遠距離日記
鈴ノ木 鈴ノ子
えんきょりにっき
100円均一に行った時のことだった。文具コーナーの日記帳が目に止まった。
数日前に母が身罷り、遺品整理をしていた時に日記帳が出てきたのを思い出してのことであった。70歳という若さでこの世を去った母は、毎日のように日記をつけていた。
父を早くに亡くして母1人子1人の家庭で貧乏だったけれど、母は私のために苦労して尽くしてくれた。私も高校を卒業して就職し母に楽をさせようと頑張っていた矢先、その母が倒れた。
脳出血であった。
若い頃からの苦労と心労が祟ったのだろう、ベット上からあまり動くことのできなくなった母を看病して20年、私としては恩返しができたのではないかと思っている。
そして葬儀などを終え他の一通りを済ませた時、ふっと気がついたのだ。
1人になってしまったと・・・。
自慢ではないが、仕事ではそれなりの役職についていて、たくさんの部下も持って多分慕われていると思う、いや。思いたいだけかもしれないが…。それ以外は看病と介護ばかりであったから、友人の誘いも合コンも何もかも断っていたツケが巡ってきたのだろう。
日記でも書いてみるかと日記帳を手に取って、お墓の掃除道具類と共に会計に向かった。
あれからしばらく日記を書いた。しかし結局、日々の業務での出来事や反省点など業務日報に近いものばかりで楽しくもなんともない、しかし性分なのか続けることだけはできていた。
そんなある日のことだった。書こうとビールを飲みながら日記帳を開くと、そこに見慣れない女性の文字が書かれていた。女性らしいかわいい丸文字で角張った私の文字でないことは確かであり、思わず周りを見渡して当たりを伺ったのちに1人で笑った。
こんなおじさんの部屋に忍び込む奴などいないだろう。
だが、そうなるとこの日記は誰が書いたのか・・・。と考えていると、不意に文字が浮き出るように書き連ねられてゆく。続いていていく文章の内容を悪いと思いながら目で追って読んでいくが、ある程度まで読み進めたところで私は目を背けた。
とても読むに堪えない内容であった。
未成年であることは高校という文字であったが、楽しい内容などどこにもない。自己嫌悪の塊の日記だった。ネグレスト、に虐待売春…、内容は赤裸々すぎるほどに…。あまつさえ両親がそれをさせて金を奪い取っていることも分かった。
死ねば楽になのに・・・。今日こそ死ねたらいいのに。
それが末尾となって文章は止まった。
多分、書き終えたのだろう。結局、背けた目を向けて読み進めてしまい、書き記された苦痛を思い起こすたびに私の眠気は醒め、眠れぬ夜を過ごしたのだった。
それからは、私のとって日記を書くという行為は拷問となった。書こうとすればあるいは書き終わったのちに彼女の悲壮な日記が紡がれてゆく。数ヶ月間どうすべきか散々悩みに悩んだ末に、私はペンをとるとその日記の下に、まるで続けるように文章を書いた。届くかどうかわからないのだが、私は読んできたことを詫びた上で私自身の考えを伝えた。もちろん、私のことも電話番号やメールアドレスも書いた。
少しだけでも手助けになればと思ったのだ。
数日間は日記が紡がれることはなかったが、しばらくして再び紡がれ始めた。あの丸文字で彼女の自己紹介から始まって、今までのことを書き記されてゆく、もはやそれは自らの日記ではなく、対話するような形式となってゆき、最初は遠慮があった文章が徐々に崩れ、やがて気兼ねなく書き記すことのできる。まるで話し合うような交換日記となっていった。
彼女は東京に住んでいて私は岐阜県の中津川に住んでいる、お互いにその日のことを話しながら、些細なことでもなんでも書いた。電話番号やメールアドレスは日記帳に書いても互いにその文字はぼやけて判別ができない仕組みで、まるで交換日記のみを許していて、それ以外のことを伝えることを拒んでいるようだ。
私にとってその時間はかけがえのない時間になっていたことは確かだ。
一年ほど交換日記が続いたある日のことだった。
いつものように日記を開くと、彼女から、一言、助けてほしい。大きく走り書きのように記されていた。詳しく状況を書いてもらうと家を飛び出したとだけ記された。実際は逃げ出したのだということは容易に想像ができた。
彼女の生活環境そのものが地獄のようなものなのだったのだから。
携帯も何もかも財布すらも自宅と呼ぶおぞましき家に置いてきたと言った彼女は、今や日記帳1冊を頼りにしているのだろう。
いずれこうなることは予想していた。私も覚悟を決めることにして、どこにいるのかと書き記すと、じっと日記帳を見つめ続けた。
彼女から返事が来たのは数時間後だった。
中央自動車道の神坂PAにいると記された日記帳の端々に黒いシミができては消えていくたびにきっと彼女は泣いているのだろうと感じた。そのシミに混じって消えることのない黒いシミも浮かび上がりそのたびに私は滴った血を想像してしまって恐れ慄いた。
場所を読んだときに私は年甲斐もなく神様に感謝した。運命などという古臭い言葉を生まれて初めて感じたのであった。彼女がいる神坂PAは自宅から少し車を走らせればたどり着けることのできる場所、すぐさま愛車に飛び乗った私は、大急ぎで中津川インターから中央自動車道に入ると目的地へと車を飛ばしてゆく、彼女が押し潰されそうな不安の中にいることを想像しては焦燥感に駆られながら、さらにアクセルを踏み込んだのだった。
PAの駐車場に車を止めて端から端まで探し回ると、その姿は確かに夜の雪降る空の元にあった。
しんしんと降る雪に街路灯の光が反射してゆらめいているベンチに傘もささず、肩に雪を乗せたままでひとり座っていた。
金髪の長い髪に薄汚れた白いコート、そしてボロボロになった靴、手袋もせず震えているのがわかる赤く腫れた手には私と同じ日記帳がしっかりと握りしめられていた。
「弓子さん、迎えにきたよ」
そう言って自分の大きめのコートを抜いて、肩の雪を払ってから彼女の体を包むようにかけた。
驚いた顔をこちらに向けた彼女の顔には、殴られたであろう青痣と血の固まった頬から覗く痛々しい傷が見えた。
「雅弘さんって本当に居たんだ・・・」
そう言うと彼女が両手を顔に当てて泣き始めた。まるでようやく安堵するような泣き声だった。
「うん、居るよ。日記帳に呼ばれてきたよ。おじさんでガッカリした?」
そう言いながら、私も泣きそうな顔を押し殺して微笑む。
「ううん、書かれていた通りのおじさんでよかった・・・」
しばらく泣き続ける姿をを私は優しく見守り、そして、日記帳を離さずに握りしめた彼女を自宅へと連れて帰ったのだった。
あれから数年が過ぎ彼女は我が家で生活をしている。あのあと私は弁護士や警察、行政などと仕事の傍ら相談を繰り返して彼女を引き取った。私が若造ではなく、それなりの人脈もあったことも幸いして、ことは複雑だがすんなりとは進んだのだった。なにより、親身になってくれる地域の土地柄もあって、彼女も徐々に元気を取り戻すと、私の勧めで行きそびれた高校生活を夜学だけれど通い学び始めた。その励む姿を見て、私も負けじと仕事に精を出すことができ、私も2席ほど昇進を果たした。
夜学の卒業の日、自宅にて2人でささやかなお祝いを終えた後に風呂から上がった私は、日課のビールを飲もうとしてリビングの机の上に日記帳とペンが置かれていることに気がついた。
ビールを開けて日記帳を開くと、そこに日記が紡がれていた。
助けてからの日々のことが、あの時と違う幸せ溢れる内容で紡がれていた。彼女の素直なお礼の気持ちが心に染み入るほどに伝わってくる。
そして、最後の行にこうあった。
[この先もずっと一緒にいさせて下さい]
私からは伝えたくても到底伝えられない言葉だった。私に意気地が無いのか、若さ故に言えるのか、でも、気持ちは決まっている。
私はペンを持つとこう書き記した。
[こちらこそ、ずっとよろしく]
日記帳を閉じて視線を上げると、リビングの引き戸のそばで同じ日記帳を抱きしめて、万遍の笑みを浮かべる弓子がいた。
遠距離日記 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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