生きてゆけると確信した日

陽澄すずめ

生きてゆけると確信した日

【6月15日(月)晴れ】


 どんないじめを受けたのか、日記に書いておくと証拠になるって聞いたから、記録しておこうと思う。


 今日も竹田さんに嫌がらせされた。

 数学の教科書をなくしたと思ったら、私がトイレ行ってる間に竹田さんたちが持ってったらしい。教科書は校舎裏の焼却炉の中から見つかった。焼かれる前で良かった。

 中2になってから、だんだんひどくなってる。学校行くの嫌になってきた。



【6月30日(火)雨】


 今日はトイレに入ってたら、上から水が降ってきた。バケツに入った汚い水。

 ずぶ濡れのまま着替えの体操着を取りに教室戻ったら、竹田さんたちがニヤニヤしてた。



【7月17日(金)晴れのちくもり】


 やっと終業式。体育館シューズどっかいった。



【8月31日(月)大雨】


 明日からまた学校。

 行きたくない。死のうかな。



【9月23日(水)くもり】


 階段で竹田さんに突き飛ばされた。笑いながら「ごめーん」て言われた。絶対わざとだ。大ケガするとこだった。

 まわりの人たち、絶対見てたのに、知らんぷりしてた。

 そりゃそうか。私を助けたら、代わりにいじめられるもんね。



【10月8日(金)晴れ】


 下校の時、竹田さんが交通事故にあうのを見た。

 竹田さんは私より前の方を一人で歩いてた。田んぼ沿いの道だった。変な運転のトラックが、竹田さんをはねて、そのまま逃げた。

 周りには、私の他に誰もいなかった。


 竹田さんは頭からたくさんの血を流してた。脚が変な方向に曲がってた気がする。

 私が見た時、まだ生きてたと思う。

 目が合ったから。


 私はそのまま何もせずに帰ってきた。



【10月9日(土)雨】


 竹田さんが死んだ。



【10月11日(月)晴れ】


 竹田さんのお通夜に行った。クラス全員行かなきゃいけなかった。

 泣いてる子がいた。竹田さんのお父さんとお母さんも泣いてた。



 ◇



 表紙に油性ペンのちっこい字で『日記』とだけ書かれたボロっちい大学ノートを、私は乱暴に閉じた。中二ん時のやつだ。


 年末から帰省してる実家の庭。

 目の前にあるドラム缶の中では、板やらボール紙やらのゴミが景気悪い感じで燃えてる。

 不要物を処分したいからって、火の番を頼まれた。あんたヒマでしょって。まぁ全然否定できなくて、大人しくここにいるんだけど。


 二本の指で摘むように持った三ミリグラムのメビウス・エクストラライトを、一口吸って真上に吐き出す。


 いい天気だった。あの日みたいに。

 でも寒い。くったくたのスウェット上下に、勝手に借りたじいちゃんのダウンベストじゃあ、この北風に太刀打ちできない。

 耳のふちにずらっと並んだ金属製のピアスも、キンキンに冷えちゃってるし。

 柄にもなく振袖なんか着ちゃってた昨日と比べると、別人なんじゃないかって思う。


 もう一回、『日記』に目をやる。

 いじめの証拠を残そうとして書いてた記録は、十月十一日を最後にぱったり終わってた。

 その日から、いじめがぱったりなくなったから。


 もし、あの日。

 竹田さんがトラックに撥ねられたことを、すぐに誰かに伝えていたら。

 それを今まで考えなかったわけじゃないけど。

 私が見た時点で、竹田さんは重傷だった。どのみち助からなかった可能性は高いだろうと思ってる。


 もう一回、タバコを吸う。

 舌の奥がやたらとザラつく。


 昨日、成人式があった。

 別にいい思い出もないから行く気もしなかったんだけど、じいちゃんがどうしてもって言うから仕方なく行った。


 私含め、みんなゴテゴテした晴れ着姿で。

 顔半分、でっかいマスクで覆って。

 もう誰が誰だか分からなかった。私自身もそうだったと思うけど。


 そんで当然だけど、誰も竹田さんあいつの話なんかしてないの。

 始めっからそんな人なんていなかったみたいに。

 もしかしたら、私があいつにいじめられてたことだって、誰も覚えてないかもしれない。

 始めっから、いじめも何もなかったみたいに。


 『日記』をドラム缶の中に放る。すぐに緩い火が燃え移って、薄汚れた表紙が焼けていく。


 誰の顔も思い出せない。いじめを見て見ぬふりした傍観者たちの顔なんて一つも。

 覚えてるのは、あいつの最期の顔だけだ。

 頭が割れて、血まみれのぐちゃぐちゃで、それでも目だけはしっかり私を見てた。

 あの時のあいつ、どう思っただろう。

 助けてほしいとか、考えたんだろうか。

 私があいつの生殺与奪の権を握ってたかどうかなんて、実際どうでもいいけど。


 喉の奥から乾いた笑いが込み上げてくる。

 抑えたくても抑えられない。

 あぁもう、可笑しくって仕方がない。


「ざまぁ見ろよ」


 ヤニが絡んで、ちょっと咽せる。

 短くなったメビウスを火に投げ込んだ。それは『日記』と一緒になって、粉々の灰に変わってく。


 私はふと思いついた。

 そうだ、献血でも行こっかな。

 喫煙者の汚い血なんていらないかもしれないけど。

 煙がもくもく立ち昇っていく空は、どこまでも青く青く澄み渡ってたんだ。



—了—

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