第4話 遭逢
ゆったりと紅茶を頂いた後、それぞれの魔道武器をカードに変換させて胸ポケットにしまうと、私たちはこの国の資料が豊富に収められているという談話室へと移動した。
談話室は、クレルの部屋を出て、左に真っ直ぐと進んだ所にある、見開きの扉の来客用の部屋の並びにあった。
「ここには、王国の地理や歴史が地方や分野ごとに分けられた本が沢山あるので、きっと有益な情報を得られると思うの」
クレルが両手を強く押して扉を開けると、中は白を基調としたシンプルで清潔な、広い図書館にもよく似た一室となっていた。
真ん中には長机二つ分ほどの細長いテーブルに、それを囲むように白く、クッションのようになっている一人用の椅子が均等な間隔で並べられている。
部屋の床はウォルナットの木で作られたフローリングになっていて、足を踏み入れると下から小さくキュウキュウと木の軋む音がした。
「こんなに古い巻物なんて初めて見たわ」
ホノカが目を丸くして辺りを見渡した。
壁には一面に本棚が敷き詰めてあり、分厚い歴史書や昔の巻物などがきっちりとしたバランスを保って積まれている。
しかし、先程の地震のせいか、そのいくつかの巻物は床に散らばってしまっていた。
「ここの資料はどれも自由に手に取って構わないわ。得た情報を踏まえて明日からに備えましょう」
それから私たちは、しばらく部屋を歩き回り、それぞれが別々に色々な資料を手に取っては何か手がかりはないかと情報を集め始めた。
三十分後に皆で机の周りに集まり、それぞれが見つけた手がかりを共有し合うということで合致した。
「ねぇフラムちゃん、一緒に探さない?」
ホノカが、歴史にちなんだ本や巻物が積み上げられている本棚がある奥を指さして、私に声をかけた。
「だねだね。二人で見た方が私も分かりやすいし」
奥の本棚へと二人で向かい、うっすらと埃をかぶったガラスケースの扉を開けた。
おばあちゃん家のような、独特な木の甘い匂いが鼻を掠める。
とりあえず適当に一冊を取り出し、パラパラと中を見ると、全て今とは異なる古代文字が、列を成した蟻んこのように敷き詰められていた。
「なにこれっ。全然読めないや」
「ん、どれ?」
ホノカが私の手元を横から覗き込む。
するとホノカは「あ〜! これね」と何やら納得したように頷いた。
「これ、確か三千年前とかの古代文字だった気がする。ほら、ペトラ国王がプリンケプス島のテンポリスに戦争を仕掛けた時とかの、あの時代」
息をするように、ホノカの口から滑らかに出てくる全く知らない地名や人の名を何となく聞きながら、「あ〜たぶん、そうだったかも」と軽く受け流す。おそらく私が寝ている間に進んだであろう、高一の時のテスト範囲だ。
「完璧には読めないけど、所々習ったから少し分かるかも。私ちょっと見てくるね」
そう言ってホノカは近くの椅子に腰掛けてページをペラペラとめくった。
その間私はまた別の、先程よりは少し薄めの本を手に取ってみる。
表紙に大きくイラストが描かれていて、これなら私でも理解しやすそうだ。
ポーンポーン。
優しげな音を奏でる木製の振り子時計が四時を指していた。
窓から見える外では、太陽がオレンジ色の光を帯び始めていた。
「そろそろ三十分ほどかしら。さぁ皆さん、こちらに集まって下さい」
クレルが四方に散らばっていた私たちを声を張って呼び出した。透き通ったソプラノ声が鳥のさえずりのように心地良い。
最初に部屋に入った際、入口に近かった長机を囲む椅子へとそれぞれが腰掛ける。
私は扉側の角っこの椅子に座った。肘置きの部分には一つ一つ、丁寧で上品な刺繍が施されている。クロユリの花だろうか。
隣にはホノカ、向かいにはニーズヘッグが座ることとなった。
誰から言い出そうかという空気の中、始めに手を挙げたのはニーズヘッグだった。
「俺は石を、過去の『
そして先日のように、また小さなメモの切れ端を三枚ほど取り出した。
ニーズヘッグは普段から、クラスで前に立つ際も、どうやら絶対に何も見ないで話すことは出来ないらしい。この前のディベートで、左腕にびっしりと気持ち悪いほどボールペンで全てこセリフを書きだしていたことを思い出す。
「春夏秋冬、四つの地方全てに別々の神獣が配置されている。まず春の地方『プランタン』には『蒼龍』、夏の地方『ヴェラノ』に『朱雀』。秋の地方『メトポーロン』は『白虎』。最後、冬の地方『イエンス』に『玄武』がそれぞれの石を守っている」
何やらあまり普段耳にしない名ばかりだ。大きさも分からなければ、いまいち容姿を想像するにも困難。
「その神獣って、倒したら石を渡してくれるってこと?」
私の言葉にニーズヘッグはうーんと小首を傾げた。
「倒す必要は無いかもしれない。神獣は石を奪ったりした訳じゃなく、単に侵入者から守っているだけだ。それに、神の使いと言われている生物を殺すのは、なんかちょっとね」
それもそうだ、とお互い顔を見合わせて頷いた。
「だが神獣も、ただ石を持っているというだけじゃない。その道中で多くのトラップや、人間がとても入れないような仕組みが仕掛けられているらしい」
トラップという言葉に、私の斜め前に座っているカナエがぶるりと身震いした。
「き、きっと映画とかでよく見る、あの吹き矢が横からバババーって飛んでくるんだ……」
随分王道なトラップではあるが、確かに実際そのような感じなのかもしれない。何しろ、この仕掛けを作ったのは数千年も前のことなのだから、現代のスパイ映画でありがちなレーザービームなどが飛んでくることはまず無いだろう。
「カナエは何調べたの?」
気を取り直してカナエに聞くと、「あっ、あぁそうだった」と言って、手のひらサイズのオシャレなミニノートを鞄から取り出した。
「僕はその石があると言われている場所を、それぞれ四地方調べたんだ。それがどれも怖くてさぁ……。やっぱり僕ら絶対死ぬって……」
カナエの声の先が後に連れて萎んでいく。
早く、死ぬとかそういうのはいいから、早く教えて。
「でもきっと、聞いたら皆も絶対行きたくなくなるよ。だって僕たち、昨日とかまで学校で」
「いいからさっさと言え」
ニーズヘッグが切れ長の目を更に細めてカナエを見る。
彼に言われるのは怖いのか、カナエは分かりやすく眉を八の字に下げて、しぶしぶとノートのメモを読み始めた。
「春の地方、『プランタン』にあると言われている石は、三つの山が連なったヴィータ山脈のうち一番左の『モーテム』っていう山にある、サク、ラ……? っていう木の所にあるらしい……」
視界の片隅で、ホノカの目がほんの一瞬見開かれたのを私は見逃さなかった。
「ホノカ、何か知ってるの」
ねぇ、と私が机の上のホノカの手に触れると、「ひゃっ」と小さく悲鳴をあげて、私の髪に白いクリスマスローズがポコンと咲いた。
「し、知ってるってほどじゃ……」
「いいよ、分かることだけで」
ホノカは私の瞳をじっと見つめると、ふぅと深呼吸をした。
「春の山『モーテム』は、私のおばあちゃんが亡くなった場所なの」
小さく俯くホノカを皆、じっと息を飲んで見つめた。
「私が幼稚園の頃、毎日のようにおばあちゃんの所へ会いに行っては遊んでもらってたわ。そして、おばあちゃんは動物の言葉が分かる力を持っていた」
とても仲が良かったのか、ホノカは悲しそうに笑った。
私とホノカが出会ったのは小学校からだったために、ホノカのおばあちゃんの話は私も生まれて初めて耳にした。
「私は小さい頃、力で咲かせられる花を増やしたくて、色々な植物の図鑑を眺めるのが好きだった。でも、私が咲かせられるのは写真や絵で見たものじゃなくて、実際にこの目で見たことのある花しか咲かせられないの」
そう言うとホノカは自分の腕にいくつもの花を咲かせた。
「それで私は、本で読んだことのある『サクラ』っていう花を咲かせたくなった。その時は知らなかったの。サクラは、本来この次元に存在できる木ではないって。でも唯一、立ち入り禁止の神秘の山『モーテム』には、一本だけサクラの木があるという言い伝えがあった」
ホノカの腕に咲いた花は徐々に枯れていき、茶色く染まって消えていった。
「おばあちゃんは、『サクラの花を取ってきてあげる』て言って『モーテム』に向かったの。私のために。まさかあんな、立ち入り禁止だなんて思わなかった」
今にも泣き出してしまいそうなホノカの顔を見ていると、こちらまで切なさが込み上げてくる。
「なるほど……。ホノカ、本当に行けるか? 祖母と仲良かったんだろ。無理しなくていい」
ニーズヘッグが優しく声をかけると、ホノカはふるふると首を横に振った。
「いいえ、だからこそ私が行かなくちゃいけないの。おばあちゃんはきっと、あそこで私を待っている気がする。それに、あの時おばあちゃんの身に何があったのか分かるかもしれない」
ホノカの意思は固かった。いつもは穏やかな緑の瞳が、今は獲物を捕らえた鷹のように鋭い眼差しを携えていた。
ホノカがこの目になった時、私の経験から言って、彼女がその後この主張を曲げることは絶対と言っていいほどない。
「……分かった。何かあったら俺たち皆で援助するとしよう。カナエ」
「はわっ、はい」
「他の地方の場所も教えてくれ」
カナエが手元のノートを再びぱたぱたと慌てて開いた。丸メガネが斜めに傾いている。
「ええっと、夏の地方にある石は『スィレニ湖』の底の遺跡内。次、秋の地方では今じゃ廃墟の『ルイナス鉱山』の最深部、最後に、冬の地方では、イエンスのシンボルにもなっている『メディオラナム氷山』の何処か」
後のこの三つは、どれも私が実際に見たことある場所ばかりだ。
夏の地方『ヴェラノ』に住む私にとって、『スィレニ湖』は度々思い出の中にも登場するほど親しい場所で、小学生の頃はホノカとよく畔で遊んだほどだ。
だが、唯一引っかかることといえば、『スィレニ湖』は世界でトップ三位に入るほどに水深が深いことで有名ということ。底、というのはいったい何処のことなのだろう。
カナエが話し終わった後、今度はラオネが口を開いた。
「おいらもなんか適当に本とか巻物、読んだんだけどさ、大体知ってたね。まぁ、一応皆で共有しとくこととすればそうだな、これから集める『神の石』ってやつ、あれ『
ラオネは最後に「まぁ、おいらはなんでも知ってるけどね」と付け加えた。
『神の石』と言われてダイヤモンドのような形を思い浮かべる。加工された宝石のように光を四方に放つのか、それとも割と原石に近い、歪でそれぞれが異なった形をしているのか。それも実際に見て見なければ分からない。
「過去の記憶が分かったら、この国が再び崩壊に近ずいている理由も分かるかも」
ホノカも納得してラオネに頷いた。
「私とフラムちゃんはね、一緒に『
そう。あの後二人で色々と本を漁ったが、結局どれも事実としては輪郭がぼけていて、これといって有益な情報を得ることは出来なかった。
だが皆には言わなかったが、私は本の中で一つの、印象的な古典絵画を見つけた。
それは、春夏秋冬を表した四人の美しい天使の姉妹たちが、真ん中に描かれた一人の大天使を囲んでいるという絵だった。
大天使に見える人は、一般的に描かれてきた『ホーラ』によく似ていたため、『ホーラ』が四人の母であることから、大天使として描かれたものだと思われる。
その絵が描かれたのが大分昔なのか色褪せていて、元々着彩されていなかった為に、四人の誰が春なのか夏なのかなど明確には分からなかった。
だが何故だろう。『ホーラ』らしき人の絵を見た時、不思議と、何処か見慣れた安心感を覚えたのだ。
いつか、何処かで会えるといいななんて、こっそりと心の片隅で思った。
「では明日四つの地方のうち、始めはどちらから向かいますか? 一つ以上石が手に入ってからであれば、きっとその後は有利に進みやすいと思うわ」
私たちは目でお互い「どうする?」と見合う。
正直何処から行くのも変わらないほどに心許ない。
「私の地方──春から行きましょう」
一斉に皆がホノカを見た。
「本気か?」
ニーズヘッグがうむと腕を組む。
「山ならまだ、他の湖や氷山よりも進みやすいと思うの。どうかしら」
そう言われれば確かにそうだ。湖の底だなんて、その場に着いたとて、最初の一歩としては中々にハードな内容となりそうだ。
「分かりました。では明日から、朝八時にはそうね……。『モーテム』に一番近い教会の前あたりに集合するのが良さそうね。六人が揃ったら出発ということで」
クレルの言葉に私たちはゆっくりと頷いた。
最終的なプランとしては、明日の一日目から順に春、夏、秋、冬と四日間の時間を掛けて石を取り戻していくということで合致した。
無理に急いで一日二つもの石を得ようとするのは、かえって計画性がなく、危険だと考えたためだ。
いよいよ次、日が昇れば、始まってしまう。
本当に、この中の誰か一人でも何かの拍子に死んでしまったら、その後はどうなるのだろうか。生まれてから今までに一度も、友達の誰かが死ぬとか、突然居なくなるなんていう不安は、当たり前だが感じたことがない。なんだろう、不思議な気持ちだ。
消化不良な不安を抱える私たちを見てか、クレルは立ち上がって人懐こい穏やかな笑顔を私たちに向けた。
「私たちは一蓮托生の仲です。きっと大丈夫だと、私は貴方たちを確信しています」
私は皆の顔を一人ずつ見た。
皆、それぞれが全く違う見た目、性格、能力を持っている。
──そして、共通する『運命』を持ち合わせている。
あの後解散して、星がよく見え始めた頃に私は家に着いた。
母に明日からのことを話すと、母はじっと、無言で私の話を聞いていた。
絶対に死んだりしないから、安心してね、と念を押してすぐ、返事を待たずして自分の部屋に閉じこもる。
母はきっと、私の話が終わったら口を開いて「馬鹿じゃないの」「絶対に行ってはだめよ」と叱られるに違いないからだ。
なんと言われようと、私は明日皆と『モーテム』に行く。
こうしている間にもこの国は、崩壊の道を進んでいるのだから。
心臓がやけに耳元でうるさい。気持ちを紛らわせるためにスマホを開くと、トップニュースに「観測史上初の異常な猛暑」「頻発する地震」「度重なる自然災害」といった見出しが小さなスマホを埋めつくしていた。
(私たちが、この国を救う)
カードを無造作に机の上に放り出し、スマホをぎゅっと抱きしめてベッドに転がる。
海の泡を模したこよ天井も、枕元にある大きなユニコーンのぬいぐるみも、勉強机も、毎日の景色に同化した慣れきったものばかりなのに、今日はどれもが初めてみたかのように新鮮だった。
コンコンとドアからノック音が響く。母だ。
「ねぇ、フラム」
落ち着いた声だった。苛立って張った声でもなく、湖面のようにゆったりと耳に響いた。
「その……明日から、頑張ってね。私も、貴方を応援したいの」
意外だった。てっきり母なんて、話も聞かずに私を否定すると思っていたのに。
上体を起こして母に向き直ると、母は私の隣に腰掛けた。
「正直、もちろんあなたが心配なの。まだまだ力も未熟だし、高校生が、自分で色々なことを決断していくのって、凄く大変で難しいことよね」
母が勉強机の上に置いたカードを見て、長いまつ毛を下げた。
「でも貴方には素敵な友達がいる。それに、何かあったら私もいつだって駆けつけるわ。そして何より」
そう言って、母は両手で私の頬を包み込んだ。
「普段は炎をむやみに使っては駄目って言ってるけれど、明日からはね、少しでも危ないと思ったら、いくらでも炎を使っていいわ」
「えっ、本当……!?」
驚いた。幼い頃からあれだけ力を規制されてきたのに、ついに明日からは自分の意志で使うことを許されるだなんて。
そして母は私を固く抱きしめた。母のコーラルピンクの髪が私の頬にかかる。夕方にアップルパイを作っていたのか、シナモンの甘い香りがした。
「それと、絶対に無事で帰ってくるのよ。貴方に何かあったら、私耐えられない」
目を動かして母を見上げると、いつの間にかその瞳からは大粒の涙が次から次へと頬を伝って零れ落ちていた。
母が泣いている。初めてだった。母も、涙とか出るんだ。
「あなたが友達と笑顔で戻ってきてくれるのを待っているわ」
そしてもう一度、ぎゅっと強く私の体を抱きしめた。
「約束する。友達も、絶対全員守って帰るから」
こうして前に母とハグをしたのはいつだったか。長らく母に反抗することが多くなってきていて、この温かさを忘れかけていた。
いつの間にか、先程までの明日への不安は、温かな波が広がっていくように、じんわりと消えていた。
それから日が昇るのは早かった。
遠くでセミの鳴き声が家々をこだまする中、私は肩から下がるショルダーバッグの紐を握りしめ、全速力で石畳の地面を蹴るように走り抜けていた。
(やばい、遅刻する──!!!)
小学校の横を通り過ぎる際に校庭の時計を見ると、8時30分の授業開始のチャイムがちょうど鳴り響いた。
先日ホノカが咲かせたであろう色とりどりの花が咲き誇るプランタンの街並みを楽しむ暇もなく、息を切らして少し先に十時の先端が覗く教会へと急いだ。
ようやく教会に一番近い細道へと入ると、四人がすでに日陰でくつろぐ姿が小さく見える。
「あっ、フラムちゃん来たよ!」
しゃがみこんでいたホノカが立ち上がってこちらへ手を振った。
「はーっ、本っ当にごめん! 一分ごとにアラーム掛けてたのに寝坊した」
「ある意味お前らしい」
「大丈夫、おいらも5分前にここ来た」
謎のフォローがあったおかげか、特に皆気にするふうもなく、数メートル先に見える鬱蒼とした山、『モーテム』を見上げた。
「全員揃いましたね。貴方たち、魔道武器は持っていますね?」
私は胸ポケットからカードを取り出した。皆それぞれが各々のカードをポケットに入れて持ってくることとなっていた。
「魔道武器は無いけど、一応おいらはナイフ、持ってきた。じゃーん」
ラオネが腰に着けた剣帯から二十センチほどの小ぶりなナイフを取り出した。
いつも学校では、ペンをくるくると回しているようなラオネがナイフを片手に持っているのが不気味だ。
「振り回すなよ。お前がナイフなんてもん持ってたら、いつ人を誤って殺すか分からない」
ニーズヘッグも同じように思ったのか、ラオネのナイフを仕舞うように促した。
「はーいはい。さ、行こ行こ」
『モーテム』の入口らしき道の前には、厳重に数メートルほどの高さのある柵が入り組むようにして張り巡らされており、錆び付いた警告の看板から、長年手入れされることもなく封鎖されていることが一目で分かるほどだ。
「さぁ、ここからが禁断の森『モーテム』です。普段であれば入ることは固く禁じられていますが、今は私がいるのでご安心を」
クレルが後ろに背負っていた『ギルバードの鎌』を取り出し、両手で握りしめた。
柵の上から覗く木々は、人の手が入っていないために十メートルは軽く超えるほどに伸びきっていた。雨にじっとりと濡れた服のように色の濃い葉の集合体が、廃園に似た雰囲気を掻き立てていた。
「この柵は電気が通されていると聞いたわ。手で開ける訳にはいかない」
クレルは柵の一角に鋭い鎌の先を引っ掛け、腕を伸ばした状態で斜めに振りきる。しかし、ほんの少し網が曲がるのみで、いまいち時間が掛かりそうだ。
「これ、もしかしたら私熱で溶かせるかも」
金属を溶かすのは私の得意分野だ。奥の木々に火が移らないようにさえ気をつければいい。
「溶かして穴を開けるの!?」
「そう。ちょっと待ってて」
クレルに代わって柵の前に立つと、右の手のひらを突き出して目を閉じた。
頭の中で何かが爆発するような熱さを想像し、指の先へと力を込める。
すると、柔らかな風に乗って黄色く光る炎がバァッと腕から柵へ移った。
やはり力が弱くなっているためか、前ほどの勢いは無いが、人一人分が入れるほどの穴を開けるには十分だった。
「これが、夏の『
クレルが私の力を見て、目を皿のようにして驚いた。
無事に柵を溶かすことができ、なんとか一人ずつなら中へ入れそうだ。
「ふぅ、上手くいって良かった。さぁ中へ入ろ」
感電しないように身をかがめて策を超える。私の後に続いて皆も中へ入っていった。
降り立った森の地面は、張り巡らされた木々の根でぼこぼことして足場が悪く、歩くだけでも相当な体力を使いそうだ。
本当に先程の柵を境に、別世界へ飛ばされたみたいだった。
「この森、ほんとに気味悪いんだけど」
空をびっしりと覆い隠す葉を見上げて、カナエが今にも叫び出しそうな勢いで身震いする。
日の光がほとんど入らないからか、街と違ってだいぶ肌寒さを感じた。
「確かに不気味な森だけど、行きましょ。今の私たちに出来ることはこれしかないわ。それに、私のおばあちゃんのことも分かるかもしれない」
そして私たちはホノカを先頭にして山道を登っていくこととなった。
山道といえど、正確には道という道は一切存在していなく、シダなどの草木を剣で切り開きながら進むと言った方が妥当だろう。
近い間に雨が降ったのか、踏みしめる土は少し柔らかく、足を何度も奪われそうになった。
「ここ、すんごい静かな森だね」
遠くではあまり聞き慣れない鳥の鳴き声が聞こえてくる。それ以外は、私たちの草を掻き分けるカサカサとした音が響くのみで、辺りは銃口を向けられたかのように静寂が広がっている。
少し急な坂道へと差し掛かり、先に登った人が腕を引っ張りあげてなんとか登れるほどの場所。
ラオネが私の後ろで突然ピタリと立ち止まった。
「どうしたの」
近くの太めの枝に掴まりながら尋ねると、ラオネは左手を耳元に添えた。
「ここ、確かに静かだけれど、なんでかな。もう一人遠くで誰かの足音がする」
「ここに人が住んでいるってこと?」
「分からない。でも、本当なんだ。方向は……えっと、あっちかな」
そう言ってラオネは、こちらからは逆方向である斜め右を指さした。
「まさか。この山は百年以上もの間ずっと廃墟のままのはずです。万一中に足を踏み入れたとしても、神の石の元へ辿り着いた者はおろか、帰ってきた者でさえ一度も見たことがありません」
クレルが怪訝そうに耳を澄ませてみるが、首を横に振るだけだった。
だが私はそのラオネの神業のようなその聴力の存在を知っている。
ラオネは余裕で一地方の全ての音──距離やその物自体が何かをも測ることの出来るほど──を聞くことが出来るのだ。
二ヶ月ほど前だろうか。
学校で当たり前に授業を受けていたところ、突然ラオネがばっと顔を上げ、「今、あっちの公園で雛が巣から落ちた」と呟いたのだ。先生は授業中だからとラオネの言葉をスルーしたが、気になった私はこっそりと昼休みに公園へ向かった。
するとなんと、本当に木の下には雛が落ちて死んでいた。こんな、何グラムあるかも分からないよう音でさえ聞こえるラオネは、本当に何者なのか計り知れない。
「熊……とかではなく?」
「いや、あれは絶対人の足音だよ」
クレルとラオネが抗議していると、
「行きましょ」
ホノカだ。先頭をきっていたホノカが迷いなく右の方へと歩き出した。
「本当に行くの?」
カナエがホノカに後ろから声をかけると、ホノカは当然のごとく頷いた。
「もしこの山に誰か住んでいるとしたら、絶対一度は石の場所とかを耳にしてるはずだわ。会いに行くしかない」
「猟師とかだったらどうする」
「撃たれても行く」
「えー」
そして私たちは、ラオネのいう方向を頼りに再び足を踏み出した。
「こんな暗い森に住んでいるなんてどうかしてる。普通どっかで熊やら狼に食われて死ぬな」
ニーズヘッグがラオネの顔を見る。
「あはは、幽霊だったらどうする?」
「やめてよ!!!」
カナエが思ったよりも強くラオネの肩をバシッと叩いて軽くよろけた。カナエのパンチは中々に強いのだ。あれは痛い。
「貴方たち静かに。ここには野生の動物も住んでいるはず。変に声を出すと危険だわ」
クレルが男子三人にぴしゃりと言い放ち、口元に人差し指をそえた。
三人が小さく「はーい……」と渋々黙った。
それからはだいぶ歩いた。一時間とかは軽く登っただろう。しかし、辺りの景色が一向に変わらないためか、いまいち達成感も無い。
「ねぇ本当に居るわけ?」
怪しくなってラオネに聞くと、
「だいぶ近いよ。あとそうだな……五十メートルとか」
「もうすぐじゃん」
私たちは足音を潜めるようにして歩いた。出来るだけ草木に触れるのも避けて一列に歩く。
すると突然「あぁっ!!!」とラオネが大声で叫んだ。
「止まって!!!」
え? 何があったのかと振り返ろうとした時、一番前から「ぎゃーっ!!!」という悲鳴とともに木々が揺れる凄い音がした。
「ホノカ!?」
急いで前を見ると、ハラハラと落ちる葉の先、無造作にぶら下がる網の袋に捕らえられたホノカの姿があった。
「ちょっと、なにこれ〜!!!」
じたばたと暴れるホノカを傷つけないよう、クレルが急いで網の繋ぎ目を切る。
落ちかけたホノカを慌てて受けてると、「びっくりしたぁ」と腕の中で嘆いた。
「ごめん! トラップに気づいたのが遅れた……あと一歩早ければ」
「お前ーそういうとこだぞ」
ニーズヘッグが呆れてラオネを叱ると、ホノカは「いいの、怪我とかも特にないわ」と優しく微笑んだ。
「あららー、せっかく動物がかかったと思ったのに」
突然、キンキンと響く幼い声が何処からか響いた。場所は……上?
「あなたは!?」
なんと、ちょうど私たちの真上の木の幹にちょこんと腰掛ける小さな女の子。
まさか、こんな幼い子供が住み着いているなんて。
そして女の子は腰を下ろすかのようにしてひょいっと木の幹から飛び降りる。すとんと。有り得ない。まるで彼女は体重が無いかのように軽々しく地に足を着いたのだ。足を折ってもおかしくない高さだというのに。
「あんたたち、この山に来るなんて中々の度胸あんね。」
見た目を見るに小学校くらいだろうか。
桃色の髪を頭のサイドで二つのお団子にしていて、モモンガのようなクリクリとした目が可愛らしい。
「貴方こそ、こんな所で何をしているの? 両親は? 家は?」
女の子の顔の高さにクレルが膝を曲げて尋ねる。
しかし、女の子は特に自覚もないのか、小首を傾げて「さぁね。あたし知らなーい」と笑顔で答えた。
不審に思ったクレルが、
「で、では貴方、名前は?」
と怖がらせないように優しく尋ねる。
すると女の子は、小学校らしい無邪気な笑みを向けて、えへんと腰に手を当てた。
「あたしはティナ。ここでね、えっとえっと、『
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