あなたへ繋ぐ日記帳

みすたぁ・ゆー

あなたへ繋ぐ日記帳

 三月を迎え、先輩たちが卒業した。私の所属する都立治正じせい高校文芸部の残った部員は私を含めて三人。しかも全員が来月から三年生となるので、もし新一年生の部員が確保できなければ一年後には部員がいなくなってしまう。


 そうなれば廃部は濃厚。高校創設以来、数十年にわたって活動してきた伝統ある我が文芸部の歴史は途絶える。


 だからこそ、新部長に任命された私は大きなプレッシャーを感じているわけで……。




「陰キャの私に部員の勧誘なんて出来ないよ……」


 私は深いため息を吐きつつ、ひとりで部室の掃除と整理を続ける。


 もちろん、普段からみんなで協力してある程度はやっているけど、マンガや小説、資料などが溜まるスピードには到底追いつかない。


 結果、本棚に入り切らなくなった本は野積みになってホコリをかぶり、さらに部室の空間を浸食していくのだ。だから数年に一度くらいのペースで大掃除が必要になる。


 そしてそのタイミングに私の世代が当たってしまうとは、ますますついてない。





「……あれ? これは日記帳?」


 本棚の整理をしていた時のこと、私はその奥に古びた日記帳を見つけた。


 手前にある何冊かの文庫本を外へ出してみると、その奥に隠すように納められていたのだ。


 日記帳の小口側には南京錠が付いていて、カバーは皮製の渋いデザインのもの。ただ、日記帳が収められていた周辺を探ってみても、解錠するための鍵は見当たらない。


「って、えっ!? この名前……」


 表紙には持ち主と思われる人物の名前が書いてあった。その名前は『戸口とぐち大分たいぶん』。この高校の一期生であり、文芸部の初代部長だ。


 戸口先生は高校卒業後、大きな文学賞をいくつも受賞して『近代の文豪』と呼ばれていた大先輩。ただ、残念ながら十数年前に病気で他界されたと記憶している。


「ほ、本物かな……ま……まさかね……」


 思わず出た言葉とは裏腹に、日記帳を持つ手が自然と震える。


 だって部に残されている公式な資料の中に戸口先生直筆のものがあって、筆跡はそれと同じだから――。


 もし本物ならとんでもない発見だし、文学界の宝になり得るし、内容が気にならないわけがない。もしかしたら未発表の作品とか草稿とかアイデアなんかが記されているかもしれないんだから。


 しかも表紙には名前のほかに心を揺らす文言が書いてある。




『興味のある者は読んでも良いが、内容については他言無用とするように』




 筆跡は名前と同じ。つまり持ち主と思しき戸口先生が中を読むことを容認しているのだ。


 でも南京錠を開ける鍵がなければそれも不可能。蛇の生殺しとはこういうものなのか……。


「あああああぁーっ! 私にピッキングの技術とかRPGで最後に出てくるマスターキーとかがあればーっ!」


「うっさい、ひかり! 廊下まで聞こえてるよ!」


「うわぁっ!」


 急に後ろから声をかけられ、私は体をビクッと震わせた。


 振り向くとそこにいたのは文芸部員の多々良たたら史香ふみか。さらにその後ろにはもうひとりの部員である津田つだおさむもいる。



 史香は活動的なショートの髪にキリッと凛々しい瞳、一見すると運動系の部活でもやっているような雰囲気があって、物事をハッキリ言う性格だ。


 一方、津田はおっとりとしていて大人しい性格。体型は平均より少しほっそりとしていて、常に太い黒縁の眼鏡をかけている。実はその眼鏡を取ると意外にイケメンなのだが、彼自身にはその自覚がないらしい。


王寺おうじさん、あんなに叫んだってことは掃除中に黒い害虫でも見かけた?」


「そうじゃないんだけど、ちょっとこれを見てくれる?」


 私は日記帳を史香と津田に見せた。そして発見した時の状況を説明する。


 するとそれを聞いたふたりも私と同じように驚いて声をあげる。


「――で、彩はどうするつもりなの? 日記帳の内容を知りたいんでしょ?」


「もちろん。でも鍵が見当たらないんだよね」


「僕、気が付いたことがあるんだけど……」


 その時、津田が私と史香の話に遠慮がちに入ってくる。彼って意外に洞察力があるから、何か手かがりでも見つけたのかな?


「その南京錠なんだけど、少し違和感があるよね?」


「どこが?」


「南京錠が日記帳の古さに釣り合ってないというか。もし戸口先生の持ち物だとすると、日記帳は数十年前のもののはず。でも南京錠はそれより新しい感じがしない?」


「あ……」


 確かに津田の言う通りだ。付けられている南京錠は今の時代のものに比べれば古いことに違いはないけど、せいぜい平成か昭和後期くらいに作られたような感じがする。


 戸口先生が高校生だった頃に使っていた日記帳だとするなら、南京錠は戦後直後くらいに作られたものでないとおかしい。


「表紙の筆跡を考えると、日記帳は戸口先生のものに間違いないと思う。ただ、その後に誰かが何らかの事情で南京錠を取り替えた――と、僕は推測するんだけど」


「つまり津田ちゃんは、あたしたちの先輩のうちの誰かが解錠して中身を読んだって言いたいわけね?」


 史香が訊ねると、津田は小さく頷く。


「多々良さんの言う通り。たぶん元々の南京錠を壊して中を読んだんじゃないかな? 小さい鍵だもん、年月が経てば紛失してしまっていてもおかしくないからね。今回の僕たちが置かれている状況と同じように。で、新しい南京錠を付けて、本棚へ戻した」


「でも津田ちゃんさぁ、新しい南京錠を付けたのは何のため? 本棚に戻すのも不自然だよね? 後輩のためにも解錠したまま、目立つ場所に置いておけばいいのに」


「それは僕にも分からない」


「彩はどう思う?」


 史香と津田が視線を私に向ける。


 確かに津田の推測は的を射ていると思うし、史香の意見ももっともだ。ただ、現在の結果に至ったのにはきっと『理由』があるはず――。


「私、日記帳の内容を読んでみればその謎が解けるような気がする。あくまでもカンだけど。とりあえず、面識のある先輩に探りを入れてみようよ」


「だったら最初に聞くのは顧問の中森なかもり先生が良いと思う。中森先生はこの高校出身で、文芸部OBでもあるから。僕、以前に本人からその話を聞いたことあるんだ」


 その話は初耳だった。中森先生は昨年に治正高校に着任して、定年退職された白鳥しらとり先生から文芸部顧問を引き継いだ。まさかうちの部のOBだったとは……。







 その後、私たちは職員室へ行き、事の顛末を中森先生へ話した。


 するとそれを聞き終えた中森先生はハッと息を呑み、軽く手を叩く。


「そういえば、白鳥先生からの引継書に小さな鍵が付けられていたような。ただ、どこへ仕舞ったんだっけな。行方不明だな……」


 眉を曇らせ、指で頭を掻く中森先生。普段はしっかりしているのに、肝心なところが抜けていると思う。


「しっかりしてくださいよ、中森セ・ン・パ・イ」


「お、王寺、その当てこするような言い方はやめろ……。鍵は必ず見つけておくから、もう数日くらい待ってくれ」


 すぐに見つからないのなら仕方がない。中森先生も仕事が溜まっているんだろうし、強く催促するのも気が退ける。


 だから私たちは職員室を出て部室へと戻り、目立つ場所に日記帳を置いてその日は下校したのだった。




 ――それにしても、日記帳には何が書かれているのだろう?


 戸口先生のプライベートなことや高校生時代に考えていたこと、それにきっと作品に関することも書いてあるんだろうなぁ。だとすると、どんなストーリーやアイデアなんだろう?


 想像するだけでもワクワクする。早く中森先生が鍵を見つけてくれると良いなぁ……。





 一週間後、日記帳の鍵が見つかったということで、私たち部員三人は中森先生とともに部室へやってきていた。


 鍵の大きさは小指の先くらい。素材はステンレスだろうか。


 私はそれを中森先生から受け取り、日記帳の南京錠の鍵穴に差し込む。すると鍵はすんなりと入っていき、捻るとカチッと微かな音がしてアームの部分が外れる。


 そして南京錠を外し、史香や津田、中森先生が見守る中、私は日記帳を開く。


「……えっ!?」


 私は目の当たりにした現実にキョトンとした。


 というのも、パラパラと捲ってみても白いページばかりだったからだ。もっとぎっしり何かが書かれていると思っていたので、正直言ってこれには拍子抜けだ。


 そこで私はあらためて最初のページを開けてみると、そこに書かれていたのは――






『まだ見ぬ後輩たちへ。


 この日記帳に興味を持ってくれて嬉しい。


 南京錠を開けるまで、あなたはどんな内容を想像しましたか?


 それはきっと人それぞれだと思います。


 その好奇心や想像力、高揚感、期待感、そのほかの様々な感情をこれからも大切にしてください。


 今後の創作だけでなく、人生にも役に立つことがあるはずです。


 あなたの未来に幸あれ。 戸口大分』






 さらに次のページを捲ってみると、そこにはこの日記帳を閲覧した部員の名前と日付が書き加えられていた。それによると意外に多くの先輩が読んでいるみたい。


 なんとその中には中森先生や前顧問の白鳥先生の名前も!


 私は慌てて日記帳から顔を上げ、目を白黒させながら中森先生の方へ振り向く。すると中森先生はプッと小さく吹き出す。


「鍵を仕舞った場所は最初から分かってたよ。行方不明ってのは嘘。矢口先生の想いを大切にしたくて、王寺たちに日記帳の内容を想像する時間を作ってやったってわけだ」


「……中森先生、性格悪いです」


「いやいや、後輩のことを想ってくれる良い先輩だろ?」


 それを聞くと史香と津田は大笑いをした。


 こうして私たちは日記帳に想いを巡らせたあと、閲覧者一覧が書かれたページに今日の日付と自分たちの名前を記した。そして再び南京錠をかけ、鍵は中森先生へ返し、日記帳は本棚の元の位置へと戻す。




 次にこの日記帳を見るのは誰になるんだろう?


 その日のためにも私は新部長としての責務を果たすとともに、なんとしてでも新一年生の勧誘をがんばらなければならない。


 ――この時、私はそう思った。



〈了〉

 

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