第5話 蒼龍

 今、この子はなんて?


「あたしね、生まれてからずーっと、『神の雫』が来て、この森からあたしを連れ出してくれるのを待ってるんだ」


 生まれてからずっと?

 この女の子を、『神の雫デュナミス』が連れ出す?


「私たちが、この子をここから連れ出すって……どういうこと?」

 同じくホノカも困惑して私を見やった。

 すると、ティナと名乗った少女は「えぇーっ!?」と大袈裟に驚いて、改めて私たちの顔をぐるりと順番に確かめてる。

「私たち……ってことは、あんたたち、もしかして『神の雫デュナミス』なの!?」

 キラキラと目を輝かせてぴょんぴょんと有り余る元気で飛び跳ねた。

「信じられない! それに四人…えっ、五人?あれれ六人もいる? こりゃびっくりたまげた!」

 ティナは独特な口調で語りながら、指を立てて私たちを数え、首を傾げた。

 そんなティナを見てクレルがふふっと笑みを零す。

「『神の雫デュナミス』が六人じゃないわ。それにほら、私のこれを見て」

 クレルが自身の頭にふわりと乗っかる、ダイヤモンドが惜しみなく使われた美しいティアラを指さす。

 それを見て、ティナはまたまた小さな口をあんぐりと開けて喜んだ。

「ま、ま、まさかこの国の女王様、どうしてこんなとこに……! 無礼な口を聞いてしまいすみません! それに、全員すっごく綺麗……」

 綺麗と言われてしまった。例え小学生の感想といえど、自分の事のようにちょっぴり浮かれてしまう。

「気にしないで。女王だからって怯える必要はないわ。どうぞ仲良くして頂戴。よろしくね、ティナちゃん」

 そしてクレルがティナの小さな手と握手を交わした。ティナの短い爪が子供らしい可愛さを感じさせている。


「ねぇ、ティナちゃん。あのね、もし何か知っていたらでいいのだけれど、ここの森に『サクラ』っていう木を見たことはない? 私たち、その木を探しにここに来たの」

 ホノカがティナの気を取ろうと、絵の具のチューブから出したような黄色いクロッカスの花を一本差し出した。

 ティナはそれをキャッキャとはしゃぎながら、嬉しそうに両手でクロッカスを受け取った。

「あなたは春の『神の雫デュナミス』だね。こりゃあえらいべっぴんさんだ」

 この見た目でべっぴんさんという古臭い言葉を使うのに軽く違和感を覚えるが、特に気にすることもなくティナは続ける。

「『サクラ』の木、もっちろん知ってるよ。この山に来る人はみーんな、その木を目指してやってくるかんね」

 やはりこの『サクラ』という木は、巷ではかなり有名なものらしい。それほどまでに昔から美しいというのなら、せっかくだし一度は見てみたいものだ。

 しかし、ティナは小さな腕を組んで言った。


「でも本当はね、『サクラ』なんて木、んだ。」


「存在、してないって、どういう……」

 ホノカがティナをじっと見つめ、次の言葉を待った。

 存在していない、ということは、これまでここを訪れた人々は皆、本だけにしか記されていない、形のない幻想を求めて命を落としていったというのだろうか。

 つまり、ホノカのおばあちゃんも──

「『サクラ』なんて空想の花みたいなものだよ。この山にも、この世界にも、どっこにも生えてない。それでもみんな、『ルイーズの日記』を信じてここにやってくるの。ほーんと、命捨てに行くようなもんだよー。もったいない」

 ティナがこれまで山で出会った人を思い出してか、悔しそうに悶々と頬を膨らませ、足をジタジタと踏み鳴らした。

「『ルイーズの日記』? それは、この国の歴史書か何かか?」

 ニーズヘッグの言葉に、ティナは「うーん、そんな感じなのかな」と考え込んだ。

「ルイーズっていう人はね、この国が五千年前に一度滅んだときの、春の『神の雫デュナミス』だよ。その人が書いたって言われている古い日記帳にはね、『片想いの彼とモーテムでサクラを楽しんだ』って書いてあるの。だからみんな、それを信じてるってこと」

 ルイーズ──つまりホノカの先祖にあたる人が、過去にこの山『モーテム』を訪れたという日記らしい。

 片想いの彼、ということは、ルイーズともう一人は『サクラ』を実際に見たということだろう。

「その当時はまだ『モーテム』が封鎖される前っていうことよね。もしかしたら、過去には本当にこの森に存在していたのかも」

 ホノカの言う、その可能性が高いだろう。

 国が崩壊したことで、自然の山や川が影響を受けた際に『サクラ』の木も崩れ落ちたのかもしれない。

「でも、『サクラ』の木が無かったとしても、『サクラ』があったとされる場所に、石はあるはず。ティナちゃん、その場所に私たちを案内してくれない?」

 そうだね、と当たり前に賛同する私たちを横に、ティナはぎょっと目を見開いた。

「あんたら正気!? 死ぬんだよー!? こわいこわい」

 ブンブンと首を横に振るティナにまるで構わず、ホノカは「這ってでも行く」と目の中にメラメラと炎を燃やす。

「ありもしないって言ってるのに。そんなに『サクラ』が見たいの?」

「『サクラ』も見たいけど……私たちはそれ以前に、ここにある『神の石』を手に入れなくちゃいけないの」

 神の石、という言葉にティナも「あ〜なるほどね」と納得した。

「んじゃあしょーがないね。分かった。『サクラ』のあったと言われている場所まで案内してあげる」

「本当!?」

 やったー! と無邪気にガッツポーズをする私たちを遮り、

「た・だ・し!!」

 とティナ人差し指を立ててチッチッチ、なんていう古臭いジェスチャーをした。

「石を見つけたら、最初にあたしが言った通り、この山からあたしを連れ出して。それが条件だから」

 ティナの言葉にホノカは喜んで「もちろんよ」と応え、ティナの前に膝を折ってしゃがみ込んだ。

「約束するわ。『神の石』を見つけたら、必ず皆一緒にここを出ましょう」

 それは自分に言い聞かせているようだった。そう。ホノカの言う通り、ここで誰か一人でも死ぬ訳にはいかない。

「約束ね」

 二人は右手の小指を絡ませる。


 指切りげんまん

 嘘ついたら

 針千本のーます


 指きった


 ホノカとティナを繋いだ小指は、雨にしなる小枝のように、細くて、脆い。そして、優しかった。


 そして、今度はティナを先頭に、私たちは再び木々の中を歩み始めた。

 背の低いティナを先頭にした図は、まるで遊園地を演奏して回るマーチングバンドのようだ。

「この森には詳しいんだよー? 色んな所に罠も仕掛けたしね。動物ともえらい仲良しなんだから!」

「動物? やっぱりここ、野生動物とか住んでいるんだ……襲っくるかも」

 後ろを歩いていたカナエがせわしなく辺りを見渡して、私の手を両手で掴んだ。随分緊張ているのか、手はしっとりと汗ばんでいる。

「カナエ心配しすぎ。刺激しなきゃ大丈夫だって。あと手汗すごい」

「うわあああっ、ごめん!!」

 カナエが急いで手を離す。顔を真っ赤にして謝るものだから、こちらまで申し訳ない気持ちになる。そんなつもりじゃ無かったんだけれどな。

「野生動物は怖くなんかないよ。それに、あたしよりもこの山全体を知り尽くしているしね」

 そしてティナは口を大きく開けて息を吸い込み、何かを叫ぶような仕草をした。実際、何かを叫んでいるのは間違いないが、私たちには聞こえない超音波のような音を出しているようにも見える。

「ねぇティナちゃん? 何してるの?」

 するとティナは、私たちを振り返ってニッと笑って見せた。


「──友達、を呼んだの!」


 すると突然、私たちを囲む木々の葉がザワザワと揺れだし、低めの草木が斜めに倒れたり折れたりして道を作り出していく。

「どうなってるんだ!?」

 ニーズヘッグが驚いて数歩退く。

 遠くからギーギーと鳴く鳥の声が聞こえるや否や、それはティナを中心にして集まっていく。

「あははっ、きたきたきたー!」

 ティナの声に顔を上げると、上から何羽もの野鳥がティナのもとへと一直線に飛び、その数羽が当たり前のように肩にとまった。

 そして徐々に集まってきた野生動物たちが私たちを歓迎するかのように訪れた。

 私の足元には小さなスナネズミがうろつき、腰の高さほどには子鹿の顔がある。


「紹介するね! この子達は、普段あたしと一緒に暮らす動物たちなんよ。今肩に乗ってるこの子はゴシキヒワ。ほら、ご挨拶してっ!」

 ゴシキヒワ、と呼ばれた、赤と黄色と黒のカラフルな鳥は、私たちを見て首をひねった。

「この山にこんなにも多くの動物が住み着いていたなんて……」

 クレルが近くを飛び回るハチドリを見ながら感嘆の声を漏らした。

「ねぇティナ、君は動物の言葉が分かるの?」

 くっついてくる熊を恐る恐る撫でてながら、カナエが尋ねる。

「ううん。分からんよ。でも、こうして暮らしてたら、なんとなく分かるようになった」

「そ、そっか……」

 一瞬ホノカのおばあちゃんの存在を思い出したのだろうか。ホノカが少しだけ残念そうに胸をなで下ろした。

 だがカナエの言う通り、いくら山に住んでいるとはいえ、ここまで野生の動物を手懐けることが出来るだろうか。動物と会話出来ると言った方がしっくりくるほどだ。

「この子達が方角を教えてくれるよ。ねね、『サクラ』んとこ、あっちに連れて行って」

 ティナが一匹のゴシキヒワに語りかけると、キーと一つ鳴き、「こっちこっち」と言わんばかりに私たちの前をゆっくりと飛行し始めた。

「さ、ついてきて」

 わくわくとした面持ちで手招きをするティナの後ろをぞろぞろと皆でついていく。

 ホノカの顔をこっそり横目で覗くと、何やら浮かない顔をしている。

「ねぇホノカ、どうかしたの?」

 私の声にはっとして顔を上げた。

「いや、その……」

「いいよ、なんでも言って」

 すると私の耳元に手を当てて小声で話し出した。

「この山、封鎖されてるほど危ないっていの、本当なのかしら。そりゃあ、野生動物は住んでるだろうけれど、それは他の二つの山だって一緒なはずなのに」

 それは私も正直引っかかっていた。

 ティナが仕掛けたらしいトラップなどはあれど、この山だけが特別危険だとはとても思えない。


「『モーテム』は五千年前の自然保護地区だよ」


 突然私たちの会話が遮られる。

 私たちが小声で話していたつもりでも、しっかりと耳をそばだてていたらしいラオネだ。

「何でそんなことラオネが知ってるの?」

 胡散臭そうにげんなりと彼を見ると、ラオネは緊迫感もまるでなく、のんきに欠伸をして答えた。

「何でって、おいら前にここ来たことあるもん」

「はぁぁー!?」

 思った以上に大きな声が出てしまい、遠くでバサバサと鳥が飛び立つ音がした。

 そして隣では、ラオネが心底迷惑そうに私を睨んでいる。

「……ねぇマジでうるさいんですけどー。おいらの鼓膜破れたら病院代請求するから」

「ねぇ、既に一回『モーテム』に来てたってことでしょ、どうしてそんなに飄々としてる訳? あんた本来死んでるじゃない」

「人聞きが悪いな。おいらはちょっとやそっとじゃ死なないね。それに、『モーテム』に来たのもだいぶ前だから、いまいち細かいことは覚えてないし。でもなんだったっけな、確かに一回死にかけたのは覚えてる」

 死にかけた、というのにこの爽やかな、運動後に飲み干すソーダのような笑顔は一体何なのか。

 彼奴、やはり人間じゃない。

「あんたやっぱり馬鹿なんじゃないの? それちなみにこの山の何処よ」

「うーんとね、忘れた」

「は、はぁー? もうなんか、あんたと話してると疲れる」

「そう? おいらは元気だけどね」

 私たちのやり取りを見て、「まぁまぁ二人とも……」とホノカが複雑な顔をして笑った。

 ホノカには申し訳ないが、やはりこのラオネの脳天気ぶりには、つい腹を据えかねる。

 優しくて美人なホノカは、絶対ラオネと幸せになるべきでは無い。絶対。私は反対だ。


 それからだいぶ登っただろうか。

 普段からとても山登りをするようなメンツではないために皆、既に息絶え絶え、といった感じだ。

「ささ、あんたたち着いたよー! ここが、『サクラ』があるとされていた場所。なーんもないけどね」

 ようやく暗い森に光が差しているのが見えた。

「ここ……なの?」

 クレルが疑心暗鬼な表情で見渡す。

『サクラ』があると言われていた場所は、文字通り、何にもなかった。

 あれだけびっしりと空を覆うように生えていた木々は、その場所を中心にして円を描く様に無くなっている。

 そこに広がる十センチほどの短い草が、木の間を縫ってくる風を受け流すように小さく揺れているのみ。

「石って、此処のどこかにあるっていうことだよね?」

 雲行きの怪しさに、芝生の上へとそっと踏み入れるが、何も起きない。

「こんな、なんにも無いところに本当にあるのか」

「ねぇ、あれを見て」

 クレルの指さした先には、よく見ると小さな石碑のようなものが置いてあった。ちょうどこの円の中心あたりだろう。

「これ、誰かのお墓みたいじゃない?」

 近ずいて四角く切られた石を覗き込む。

 文字は現代と違うために分からないが、古い年号が書かれていることから、やはりお墓に近いものなのかもしれない。

 しかし、それにしては不可解だった。

 ここには長らく誰も訪れていないはずだというのに、お供えらしき白ユリの花が数本丁寧に置いてあるのだ。しかもついさっき誰かが置いていったかのように、新鮮な白ユリ。

「誰のお墓なの?」

 ホノカが私の隣に近ずいてしゃがみ込んだ時だった。

 足を着いていた芝生が一瞬だけ、ドクンと心臓を打つように動く。


「へ?」


 下には、


 ぐらりと私たちの体が傾く。

 光の差した視界が次の瞬間には真っ暗な闇へと飲み込まれるのをただただ他人事のように見ていた。

 状況を脳が理解した時には遅かった。


 ──私たちは今、元芝生のあった場所を、重力のまま真っ逆さまに落ちていく。


 ひたすら目の前に見える景色は木の根と土の層ばかりで、どれほどの高さを落ちているのかすらも掴めない。

 底は、どこ?


「みんな、掴まってー!!」


 ホノカの甲高い声にようやく現実へと引き戻された。

 そうだ、絶対このまま死ぬものか!

 目の前に現れた蔓を急いで引き寄せるように掴む。

 恐らくホノカが生み出した植物だろう。

 ぐわんと勢いよく体が揺れて、なんとか空中で停止する。

 少し上を見ると、周りには皆も同じようにホノカの蔓を掴んで宙ぶらりんの状態が見えた。

 しかし、やはりホノカの植物を操る力が消えかけているせいか、蔓は細くて細なくそして──


 プチンと蜘蛛の糸のように切れた。


「ぎゃあああああ!!」

「フラムちゃん!」

 再び体が浮く感覚がして、下へ下へと下がっていく。

(なんとか、どこかに掴まらないと)

 だが、穴は綺麗な空洞で、木の根はあれど、掴めるほどに突出した場所がひとつも無い。

 こうなれば、自分で壁に食い込むしかない。

 私は落ちている状態のまま、なんとかして胸ポケットからあのカードを取り出し、剣へ変化させた。

「やあっ!!」

 穴の壁面に勢いよく剣を差し込む。

 ガガガーっと鈍い音を立てて、なんとかこれ以上の落下を食い止めることが出来た。

 ふぅ、とようやく呼吸を再開し、ちらりと下を見る。

 つま先からほんの数メートル先には、鋭い針のような茨が交差する、この穴の底があった。


 ──あと、一秒遅かったら死んでいた──!?


 恐ろしい事実に、思わず背筋が凍った。

 あの芝生は一体なんだったのか。

 始めに踏み入れた時は、確かに草と土の上を歩く感触があった。

 もしかしたら、『サクラ』を見に来た大抵の人はここの穴に落ちて死んでいったのかもしれない。

 茨の合間をよくよく見てみると、誰かが着ていたらしき服の破片がボロボロになって引っかかっていた。

「……こ、こんなのありえないんだけど」

 剣に捕まる腕が疲れてきた頃、上から「おーい大丈夫かー?」と私のを呼ぶ声がしてきた。ニーズヘッグだ。

「なんとか大丈夫ー!」

「りょーかーい。今そっち行くからなー」

 シャリシャリというひんやり冷たい音が聞こえてくると、ニーズヘッグが魔法で生成した氷を足場にして、階段のようにこちらへと降りてきた。

「こっち来て。実は少し上に、この穴を横に曲がれる通路を見つけたんだ。とりあえず皆でそっちに向かおう」

 斜め上からニーズヘッグが私に手を差し出す。

「分かった。ぜーったい今手放さないでよね」

「お前が重かったら放すかも」

「最低」

 慎重に左手のみを剣から手を離し、ニーズヘッグの骨ばった手を掴む。

 ぐいと引っ張りあげるようにして、剣をカードに戻して胸ポケットにしまい、なんとか氷の足場へと私も乗ることが出来た。

「ふぅ……皆は無事だった?」

 手を引かれながらニーズヘッグの後ろ姿に尋ねると、彼は振り返らずに「うん」と一言だけ答えた。

「こんな穴じゃ確かに、俺たちみたいな力を持っていない並の人間じゃ太刀打ちできない」

「そりゃあまさかここが落とし穴だなんて思わないよ……」

 結局あのお墓は誰のものだったのだろう。わからずじまいにここまで落っこちてきてしまった。

「ほらあそこ。あそこだけ石壁で造られている道があるんだ。恐らく昔に誰かが故意で造ったらしい」

「本当だ」

 落ちている時はさすがに気づけなかったが、確かに穴の横には二メートルほどの高さの穴が横に広がっていた。

「フラム、こっちこっち」

 カナエが私を見てホッとしたように、ふにゃりと笑って手を振った。

「カナエ! 皆無事で良かった」

 私も同じように穴へと入る。

 全然怪我もなく辿り着けたようだが、ホノカだけが一人俯いている。

「ホノカ、大丈夫? どこかぶつけたりしてない?」

 心配になって尋ねると、ホノカはいつも通りの笑みを見せて「う、ううん。大丈夫よ」と立ち上がった。

 その笑顔はどこか引きつっている。

「ほ、ほらほら、先に進まなくちゃね」

 急かすようにホノカが前を歩いていく。洞窟のようになっている穴は、日の光がほとんど届かないため暗く、土中に浸透した水分のせいか湿度が高い。

 近くにあった壁から、剥き出しになっていた大きな根っこの先を折り、私が火をつけて松明の代わりにした。

「あ、見て。奥が何か光ってる」

「急ごう」

 真っ直ぐにくり抜かれた道の先に青白く広がる光が見えた。こんな地下に日の光が当たる場所や人工的なものがあるとは考えずらい。


 進んだ先は、驚くほど巨大なドーム状の空間になっていて、その天井にあたる場所は苔と細い根がびっしりと張り付いている。

 いったい、今私たちはこの山の何処の部分に居るのか、ましてやこの山とはかけ離れた異空間に辿り着いたのではないか、などと不思議な錯覚に陥る。

 そして、その中心部には、井戸の様な形をした中から、青白く淡い光を放つ何か。

「もしかして、あれって……!」

 先頭を歩いていたホノカが、その中心へと吸い込まれるようにして駆ける。

「神の、石……」

 カナエがおずおずとポケットからカードを取り出し、日本刀を構えた。

 そうだ、昨日ニーズヘッグが言っていた言葉を思い出す。


 ── 守護のために配置したと言われている『神獣』の存在。


 だが、どこ見てもそこはただの伽藍堂で、特に目立ったトラップも無ければ先程のような落とし穴らしきものも見当たらない。


 妙だ。


「見て見てフラムちゃん! やっぱり本当『神の石』がここに──」


 数メートル先で、ホノカが光を発していた源──恐らく『神の石』──を右手に掴み、こちらを振り返ったのと影が動いたのは同時だった。


 私たちが見た時、『石』は既に無くなっていた。


「ぁ────」


 言葉が出ない。

 肺から押し出すような声が漏れた。


 ホノカの右腕が、肩から無くなっていた。


 ぴちゃぴちゃと生暖かい音を立てて地面を赤く汚す。


 ホノカの右腕は引きちぎられるようにして何かに喰われた、と脳が遅れて理解した。


 そう。私たちは何千年も眠っていた石の守り神である神獣『蒼龍』を目覚めさせた。


「ホノカ危ない!!」


 立ち尽くすホノカと私たちの中で、真っ先に次の動きをとれたのはラオネだった。


 再び何十メートルものある影が、真っ先にホノカに向かって飛び込んでくる。


 ラオネが地面を蹴って、寸前のところでホノカを突き飛ばす。

『蒼龍』が勢いよく地面にぶつかり、激しい砂煙を立てた。


 私たちも、こうしてはいられない。


「『蒼龍』は石に触れる者には容赦しない。今は石を手に入れることじゃなくて、『蒼龍』の動きを止めることに集中しろ!」

 ニーズヘッグが一瞬のうちにカードを斧に変換させると、『蒼龍』の後ろの影側へと回った。

 私も急いで諸刃の剣を取り出し、怪我をしたホノカの元へと駆け寄る。

「ホノカ!!」

「ホノカの腕は一人で治す。フラムはいいからさっさとあの龍をなんとか取り抑えろ!」

 ラオネの腕の中にいるホノカの体はまだ震えていて、肩からは生々しい血が滴っていた。

 正直、私も傍で見守りたいが、今はそうもいっていられない。今度はニーズヘッグやカナエがどうなるか分からない。

「……分かった。ホノカをよろしく」

 そして私は剣を構えて『蒼龍』の方へと駆け出した。

 足がすくんで何度ももつれそうになる。

 だが、今ここにいるのは私たちしかいないのだ。

 私たちにしか、やつを止められるものはいない。

「まずは『蒼龍』の動きを止めるために、足を狙いましょう。それがきっと近道だわ」

 クレルが鎌を両手で振りかざし、『蒼龍』の死角へと回り込む。

「はぁっ!!」

 そして、五本ある内の一つの後ろ足へと突き立てた。

「キ──────!!」

『蒼龍』が耳の奥を針が突き立てるような、鋭い鳴き声を上げた。


 動きが鈍くなっている。上手くいっているらしい。


「カナエ! 私と反対側に回り込んで! 足の先に剣を!」

「わ、分かった!」


 ダッダッダと全身で走りながら、『蒼龍』の動きをギリギリでなんとかしてかわす。

 ペカペカと光る無数の蒼い鱗が怪しげに光を反射した。

 右前足の後ろ側からカナエを振り返ろうとすると、

「うわぁっ!」

 ビシャッと斜め後ろの方向から、地面に打ち付ける鈍い音が響いた。

 慌てたカナエが足を滑らせて石畳の上に勢いよく倒れ込む。

 その瞬間、私はカナエと蒼龍の目が重なるのをすぐさま感じ取った。

「まずい──」

声が出るより先に、体は駆け出していた。

 ダッと地面を蹴りあげ、迷わず剣を放り投げる。

 倒れ込んだまま固まるカナエの首を両腕で抱きしめて、飛び込むようにして私ごと奥へと身を投げる。

 私の左足の横を、ザァッと寸前の所で蒼龍の刃が掠め、風圧と共に私とカナエはバタバタと転がって反対側の壁へと倒れ込んだ。

 恐怖で未だ動けないカナエを抱き抱えて再び走り出す。腕の中、ガタガタと震えながら、揺れる瞳が私を見つめる。

「ニック!! カナエの代わりに後ろ足の方まわり込んで! クレルちゃんはニックの反対に!」

「了解!!」

 走りながらカナエをなんとか地面に下ろし、すぐさま落ちていた私の剣を拾い上げる。

 そして右の前足の元へと辿り着いた時、ふとある考えが浮かんだ。

「くっ」

 走る足はそのままに、剣を持つ手に力を込める。

 すると、私の腕を通して剣の先から、真夏の太陽のように燃え上がる炎が『蒼龍』の足へと移っていく。

 上手くいったようだ。

『蒼龍』は再び先程と同じ鳴き声を上げて向かいの壁にぶつかり、バーンと激しい音が洞窟内に響き渡った。

「よしっ!」

 ガッツポーズをかまし、ちらとホノカ達の方を見やる。

 ちょうどラオネが力を使ってホノカの右腕を再生している所だった。

「あれ……」

 いや、あれは確かにラオネに間違いないはずだ。

 顔も、ホノカを大事そうに抱えている所も、いつもと変わらない。ただ──

 ラオネの髪が、透き通るような白銀の髪をしていたのだ。

 見間違いかと目を擦るが、間違いない。いつもの栗色の髪はどうした。

 それに、目の色も何処かいつもと違う。遠くで詳しくは見えないが、光の加減で赤にも青にも見える気がする。

 奪われていたはずのホノカの腕が、徐々に柔らかな形を帯びていき、いつも通りの白魚のようにしなやかなものへと変わっていきそして──


 ──ラオネが、壊れた人形のように、突如意識を失って倒れた。

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