電子日記 ☆KAC202211☆

彩霞

電子日記

 現在、西暦2171年。


 今からちょうど150年ほど前、「電子日記」というアプリケーションが生まれた。


 これは、槙田陽まきたようというクリエーターが作ったもので、コンセプトは「三日坊主になりがちな日記を毎日書き続ける」というもの。最初は利用する人は少なかったようだが、口コミで多くの人に広がるようになり、改良を加えながら現在も稼働している。


「電子日記」は、元々日記を書くために作られたものだったが、使用者の使い方によって、様々な使い方が生まれた。


 ――友人や家族との旅行の思い出を、共有するために。

 ――料理が得意な人は、創作料理を書き留めるために。

 ――趣味や好きなことを調べた記録のために。

 ――生きた証を書き残すために。


 特に、最後の「生きた証を残すため」というのは、案外多くの人に共感されているようで、家族がいる人も一人暮らしの人も、自分がこの世に生を受けて、どう過ごしたかを言葉や、ときには写真などを付けて残していく。


「電子日記」自体は、プライベートな日記の内容をオープンにすることは推奨すいしょうしておらず、利用者が承認した人や項目以外は、全て秘匿ひとくとするような機能が付いている。


 また、利用者が「電子日記」を長期間使用しなくなると、ネット上の情報は削除される。

 だが、データは消えるのではなく、ネットを通して見られないようにするために特殊な媒体に書き込まれ、まるで図書館の本棚のような場所へ強制的に移動させられるのだ。


 こうなった場合、本人以外は「電子日記」が独自に設定した著作権の期間が過ぎるまで、誰も見ることは不可能である。


 だが、この著作権の期間が過ぎ、利用者が著作権が切れた後に一般公開することを許可していた場合、後世の人間は100年以上前のどこの誰とも分からい人の日記を、読むことができるというわけなのだ。


   ☆


「いずみちゃん、また来たの?」


 そう言って笑ったのは、ここの施設「ライブラリ・ラグーン」の受付をしているアリアさんである。ここ数日、毎日遊びに来ているので、ちょっとあきれているのかもしれない。

 でも、こんなに面白いところもないので、私は満面の笑みを浮かべて「うん」と明るくうなすいた。


「今日は誰の日記を読むの?」


 アリアさんは淡い黄色に染め上げた髪を耳に掛け、ピンク色のリップを塗った口元をほころばせて尋ねた。


「昨日の続きで、佐山さんって人の日記を読むよ」


 すると、私がどんな人の日記を読んでいるのか気になったのか、アリアさんが「佐山さんってどういう人?」と私に聞いた。そう聞かれると、何と言ったらいいか難しい。私は悩んだ末に、大雑把に答えた。


「うーん……簡単に言うとおじさん?」

「面白いんだ?」

「うん。とっても。なんか、別れた奥さんとの間に娘がいて、その子に向けて日記を書いているんだよね。それがなんか……心があったまるんだ」

「心が温まる……」

「昨日読んで印象に残っているの教えようか? 興味あるんでしょ?」

「フフ、バレた?」

「じゃあ、ちょっと一緒に読む?」

「いいわね。じゃあ、部屋に一緒に行きましょう」

「うん」


 アリアさんが、「来館者を案内します」と言って席を立つと、代わりにホログラムの男性がぱっと現れた。

 ここでは、アリアさんのようにリアルで仕事場に来る人もいれば、バーチャルで離れたところから仕事をする人もいる。


 お陰で、自宅からの距離が遠いからといって諦めていた仕事や、障害のある人がける人も多くなったという。それに、ホログラムで受付に立つ人たちは、その姿を自由に変えることができるので、容姿にコンプレックスがある人にとっても、好評なシステムだ。


 一方で会社側では、バーチャルで仕事をする際には、常に本人認証を行って誰か別の人物が代わりに仕事をしないようにチェックする仕組みがあるので、セキュリティの面も考慮されている。デジタルのシステムには絶対の安全はないが、それでも会社側は利用者が常に安心して利用できるよう、ウイルス対策などが徹底されているらしい。


 私は受付を出たアリアさんと合流すると、「ライブラリ・ラグーン」の半地下へ移動する。


 ここは丘を利用した場所になっているので、地下といっても窓が付いていて外が見えるため、とても開放的な場所なのである。その場所に無数に作られてある個室の一つに入ると、私はそこに置いてある棚から一冊の分厚い本を取り出す。

 しかし、開いてみても本には何も書かれていない。


「その厚さでいいの?」


 アリアさんが尋ねたので、私はうなずいた。


「うん。沢山書いている人だから、この方が読みやすいんだよね」

「そっか」


 私はテーブルに何も書かれていないその本を置くと、その脇に浮き上がった光のパネルを操作し、自分の手のひらを認証させた。


 するとテーブルの上に、ホログラムの人物が浮かび上がる。これは「ライブラリ・ラグーン」のシステムが人間化されたもので、利用者の色々な問いに対して応えてくれる。問いの種類は、ディープラーニングをしているため、本当に特殊なもの以外は、瞬時に答えることができる。


 今から100年くらい前、ディープラーニング型のシステムもAIともてはやされたそうだが、それはただ大量のデータを収集して、あたかも知能があるように見えていただけと評価されているようである。現在のAIは、まるで人間のような考え方を持つものが作られることを期待されているが、セキュリティ上の問題で難しい点もあるようだ。そのため、ある程度の形は出来ているとされているが、市場には出回っていない。


『こんにちは、いずみさん。今日は、どなたの日記をお読みになりますか?』

「昨日も読んだ、佐山ひとしさんって人の日記を読ませてほしい」

『かしこまりました』


 すると、テーブルに置いた本に天井から柔らかい光が一時的に当てられた。


『完了いたしました。これで、佐山仁さんの日記を読むことができます。本に投影した時期の日記は、2021年1月から2023年の3月までです。もし、さらに新しいものを読みたい場合は、またお声がけ下さい』

「ありがとう」


 私はシステムにお礼を言うと、パラパラと本をめくった。すると先ほどまで真っ白だったページには、文字が浮かび上がっている。


 今から50年くらい前に開発されたもので、紙媒体の本を読みたくても、環境問題のために、多くの書籍を紙媒体で発行できなくなった際この技術が登場した。


 これにより、どんな内容のものでも真っ新な本に投影して読むことができる。


 光と特殊な紙のお陰で作られたこの技術は、データさえ自分で持っていれば何度でも書き換えることが出来るので便利だ。最近は、これを外に持ち出しできるシステムも開発され、大人から子どもまで人気が高まっている。


「2021年って言うと、『電子日記』のアプリ提供が始まったときね」

「うん」

「この佐山さんって人は、2021年のとき何歳だったの?」

「えーっと……56歳だって。それで娘が二人いて、最初はその子たちに向けて書いているんだよ」

「そうなのね。じゃあ、早速いずみちゃんが心温まったという話を紹介してもらえないかしら」

「うん!」


 私はパラパラとページを捲って、佐山さんが娘に宛てた素敵な内容を、アリアさんに見せた。


「ここだよ。2021年3月――……」

 そのページにはこんなことが書いてあった。


     *


 里奈へ。今日は誕生日だね。18歳の誕生日おめでとう。

 元気にしているかな。


 本当は、電話をかけたり手紙を書いたりしたらいいと思っているんだけど、お父さんは言葉がいつも拙くて上手く言えないから……。情けないけど、こんな風に日記に書いている。ごめんな。


 お父さんがお母さんと別れてから10年経つけれど、離れてみるとお互いいっぱいいっぱいだったんだなって思う。


 仕事のこと家事のこと。


 日本の仕事のやり方は少しずつ変化しているけれど、それでも個人にのしかかる負担が大きくて、お父さんもお母さんも疲弊していった。誰かに助けを求めればよかったけれど、助けてもらうことが格好悪いとか、貸しを作るみたいだと思ってしまって、結構無理していたんだなと思う。


 意地を張って、格好つけて。


 家庭のこと、自分のせいじゃないとお母さんを責めてしまって……。嫌な父親だったよな。ごめん。


 でも、今でも里奈と怜奈、そして友理奈……お母さんのことはとてもとても大切に思っているよ。


 里奈、改めて誕生日おめでとう。


 これから大学生だということをお母さんから聞いた。お金のことはお父さんも支えるから。体にだけ気を付けて、頑張ってな。


 それじゃあ、また。


     *


「どうだった?」

「優しいお父さんね」

「うん」

「でね。その後なんだけど……」


 そう言って、私は2022年5月のページを開いた。するとそこには、佐山さんが10年ぶりに娘たちに会ったという記述が書かれていたのである。


「えっ、でもどうして……?」

「佐山さん、『電子日記』に書き続けていたら、手紙が書けるような気がしてきたらしくて、勇気を出して2022年の3月に書いて送ったんだって」

「うそっ! 里奈さんに?」

「うん。そしたら、5月に会えることになったんだって」

「そっかぁ」


 アリアさんは嬉しそうに笑った。


「確かに、温かくなる話だったわね」

「うん。150年も前の話だけど。こういう話はいつだって変わらないよね。今も、これからも」

「ええ。きっと変わらないわ」

「うん」

「良いお話を読ませてもらったなぁ。それにしてもよくこの日記を見つけたわね」

「ママに聞いたの。おすすめの日記があるから、読んでみてって」

「そうだったのね。――じゃあ、私は受付に戻るけど、また素敵な話を見つけたら教えてね」

「もちろん!」


 アリアさんが個室から出て行くと、私は佐山さんの日記をまた頭から読みだした。


 心温まる、娘思いの父の日記。実はこれを書いたのがいずみのひいひいおじいちゃんであることを、彼女はまだ知らない。


 言葉はいつまでも、残されていく。

『電子日記』。それは、遠い未来に繋がるかもしれない、秘密の日記である――。


(完)

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