

痛い。全身が痺れるように痛い。肺が圧迫され息が苦しい。喉のどこかが切れたのか、ぶわっと口の中に鉄の味が広がった。


噛み斬る寸前で私を見失ったためか、『蒼龍せいりゅう』は再びホノカの方へとターゲットを向ける。


(ホノカ……! 嫌だ嫌だ……! だめ……なのに)


今度は指先一本ですら体が全く動いてくれない。ホノカが、ホノカが次は腕一本ではすまなくなる。その前に、早くその前に──


「やっぱり、あんた達をここから連れ出すのはあたしじゃないとね」


突然現れたのは、私たちの背半分ほどの小さな影。

鈴を転がすような声は少し震えているように見えた。


「ティナ──!」


ティナは駆け寄るようにしてホノカと『蒼龍せいりゅう』の真ん中に立ちはだかると、小さな腕を目いっぱいに広げ、迷わず全てを受け止める体勢を取った。


「本当は皆で一緒にここから出たかったけど──」


「やめろティナ! 何する気だ!」

ニーズヘッグが慌てて駆け寄ろうと試みるも、能力を使い切った後のニーズヘッグの脚は思うようには動かず、バランスを崩し手を着いた。

「……っ」

私は反射的にギュッと固く目を閉じた。

直後、瞼を超えたその先がカァッと青白く、冷たい光を放つのを感じた。

(光……?)

激しげな衝突音。それによって引き起こされた突風が顔面を叩くように吹き付けられ、髪がバサバサと揺れる。


『──生命の光、神の遣わす精霊の賜り、百万もの記憶と共に──』


微かに耳に入ってきたのは、ティナともホノカとも違う聞き覚えの無い大人の女性の声。

薄らと目を開けた先、『蒼龍せいりゅう』の姿は何処にもなかった。

洞窟内を埋め尽くすように広がっていたはずの、蒼い鱗に覆われていた視界は嘘のように奥まで伸びている。

代わりに目の前にはエメラルドの光に身を包んだ天女のようにしなやかなシルエットと、それに矢を向けるホノカの姿。


『──今を生きる春の神の雫よ。その心があるなら、私の心臓を射抜くのだ──』

「…………」


ホノカは震える手で矢先をその声の主へと構えた。

強風で途切れ途切れにしか聞こえないが、ホノカと謎の女性は一言二言何か言葉を交わしたように見える。すると、迷いのない強い意志を宿した瞳で、ホノカは静かにパシッと矢を放った。


キィィンと、まるでクリスタルを砕いたような甲高い音、すると純白の優しい光が眩いほどに洞窟内一帯を包み込んでいく。まるで太陽を直視しているよう。私はとても目を開けていられなかった。


……


…………


静かだ。

洞窟内は、先程の音の反響がぼんやりと残っているのみ。

瞼の奥が白く明るい。

恐る恐る、片方の瞼を持ち上げてみる。

何故か洞窟内は昼間のように明るかった。『蒼龍せいりゅう』も、先程の謎の女性の姿も見当たらない。代わりにホノカの足元には、微かに残された小さな光を何面にも屈折して四方に輝く、五センチほどの小さなペリドット色の石が地面に転がっていた。

「これって、もしかして……」

ホノカが、今度は恐る恐るといった風に、しゃがみこんで石をそっと持ち上げる。

もちろん、先程のように腕が取って喰われるなどということはない。

小さな石は、最初からそこにあったかのようにホノカの片手にすっぽりと収まった。


「綺麗……」

すると、石はフラッシュをたいた時のような眩い光をペカッと一度だけ放つ。

「上手くいったのよ……!」

クレルが手を叩いた。

石は光を更に強めていき、空中に何かの映像をプロジェクションように映し出した。

「もしかしてこれが、過去の記憶──」

カナエが光の成り行きをじっと見つめた。

光は徐々に、一人の女性の姿を3Dプリンターのように象っていく。


──腰下まで伸びた美しい桃色の三つ編み、ペリドットのような萌黄色の瞳に、シフォンをふんだんに使ったひざ丈程度の、煌びやかなアネモネの花によく似たドレス──


それはまさに、先程姿を現したあの謎の女性に違いなかった。


「この人、なんとなくホノカに似ているね」

私の言葉に皆もこくこくと頷いた。

「もしかして、この人があの『ルイーズ』じゃない?」

納得だ。これは石が持つ過去の記憶。春の『神の石』が見た最後の記憶なのだろう。

ホノカのご先祖様なだけあってか、やはり髪や目の色がホノカにそっくりだ。


ただ、一つの疑問を除けば。


「この人、泣いてるの……?」

ルイーズは、膝から崩れ落ちるようにしてボロボロと涙を流していた。

それはちょうどこの部屋で最初に石が置いてあった、井戸のような形をした中心の場所だ。

そして、ルイーズの手元にはぐしゃりと一度握り潰されたような手紙が一つ。隙間から覗く殴り書きのような字体から、おそらくルイーズ本人が遺した言葉なのだろうか。


「彼は、この国を裏切った」


ホノカが目を細めて文字を読み上げた。

「この彼って、あの片想いの人のことなのかな」

カナエの言葉にはっとさせられた。

ティナが言っていた、ルイーズが遺したとされる日記。


『片想いの彼とモーテムでサクラを楽しんだ』


「裏切ったって、一体何を……?」


言葉の終わりが途切れた所で、先程まで気絶していたラオネがようやく意識を取り戻し、震える手で地面を押して上体を起こした。

ラオネの髪は私が見た時のような銀髪のものではなく、いつもの見慣れた栗色へと戻っていたため、単に光の関係で見間違えただけだったのかもしれない。

「ラオネくん! ねぇ、大丈夫?」

ホノカが慌ててラオネの元へ駆け寄り身体を起こすと、ラオネは何度か苦しげに咳き込み、「皆無事か? それなら良かった」と掠れた声で疲れきったような笑顔を見せた。


すると、暗闇の中の井戸から蔓が何本も腕のようにしゅるしゅると伸びてきて、ホノカの前で止まった。

「これ、もしかして私にくれるの?」

意思のある植物はホノカの質問には答えず、代わりに何かをホノカの手の中に落とし、再び井戸の奥底へ蛇のようにずるずると引いていった。

「ホノカ何貰ったの?」

気になってホノカの横から顔を出すと、手の中には、ほんのりと薄桃色に色付くハートによく似た、一枚の花びらが閉じ込められたペンダントがシャランと垂れている。

「これが『サクラ』の、花びら……やっぱり実在していたんだ、昔絵で見たものと同じだもの! 過去にはこの山に本当にあったのよ!」

目の前に映るルイーズをよく見ると、桃色の髪には確かに『サクラ』の花をあしらった冠が乗っていた。間違いないようだ。


「あ、このペンダントってもしかして」


ホノカが先程の『神の石』を取り出し、ペンダントを開けてそれを入れると、カチリと元の場所に納まったように嵌った。そして先程まで映し出されていたルイーズの映像は霧が晴れるように消えてなくなった。


「……ねぇ、ティナちゃんはどこ? 」


思い立ったホノカが、立ち上がって慌ただしく視線を彷徨わせる。

しかし、ティナの姿は先程から何処にも見当たらない。今にも岩陰から「あんたたち大丈夫だったか?」なんていう呑気な声が聞こえてきそうだというのに、辺りは昼間のように眩しい世界が広がるのみ。

「わっ」

バサッと何かが私の顔の真横、髪を掠める。

奇抜な色合いをしたそれは、迷うことなくホノカの肩へ飛び乗った。

「この鳥って……ティナちゃんの連れていたあの時のゴシキヒワ? どうしてこんなとこまで」

ゴシキヒワは小さく小首を傾げ、ツィリィ、ツィリィと美しい声でホノカに応える。

「この子、何か私に伝えようとしてるのかな」

ツィリィ、ツィリィと再びゴシキヒワが鳴いた。

「そいつ、飼い主が居なくなって寂しいってさ。その血を受け継ぐホノカの傍は落ち着くみたいだね。動物にはきっとそれが誰なのかきちんと分かる」

「え? ラオネくん言葉分かるの?」

驚いてホノカがラオネの方を見ると、ラオネはおもむろに首を横に振り「まさか。でもさっき言ったおいらの言葉はあながち間違っていないんだよ」と笑った。

「でもどういうこと? じゃあティナちゃんって──」

「彼女はホノカの祖母──クリスティーナだよ。おそらく、彼女に残された念そのものがティナという仮の姿を形作った。きっとホノカやおいら達と一緒にこの山から出られたら、一緒に桜でも見たかったんじゃあないかな。そういう心残りからティナの姿になっておいら達を待っていたんだ」

「あ──」

ティナが私たちとあったばかりの時、彼女はこう言っていた。


『あたしね、生まれてからずーっと、『神の雫』が来て、この森からあたしを連れ出してくれるのを待ってるんだ』


「そっか、そういうことだったんだ」

私の横にしゃがみこんでいるホノカを見ると、神の石と桜の花びらの入ったペンダントを握りしめ、ボロボロと頬を涙が伝っていた。

私は横に一緒にしゃがみこんでホノカの肩を抱き締めた。上手く言葉は掛けられないけれど、それでも今はホノカの傍に居たかったから。

「一緒に帰れなかったの、ずっと待っててくれてたんだ、私がいつかここに来るって分かってて。ごめん、ごめんねおばあちゃん」

ホノカの手の元でペンダントが涙を反射して光る。肩に乗っていたゴシキヒワも、今は鳴かずにホノカの手元を見ていた。


ん? でもそもそも何故ラオネはホノカの祖母を知っていた?


「……ねぇ、なんでラオネはホノカのおばあちゃんって分かったのさ、そもそも根拠無いじゃん。幼なじみの私ですら会ったことないのに。あんた、テキトーなことなら言うのやめなさいよ」

「は? テキトーじゃないよ。確かにおいらはホノカのお祖母さんと実際に会ったことはない。でも言ったでしょ? ……前にここに来たことあるって。それにおいら耳が良いからさ? ある事ない事色々聞こえてきいちゃうんだよね〜」

「あーはいはい……でもホノカのお祖母はもう軽く十年は前に亡くなっているんだよ。あ、あんたもしかしてそういう類の見えるタイプ?」

「生憎シックスセンスは持ち合わせていないんでね。……でもこの山の音はずっと聞いていたからさ。山に人が入る音……誰かを求めて叫ぶ、声……とかあと…………あとクリスティーナって呼ぶ………………よ、ぶの……わ、たし……は、あれ…………?」

「ラオネ? ねぇあんたどうしたの、なんか体震えてるよ。大丈夫?」

なんだか様子がおかしい。視線は彷徨うように揺れてピントが合っていないし、呼吸も荒い。

そういえばさっきから何処かを庇うように俯いていた。

「……い、たい…………痛い痛い! 何なんだ、これ………………」

「ラオネ、くん?」

ホノカが手を伸ばそうとした瞬間、

「ぅ…………」

ドサッ。

再びラオネは糸が切れたようにその場に倒れた。

「ぎゃあっ! ラオネくん!」

ホノカが転がるようにして駆け寄り抱き抱えると、膝枕をするようにして呼吸を確かめた。ラオネの額は冷や汗で濡れて前髪が張り付いている。

「こいつ脇腹から出血してる。もしかしてさっきの時どこかで斬られてたか?」

「わっ本当だ、さっき話してた時も無茶してたとか……」

ニーズヘッグとカナエに言われて見ると、今さっき刃を掠めたような、決して軽い怪我とは言い難い傷口からは今も出血しており、ラオネの服をゆっくりと紅く染めていた。呼吸は苦しげに不規則に行われていて、時折自身の血にむせこんでいる。

「でも、ラオネくんずっと私の横で倒れていたの、直接『蒼龍せいりゅう』とは接触していないはず。それに……服が一緒に斬られてる様子は無いし……」

「ね、ねぇ皆……なんか揺れてない?」

カナエの言葉に皆で辺りを見渡す。

ゴゴゴゴゴゴ……

パラパラと小石が落ちる音が木霊し、それは徐々に大きくなっていく。

「きゃっ!」

グラグラと揺れはかなりの力を増し、体勢を崩して地面に手を着いてしまう。

「また地震だわ! とりあえずこの揺れが引いたら急いで宮殿の方へと戻りましょう」

「分かった」

クレルの言葉に頷き、私たちは地震が収まるのを身を寄せるようにして静かに待った。


結局、五人の中で最も力のある私がラオネを抱き抱えることになった。

ニーズヘッグが「俺は今から氷で出口への階段を生成するから、すまないがフラムそいつをよろしく」とあっさりラオネを任されたので内心ふくれたが、今は急を要するために仕方なく私が黙った。

捻挫した右足がズキズキと痛むものの、なんとか自身の足で普通に歩くことは出来そうだ。揺れが少し落ち着いたのを見て、私は静かに目を閉じたままのラオネの身体を抱き上げた。

(ラオネ、随分軽い……)

私よりも背のあるラオネは、まるで空の人形のように軽かった。



もう随分と久しく感じる外界は既にオレンジ色に染まっていて、一部の明るい星が道を示すように光っていた。そっと頬を優しく撫でる風が心地良い。

私は目いっぱい外の空気を吸い込んだ。

「っは〜! 良かった本当に生きてる〜!」

「明日には死ぬかも……」

「やめてよ縁起でもない」

カナエが既にボロボロになった私たちの服を見て不安げに息をついた。

「……僕たち、本当に四つとも石を見つけられるのかな。ラオネだってこんな傷で明日外に出られる?」

現在は少し呼吸も落ち着いて私の背で眠っているが、ラオネの顔は随分と疲れきっているように見えた。ホノカの腕一本分を早急に治した訳だし、私たちの想像以上、本人にとってはかなりの労力を使い果たしたのかもしれない。

「ラオネくんのことは、今日私が看病する。とりあえず、夜までに目を覚ますと良いけど……」

ホノカが、再生した方の右手でラオネの横髪を撫でた。

「五人とも、石を探すまでの間は私の宮殿の客室を使うといいわ。ラオネさんはまず救護室へ連れていきましょう。ちょうどフラムさん達の泊まる客室の一つ下の階にあるの」

「へ? 客、室?」

私たちはお互いの顔を見合わせた。

もしかして、これってもしかして──


「お泊まり会ってこと────!?」



すっかり日も暮れた頃、宮殿へと戻るとラオネを背負った私とホノカはまず六階の救護室へ向かった。「軽く手当てをしたらそっちに向かうね」とホノカに言われ、心配ではあるがラオネのことはホノカに任せて私は一人宮殿の階段をとぼとぼと登った。

クレルに説明してもらった宮殿七階を登った廊下の先には、金色の蔦を絡ませたような装飾を惜しみなく用いた客室のドアがズラリと並んでいた。

「うひょー! この国で一番高級なホテルって感じ!」

「ホテルってお前……ここは女王の宮殿の中だ。一般人はそもそも泊まれない」

合流したニーズヘッグの冷ややかな目線を無視して、私は前を歩くメイドのノアを見た。

「皆さん石を取り戻すなんて本当に凄いです〜! 今日はゆっくり休息をとって下さいね。一時間後には御夕食を用意して二階のホールでお待ちしております」

「宮殿の夕食!? やったー!」

「ご丁寧にありがとうございます」

「確かに、ちょっとお腹空いたかも……」

部屋は女子と男子で二つの部屋に分かれていて、カナエたちの泊まる部屋はちょうど私とホノカの部屋の向かいに配置された。

ガチャリと重さのあるドアノブを押すと、何千年もの歴史のある、古さだけではない手入れの行き届いた美しいスイートルームが広がっていた。

「すっご…………」

深紅の絨毯を彩るように落ちるは七色に輝く四季の刺繍。格調高く彫りの入った腰壁の上には無数のクリスタルが埋め込まれてていて、シャンデリアから落ちる光をさらに無数のものへと変換している。

そして何より目を引くは大きなツインベッド。高さのある純白のマットレスはシルク素材で出来ていて、ふんわりとそれを包むように銀色のレースがまるで層のように影を落としていた。

(本当に貴族が眠るベッドみたい)

試しに上体をベッドに投げ入れると、まるで重量を消し去ったようにポフンと体が跳ねた。

「は〜〜〜気持ちいい〜!」

誰もいない部屋でわざと大きな声を出す。直後しんと静寂が部屋を満たした。この重厚な壁の向こうまではどれだけ声を出そうと漏れることは無いだろう。

一日出歩いた体は、まるで濡れて重さをました綿のようで、私は沈むようにベッドに顔を埋めた。

ホノカ、まだかな。ラオネは目を覚ましたかな。私独りでこの広い部屋はちょっぴり寂しい。

とりあえず私も夕食の時間までは休んでいよう、と目を閉じた。


コンコンという小さなノック音で薄い膜を張っていた意識が引き戻される。キィと音を立てて、遠慮気味に扉がほんの数センチ開いた。

「……フラム、お邪魔していい?」

「ん、カナエ? もちろん、入って入って」

私が片目を開けて手招きをすると、朝の学校の時と同じように嬉しそうに私の隣に腰掛けた。

カナエの小さな手には、部屋に置いてあったらしい銀色の包みのチョコレートを二つ握りしめらている。「部屋からチョコ持ってきたからあげる」と言われそのうち一つを貰うと、紙紐を引いてピリピリと包みを破き、口にチョコレートを放り入れる。中には滑らかなキャラメルが入っていて、疲れた心身をどろりとした甘さが癒していく。

「分かった、ニーズヘッグと二人、話すこと無くてここ来たでしょ」

「なっ、ち、違うし……フラムと話したかったから来たの!」

ムッと一丁前に頬を膨らませるカナエを指さしてケラケラと笑ってみせる。

「ねぇ、なんだか修学旅行みたいじゃない? こうして友達と部屋行き来したりしてさ」

「えぇ……? こんな命懸けの修学旅行なんて僕は御免だけど」

拍子抜けの表情でカナエもチョコレートを口に含んだ。それを包んでいた銀箔の包みをくしゃりと丸める。

「…………フラムはさ、怖いとかそういうの、無いの?」

「そういうのって?」

そう私が聞き返すと、カナエはほんの少し私の方へと近づいて座り直した。

「だって……僕たちまだ高校生でさ、せっかく皆と仲良くなれたのに、誰かが怪我して、下手したら死ぬ、とか……考えられない。怖い、怖いよ」

気が付けばカナエは夕立ちの前触れのように、今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。自身を抱きしめるようにまわした腕は、服に食い込み大きな皺を作った。しかし、カナエは半ば自嘲気味に丸眼鏡を外すと、ゴシゴシと袖で溢れる涙を拭いこちらを見て無理矢理笑ってみせた。

「はは……ごめん。いつも僕ばかり弱音吐いちゃってさ、逆に僕が皆の不安を煽っちゃってるんじゃないかって、時々考えちゃって」

「それは違う」

ガバッと私の両肩を掴んだ。不思議と私の手は木枯らし中の落ち葉のように震えていて、霞んだ視界では前がよく見えなかった。

「え…………?」

「私も怖い、だから分かるの……誰か一人でも助からないことになったらって。私、死にたくないよ、こんな所で消えたくない。カナエ、カナエは間違ってない」

視界がぐにゃりと歪んでカナエの顔がよく見えない。気が付けば私はカナエ以上にボロボロ泣いていて、喉の奥が詰まるように苦しくてえずいた。

カナエは目尻に溜まった私の涙をそっと指先ですくう。

「そう、なの……? ねぇフラム、泣いてるよ」

「だからね、私、絶対に皆を……カナエを死なせたりしない。カナエのことは私が守る。絶対に傷つけたりしない。大丈夫、大丈夫だから」

あぁ私、本当はずっと怖かったんだ。分かっていたんだ。分からないふりをしていたんだって。

すっと靄が晴れたようだった。

カナエは私のことを真っ直ぐに見つめると、ふにゃりと気の抜けるいつもの笑顔を見せた。

「うん。僕もフラムのこと、絶対に守りたいんだ。だからね……だからフラムも僕のことを信じて欲しい」

「うん」

私たちは再びお互いを抱きしめ合った。カナエの鼓動が優しく体に響く。


幼い高校生の、等身大の私たち。

この広い世界で、今はまるでたった一つのこの部屋だけが私たち二人の世界のようで。

落ちる涙は、壁のクリスタルと同化するように光を乱反射させた。

抱きしめた温もりが心地良い。今はただ信じていたい。大丈夫。私たちはきっと大丈夫。絶対に、絶対に誰も死なせたりしない。


そう心に誓った時だった。

ガチャ、と無慈悲に開いた扉。

「フラム、さっきノアさんが夕食出来たから下の階に降りてきていいって…………は?」

ノックもせず堂々と部屋に入ってきたニーズヘッグ。

切れ長の瞼がこれでもかもいうほど見開かれる。

「…………え……お前ら、なに二人ベッドで抱き合ってんだ?」

そこで私はようやく自分がしていた事に我に返った。

私とカナエは、バサァッとお互いを引き剥がして悲鳴の如く叫んだ。


「「大きな誤解だわ!!!」」

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四季を繋ぐ架け橋よ 凪風 桜 @nagisakura

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