一般転移者だけど上司の魔王がブラック企業を滅ぼすらしい

月下ミト

第1話

 俺はただの一般人。日本に生まれて普通に育って就職し、階段から転んだら異世界に転移してしまった男だ。

 転移したところで特殊な力を手に入れることもなく、偶然出会った魔王様に拾われて身の回りのお世話をしている、本当に無能力の一般人。


 肩書的には魔王の側近なので他の奴からは一目置かれているが、俺は分かっている。扱いに困る魔王様を体よく押し付けられるからだろう。

 何故ならこの魔王様、気に入った異世界があると一人ですっ飛んで支配し、その後の統治は部下任せ。ワンマン経営で成り立っているのが魔王軍なのだ。


 今日も幹部たちは異世界の管理業務に出払っている。無駄に力があったら俺も駆り出されてたと思えば、無能も悪くない。


「さあて、そろそろ昼食の時間だ。魔王様に声掛けるか」


 炊事や掃除は専門の者がいるから、俺の仕事は魔王様に声を掛けることだけ。話し相手もするが、日本に居た頃と比べたら楽勝な業務内容だ。

 慣れ親しんだ通路を抜けて最奥の部屋に辿り着く。数回ノックすると、勇者であれば触れることすら困難な扉はすんなりと開いた。


「魔王様、午餐のお時間ですよ。今日は良いお肉が入ったと厨房が言っていました」

「うむ、うむむ、むー、ちょっと待てい。吾輩、もうちょっとしたら行く」

「あ、これは」


 眼前に映る魔王様の個室。それは個と呼ぶには広すぎる、リビング書斎ベッドルームが幾つも繋がった豪奢な空間なのだが、それにしては小さく思えた。

 何故なら、物が散乱している。しすぎてる。


 一番広いメインルームのはずなのに、うず高く積まれた魔導書、書き散らかされた魔法陣、うねうねしてる触手……ってなんだ最後の。


「魔王様。また、やりましたね」

「むむ⁉ いや、違うぞ。これはちょーっと無差別に呼びすぎただけであってな」

「やってるじゃないですか、異世界転送。……はぁ、幹部の方から止めるようにと言われてたのに」

「吾輩が一番偉いんだぞ! なにか文句あるかぁ⁉」


 こちらを向き、ふんすと鼻息を荒げる俺の上司。魔王様は、幼子であった。

 淡く夜に溶けそうなピンクの長髪、凛々しくも禍根を秘めた大きな2本角、いかにもクソガキしてますと言わんばかりの表情、あとパジャマ姿。それはそれは、もう本当に子供である。


 俺を拾ったのは先代の魔王であり、無害な子守役として任を仰せつかったのだが、先代魔王は親バカだった。

 ワシより強いしパパ魔王を譲っちゃうぞー、的なノリで現魔王は生まれ、ギャグかなと思ったらマジで強くて異世界をバンバン侵略しちゃうし。現場は大混乱だ。


 この魔王様は、今日も今日とて、異世界から物品を呼び出しては物色し、気に入ったら侵略しようと。そういう御積もりらしい。


「吾輩いま良いところなのだ。新たな世界、深淵の一端を垣間見ている。あとちょっとしたら行くから待つがよい」

「そうかー、分かりました。ではこっそりと魔王様の皿に付け合わせの野菜を増やしておきますね。今日は鮮やかな緑が増えそうだな―」

「待って! ねえそれはダメ! 吾輩が嫌いなの知ってるでしょ!」


 慌ててジタバタと本の山の奥から出てくる魔王様。尊大な口ぶりのわりに、中身はしっかりと子供なので可愛いものだ。

 ただ、俺の視線はそんな魔王様より、その手元の本を捉えていた。


「その本、いやまさか」

「この本が気になるか? ふふん、だろう? 異世界の言語ゆえ翻訳魔法を使わねば読めぬが、ここには最高の知識が書かれているぞ。どうだ気になるだろう」


 バンと両手で本を見せてくる。その表紙には、こう書かれていた。


 『My Secret Diary私の秘密日記


 俺の世界じゃねえか! しかも誰かの日記! 見ちゃいけないタイプの!!



「魔王様、その本は読んじゃいけません」

「ふふ、分かっておるぞ。禁断の書と言いたいのだろう。だが任せておけ、魔王の前には禁書も童話と同じよ」


 いや個人情報的なやつー! と叫びたいが、無闇に止めてしまえば魔王様のお子様心をくすぐり、ダメなものはやってみたい精神が働くに違いない。

 穏便に、優しく止めるのだ。誰かのプライベートの為にも。


「いやー、それにしても可愛い装丁の本ですね。異世界の絵本じゃないですか? 魔王様には簡単すぎるかと」

「だと思うだろう? しかしな、ここには吾輩も知らぬ怪異が書かれているのだ。見よこの部分、『人を拐かし鉄の歯車』とあろう。げに恐ろしき化け物のことだ」


 電車じゃん。もしかすると、魔王様の翻訳魔法はこの世界が基準?

 つまり、存在しない物を翻訳するとバグると。そういうことか。


 これはマズイ。変に誤解されて魔王様が気に入り、故郷の世界が滅ぼされては夢見が悪いどころではない。俺も外患誘致罪が確定だ。


「ふふふ、だが驚け。この書には怪異だけが書かれているわけではない。超巨大な城の山も魅力的だが、吾輩に匹敵するであろう巨悪が記されているのだ」

「高層ビル群……え、悪? そんなものいるんですか?」


 悪の組織なんて現代日本に存在するか? 魔王様より悪はいないだろうし。テロリストかな?

 武力なら魔王様が最強ですよ、ほらお昼のお肉大きいのあげますから。

 俺はその言葉を準備して魔王様の声を待ったが、その声の内容に驚愕し、思わず声を出せなかった。


「『黒き結社』人を物と扱い殺す組織の存在が、この書にはある。幾万の人間を奴隷以下のゴミとし、己が利益にするという。中々な悪ではないか。なあ?」


 ブラック企業!!!!!!!!!!!!

 それは確かに悪!!!!!!!!!!!!


「吾輩はこの世界が気に入ったぞ。是非とも我らの支配下に置きたい」

 だが、と魔王様は言う。

「この『黒き結社』は邪魔だ。人畜たる人間は、富を生む種。それを殺しては意味がなかろう。無意味に浪費する奴らは、吾輩の敵だ」


 不思議と魔王様の言葉が心強く聞こえてくる。出来るのか、魔王様。日本からブラック企業を滅ぼすなんてことが……ッ!


「いや、そうだ。待ってください魔王様。魔王様の力は、その世界では、」

「案ずるな、吾輩も無策ではない。それに『黒き結社』の秘奥義は、この書に記されている。易々と食らう吾輩ではない」

「秘、奥義?」


 鷹揚に頷き、魔王様はゆっくりと、その小さな唇を開いた。


「『Karoh死』、見るに死の呪文の類だが、この魔王に効くと思うなよ」


 また翻訳バグ! 過労死はヤバいけど死の呪文ではない!!

 それより、もっとヤバいのは、このまま魔王様が日本に行ったら大惨事が起きる。


「待って、そうご飯を食べましょう。一回ご飯を食べて、それから作戦を、」

「既に準備は終えている。ふふん、貴様とこうして話をしていた、その間にな」


 部屋全体に紫電が走る。思わず俺がたじろぐと、明滅する雷電は一瞬で部屋全体に魔法陣を描いてしまった。

 何度も見覚えがある。異世界への転移魔法だ。


「厨房には馳走を用意しろと言っておけ! さあ、ここらからだ! 新たな世界よ! 吾輩に最強の能力を与えるがいい!!」


 混沌とした雷の光とは対照的に、魔王様の全身が純白に輝く。この力こそ、魔王様が最強たる所以。絶対なるチート能力だ。

 その能力は、自分が存在する世界で最強の能力を手に入れること。

 神から寵愛を授かったとしか思えない、魔王が持つには異常な恩恵だ。


 この剣と魔法の世界ならば、全てを破壊する肉体と滅びを生む魔術知識。

 数多の世界においても、魔王様の能力は完全無欠と言える。


 けれど、その力は、現代日本では!


「なるほど、『Java』『C++』『Python』よく分らぬが、強そうではないか」

「プログラミング言語の能力⁉ そりゃ最強だけど!!」


 武力が強さじゃない日本だと、得られる恩恵も変わるよね!

 ……魔王様、日本で生きていけるだろうか。


「さらばだ! 吉報を楽しみにしておけ!!」

 爆発にも思える閃光が部屋を包んだ。俺が目を目を開けると、残されたのは無残に散らかされた部屋だけ。魔王様は旅立たれてしまった。


「なんだろう。頑張れ、魔王様」


 果たして魔王様はブラック企業を滅ぼせたのだろうか。それを知る術は異世界にいる俺には無い。日本の人々が知るところだ。

 

 俺に分かるのは、半年後に帰ってきた魔王様のメンタルと体はボロ雑巾だったので、ブラック企業は魔王より恐ろしい、ということ。



 あと、人の日記を勝手に読んじゃいけない、ってことだ。

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