第7話 決戦

「朝の会が終わったら凛々が迎えに来るから、そしたら一緒に職員室に行こ」

「うん、わかった」

凛々にそう言われてから、僕達は別々の教室に入って行った。



僕が教室に入ろうとしたとき、「林くん」と、聞き馴染みはあるがどこか懐かしい声が聞こえてきた。

「あっ、大長先生、おはようございます」

「おはようございます。なんか昨日大変なことがあったみたいだね、横澤先生から聞きましたよ」

「は、はい、僕は何もしていないんですけどね。なんか疑われているんです」

「えぇ、わかっていますよ。『林くんがやったわけではないと思います』って横澤先生から聞きましたから」

え?どういうこと?横澤先生は高田派の人間ではないってこと?あの人は僕の味方だったのか?

正直僕の頭は混乱していた。高田派の人間じゃなくて僕の味方なら、最初からそう言ってくれれば良かったのではないか。昨日の僕には、誰一人味方がいないと思っていた。だから辛かった。寂しかった。孤独だった。横澤先生一人でも「あなたを信じていますよ」って直接言ってくれたら、どれほど気分が楽になっただろうか。そう考えると、なんだか少し横澤先生への怒りが込み上げてきた。

「とりあえず、2時間目が終わった後の休み時間に、実際にどういうような状況だったのかあの池のところで確認しましょう。4年生も含めて」

「あ、はい、わかりました」

「じゃあ、朝の会を始めましょうか。席についてください」

そう促されて僕は自分の席に腰を下ろし、ランドセルを下ろした。


「では皆さん、今日も元気に過ごしましょう。日直さん、号令をお願いします」

「きりーつ、気をつけ、礼」

–ありがとうございました!–


朝の会を終えると、教室のドアのところで待ち侘びていた凛々が「明人」と呼んできた。

「なに?」

「『なに?』じゃないでしょ!朝の会終わったら職員室に行くって言ったじゃん」

「あっ」

そうだ。朝の会が終わったら凛々と職員室に行くという話になっていたのだった。数十分前に凛々と話した後にすぐ大長先生と違う予定を立てたから、すっかり忘れてしまっていた。

「ほら早く行くよ」

「凛々、あのね、大長先生とさっき話して、2時間目が終わった後の休み時間に、4年生も含めて昨日の状況を確認することになったんだ」

「え、そうなの?大丈夫?」

「まぁ、大長先生は僕の味方になってくれてるし。それによくわかんないけど横澤先生も僕のこと信じてくれているみたいなんだ」

「そっか…。ねぇそれさ、凛々も一緒にいたらダメかな?」

「えっ」

「凛々は最後まで明人の力になりたいの。でも、邪魔かな?」

「邪魔なわけないじゃん!むしろ一緒に来てほしい、そばにいてほしいよ」

僕はこの時素直になれた。普通に考えれば、この事件に何も関わっていない凛々がついて来るのはおかしいかもしれない。でも大長先生や横澤先生よりも凛々がそばにいてほしかったのだ。凛々が事件に関係のあることは何ひとつ述べることはできないだろうけど、そばにいてほしい。その想いが僕を素直にさせてくれたのだと思う。

「良かった、『来ないで』って言われなくて。じゃあまた後でね」

「うん、じゃ、また」

そう言って僕達は別れ、それぞれの教室で2時間を過ごした。



–キーンコーンカーンコーン−


2時間目終了のチャイムが鳴った。ついに来た、決戦の時が。

「おい!早く行くぞ!」

クラスの男子達は、他学年にサッカーゴールを取られまいと、一目散に教室を飛び出した。

「こら!廊下を走るんじゃありません!」

大長先生の注意も彼らの耳には何ひとつ聞こえていない。

クラスのほぼ全員が校庭に出てから、先生は僕のところに寄ってきた。

「じゃあ林くん、行きましょうか」

「はい」

そう言って僕達が教室を出ると、まるで人気アイドルの出待ちをするファンのように凛々が声をかけてきた。

「あの、大長先生」

「あら、松木さん、どうしたの?」

「自分も付いて行っていいですか?明人の力になりたいんです」

「でも松木さん、この件に関わりないでしょ?」

「まぁ…」

この時僕は、黙っていてはダメだと確信した。自分がそばにいてほしいと願ったのだ。だから自分からお願いするのが筋ではないのか。そう考えていると、言葉が勝手に口から出てきた。

「先生、僕からもお願いです。凛々には付いてきてほしいんです」

「明人…」

「わかったわ。じゃあ、松木さんにも林くんのサポートをしてもらいますか」

「はい!喜んで!じゃ行こ、明人」

「うん」

僕は拳を強く握り、凛々と共に駆け出した。

「こら!廊下は走らない!」

「あ、ごめんなさい…」

僕達は口を揃えて謝ったあと、顔を見合わせて笑った。決戦の前に、少し緊張がほぐれた感じがした。



事件現場である池に着くと、そこにはもうすでに小野先生と高田、子分3人、それに横澤先生がいた。

高田と子分3人は僕を睨んできた。その威圧に少し後ずさりをしてしまったが、凛々がそっと背中を支えてくれた。そして「大丈夫だよ」と耳元でささやいてくれた。僕には心強い味方がいる。昨日とは全く状況が違う。僕はもうひとりではない。大丈夫だ。負けることはない。


「じゃあそれぞれ昨日の位置についてくれるかな。高田くんが落ちた時の位置に」

横澤先生の声かけで、僕と高田、それと子分3人は位置についた。凛々はどうしていたかっていうと、大長先生と小野先生と一緒に周りから様子を見ていた。

この2人の先生は、教務主任がこの場の主導権を握っていたから、何もできないような感じだった。


「では確認しましょうか。高田くんと3人はこの位置にいて氷で遊んでいたってことだね」

「はい」

「それで林くんはこの木ののところで立っていたと。ここから池の様子を見ていたという感じですか?」

「はい、そうです」

「なるほど。たしかに高田くんの後ろにいるね。だから高田くんは押されたと思っているんだね?」

「そうです。林くんが押したんです」

「んー、林くん、ちょっと腕伸ばしてもらえる?」

「はい、こんな感じですか?」

僕は目一杯腕を伸ばした。僕が腕を伸ばしても届かないことを証明するためだ。

「この感じを見ると林くんの腕が届いて押したとは思えないな。そうだ、3人は林くんが押したのを見たって小野先生に伝えたんだよね?」

「は、はい…」

子分3人は自信なさげに返事をする。この3人の登場で昨日は話が一気にややこしくなったのだ。それなのに自分達の都合の悪い方へ事が進んでいくと自信をなくす。情け無い奴らだ。

「3人は遊んでいた時池の方を向いていたわけでしょ?それなのに林くんが押したのをはっきりと見えたのかね?ちょっと疑問だなぁ」

「…」

高田と子分3人は黙りこくってしまった。横澤先生のこの一言はだいぶ効いたみたいだ。本当にこの人は僕のことを信じてくれている。そう確信しようとした。が…

「でも林くんが動いて押しに行ったとも考えられなくないからなぁ」

なんだ。結局疑っているのか。でも僕はちゃんと事実を主張しようとした。

「えっ、ぼ、僕ほんとにやって…」

すると僕が主張し終える前に、横澤先生はかぶせてきて、最後の判決を下した。

「どちらも証拠不十分ですね。まぁ今回は握手をして、お互い謝って和解をしましょう。ほら、林くん、高田くん、2人共手を出して」

横澤先生に促されるままに僕と高田は手を出して、握手を交わした。

「ごめんね」と僕が先に言うと、続けて高田が「ごめんなさい」と返した。

「では、一件落着ということで、よろしいですね?大長先生、小野先生」

横澤先生にそう言われると、2人は顔を合わせてから「はい」と口を揃えて言った。



なんだか呆気あっけなく終わってしまった。現場検証とはこんなにも早く終わるものなのか。少々疑問に思えたがどちらも傷つかずに終わった気がする。それがなによりだと思う。

そう考えていると、事の顛末てんまつを見守っていた凛々が僕のもとに近づいて来た。

「明人、おつかれ、仲直りできて良かったね」

「仲直りできたっていうのかな?よくわかんないや」

「まぁ良いじゃん、じゃあ戻ろっか。結局凛々は何もせずに見てただけになっちゃたってたよね」

「はは。でも僕にとって一番の味方が見守っててくれて良かったよ」

「そう?なら良かった」

たしかに横澤先生の判決は心がスカッとなるものではなかったが、またこうして凛々と気兼きがねなくお話しすることができるようになったのは本当に良かった。そう思って、最後に横澤先生に挨拶しに行こうとした時、横澤先生の方から僕に話しかけてきた。

「林くん、最後にちょっといいかい」

「はい、なんですか?」

「あんな感じで最後締めくくってしまいましたけど、先生は林くんが押したなんて最初から思っていなかったんだよ」

「えっ、最初からですか?」

「うん。昨日騒ぎを聞きつけて、先生と小野先生と、あともう1人の先生が駆けつけたでしょ?あの時、高田くんの状態をじっくり観察したんだ。それでわかったよ、彼は自分で落ちたんだろうなって」

「どうしてですか?」

「高田くんの顔とか前髪とか、身体の前の部分が全然濡れていなかったんだよね。普通、後ろから押されたりしたら前の部分って濡れるでしょ?でもそれが全くなかったんだ。だからこの子は自分で落ちたんだろうなって思いました」


思い返してみると、昨日この人からは「あなたがやったんですよね」とか「謝りなさい」とは言われなかった。この人は本当に最初から僕を信じていてくれたのか。でもなんで。僕には確認したいことがあった。

「じゃ、じゃあなんで僕のことかばってくれなかったんですか?独りで、頼る人もいなくて、寂しかったんですよ」

「ごめんね。先生の都合を押し付けちゃって申し訳ないけど、教員という立場上、決定的な証拠がない限り、どちらか一方の味方をすることができないんだ。ちゃんと公平に目を向けて、それから判断しないとダメなんだよね」

そういうことだったのか。流石は教務主任の先生だ。僕を最初から犯人と決めつけていたどっかのクラスの担任とはえらい違いだ。

「でも先生はもう20年以上教員として働いているから、誰が嘘をついていて、誰が真実を言っているかはなんとなくわかってしまうんだけどね。小野先生はまだ若いから公平に目を向けることができなかったんだよ。だから林くんには辛い思いをさせてしまって本当に申し訳ないと思っている。ほんと、ごめんなさい」

そう言って横澤先生は頭を下げた。先生から頭を下げられたのは初めての経験だった。

「横澤先生、もう大丈夫ですよ。一件落着したわけですから」

「ありがとう、林くん」



それからの小学校生活は、橘とケンカしたせいで多くの同学年の子から嫌われたり、一個下の学年からは高田派を中心に睨みつけられたりしたから、低・中学年の頃に比べると少し生きづらかった。でも独りではなかったから悲しくはなかった。そばには凛々がいたし、大長先生や横澤先生が僕を支えてくれたから。

それに横澤先生のおかげで、将来先生になるのもいいかなって思えた。僕にとって小学校生活は辛いこともあったけど、全体的にはとても良かったと思う。

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楽しい人ではなく寂しい人 加藤巳紀 @Takanoha13

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