人ならざるモノ そこには存在しない何か

北浦十五

草薙ターニャの日記



アタシ、草薙ターニャはマンションの自室で自分の日記を読んでいた。




アタシは近い将来、桁外れのパワーを持つ「何か」と対峙しなければならない。



その「何か」はアタシの事を知っていた。



と言う事は。



その「何か」いや、アイツには知性があると言う事だ。


それは意思疎通が出来る事を意味する。



ならば話し合える可能性もあるのでは無いか?



アタシは出来ればアイツとの戦いを避けたかった。

自分の命が惜しい訳では無い。

しかし、仲間達が犠牲になる事態は耐えられない。



そして何より。



アタシは戦いを、殺し合いを避けたかったのだ。



アタシはこれまでに数え切れない程の異形を滅してきた。

しかし、それは殺した訳では無い。

自分達が暮らしている「此岸しがん」から異形達が本来いる筈の「彼岸ひがん」へと送り返していただけだ。


その中には「食人鬼」のような例外もある。

ソイツらは知性を持って自らの意思で人を喰らっている。

このような存在は同じ人として許せるものでは無い。人を喰らうのがソイツらにとっての正論であるなら、そのような存在は排除するのが人としての正解なのだ。種族が違う生命体で、ソイツらが自分達と言う生命体の命を奪うのが目的ならそれを排除するのは自然な事だ。それは自然の、地球上に生まれた生命体の摂理だからだ。


しかし。


アタシが対峙するであろうアイツは、その正体も目的も判らない。

アタシはアイツの事を知りたいと思った。

アイツはアタシの事を知っていた。


と言う事は?


アイツはアタシの事を調べていた筈だ。

アイツが「誰か」からアタシの情報を得ているとしても、その「誰か」はこれまでにアタシの情報収集をしている筈だ。

少しでもそのヒントを得るために、アタシは自分が書いてきた日記に目を通しているのである。



アタシが日記を書き始めたのは10歳の時からだった。

父さんから今は亡き母さんの形見を託された時だ。

父さんは言った。


「この母さんの形見をお前の精神力と生命力とを同調させて育てなさい」


当時のアタシには訳が判らなかったが、父の言葉は本能的に理解できた。

それから母の形見である銅鏡のついたネックレスを常に自分の身体と密着させた。

それまでも父と草薙院の長老さまの指導で「修行」なるものをしていたが、それが本格的により厳しいものとなった。


それはまだ10歳の少女には過酷なものであったがアタシは黙々とこなして行った。

アタシには、それが自分の「使命」であると思えたからだ。

何より、母の形見と少しずつ同調していくように感じられるのが嬉しかった。育てる、と言う事はこういう事かと実感できた。


「うーん」


アタシは日記を読みながらため息をついた。


「特に「何か」が接触して来たような事は無いわねぇ。あっ、これは」


アタシは14歳の時の日記に目が止まった。


「この時がアタシが初めて「草薙の剣」の力を使った時だったわね」


アタシは懐かしい想いで14歳の時の日記を詳しく読み始めた。

それと共に、その時の記憶が鮮やかに甦って来た。




今日、アタシの部屋の片隅に真っ黒な「何か」が現れた。

ソレは仔猫くらいの大きさでじっとうずくまっている。

アタシが近づくとソレはブルブルと震えはじめた。


「どうしたの? アタシが怖いの?」


アタシにはソレが危険なものだとは思えなかった。

震えているソレがいじらしい可愛いものに思えたのだ。

アタシは学校では親しい友達はいなかった。明らかに日本人では無いアタシの容姿は学校ではとても目立つ存在だった。話しかけてくる子は沢山いた。皆、アタシには優しくしてくれた。ラブレターと言われるものも沢山もらったし実際に告白と言われるものも数限りなくされた。


アタシは皆とは仲良くしていた。告白して来た男子たちには丁寧にお断りをした。誰もアタシの事を悪く言う人はいなかった。皆、良い人たちだった。

でも、アタシは誰とも親密になる事は避けていた。アタシには「使命」があると知っていたからだ。そして、それは危険を伴う事も。

それは父さんや長老さまに言われた事では無い。アタシの中に自然に芽生えたものだった。そう、母さんの形見を託されたあの日から。


アタシはそれを淋しい、とは思わなかった。

誰かと親密になってしまったらその「誰か」にも危険が及ぶかも知れない。それだけは絶対に避けなければならない。自分はどうなっても構わない。でも「誰か」に危害を与えるような事は考えただけでも恐ろしい事だった。ましてや、その命が奪われるなんて。

そんな事は絶対に許される事では無い。


アタシは去年、初潮を迎えた。

今どき中学1年での初潮なんてかなり遅い方だろう。

でもアタシは不思議でならなかった。アタシにはそんなものは来ない、と思っていたからだ。アタシには人の親になるなんて言う発想は全く無かった。そんな資格も無いと思っていた。でも、父さんにその事を告げたら喜んでくれた。「お前もちゃんとした人と言う生命体なんだ」と言われた。そんなものか、とアタシは思った。しかし、アタシも人間なんだと改めて実感した。


いけない。頭を今の現実に切り替えなきゃ。

あの真っ黒な「何か」は何に怯えているんだろう?

そう思ったらアタシのぺったんこの胸に密着させていた母さんの形見が光を放っているのに気がついた。その光は微弱なもので点滅しているように感じられた。


「お前はこれが怖いの?」


そう言ったアタシは母さんの形見のついたネックレスを首から外して机の上に置いてしまった。

それからその「何か」に近づこうとした。

そしたら。



ビシュッ



アタシの身体のすぐ近くの空間を槍のようなモノが貫いた。



一瞬、何が起きたのか判らなかった。



槍のようなモノは次々と繰り出されて来た。

アタシの身体が勝手に反応して、それらを紙一重で避けていた。

そして、アタシもやっと理解した。


それはアタシが近づこうとした「何か」の攻撃である事を。


「辞めて!アタシはアナタの敵じゃない」


しかし「何か」はアタシの声など聞こえないように攻撃を辞める事は無い。


「ツッ!」


槍がアタシの右手をかすめた。

皮膚が破れ鮮血が流れた。

すると。


アタシの右の掌に暖かいものを感じた。

見ると、そこには机の上に置いたはずの母さんの形見があった。

「何か」からの攻撃は止まった。


そしてアタシの頭の中に女の人の声が響いた。

力強い中にも優しさを感じられる声だった。

いつか聴いたような懐かしい声だ、と思った。


「・・・ターニャ。アレはこの世に存在してはならないモノなのです」


「アナタは誰? 母さん、母さんなの?」


その声はアタシの問いには答えなかった。


「これからアレを滅します」


「殺すの? 嫌!アタシは殺したくない!」


アタシは頭の中の声に叫んだ。

それがどのような生命体であれ、アタシは命を奪う事なんてしたく無い!

頭の中の声は優しく語りかけるようにアタシに言った。


「殺すのではありません。アレを本来いる場所に送り返すのです」


「ホントに?」


その声はアタシの問いに微笑んだように感じられた。


「これから私の言う通りにするのです。出来ますね?」


アタシはうなづいた。

何を言われるのかは判らなかったけど必ず出来る、と言う確信があった。

何故、そのような確信が持てたのかは判らなかったけど。


アタシは声の言う通りに母さんの形見を握りしめた右手を高く掲げた。

鮮血がアタシの右手を流れ落ちる。

アタシはそれに構わず叫んだ。


「草薙の剣!アレを滅せよ」


掲げた右手の母さんの形見が激しく発光した。

その光は剣のような形になった。


「ハアッ!」


アタシは「何か」との距離を詰め光の剣を振り下ろした。


「何か」は音も立てずに消滅した。






「ふぅ」



アタシは日記を閉じるとベッドの上に寝ころんだ。


しとしと、と雨の降る気配を感じた。


「アイツは自由に彼岸に行けるのかも知れない」


雨の気配を感じながらアタシは呟いた。


「彼岸に送り返したモノからアタシの情報を入手してるのかも」


アタシは考えるのを止めた。

あれ程の桁外れのパワーなのだ。

人では無い事は確かだが、これまでの異形と同じモノだとも思えなかった。


「・・・人ならざるモノか」


そう呟いてから可笑しくなった。

それならアタシだって似たようなモノだ。

普通の人から見たらアタシも「人ならざるモノ」だろう。アタシは自虐的に嗤った。



ピンポーン



玄関のチャイムが鳴った。

誰かがマンションの入り口でアタシと父さんの部屋番号を入力したのだ。

誰だろう?


「あ、居た居た。草薙さーん」


アタシが玄関横の液晶テレビのスイッチを押すと、音美が笑顔で手を振っていた。


「良かったですぅ」


桜子の声も聴こえた。


「どうしたの、アンタ達? 今日は修行は休みだって」


「ごめんなさーい」


桜子が音美の横で申し訳なさそうな顔をしている。


「あたしが音美さんの家に押しかけたんです。何だか家でじっとして居られなくて」


「そうなのよ。私も同じ気持ちだったから。だからこうして突撃して来たんじゃない」


アタシは思わず吹き出してしまった。


「突撃って何よ? 休むのも修行には大切なのよ」


「だったらさぁ。皆でガールズトークしようよぉ。ダメ?」


音美がはしゃぎながら言う。

アタシは、はぁとため息をつく。


「ダメって、来ちゃったんだから。しょーがないでしょ。良いわ、アタシの部屋に来て」


そう言ってアタシはマンションの入り口のロックを解除する。


「わーい」


「やったぁ」


2人の嬉しそうな声が響く。


それをアタシは複雑な想いで聴いていた。



そうだ。



アタシにはかけがえのない仲間がいる。


アタシと一緒に歩いてくれる人がいる。




あの娘たちがいる限りアタシは人なのだ。




人間なのだ。




2人をもてなす為に台所へ向かうアタシの足取りは軽く、とても暖かい気持ちに満たされていた。







終わり


そこには存在しない何かに続く



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