セオと僕と誰かの日記

加藤ゆたか

誰かの日記

 西暦二千五百五十五年。人類が不老不死を実現して、僕が不老不死になって五百年が経った。五百歳を超える僕の記憶は、不思議と不老不死になる前のことの方が鮮明に思い出せる。例外はセオと父子として暮らしたこの三十年だ。不老不死になってから惰性で過ごした数百年と、パートナーロボットのセオと一緒に過ごした三十年。僕にとってどちらが充実していたのか、それは火を見るより明らかだろう。



 ある日セオが、古いノートが何十冊も入った箱をもらってきた。セオの交友関係は意外と広い。よく行く商店街だけでなく、最近は図書館にも出入りして、いろいろなジャンルの本を借りてきていた。

 僕は箱の中のノートを一冊手に取って見た。


「これは日記か。」

「うん、図書館で預かったらしいんだけど、困ってたから私がもらってきたの。」

「確かにいくら古い文書でも、普通の人の日記ではな。」

「私、これ読んでみようと思う。」


 ノートには年代と名前が書いてあった。一番古い年代で昭和三十三年。恵子。日記の主はその時、十歳だった。僕が生まれるよりもずっと昔だ。様々な色や材質のノートに書かれた日記はざっと六十冊ある。

 六十年分の日記か。僕は中を開かずにノートを箱に戻した。僕は日記は好きじゃない。自分が書くのも好きじゃないし、赤の他人の人生にも興味はない。しかし、セオが人の日記に興味を持つなんて。日記を読むということは書いた人間の人生をなぞるようなものだ。ロボットであるセオにとって、それにどれだけの意味があるのだろう? いや、そんな大層なものではなく、セオはただの娯楽として見ているのかもしれない。

 セオは僕が箱に戻した一番古い日記を手に取ると、そのページをそっと開いた。



 セオはそれから日記を読むことに没頭していた。


「ねえ、お父さん。昔、東京オリンピックっていうのがあったんだね。」

「ああ、昭和のか。あったみたいだな。僕はまだ生まれてないよ。」

「恵子さんは見に行ったんだって。すごくて驚いたって書いてある。」

「へえ。」


 セオが日記のページを開いて僕に見せる。僕はちらりと見て視線をまた戻した。汚い字だった。この時、日記の主は十六歳くらいか。

 またある時、セオは興奮気味に僕に言った。


「恵子さんがお見合いしたよ! 良い人だって、好きになったって書いてある!」

「へえ。」


 日記の主は二十二歳で結婚した。結婚相手は警察官で、名前は修二だとセオが僕に教えた。


「恵子さん、デートのことをすごい細かく書いてるの。」

「……日記の主は、こんな未来に自分の日記を他人に読まれるとは思ってなかっただろうな。」


 またある時、食事中にセオが思い出したように言った。


「そういえば、恵子さんに子供が出来たよ。二人。子育ては大変みたいだね。もう五年分くらい、日記は子育てのことばっかりになってるよ。でもすごい書くことがあるみたい。読むのが大変。」

「へえ。」

「修二さんは警察官を辞めて、お店を始めるんだって。」

「大丈夫なのか?」

「恵子さんもすごい心配してるよ。」


 日記の主の年齢は三十歳。子供もまだ小さかった。

 それから数日、セオは日記のことを言わなかったが、読み続けてはいるようだった。


「ねえ、お父さん。恵子さんね、修二さんのお店を手伝ってるんだけど、もう何年分もずっと文句ばっかり書いてあるの。あと、お店のことと、子供の成績のこと。私、恵子さんのことが心配になってきて、あんまり読み進まなくて。」

「そうなのか。」

「恵子さんは日記に感情込めて書くから、私もつらくなっちゃう……。」

「ゆっくり読めばいいじゃないか。」

「うん……。」


 日記の主が四十六歳の時、最初の子が独立した。夫婦は二人の子を大学にまで進学させ、立派に育て上げたようだ。そうセオが嬉しそうに僕に報告した。日記の内容も、旅行とか、テレビのことなど、明るい内容になってきたという。


「また、恵子さんと修二さんは仲良くなってきたよ。二人で過ごす時間が増えてきて、日記にも修二さんとの良い思い出が増えてきたの。理想の夫婦みたい。」

「それはよかったな。」


 日記の主に最初の孫が出来た頃、夫の修二に癌が見つかった。この時、日記の主は五十二歳。


「どうしよう、お父さん……。また恵子さんの日記が暗くなっていくの。恵子さんのつらい気持ちが何度も何度も書いてあるの。」

「セオ、無理に読まなくてもいいんだぞ。」

「ううん、読むよ。これからどうなるか知りたい。」


 夫が死んだ日の日記には、夫・修二死去とだけ書かれていた。

 セオは日記を閉じて、長いことノートの表紙を眺めていた。

 セオは言った。


「その日の恵子さんの日記には、悲しいとか寂しいとか何も書かれてなくて。他の日と全然違う。修二さんが死んじゃったのに。……これだけしか書いてない。これじゃ私、恵子さんの気持ちがわからない……。」


 セオはロボットだから、本当の意味で人間の気持ちはわからない。書いてあること、言われたこと、それを理解して正しい反応や行動を取ることは出来ても、それはロボットとして人間のように見えるように造られたものだ。

 僕はセオに何も言わなかった。僕が何か言ったら、それがセオにとって正解になってしまう。僕は日記の主じゃない。僕には日記の主の気持ちなんかわからない。


 翌日、セオは残りの日記を読み終えたようだった。子供や孫のことについて書いた日記をセオは楽しんで読んだ。そして、日記をまた箱にしまうと、これはロボットネットワークに持っていって電子化して全世界に配布すると言った。


「恵子さん、幸せだったのかな?」

「そうだな。」

「……私はね、ロボットだから恵子さんみたいに生きられないけど、ずっとお父さんと一緒にいたい。」

「ああ。ずっと一緒だ。」

「うん。あのね、お父さん。」

「なんだ?」

「大好き!」


 セオが僕に抱きついて僕の頬にキスをした。僕は、恵子が修二にプロポーズされた日の日記に、恵子が思わず修二に抱きついてキスをした場面があったことを思い出した。

 遠い昔に存在した想いを確かに僕らは受け継いだ。セオと僕の日々はこれからも続いていくのだ。

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セオと僕と誰かの日記 加藤ゆたか @yutaka_kato

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